昭和38年

年次世界経済報告

昭和38年12月13日

経済企画庁


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第2部 各  論

第2章 西ヨーロツパ

2. イギリス―停滞から拡大へ

(1) 1962~63年の経済動向

1962~63年のイギリス経済の特徴は62年秋以降停滞から拡大へ大きな転換が行なわれたことである。すなわち,それは①政府が62年秋から経済政策の重点を引締めから拡大へとはっきりと変えたこと。②実際の経済活動も異常寒波の影響から立直りをみせた63年春ごろから好転しはじめてきたこと。③その拡大要因としては輸出の好調と消費支出の増大があげられるが,ポンドもおおむね堅調を維持していることの三点に要約できよう。

(a)停滞から拡大ヘ

イギリス経済は61年夏の一連の緊急引締め措置によって一応ポンド危機を乗切り,国際収支面ではかなりの改善がみられたが,その反面,国内の経済活動はおおむね62年を通じてデフレ政策の影響をうけて停滞をつづけた。このため62年の国内総生産(実質)は前年を0.2%下回った(61年は3.1%増)。

しかし景気動向は年間を通じて一様な動きをしめしたわけではなく,62年上期には世界貿易の一般的拡大にともなう輸出の急増のほか,消費支出,在庫投資の回復によって景気は回復過程をたどった。しかし下期になると,アメリカ景気の高原横ばい,EEC諸国の設備投資の弱まりなどから輸出は伸び悩み,民間の設備投資の激減や在庫投資の減少と相まって景気は再び下降に転じた。

このような経済活動の停滞を反映して62年上期には若干の伸びを示した雇用者数も下期には減少に転じ,とくに失業者数は上期の回復過程でも減少を示さず下期になると増加に転じた。

このため政府はじょじょに引締めを緩和してきたが,62年夏,モードリング新蔵相は秋以降慎重ながらもつぎつぎと景気刺激策を打出し,積極的な拡大政策へ転換した,すなわち,10月から12月にかけて特別預金率の全廃,戦後債の一部払戻し,不況地域に対する公共投資の増額,銀行貸出の制限解除,自動車その他耐久消費財の購買税の引下げ,公定歩合の引下げなどを,さらに63年1月には各種社会保険の交付金の大幅増額を発表した。しかし,このような景気刺激措置もすぐにはあまり効果をあらわさなかった。

63年はじめにはヨーロッパを襲った異常寒波の影響もあって,経済活動は生産の伸び悩み,失業率の上昇,設備の操業度の低下など一層の悪化を示した。とくに,失業者数は急増して,2月には88万人と1947年以来の最高に達し,失業率も61年はじめの2%から3.9%へ上昇した。このような失業者数の急増は,主として悪天候によって建設部門での戸外労働が妨げられたことによるが,根本的には企業活動の停滞を反映したものといえよう。

このような経済の困難性を打開するために,政府は4月の63年度新予算で「インフレなき拡大」を目標とする平年度約6億ポンドの大幅減税と画線上(経常)で約9千万ポンドの赤字を見込むというかなり思い切った拡大措置を行なった。しかも,との減税の大部分が個人消費支出の増大をねらった個人所得税の軽減に向けられ,また失業率の高い不況地域に対する投資促進にもかなり重点がおかれ,政府が経済の体質改善というかなり長期的見地から拡大政策を推進しようとしていることがうかがえる。

第2-1図 工業生産と失業の動き

モードリング蔵相は「イギリス経済は拡大期に入った」と再三にわたって言明してきたが,春の訪れとともにイギリス景気の先行きにも明るい兆しがみえはじめてきた。実際に第2・四半期になって,寒波の影響から正常化するにつれて,景気はようやく好転しはじめ,乗用車の売上げは急増をつづけその他の耐久消費財も好調に推移するなど個人消費支出は著しい回復をしめした。このため自動車や鉄鋼など基幹産業部門の生産は上向きはじめ,建築活動の回復と相まって,8月の工業生産は,63年はじめから11.0%も上昇した。また失業率も2月をピークに次第に低下傾向をつづけ9月には2.1%となった。しかし,この間にも民間の設備投資はいぜん減少をつづけたが,先行指標である機械工業の国内受注は63年にはいってから増加傾向にあり,また10月のイギリス産業連盟(FBI)の景気動向調査も,イギリスの企業利潤がかなり好転してきていることをしめしており,61年第3・四半期をピークにながらく減少傾向にあった設備投資もようやく底入れしたとみられる。

