昭和38年
年次世界経済報告
昭和38年12月13日
経済企画庁
第2部 各 論
第4章 国際商品の動き
砂糖相場の上昇につれそうかたちで,ココア相場も63年初めから5月にかけて約4割の上昇をみせた後反落した。世界生産量の約7割をしめる西アフリカの収穫が当初の見込みを下回ったためである。63年3月のFAOの見通しは1962/63年(10月始~9月了)の世界の収穫量を当初の1,150,000トンから1,108,700トンに引下げている。他方世界のココア磨砕量は62歴年の1,109,000トンに対し,63歴年は1,163,000トンと予想され,生産を上回るものとみられている。
しかし,世界の生産の約4割をしめるガーナの63年上半期の輸出額をみると,減産による数量減から,上記の値上りにもかかわらず昨年同期に比し16%の減少を示した。
コーヒーの二大品種すなわち中南米産のアラビカ種とアフリカ産のロブスタ種は,風味の上だけでなく現在おかれている経済的環境という点でも大きな相違がある。1962年のコーヒー相場の動きをみると,アラビカ種の停滞に対し,ロブスタ種の値上りが目立っており,アラビカとの価格差を大きく縮小する傾向を示した(4-7図)。ただし,1963年秋に入ってアラビカの価格も上昇する気運にある。
(a)ロブスタのワンサイデッドブーム
アフリカにおけるコーヒー生産は,もともとドルを節約するためヨーロッパの旧宗主国によって保護育成されてきたのである。最近では,これに加えて,インスタントコーヒー向けの需要が大きく伸び「ワンサイデッド・コーヒーブーム」といわれる状況を呈した。1957年には,わずか7万トン程度しかアフリカ産コーヒーを輸入しなかったアメリカも1961年には約28万トンも買付けているが,その主用途はインスタントコーヒーの配合主原料にあるとみられる。
また英紙の報ずるところではイギリスの1962年のインスタントコーヒー売上高は前年に比し20%増となり,インスタントコーヒーが全コーヒー消費の75%に達しているという(Financial Times 63年2月25日)。ロブスタ種がインスタントコーヒーの配合主原料として用いられる理由は,アフリカのコーヒー生産費が中産米に比して低く(第4-5表),従来市場で安価に取引されていたことによるが,ロブスタは品質の点でも,中性の味,カフェイン含有量の多いことなど有利な点をもっている。したがって,たとえ値上りによって,アラビカ低級品との価格差が解消するとしても,ただちに原料転換が起りにくいともいわれている。世界のコーヒー生産にしめるアフリカ産の比率をみると,1948/49~1952/53年度平均の12.7%から,1962/63年度には22%にのびているが,近い将来,ブラジルコーヒーの大減産が予想されるのでさらに比重を増してゆくものとみられる。このことはコーヒー協定をめぐる生産国の協調に大きな問題をなげかけるであろう。
(b)減産つづくブラジルコーヒー
従来,世界のコーヒー生産の半ばをしめてきたブラジルコーヒーは,19601年代には年々収穫量がふえ過剰生産になるものと予想されていた。1950年代のブームに乗じて植えたコーヒー樹が収穫期に入るためである。しかし,1962/63年度の収穫は日照りのため,前年に比し2割以上の減産となった。63/64,64/65年度も63年中の霜害,農園火事の頻発による被害のため,最近の水準から半減するものと見込まれている。このような見通しから秋口に入ってアラビカコーヒーの相場ももち直してきている。上記の人災天災ばかりでなく,ブラジルコーヒーの生産を制約する条件としては,つぎのような事情があげられている。①50年代に植えつけられた土地は条件の良くない,限界耕地であり,その上,うち続く相場の低迷から生産者が意欲を失ない,管理がおろそかにされてきた。②ブラジルでは,コーヒーから綿花等他の作物に作付転換が進められているが,今回の災害はこれをさらに促進する機縁となろう。また③新しいコーヒー樹を植えても本格な収穫期を迎えるには5~10年を要する。
