昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
第1章 1971年の世界経済
こうした中で,1971年春すぎまで回復気流に乗ったかにみえたアメリカの景気は夏頃からしだいに気迷い状態に陥って行った。生産は伸び悩み,失業率がじりじりと高まり,インフレも一向に収まる気配を見せなかった。第2四半期の国際収支が第1四半期に引きつづき未曽有の大幅赤字を記録するにいたって,ついにニクソン大統領は8月15日,衝撃的な緊急新経済政策を発表した。
新経済政策は,失業,インフレ,国際収支赤字の三重苦の一挙解決をはかるとともに国際通貨体制の改革をねらった総合的政策で,次の諸措置からなっている。
(1)新規国産設備に対する投資税額の控除
(2)個人所得税減税の1年繰り上げ実施
(3)自動車物品税の廃止
(4)賃金・物価の90日間凍結
(5)生計費委員会の設置
(6)10%の輸入課徴金賦課
(7)対外経済援助の10%削減
(8)米国国際販売会社の輸出所得税繰り延べ
(9)ドルと金の交換停止
ここに,(1),(2),(3),が雇用の増大を,(4),(5)が物価の安定を,(1)および(6),(7),(8)が国際収支の改善を,(9)が国際通貨体制の改革を目指していることはいうまでもない。これらの政策は,それまで財政政策の活用と所得政策の導入に消極的であったニクソン政府の大転換を意味するものである。
72年度において(1),(2),(3)に要する財源は63億ドルに上るが,同年度の財政赤字幅をこれ以上拡大もしないのに,輸入課徴金収入を予定すると同時に連邦支出の繰り延べや削減が提案された。
賃金,物価の凍結は,1970年に制定された経済安定法によって大統領に与えられた権限に基づくもので,これにより8月16日から11月13日までの期間,物価,家賃,賃金は8月14日で終る1月間の最高水準以下に抑えられることになった。閣僚レベルの生計費委員会はこの凍結措置を実施管理し,さらに凍結解除後の対策策定のために設けられた。
10%の輸入課徴金は,国内法としては,1962年の通商拡大法を,また国際的にはガット第12条(国際収支の擁護のための制限)に準拠してなされるものとされ,アメリカの輸入総額の約半分に適用される。除外されるのは,①コーヒー,魚類,鉱石などアメリカ国内で生産されないもので現在無関税の輸入品と,②原油,石油製品,肉類,砂糖,酪農製品,綿製品などの強制割当て品目である。
最後のドルと金の交換停止措置については,国際取引を決済するために金は使わないというだけでなく,対外債務を決済するためにSDR,IMFの引出権,外国為替を使用することも禁止し,さらに連邦準備にスワップ操作を中止することを要請するものである。
新経済政策のうち対外措置は国際経済に対して深刻な衝撃を及ぼした。とくにドルと金の交換停止措置に反応して,主要西欧諸国は一週間為替市場を閉鎖した後,フランスが二重相場制を採用したほかは,おおむね変動相場制へ移行し,日本も8月27日まで固定平価を維持した後,変動相場制へ踏み切った。70年6月以来のカナダ,71年5月以来の西ドイツ,オランダを加えて,こうして主要国は一様にIMF協定に定められた固定平価じゅん守義務を放棄するにいたったのである。
それ以降,9月末ワシントンで開かれたIMF総会を含めて一連の国際会議が持たれ,善後策が協議されたが,アメリカとその他主要国との妥協が成立せず,事態はいぜん混迷を続けている。アメリカのねらいは国際収支の抜本的改善にあり,主要国通貨の平価切上げと同時に貿易自由化や軍事費,援助の分担を要求している。これに対してEC諸国やイギリス,日本は国際的平価調整には応ずるが輸入課徴金撤廃を条件としており,さらに一部の国では多角的平価調整の一環としてドルの切下げ(金価格の引上げ)を求める立場をとっている。しかも各国とも景気停滞の様相を濃くしている折から,切上げ幅をできるだけ小さく抑えようとしており,経常収支の大幅改善(130億ドル)を求めるアメリカと対立している。