一方,輸出は好調を持続し,とくに乗用車を中心にEEC向けで伸びており,輸入もいまのところ微増にとどまっていることもあって,金外貨準備は63年春以来の増加傾向をつづけている。このような金外貨準備の増加基調という事実を反映してポンド相場は,63年1月末にEEC加盟交渉が失敗におわった直後,およびアメリカがドラステックなドル防衛措置を発表した7月に一時軟化したもののおおむね堅調を維持している。

このような景気の上昇は,一つには異常寒波からの回復という面もあるが,景気刺激策の効果が63年春になってようやく具体化したためである。

こんごは4月の積極予算による大幅減税が増大傾向にある消費支出をさらに刺激することが期待されるので,輸出の好調と相まってイギリスの経済活動は着実に上昇をつづけるものとみられる。国民経済社会研究所の経済見通しも楽観的で,63年の経済成長率は年率3%(62年IV~63年IVでは5.5%)とみており,主因としては世界景気の上昇による輸出の増大をあげている。さらに64年の見通しについては拡大テンポがやや鈍化するものの(63年IV~61年IVで,4.5%),年平均としての成長率は53/4%に達するであろうとしている。またモードリング蔵相も9月中旬のロータリークラブでの演説で,イギリス経済はいまや安定した物価と強いポンドのもとに本格的拡大過程をたどっており,NEDCの目標である年率4%(61~66年)を達成することは可能である,と言明している。

このようにみてくると,イギリス経済は積極政策の浸透につれてますます拡大傾向をつづけるものとみられる。

(b)好調をつづける国際収支イギリス経済は62年を通じて引締めの影響を受けてきたが,この間,経済拡大への地固めを着実に進めてきた。とくに62年秋から春にかけてつぎつぎと景気刺激策を打出し,経済の方向を拡大へ大きく変えたが,ここではその背景となっている国際収支の動向とその問題点を述べてみたい。

第2-2図 製造工業の動き

第2-3図 貿易の動き

まず,1962年の国際収支をみると,ポンド危機のあった61年にくらべかなりの改善がみられるが,これは経常勘定での改善によって資本勘定の悪化を相殺したためである。

経常勘定をみると,60,61年のそれぞれ3億8百万ポンド,72百万ポンドの赤字から62年には逆に1,267百万ポンドの黒字へと大幅に改善された。これは上期に輸出が急速に伸びた反面,輸入が微増にとどまったことと,60年以来減少してきた貿易収支の黒字が海外からの利子,利潤,配当収入の好転によって増加したためである。しかし下期には,欧米の景気上昇のスローダウンから輸出が減少し,一方,在庫補充による原材料輸入が増加したため貿易収支は悪化し,さらに貿易外収支の黒字幅も減少した。

つぎに,長期資本勘定をみると,61年の44百万ポンドの黒字から62年には92百万ポンドの赤字へと大きく悪化したが,61年のアメリカのフォード自動車の巨額な対外投資や62年のIMFへの返済などの特殊要因を除くとむしろ改善したといえる。このように赤字が58~60年にくらべて小幅にとどまったのは, 一つにはロイド前蔵相がポンド危機対策として対外民間投資を規制したことおよびEEC加盟をみこして対英証券投資が上期に増加したためである。

この結果,62年の基礎的国際収支は前年にくらべ3百万ポンドの改善をみたが,経常的性格とみられる調整項目を加えると83百万ポンドと著しく改善された。

以上でみてきたように,62年の国際収支はかなりの改善をしめし,イギリスの対外準備ポジションは強化された。

63年上期にも輸出は高水準を維持し,貿易外収支の黒字も急増したため経常勘定は62年下期の24百万ポンドの赤字から1億44百万ポンドの黒字へと大幅な改善をしめした。これに対して,長期資本勘定は民間の対外投の著増と対英投資の減少によって一層の悪化をしめし,その赤字は前期の74百万ポンドから85百万ポンドへと増大した,この結果,63年上期の基礎的国際収支は前期の93百万ポンドの赤字から59百万ポンドの黒字へと大幅に改善された。

