昭和46年

年次世界経済報告

転機に立つブレトンウッズ体制

昭和46年12月14日

経済企画庁


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第2章 揺れ動く国際通貨体制

2. アメリカの国際収支赤字とドルの信認低下

(1) IMF体制とアメリカの国際収支赤字

1)国際流動性の供給

IMF体制の下では,各国は相応の国際流動性を持つ必要がある。これは国際収支が悪化した場合,国定為替相場制度を守るために過度の引締めや貿易制限等の措置をとることなく,国際収支改善に必要な時間的余裕を得るためである。戦後,世界貿易は著しい発展を遂げてきたが,こうした時期にあっては循還的ないし一時的要因による国際収支不均衡も,大幅化する傾向がある。したがって,これを第一次的にファイナンスすべき国際流動性の必要量も増加する傾向にある。

こうした需要をまかなうべき国際流動性は,金,外国為替,IMFリザーブ・ポジシヨン,SDR等から構成されている( 第2-4図 )。金は,戦中戦後のインフレの中にあって,その価格はいぜん1934年当時のままに固定されており,他の資産と比較して過小評価された形となっている。このため,新産金に対する工業用,退蔵用の需要が強く,もともと絶対量の少ない新産金の貨幣用金への組入れを困難にしてきた。 第2-2表 にみるように,1966年以降,ソ連の供給停止もあって,西側世界での金供給は頭打ちとなっている。これに対し,工芸用需要は着実に増加している。また,退蔵用需要も67~68年のゴールド・ラッシュを反映してこの両年で33億ドルに達し,新産金を上回って公的準備の取り崩しを招いている。こうしたことから国際流動性としての金は,第2-4図にみるように65年の419億ドルをピークに減少傾向を示し,71年3月には369億ドルとなった。これは51年における339億ドルを,わずか30億ドル上回るにすぎない。また,IMFリザーブ・ポジションやSDRもいまだその絶対額は小さい。このため,現在の国際流動性の主要構成要素であり,かつ世界経済の進展に見合って増大する需要に応じてきたのは,外国為替,それも大部分が米ドルである。

アメリカの国際収支(流動性ベース)は,1950年以来57年を除いて一貫して赤字を続け,世界に流動性を供給してきた。しかし,50年代においては,このアメリカの国際収支赤字も積極的にヨーロッパや日本のドル不足を緩和し,これら諸国の経済復興を助けるものとして,むしろ歓迎されていた。50~57年間の年平均総合収支赤字額(流動性ベース),は13億ドルであったが,この間,アメリカの金準備はほぼ横ばいに推移した。57年の金準備額は229億ドルで,50年の228億ドルとほとんど変わりなかった。各国が国際流動性としてのドルを欲し,アメリカがその国際収支赤字によってこれら諸国の需要に応えた時期であった。49年には西欧諸国はいっせいに大幅な平価切下げを行なっていたし,また輸入制限や資本輸出規制などの措置を存続させていた。

日本でも輸入制限や種々の為替管理,そして輸出振興のための措置がとられていた。このように50年代央までは,各国が国際流動性の増強をはかり,アメリカがいわば計画的に国際収支赤字を出してドルを供給した時期であった。

2) アメリカの国際収支悪化とドル防衛

ところが,1958年からアメリカは年30億ドルを越える総合収支赤字(流動性ベース)を出し始めた。アメリカの対外債務は急増し,この項からヨーロッパ諸国による金交換請求が増加し出した。こうして,60年にはついに対外流動債務が金準備を上回るにいたった。金投機が発生し,ロンドン金市場の金価格は高騰した。アメリカ政府は現行金価格を維持する旨の声明を発するとともに,一連のドル節約令を出した。ドル防衛の第一歩であったが,以後60年代はドル防衛の繰り返しとなった。

いわゆるドル不安と称されるものは二つの側面を持っている。一つはアメリカの国際収支赤字を通ずるドル流出であり,他は流出したドルが各国中央銀行あるいは自由金市場を通じてアメリカに対する金交換請求となってアメリカの金準備を減少させることである。したがって,ドル防衛もこれに対応して二面を持つことになる。一つはアメリカ自身による国際収支改善の問題であり,他は国際協力による為替市場・金市場の安定化の問題である。前者に属するのが,対外軍事支出・対外援助の削減,金利平衡税,対外投資自主規制等であり,後者に属するのが金プール機構,スヮップ協定,ローザ・ポンドや,一部の国による金交換自粛等であった。しかし,第1節で述べたとおり,こうした国際協力によるアメリカの国際収支改善策は一時しのぎの策にぎず,より基本的にはアメリカ自身による改善努力が成果を挙げねばならなかった。だが,数回にわたって採用されたドル防衛策も,基本的な問題である産業構造や生産性の改善,インフレ問題などについて確固たる対策がとられなかったために,60年代央にかけて若干の効果を示したほかは国際収支を抜本的に改善することはできなかった。

