昭和38年
年次世界経済報告
昭和38年12月13日
経済企画庁
第2部 各 論
第2章 西ヨーロツパ
西ドイツでは61年春のマルク切上げを契機としてさしも投資ブームも次第に衰えてきたが,建設部門における超過需要や一般的な労働力不足とそれにもとづく過大な賃上げ傾向は容易におさまらず,その結果需要とコストの両面からインフレ圧力が62年中もつづいた。
しかし63年にはいってからは経済基調にかなりの変化がみられ,年初の異常寒波による一時的な物価騰貴を別にすれば,物価情勢も次第におちついてきたし,なによりも賃金の上昇幅が生産性の上昇幅とほぼ歩調を合わせるようになってきた。それと同時に,従来停滞していた輸出が再び上向きはじめ長らく沈滞的であった投資意欲にも回復の兆がみられるようになった。
このようにみてくると,62~63年の西ドイツ経済は一口にいってインフレの収束過程とみることができよう。
まず物価の動きをみると,年平均値では第2-18表のように62年の消費者物価の上昇率は3.5%に達し前年(2.5%)を上回ったが,年間の推移としては下期に安定し,その後63年はじめに異常寒波による一時的上昇があったものの4月以降微落傾向に転じ,7月の消費者物価は前年比わずか1.2%高であった。
卸売物価の上昇率はさらに小幅であり,これを工業製品生産者価格でみると61年の1.5%上昇に対して62年は1.1%の上昇にすぎず,63年はやはり年初に上昇したあと4月以降反落し,7月の指数は前年比0.3%高にすぎなかった。
賃金の動向をみると (第2-19表),協約賃金率でみても時間あたり実収入でみても,伸び率の著しい鈍化がみられる。すなわち,団体協約による賃金俸給の平均引上げ率は61年の8.9%,62年の8.0%から63年第1・四半期には5.6%,第2・四半期には4.5%へ低下している。ただし63年第2・四半期には協約更新の対象となった人数が約1千万人という異例の多数にのぼったために,賃金俸給の支払い総額は前年同期比5.7%増となったが,それでも61年の8.7%増,62年の8.8%増にくらべて著しい鈍化ぶりといえよう。
つぎに,企業コストの観点から鉱工業について1人1時間あたり賃金の上昇率と労働生産性の上昇率を比較してみると(第2-20表参照),62年上期中は賃金の上昇率が生産性の伸びの2倍にも達していたのに対して,62年下期から63年上期にかけて両者の格差が次第に縮小してきたことが明らかとなる。
しかも前述したように63年の賃金交渉が第2・四半期に集中したため下期の賃金上昇率はさらに鈍化するものと予想されており,賃金と生産性の格差は今後さらに縮まるものとみられる。
以上のように62~63年を通じて西ドイツの賃金・物価情勢が次第に落ちついてきたのは,①需給の不均衡が次第に是正されてきた,②全体として依然労働力不足ながらも不足の程度がやや緩和されてきた,③成長鈍化,利幅縮小などで企業家の賃上げに対する抵抗がつよくなってきた,④政府の物価対策とくに労組に対する賃上げ自粛要請が効果をあげたなどの諸要因によるものとみられる。
第一の需給不均衡の是正は,製造工業に対する新規受注と出荷高の比率からもうかがわれる( 第2-21表 参照)。製造工業の新規受注高は59,60年に急増して出荷高を1割近く上回り,その結果受注残が累積した。このような需要の急増は物価高をひきおこすと同時に,納期を長くさせることでその後における輸出停滞の一因となった。しかし61年には新規受注の伸びがとまり,新規受注と出荷高とがほぼ均衡化し,さらに62年下期になると新規受注高が出荷高を上回るにいたった。つまり受注残の食いつぶしが行なわれたわけであり,その結果納期も次第に正常化し,そのことが輸出好転の一因となった。
以上のような需給の推移は,製造工業の操業度からもうかがうことができる。60年の操業度は平均して90%であったが,61年にはそれが89%となり,62年は88%へ低下し,さらに63年にも2ポイントほど低下した(適正操業度は約90%とされており戦後最高の操業度を示した年は55年であった)。