④地価,労賃の値上りから,コーヒー栽培に対する投資意欲が失なわれつつあることなどの事情が存在する。したがって,FAOの商品年報(1963)の指摘するように当初予想されていたようなブラジルコーヒーの生産増大は今後おこりそうもなく,1963年は世界のコーヒー供給の過剰傾向に一つの転換点をマークするといえよう。
(a)亜鉛,鉛およびすず
工業生産の好調により1963年の非鉄金属,とくに鉛,亜鉛の相場は堅実な上昇を示した。これには自動車ブームによる亜鉛ダイカスト,バッテリーおよびガソリン添加材の影響が大きいと思われる(第8,9図参照)。
他方,すずは,基本的には工業生産の上昇に支えられて,需要も好調だが,米政府の戦略備蓄すず放出政策に対する不安,マラヤ,ボリビアなど主要生産国の鉱山ストなどの要因から相場はかなりの動揺を示した。米政府の放出計画は1962年秋に開始されたものであるが,63年4月からの新計画については当初相場を圧迫するものとして多大の不安がもたれていた。しかし,新計画実施に先立って米政府調達本部(GAS)が国際すず理事会(ITC)とのあいだに諒解をつけ,市況を圧迫するような安値では放出を行なわないと声明したことから一応この不安は去り,6月初のロンドン市物は緩衝在庫売出動価格910ポンド/トンを上回る相場となった。ところが,ここで緩衝在庫当局の手持すずがきわめて少ないことが明らかとなり,相場安定のため米政府は,7月以降の放出限度量を従来の週200ポンドから400ポンドに倍増することとした。このような米政府の政策変更は一部の生産者国から相場を圧追するものとして非難されているが,その後も,現実のすず相場自体は堅調なあしどりをみせている。
(b)銀およびアメリカ銀関係法案
技術革新によって新しい意味をもち始めた商品に銀がある。相場は62年央から動意をみせ高値を保ってきたが,年明けとともに一段高となった。現在のアメリカ1ドル銀貨の銀含有量24.0566グラムから換算すると,その融解点は129.3セント/オンス(1オンス=31.1035グラム)となるが,3月以降の銀相場はほぼこれに近い水準を持続している。このような銀相場強調の原因は需要面からみると宇宙開発,エレクトロニクスの発展にともなう工業需要の増大があり,供給面の要因としては,銀が鉛や亜鉛と結合生産されるため,急速な増産を期待しえないこと,それに加えて中共からの大量の銀放出がとまったことがあげられる。
現在銀の生産は年間約230百万オンスで需要に対して150ないし,170百万オンスの不足となっており,この分は退蔵銀の放出でまかなわれている。銀の工業消費の約4割は写真フィルムに向けられており,最近,この分野で酸化亜鉛,感光性樹脂などの新材料が開発されている。しかし,これらはまだ有力な代替物がなく,当分のあいだ銀の優位が続くと思われる。
なお,1963年5月,アメリカでは新しい銀法案が議会を通過し,①財務省が1オンス90セントで銀を買上げる義務の廃止,②銀売買に対する禁止的な重税(50%)の廃止,③17億ドルにのぼる銀準備を裏付けとして発行されていた1ドル銀証券の廃止が決定された。
以上の措置によって,銀は今後自由な原料商品として流通することとなり,30年ぶりにニューヨーク銀定期市場再開のはこびとなった。
多くの一次商品の値上りをよそにゴム相場は低落を続け,63年9月には,7年来の安値となった。わずかにソ連からの大量買付けが相場を支える材料となっているが,このソ連の大量買付けについても,従来の合成ゴム工場をステレオラバーに切換える期間中の過渡的なものだとの見方がある。
これまでゴム相場はアメリカ自動車生産と強い相関を示してきたが,合成ゴムの進出により今回の自動車ブームでは,そのような関係がみられなかった。また,1962年には合成ゴム生産量がついに天然ゴムのそれを上回るに至った。