すなわち,60年11月政府による海外買付の抑制,海外駐留軍家族の引揚げなどにより,10億ドルの国際収支改善をはかったが,結果は思わしくなかった。63年7月のドル防衛措置も海外軍事支出,対外援助その他政府支出の節約,金利平衡税の設定にとどまった。ついで65年2月には銀行の海外向け長期融資および企業の海外投資を抑えることにし,68年1月にはさらに貿易,観光,資本取引と広汎な改善措置を発表したが,いずれも極め手を欠いた。

たとえば68年1月の場合も,5億ドルの改善をめざした貿易収支は,結果的には30億ドル悪化であったし,10億ドル改善を予想された海外民間直接投資も1億ドル悪化というように,さしたる効果をあげることはできなかった。

3) SDRの創出

こうして,アメリカの国際収支赤字は,国際流動性としてのドルを世界に供給してきた。のみならず,先にみたように貨幣用金の供給が不十分であった自由世界にあっては,アメリカは実質的にその他の諸国に対する最大の金の供給者であった。 第2-3表 はアメリカからの金,ドル流出額(アメリカの赤字)と,その他の諸国における金,外国為替の保有高の変化を対比したものである。これによれば,50~67年においてその他の諸国における外国為替は,そのほとんどがアメリカの国際収支赤字によってもたらされていることがわかる。これに対し,金は50~57年の時期にあっては,結果的にアメリカより流出がなく,その他の諸国は貨幣用金の新規増加分だけ蓄積している。ところが,57~67年の時期では,貨幣用金の新規増加分に加えて,アメリカより100億ドルを越える大量の金がその他の諸国に流出した。このように大量にドルの金交換が行なわれたために,逆に外国為替の増加は金に比し,より小幅にとどまっている。

このように,新産金の貨幣用金への組入れが僅かである状況の下では,各国が国際流動性を需要すれば,アメリカの国際収支が赤字を拡大し,アメリカの国際収支赤字が縮小すれば世界の流動性は不足するという関係が存する。この関係は,60年代初から,いわゆる「流動性ジレンマ」として認識されるようになり,IMFにおいてもこのジレンマを解決すべく63年から流動性増強の方策が検討された。そして4年にわたる討議を経て,67年のIMF総会で承認されたのがSDR(IMF特別引出し権)である。SDRはIM Fに設定された無条件引出し権であり,新たな出資を必要としない新準備資産である。しかも,その配分および消却等は,「全世界的に,準備資産を補充する必要があると各国が判断」した場合に,IMF加盟国の合意によって決定されるものであり,その際,「長期的・全体的観点から既存の準備資産を補充する必要性が生じたときに,IMFの目的の達成を促進し,かつ,世界的な経済の停滞,デフレーション,過剰需要およびインフレーションを回避するような方法でその必要に応ずるよう」つとめるものとされる(協定第24条第1項)。また,SDRl単位は純金0.888671グラム(1944年7月1日現在の1ドルの金価値に等しい)と等価とされ,金価値保証を付されているが,金とリンクしてはいない。つまりSDRで金を取得したり,逆に金でS DRを取得する規定は置かれていない。このようにSDRは新準備資産として種々の点で画期的な性格を持つものである。SDRの第1回配分は70年1月に,第2回配分は71年1月に行わなれた。両年の総配分額は64億ドルである。

このSDRの配分決定に際しては「国際収支の均衡がよりよく達成され,将来,調整過程の機能が改善するであろうという見通しが立っていること」に充分考慮を払うべきこととされている。しかし,60年代後半以後における事実は逆の方向に進んでいた。アメリカの国際収支は一層大幅な赤字を出すようになったのである。