つぎに労働力の需給状態をみると,未充足求人数が失業数を上回るという60年以降みられた超完全雇用状態は現在も変わりがないが,このような経済全体としての労働力不足のなかで労働力需給関係が最近やや緩和してきた点が注目される。すなわち失業数や求人数を前年同期の水準とくらべたばあい63年にはいって失業者の増加,未充足求人数の減少という傾向がみられる。
労働力人口(就業者数と失業数の合計)の伸び率が鈍化しているにもかかわらず,労働力需給に若干の緩和がみられるのは,全体としての労働力需要の伸びが鈍化してきたと同時に,労働力退蔵傾向の解消や,労働力過剰産業から不足産業へと産業間の労働力移動が従来より活発化したせいである。とくに製造工業の雇用者数は合理化の進行による生産性上昇を背景に63年には減少に転じており,その反面労働者不足のはげしかった建築部門の雇用数が著しく伸びている点が注目される。
最後に,最近の賃金・物価の安定化傾向に寄与したとみられるのは政府の賃金・物価政策である。
連邦政府の予算規模は62年度も63年度も国防支出の大幅増加を主因に膨脹をつづけてきたげれども,他の項目とくに公共投資と住宅建設補助金については極力節約の方針がとられ,とりわけ63年度予算では建設関係支出が前年より25%も削減された。このほか不要不急建設の禁止措置が継続されたほか63年はじめに民間住宅建築に対する税制上の優遇措置が停止されるなど,主として過熱の中心である建設部門の需要抑制措置がとられた。その結果,建設活動の重要な先行指標である建設許可面積は63年はじめ以降減少に転じた。
こうした需要の抑制策と併行して,賃金そのものの過大な引上げを阻止するための努力も行なわれた。労組に賃上げの自粛を呼びかける点では従来と変わりなかったが,新しいいき方としてはいわゆる所得政策への胎動がみられたことが注目される。すなわち63年2月に西ドイツ政府は年次経済報告書を発表して63年の経済見通しを述べると同時に,企業ならびに労組のとるべき態度を示した。そして本年の賃金引上げを国民経済全体としての生産性(就業者1人当り生産高)の上昇率3~3.5%の範囲内におさめるべきであるとした。さらに5月はじめには西ドイツ最大の労組である金属労組の賃金交渉に政府が介入あっせんしてその行詰りを打開し,非インフレ的な長期安定賃金方式を確立した。その後における各種労組の賃金協約の更新もおおむねこの金属労組のパターンに従った。その意味では年次経済報告書におけるガイド・ラインの設定や政府の賃金交渉あっせんが63年の賃金動向に大きな影響をあたえたとみることができよう。
なお西ドイツでも所得政策実施のための一環として経済専門家から成る独立委員会設置の動きがあり,既に委員会設置法が63年秋に議会を通過している。
以上のように62~63年を通じて西ドイツのインフレ圧力は漸次解消されてきたが,このような調整過程の進行と並行してそれまでみられた経済成長率の低下傾向が最近とまったことが注目される。
すなわち年間の経済成長率でみると,60年の8.8%,61年の5.4%,62年の4.4%へと低下しつづけているが,このような成長率の低下傾向は63年上期にとまったようである。第2-24表から明らかなように,62年下期の実質成長率(前年同期比)は4.5%で,上期の3.5%を上回っており,また63年上期の成長率1.5%という異常な低さは主として年初の異常寒波のせいであって(62年第1・四半期の実質成長率はゼロ,第2・四半期は約3%),63年春以降は成長率にやや高まりがみられ,63年下期の成長率は西ドイツ民間経済研究所の合同報告によると4.5%であって,62年下期のそれと変らない(ただし上期が特殊要因で悪かったために年間成長率としては前年よりさらに低下して3%となり,年初の政府予測数字3.5%より低い)。
このように西ドイツの経済活動が本年春以降前年下期の拡大テンポをとり戻すにいたった理由としては,第一に輸出の回復があげられる。62年の輸出の伸びはわずか4%だったが,63年1~8月-には6.4%の伸びを示した。しかも,異常寒波のために前年並みにとどまった第1・四半期を除いて4~8月間の伸びをみると約10%という高さである。