従来の合成ゴムは自動車タイヤ用としては適性に欠ける点があったが(内部発熱等),シス1-4ポリブタジエン,シス1-4ポリイソプレンなどのいわゆるステレオラバーは大型トラック,重荷用タイヤにも向く性能を備えており,合成ゴムの脅威はますます大きなものとなってきている。
しかし,このような合成品の進出に対して,天然ゴム生産者も生産性の向上により積極的に対抗しようとしている点は見逃せない。
マラヤ政府は,1955~62年の計画で,ゴム輸出1ポンド当り,4 1/2セントの課税を行ないこの税収を資金として,植えかえてからゴム探取が可能となるまでのあいだの損失補償を行なってきた。
その結果,エーカー当り収量は1957年536ポンド,1961年676ポンド,1962年719ポンドと伸びている。
また,1963年以後も植えかえ促進計画が進められており,豊産樹の面積比率は1965年には,65%に達する見込である。
マラヤの生産者は将来,天然ゴム(R SSl号)をニューヨーク相場ポンド当り18セントで十分な利益をあげながら売れるようにすることを目標としているといわれるが,商品協定その他国際的な取きめによる一次産品問題解決策とは別に,このような生産国自身の主体的な努力は注目すべきことといえよう。
羊毛はほぼ需給の均衡のとれた商品で,最近ではむしろ消費が生産を上回り,在庫は年々減少する傾向を示した。
1962/63年度(7月始~6月了)の羊毛生産は,当初の豊作予想を裏切って,前年をわずかではあるが下回った。1963年の相場は,上記のような在庫減,豊作見越しでカラ売りした投機筋の買戻し,中印国境紛争によるインドの軍需買付けなどの要因からほぼ上昇の一途をたどり,9月には対前年同期比で約2割の上昇をみた(ロンドンウールトップ64番手)。
一般に天然せんいは人造せんいの進出によって大きな脅威をうけているとみられている。工業用,衣料用をあわたせ,全せんい使用に占める羊毛のシェアーは1956年の9.6%から1960年には9.0%へ低下した。しかし,①それは主として工業用せんい使用量の増大とこの面での人造せんいの進出にもとづくものであり,②羊毛自体の工業向け需要はもともと小さい。③衣料品の分野ではレーヨンに対する合成せんいの代替が目立つ反面,天然せんいは安定した地位を保っていることなどが指摘される。したがって,人造せんいの進出は羊毛にとって,従来工業需要の大きかった綿花ほどには大きな脅威となっていないとみられる。
1962/63年度(7月始~6月了)の小麦生産は,ラテンアメリカを除く全地域で増産となり前年度収穫量を10%上回った。とくに西欧の増産が著しく(22.5%増),3年ぶりに北アメリカの生産量を上回った。しかし,このような増産にもかかわらず小麦相場は全体として1961年下半期来の堅調を維持した。5月に入って,作付制限の強化をねらった米政府の小麦計画が農民投票により拒否されたため,相場は一時下落したものの,すでに収穫期に入った63/64年度のヨーロッパ,およびソ連小麦の不作から再びもち直している。
上記の小麦計画に対する農民投票は,毎年の作付面積と販売割当量を決定するため行なわれるもので,過去12回政府が敗れたことはなかった。しかし,64年小麦に対する計画案は ①支持価格を従来の1ブッシェル,1.82ドルから2ドルに引上げるが,かわりに,②明年の所要供給量の算定に当っては相当量の在庫放出分を算入し,生産制限を従来になく強化しようとするものであり,ついに農民の拒否するところとなった。この拒否によりアメリカ農民は64年2月以降については,①作付制限も価格支持もうけない。②自発的に作付制限を行なうものに対してのみ1.25ドルという低い支持価格があたえられることとなる。このため64年の小麦生産は異常に増大し,小麦相場はブッシェル1ドル前後に暴落するものとみられていた。しかし,前記のように西欧,とくにソ連の不作による大量買付があるため,相場は意外に早くもち直すこととなったのである。