4)ドルの大量流出と信認の低下

すでに述べたように,各国の増大する国際流動性需要は,これまでの通貨体制の下では主としてアメリカの供給にあおがねばならず,これが結果として国際流動性を需要する側からアメリカの国際収支を赤字化させる要因ともなっていた。しかし,60年代央以降アメリカにおけるインフレの進行は,国際流動性を供給する側から国際収支赤字幅を拡大させることになった。すでに68年のアメリカの「自由世界経済におけるドル価値の堅持」と題する報告書(いわゆるドル防衛白書)は,1966年は均衡への歩みがとまった年であるとして,その主因を二つあげている。第1は「ベトナム戦の直接負担の増加-東南アジア関係の軍事支出は前年とくらべて7億ドルふえた」ことである。第2は「国内総需要の異常に大幅でかつ均衡を失した増加と,インフレ圧力に誘引されて輸入が大幅に増えた結果,貿易収支が11億ドル悪化した(その一部は,国防支出の増大と関連していた)。輸出もこれらの要因とともに,主要国の経済成長の鈍化から悪影響を受けた」ことであるとしている。このアメリカにおけるインフレは,その抑制策としての増税法案の成立の遅れ等により,ますます加速化し,アメリカ社会にインフレ期待を植えつけることになった。アメリカの単位当たり賃金コストは64年以降20%増大しているが,これは他のほとんどの主要国よりも悪いものである。こうした60年代央以降のアメリカと他の主要国のインフレ速度の差は,アメリカの貿易収支を中心に財貨サービス収支を傾向的に悪化させた。64年に86億ドル,65年に71億ドルであった財貨サービス収支の黒字幅は,66年には53億ドルに低下し,69年には20億ドルの低水準にまで落ち込んだ。70年は景気停滞の影響もあり一時的に改善したが,71年に入ると年間貿易収支の赤字化が予想されるなど,財貨サービス収支はいっそうの悪化を示している。

また,ニクソン政権の登場以来,対外投資規制が緩和されたため,長期資本収支も悪化した。その結果,基礎収支は69年29億ドル,70年30億ドルと赤字幅を拡大している。さらにヨーロッパ,日本等との景気局面のすれ違いは,短期資本の攪乱的な移動をもたらし,アメリカの赤字幅を未曽有の規模に拡大しているのである。第2-3表Cにみるように,67~71年第2四半期の間に,アメリカよりのドル流出は160億ドルにも達している。

こうした近年におけるアメリカよりの大量ドル流出は,国際流動性としてのドルの信認そのものを揺るがすことになった。すでに67年には,アメリカの短期対外債務は外国公的機関に対するものだけで134億ドルに達し,金準備高を上回っている。ポンド不安に端を発した国際通貨不安は,67年秋から68年春にかけて大規模投機となって頂点に達した。68年3月17日,ワシントンに集った金プール参加7ヶ国は金の二重価格制を発表した。その骨子は次のとおりである。

    ① アメリカ政府は引続き1オンス35ドルの公定価格で通貨当局と金の売買に応じる。

    ② 今後公的保有金は通貨当局間の交換のみに使用され金市場への供給は行なわない。

    ③ 各国はもはや民間市場から金を買う必要はないと考える。

    ④ アメリカの国際収支の大幅な改善が必要であり,また各国は国際収支均衡に寄与するような政策を進める。

以上の内容の声明によって金の公定価格は公的取引のみに適用され,民間市場は自由相場に移ることになり,同時に61年以来金価格の安定に寄与してきた金プール機構は解体された。その後このコミュニケの趣旨にのっとり,日本その他の10ヶ国グループは新産金の購入をしないこととした。

この後,SDR創設の合意,69年のフランス,西ドイツの平価調整等の影響もあり,自由市場の金価格は落ちつきをみせた。70年1月16,19日には公定価格を割りこむ1オンス34.75ドルという相場さえ記録した。

しかし,これも長続きはしなかった。国際流動性としてのドルは金との交換性,安定的購買力および広範な市場性があってこそ確固たる信認をもつことができる。そのうち金との交換性が,アメリカよりの大量ドル流出という事実によってますます脅かされ,これがドルの相対的価値が維持されないのではないかという不安をあおる一方,根強いインフレでその購買力が急速に減少しているからである。

(2) アメリカの国際収支悪化の原因

以上のようにアメリカの国際収支(流動性ベース)は,1950年以降57年を除いて一貫して赤字であるがそれが最近急速に悪化している。以下ではこのような国際収支悪化の原因を国際収支表の項目別に検討し,合わせて最近問題となっている民間海外直接投資の国際収支に及ぼす影響を考察する。