西ドイツの輸出はこのように本年春以来高率の伸びを示したばかりでなく,今後もかなり伸びるのではないかと推定されるが,その根拠は製造工業の輸出向け受注が昨年秋以来それまでの減少傾向を逆転させて増加しだしたことにある。
すなわち,製造工業の輸出向け新規受注は,61年以来減少傾向にあったのが,62年秋に回復しはじめ,63年上期には前年比12%も増加しており,このことから輸出が今後当分経済拡大の支柱となるのではないと推定される。西ドイツの輸出回復の理由としては,賃金,物価の上昇傾向がとまった反面,仏,伊など競争相手国がインフレ圧力に見舞われていること,西ドイツ工業の納期が正常化したこと,国内の経済拡大テンポの鈍化により企業の輸出努力が強化されたこと等があげられている。今後の見通しとしてはフランスの最近の引締め策の影響をうけるだろうが,反面では米,英の景気好転があり,低開発諸国向け輸出も62年秋以来の一次商品価格の上昇を背景として最近好転している点を考慮する必要があろう。
輸出についで第二のプラス要因としてあげるべきは,企業の設備投資意欲の減退傾回が最近とまって,資本財工業の新規受注にやや回復傾向がみられることである。現実の投資支出が増え出すのはおそらく64年になろうが,現在のところその増加テンポを予測することは困難である。企業の投資意欲に立直りの兆候があらわれた理由としては,賃金圧力の緩和による利幅縮小傾向がおわったこと,輸出が好調なこと,競争激化による合理化投資への要請が依然根強いことなどがあげられている。
以上のように,輸出と民間設備投資が今後の経済拡大にプラス要因となると思われる反面で,政府支出と個人消費の増勢が鈍化するとみられるので,全体としてみれば今後当分のあいだは現在とほぼ同テンポの拡大がつづくのではないかとみられ,その結果64年の年間経済成長率は実質4.5%程度になるものとみられている(政府予測)。
西ドイツの国際収支は61,62年と2年つづいて赤字を示し,その結果ブンデスバンク保有の金外貨準備も60年末の79億ドルから62年末の69億ドルへと約10億ドル減少した。周知のように60年までの西ドイツの国際収支は長い間恒常的黒字をつづけ多額の金外貨準備を蓄積して,世界の国際収支不均衡の重要な一因となっていたが,61~62年にそれが逆転して西ドイツの国際収支が赤字基調に転化したことは国際間の収支均衡の回復という見地からみてむしろ好ましい発展であった。そしてかかる西ドイツ国際収支の逆調が主として政府の意図的な政策(戦後借款の早期返済,対外軍需品購入の前払い,対外援助増加,マルク切上げ等)の結果であったことは改めて指摘するまでもない。
しかし,61年の赤字が主として政府の長期資本取引の大幅赤字(戦後債務の早期返済や対IMF取引)に原因していたのに対して,62年の赤字が主として経常収支とくに貿易収支の悪化に原因していた点が注目される。
すなわち62年の輸出は前年春のマルク切上げと国内ブームやコスト上昇等を反映して伸び悩んだ反面,輸入が大幅に増加し,その結果商品貿易の黒字幅が前年比約半分の34.8億ドイツマルクヘ縮小したほか,観光収支の赤字増大により貿易外の赤字も増加し,その結果経常収支尻は61年の黒字30.1億ドイツマルクから62年の赤字15.5億ドイツマルクへと逆転した。西ドイツの経常収支が赤字化したのは1951年以来はじめてのことであった。このような経常収支の逆調のために長期資本収支が前年の大幅赤字から若干の黒字へ転化したにもかかわらず,経常と長期資本を合計したいわゆる基礎収支は前年と同じく赤字を示した。
以上のように同じく国際収支赤字といっても61年のそれが政府資本取引によるものであったのに対して62年のそれが経常収支の悪化に起因するものであり,それだけ国際収支の基調は悪くなったといえる。
ところが63年にはいると,情勢が再び変化し,経常収支の好転と民間長期資本の黒字増加により基礎収支が再び黒字化するにいたり,その結果総合国際収支もわずかながら黒字化してブンデスバンク保有の金外貨準備は再び増加傾向を示し,1~10月間に約5億ドル増となり,10月末現在で約69億ドルに達している。