一方,輸入課徴金については,ガットは作業部会を設けて検討し,9月16日理事会は「課徴金は,短期間に廃止されなければ,世界経済および国際貿易上重大な影響を及ぼし,とくにガット創立以来の自由貿易政策を追求するうえに必要な国際協力をマヒさせる」ので「短期間に廃止することを要求することを確認する」という結論の作業部会の報告書を採択した。しかしながらアメリカは,国際収支の大幅改善のメドがつくまで,この措置を継続しようとしている。
アメリカがまき起した国際通貨,貿易体制上の混乱は発展途上国にも重大な影響を及ぼすものであるにもかかわらず,収拾策が先進国グループの間でのみ協議されていることに,発展途上国側は大きな不満をもっている。発展途上国は9月のIMF総会や10月末からの発展途上国閣僚会議において,アメリカの輸入課徴金や対外援助削減に反対するとともに,SDR発行を開発融資に結びつけることなどの要求を表明した。
いっせいにフロートした主要国通貨は,国際収支の実勢に応じて高低はあるものの,いずれもドルに対して直ちに上昇した。すなわち,新経済政策発表前からフロートしていたカナダドルとマルクはごく小幅の上昇にとどまったが,ポンドと金融フランが約2%,円は約6%はね上った。それ以降各国当局市場の介入,為替管理強化,公定歩合採作などによって上下しながら,大勢としてじりじり上昇して,11月15日現在マルク,9.6%,円9.6%,カナダドル7.7%,ポンド3.9%,フランス金融フラン2.5%高となっている( 第1-4図 )。同時点で,主要10カ国からアメリカを除きスイスを加えた10か国通貨に対するドルの平均実質切下げ幅を計算すると,7.3%になる(ロイターによる)。
このような主要国通貨の実質切上げは,アメリカの輸入課徴金などの保護措置とあいまって主要国の対米輸出にマイナスの影響を及ぼしはじめた。とくに日本は,輸出のほとんどがドル建契約であるため,輸出成約は一時急減し,その後いくぶん持直したが,なお低水準である。一方西欧では,西ドイツの輸出受注がかなり落込んでいる。こうして,アメリカの新経済政策がまき起した国際通貨・貿易体制の混乱は,それ以前から概して低迷気味だったアメリカ以外の主要国の景気の足をさらに引張ることとなった。
すなわち,夏頃から景気回復のきざしをみせていた日本は,政府の需要喚起政策にもかかわらず,先行き不安から悲観ムードがひろまり,減産強化,雇用抑制,設備投資意欲の後退の動きが現われるなど景気は再び低迷に落込んだ。また西ドイツでも,当初はアメリカの新経済政策はむしろ景気安定化に資するとして静観していたが,9月に入って生産や受注の減少テンポが早まり,失業増大傾向が続き,操短が急速に拡大してきたため,10月中旬には公定歩合の引下げや預金準備率の引下げなどの緩和措置をとらざるを得なくなった。さらに鎮静化が行きすぎた場合には,景気調整基金や所得税付加金積立分の取り崩しなど適切な措置を取る用意を示している。また,イタリアも西ドイツと同時に10月中旬に公定歩合を引き下げた。
最近,失業,インフレ,国際収支赤字の三重苦が急速に悪化していたデンマークは,10月中旬同国経済の安定化を図るために,10%の輸入課徴金を導入すると発表した。これは同国の国内的な経済事情から実施されたものであるが,国際通貨調整の混乱のさなかであり,大きな波紋をまき起している。
これらの諸国と異って比較的好調な拡大基調を維持してきたフランスも,上述の輸出面でのかげりに加えていままで景気を支えてきたもう1つの柱である個人消費の先行きも鈍化の見通しが濃くなったことから,10月末公定歩合の引下げに踏み切った。
イギリスはいぜん景気停滞の中にあるが,ポンドの実質切上げ幅が,その他の主要国と比べて比較的小さく,今回の国際通貨調整ではむしろ漁夫の利を占めうる地位にあり,71年春以降の拡大政策の効果がしだいに現われてくることも期待されて,比較的明るい見通しをもっている。物価も最近鈍化傾向を示しており,国内景気のよりいっそうの刺激と短資対策のために,9月上旬にやはり公定歩合が引下げられている。