1) 貿易収支の悪化

1960年代前半に50億ドルをこえる黒字を維持していたアメリカの貿易収支は,64年の68億ドルをピークとして急速に減少し,70年はやや回復したものの,それでも21億ドルに過ぎず,71年には再び悪化し第1四半期の黒字はわずか2.7億ドル,そして第2・3四半期はついにそれぞれ10.4億ドル,3.9億ドルの赤字となった。これを世界貿易に占めるシエアの変化でみると,アメリカの輸出シエアは60年代を通じて低下したのに対して,輸入のシエアは65年から68年にかけて大きく上昇している( 第2-5図 )。

構造的にみた場合,輸入に対する所得弾性値が輸出に対する所得弾性値を大きく上回っている点があげられるハウタッカー・マギーによればそれぞれ1.51,0.99)つまり,アメリカの貿易収支はイギリスの場合と同様に,長期的な悪化傾向をもつといえよう。

次に,商品構造から貿易収支の悪化をとらえることができる。まず工業品については,資本財で大幅な出超を続けているが,その主体となる技術集約商品については技術の国際的伝播が進んでいることもあって,外国がアメリカの新技術を習得するまでの優位性の持続期間はしだいに短かくなっていると考えられる。その上,多国籍企業の海外生産もアメリカの輸出に対しては不利な要因とみられよう。また,消費財についてみると,消費の多様化にともない60年代に一貫して入超幅が拡大している。他方,農産物輸出については66年をピークとして減少し,アメリカの輸出総額にしめる農産物比率も60~64年の24.8%から69年の15.9%まで低下している。70年に持直したが,それはECにおける生産の減少という一時的な現象と飼料用油性農産物輸出の増大によるものであった。

第2-4表 アメリカの農産物輸入

さらに65年以降アメリカの貿易収支が特に悪化したことの説明としてはインフレの高進とそれにともなう価格競争の低下をあげることができよう。

アダムスとジュシツの推定によれば,69年にインフレによって増加したとみられる輸入の額は20億ドルまたそれによって減少したとみられる輸出の額は8~17億ドルとなっている。したがって貿易収支悪化の大部分がインフレによって説明されてしまう。

こうした構造的要因のほかに,外国との景気のすれ違いが71年の貿易収支を一段と悪化させた。すなわち,71年初めからアメリカが景気回復に向ったのに対しヨーロッパ,日本では景気鎮静化が進行したために,アメリカの輸入は増大する一方,輸出が伸び悩んだ。このほか偶発的ではあるが,71年8月の鉄鋼スト見越しの備蓄輸入もあげられる。

2) 貿易外,移転収支は71年に好転貿易外,移転収支は60年~70年の平均でみると,17億ドルの赤字であった。これを政府と民間の2部門に分けてみると,政府部門は,52億ドルと大幅な赤字になっているのに対し,民間部門が海外投資の収益により,35億ドルの黒字である。

政府部門の大幅な赤字をもたらした最大の要因は,アメリカが戦後一貫して自由世界のリーダーとして活動してきたため,海外軍事支出と政府経済贈与の負担が大きかったことである。海外軍事支出はベトナム戦争の拡大した66年から急速に増大している( 第2-5表 )。60年~65年の年平均が24億ドルであったのに対し66~70年の年平均は32億ドルになった。経済援助の一環としての政府の経済贈与も,60~70年に年平均18億ドルの規模であるが,ドル防衛の一環としてアメリカの買付け比率を年々高めている点も見のがせない。たとえば国際開発局(AID)所管の商品関係支出については,68年以降ほとんど全額がアメリカで買付けられている。

民間部門に移ると,観光は赤字であるが,投資収益が大きく黒字になっていて,全体としては黒字基調である。

    ① 海外旅行勘定は,60~70年平均で11億ドルの赤字であった。観光振興策をとったが,アメリカ人の海外旅行が旺盛で,60~65年と66~70年を比較すると,年平均4億ドル赤字幅が拡大している。

    ② 海外投資収益の送金受取は,60年以降,急速に増加している。60~65年と66~70年とを年平均で比較すると,直接投資収益は,40億ドルから66億ドルヘ26億ドル増加し,間接投資収益は15億ドルから28億ドルヘ13億ドル増加している。

これに対して外国人による投資の収益は流出要因であるが,60年代前半の年平均13億ドルから後半の年平均35億ドルヘ12億ドル増加している。したがって,国際収支項目として投資収益をみると,60年代後半になって受取は年39億ドル増加,支出は年12億ドル増加で差引26億ドルの改善要因となっている。

60~70年の貿易外,移転収支は以上のように,政府,民間両部門を合せると赤字であったが,71年上期にはこれが黒字に転じている。すなわち,71年上期は年率にして70年から21億ドル好転して6億ドルの黒字になった。これは主として,①軍事売却(軍による不要物資の売却)の増加から軍事支出が7億ドル好転したこと,②アメリカ人による海外直接投資からの収益が10億ドル増加し,外国人による投資の収益流出が7億ドル減少したので,投資収益の項目が合計17億ドル好転したことによる。

3)長期資本収支の悪化

① まず民間長期資本収支の動向をみることにする。

    イ. アメリカ人による海外民間直接投資は63年まで20億ドルに満たなかったが,64年には24億ドルになり,ジョンソン大統領が直接投資規制措置をとったにもかかわらず65年は35億ドルに達した。その後,30億ドル台で推移していたが70年には海外直接投資規制の緩和もあって45億ドル,71年に入ると,年率で第1,第2四半期とも13億ドルと53億ドル程度に増加している。

    ロ. アメリカ人による外国証券投資は69年に15億ドルの水準に達した後,70年に9億ドルと一時減少したが,71年に入ると,第1四半期から第3四半期まで3.5億ドル,4.0億ドル,2.7億ドルと推移している。

    ハ. 海外からのアメリカに対する民間直接投資は65年以降,着実に増加し,70年には10億ドル近くを記録したが,71年第1四半期には1億ドルに急減し,さらに第2四半期には2,400万ドルの純流出に転じた。

    ニ. 外国人のアメリカ証券に対する投資は70年に30億ドル,71年に入ってからは,第1四半期から第3四半期まで6.2億ドル,2.1億ドル,6.3億ドルと推移している。

    以上のほかに,その他の銀行,企業による長期資本取引を加えると,民間長期資本収支は68年に一時的な改善を見せたものの,69年以降急速に悪化している。71年上期まででみると,a.アメリカ国内のスタグフレーションで魅力的な投資機会を見出しがたいこと,b.ドルが実質的に減価しているにもかかわらず,切下げられていないため,外国の資産を割安に購入したこと,c.ドル不安のため,海外資本が逃避したことなどの要因が強く働いていると思われる。

第2-6表 アメリカの民間長期資本収支

② 次に,借款が主である政府の長期資本収支の動向をみると,60~64年年平均10億ドルから65~66年の15億ドル,そしてその後は20億ドル前後の水準にある。

4)基礎収支の大幅悪化

以上を総括すると,1960年代後半のアメリカの国際収支は 第2-7表 のような推移をみせている。基礎収支がこの期間,68年の若干の改善を除いて一貫して悪化し,71年上期にはそれが未曽有の規模に達した。

これをウイリアムズ委員会報告は民間取引と政府取引とに再分類しているが,それによると,60年代を通じて民間取引は50億ドル前後の黒字を示し,政府取引は70億ドル前後の赤字で推移している。これはアメリカが世界において特別な役割を果たすために必要な国際流動性の重要な部分を民間部門が取得してきたことを示すものである。重要なことは,71年に入って政府部門の赤字幅はそれ以前とあまり変っていないと思われるのに対して,民間部門の黒字幅が前述のように貿易収支と長期資本収支の悪化から急速に縮小したことである。

5)短期資本収支は国際収支不均衡を拡大

国際収支表では短期資本は非流動短期資本と流動短期資本とに分かれる。

非流動短期資本は貿易金融に関連した取立て,アクセプタンス信用が主であるが,このほかに企業の短期資本取引がある。流動短期資本は,短期資本取引から非流動短期資本を差引いたもので,基礎収支,非流動短期資本収支のファイナンスをするほか,国際間の金利差や投機的思惑によって活発に移勤する短期資金の動きが含まれる。

基礎収支に非流動短期資本収支,SDRの増減,誤差・脱漏を加えたものが純流動性ベースの国際収支となっている。ここで注意しなければならないのはアメリカの場合誤差・脱漏の中にかなりの流動短期資本の流れが含まれていることである。純流動性ベースの国際収支に民間の流動性短期資本のフローの流れを加えたものが公的決済収支であり,外国公的機関に対する債権債務の変化を現わしている。公的決済収支は金交換を請求してくるかもしれない外国政府,中央銀行の手持ドル額の変化を示す重要な指標である。