71年上半期に好調な拡大をとげたカナダ経済も,その後再び拡大速度が鈍化したようであり,第3四半期に入って失業率はむしろ上昇し,9月には10年来の最高である7.1%を記録した。アメリカの輸入課徴金の打撃の大きいカナダは,輸入課徴金で損害を受ける輸出産業への救済等の措置を発表するとともに,主要国にならって10月下旬公定歩合を引下げた。
こうして,1968年以来の世界的ブームの中で異常な高水準にはね上った主要国の金利は,71年央に一時反騰したものの,ここにきて再び下げ足に転じ,ほぼブーム以前の水準に戻っている。世界的に設備投資の基調が弱く,資金需要がつかない上に,平価調整を控えて各国とも金利を低目に操作している結果がここに現われている。
先進国の景気停滞から弱含みだった一次産品市況は,アメリカの新経済政策が引き起した国際通貨不安の影響でその後下げ足を早めており,一次産品輸出国の輸出の先行きをいっそう暗くしている。アメリカの輸入課徴金制度が発展途上国にも及んだことは,工業品の輸出拡大を通じて工業化を達成しようとしている発展途上国に少なからぬ影響を及ぼすであろうし,対外援助の10%削減によって開発計画の修正を余議なくされる発展途上国も出てこよう。こうした対外環境の悪化に対処して,インドネシア,イスラエル,アルゼンチンなどがいち早く平価切下げを行なった。
以上のように,新経済政策は,アメリカ以外の主要国には,多かれ少なかれ,マイナスの影響を及ぼしたが,アメリカ国内では,プラスの効果をもたらし始め,これに対して国民も概して好意的な支持を与えている。
物価凍結の影響もあって,第3四半期のGNPデフレーターの上昇率は前期比年率3.3%と13期ぶりに3%台に下った。賃金凍結の影響は個人可処分所得の伸び率純化として現われた。一方,8月,9月と小売売上げは連続増加し,第3四半期の消費の伸びは所得の伸びを上回ったとくに自動車の売上げは,物品撤廃の影響と物価凍結期間中の駆け込み買いから,9月には,75万5,000台と9月としては史上最高を記録した。
しかしながら今回の新政策がアメリカ経済の先行きに対する民間の信頼を完全に回復するのに成功したわけではない。とくに産業界は,凍結解除後の第2段階がどのように展開するか,模様待ちをしている感が強い。産業界の不安感は,新政策発表後急騰したニューヨーク株価がその後下げ基調に転じ,11月末には71年の最安値を記録したことにもっとも端的に現われている。
「第2段階」対策の第1弾は10月7日に打ち出された。その骨子は以下のとおりである。
(1)1972年末までに,インフレ速度を2ないし3%に低下させることを目標とする。
(2)労働,経営,一般の3者より成る賃金評議会と一般より成る物価委員会を設け,閣僚レベルの生計費委員会が中心となって全般的なガイドラインを設定する。
(3)自主規制を基本とするが,必要な場合には法的罰則を採用する。そのために賃金,価格,家賃に加えて利子および配当をも規制できるよう経済安定法を修正するとともにその1年延長を議会に要請する。
(4)プログラムは経済の全部門に適用されるが,厳しい監視は戦略部門に限る。
(5)必要十分な機構(第1-5図) とスタッフを設けるが,スタッフは概存の政府機関から移入する。
(6)公平を期するため,利子,配当,超過利潤の規制も考えるが,経済成長を阻害しないよう十分弾力的に運営する。
賃金評議会,物価委員会などの委員も10日中には決定した。とくに賃金評議会の労働側委員として労組指導者が全面的に参加したのが注目される。
ついで11月上旬,年間物価上昇率2.5%,賃金上昇率5.5%,配当上昇率4%という3のめガイドラインが決定された。
こうして11月14日から「第2段階」がスタートしたが,これによってニクソン政権の目標とするインフレ抑制が達成されるかどうかは,とくに労組の協力いかんにかかっている。