短期資本は金利差に敏感に反応して大量に移動するが,それが純動性べースの国際収支と公的決済ベースのそれとのかい離を異常に大きくする原因になっている。69年の純流動性ベースは,61億ドルの赤字であったが,公的決済ベースでは27億ドルの黒字となっている。このかい離の原因は米銀のユーロダラー取り入れにある。69年ユーロダラー市場の規模は250億ドルから375億ドルに増大したが,このうち75億ドルはアメリカの居住者(主として米銀)が取入れたものである。このユーロダラー信用増加のうち15億ドルは外国公的資金がユーロダラー市場に振替えられたものであり,約35億ドルは他通貨からドルに転換されたものである。以上の合計50億ドルはアメリカの外国公的機関に対する債務の減少となり,公的決済収支のプラス要因となった。

70年になると,こんどは米銀がユーロダラーを返済し,これがヨーロッパ諸国に流入して各国通貨に転換された。外国民間に対する債務は62億ドル減少したが,実はこれが公的機関の債務に振替ったにすぎなかったため純流動性ベースの赤字39億ドルに対し公的決済収支の赤字は98億ドルの巨額に達した。71年上半期の国際収支は基礎収支と非流動民間短資で年率106億ドルと臣額の赤字となったが,さらに,米銀のユーロダラー返済が進んだこと,マルクへの投機として短資が流出したことなどから,公的決済収支の赤字幅は年率224億ドルにのぼった。

6)民間海外直接投資の国際収支に及ぼす影響

すでに見たようにアメリカの民間海外直接投資は巨額で,しかも増加基調にあったが,過去の投資の果実である収益の流入はいっそう巨額であるため,両者を差引した限りでは黒字になっている。この黒字幅は60年代前半の20億ドル前後から69年には41億ドルに達したが,それ以降直接投資の急増から減少に転じている。

直接投資の国際収支に及ぼす効果を考える場合,①親会社から海外子会社への輸出と逆輸入,②子会社の被直接投資国における販売および第3国への輸出,③被投資国の技術水準に及ぼす影響などを考慮に入れなければならない。

まず海外子会社に対する輸出入を考える。輸出については,68年製造業で約54億ドル(64年,65年の平均でみると子会社向け輸出は子会社総売上高の9.1%であるので,68年についても同様の率を用いて推定),鉱業で7億ドル(製造業の場合と同じ推定方法で,売上高比率は13.9%),合計61億ドルと推計される。一方輸入は製造業で47億ドル,鉱業で19億ドル,合計66億ドルなので,この面の収支は,約5億ドルの赤字となる。

ここまででみる限り,アメリカの民間直接投資は,国際収支の赤字要国とはいえないが,次のような点も考慮する必要がある。海外子会社の現地販売と第3国市場向け輸出をみたのが 第2-6図 である。これによってアメリカの輸出がどれだけくわれたかをみる場合,アメリカは鉱産物を輸出する余裕はないため鉱業の海外進出はこの件に無関係だとみてよかろう。したがって製造業だけを検討すると,68年の現地販売高465億ドル,第3国向け輸出84億ドル合計549億ドルがどれだけアメリカ本国からの輸出を阻害したかということになる。数字的に検証はむずかしいがおそらくかなり影響していると考えられる。

最後に,アメリカの海外直接投資が被投資国に新技術を伝播させ,アメリカとの技術格差を縮小させるという面と,多国籍企業が現地の研究開発活動を親会社のそれに従属させてしか考えないため,現地の技術進歩を遅らせているという面とが考えれる。

ともあれ企業の自由を尊重するにしても,また直接投資のもつ技術伝播機能が受入れ国にとって好ましいものであるにしても,国際収支が悪化している以上は,投資国としては短期間,これを規制するのが妥当と思われるが,アメリカは近年国際収支が悪化しているにもかかわらず,逆にこの面の規制をはずしたことは問題といわざるをえない。

(3) ドルの信認低下と金交換停止

以上のように60年代後半からアメリカの国際収支はしだいに悪化の速度を早めていたところへ,71年上期,循環的,さらには一時的な悪化要因が一度に加わり,国際収支項目のほとんどがいっせいに赤字幅を拡大して,アメリカの対外不均衡は破滅的な規模に達する一方,国際投機が急速に広がった。

こうした中で,アメリカはついに8月15日,ドルと金の交換停止措置を宣言したのである。