ここで国際収支のいくつかの問題点を指摘してみよう。まず経常勘定では輸出が62年上期に伸びたのは主として海外経済環境の好転という一時的要因によるものであった。とくに下期にはEECの輸入構造が投資財から消費財に変わったことはイギリスの輸出が機械設備を中心に伸びてきたことからみて無視できない問題であり,また,62年に輸入が微増にとどまったとはいえ,不況の年としては過大であるといえよう。

長期資本勘定では,対外民間設備投資規制はすでに解除され,EEC加盟交渉が失敗におわった現在では,対外民間投資の増加が予想されるし,対英証券投資は減少するとみられる。このようにいくつかの問題点はあるとしても61年にくらべれば国際収支はかなり改善されたといえる。しかし今後は経済の拡大につれて輸入の急増が予想されるので,国際収支危機の発生するおそれはいぜんなくなってはいない。政府も言明しているように,当面輸入が急増してポンドが圧迫されるようなことがあれば,必要に応じて金外貨準備や資金の利用および各国中央銀行間の国際協力によって対処できるとみられる。しかし,国際金融協力にもおのずから限界があるし,長期的な実効のある国際収支対策としては,成長政策と所得政策を推進し,生産性を高めることによって輸出競争力を強化する以外にはないようである。

第2-4図 国際収支の動向

第2-16表 イギリスの国際収支

(2) 成長政策の展開

62年秋以来イギリスの経済政策は拡大の方向へ大きく転換したが,これは「インフレなき拡大」をねらいとした63年度新予算が強力な内需刺激措置をとるとともに,かなり長期的な観点から成長政策を推進しようとしていることからも明らかである。そしてEEC加盟交渉失敗後においても経済政策の目標が「高度成長の達成」にあることには変わりなく,国際収支の一時的均衡を犠牲としても拡大政策を強力におし進めるという政府の決意を裏書きしている。マクミラン前首相はEEC加盟交渉失敗直後の議会で「経済拡大による輸出の増強」を説き,とくに輸出財について国内需要を刺激することによって国内市場を拡大することがコストダウンをもたらし,輸出競争力の強化に役立つことを強調している。このような考え方は,輸出増進のために内需の抑制に重点をおいてきたロイド前蔵相の政策-つまり従来のストップ・アンド・ゴー政策からの脱皮を意味し,イギリス経済にとって画期的なことといえる。

このようにイギリス経済は高度安定成長を達成するために拡大政策に踏切ったわけであるが,このためには何よりも輸出競争力の強化と適正な所得政策の確立および経済の計画化が急務とされている。ここではこの二つの問題を中心に成長政策がどのように進展しつつあるかを述べてみたい。

(a)所得政策の推進

政府は経済拡大への基礎をかためるために国際収支の改善に努力してきたが,それとともに輸出競争力強化のための有効な所得政策の確立を進めてきた。

61年7月にポンド危機対策の一環として打出されたいわゆる「賃金凍結」(Pay pause)が解除された62年4月以降は「賃金指標」(Guiding light)政策が実施されてきた(62年2~2.5%,63年3~3.5%)。62年7月には全国所得委員会(NIC)という常設機関の創設が決定されたが,これは経済全般に影響の大きいと考えられる主導的賃金交渉に対して国民的立場から適正な勧告を与えるためのものであり,労組側委員が任命されないままにすでに活動をはじめている(62年10月発足)。NICは63年4月発表のはじめての報告書でScottish Building Industryの週40時間協定(62年中に締結された協定で賃金の引下げなしに週労働時間を42時間から40時間に短縮し,63年11月から実施されるというもの)は調査の結果,過度のインフレ的賃金増加をもたらすにすぎず,国民的利益に反するとの判定を行なっている。ついで7月には第二回の報告書を発表して,「所得政策における利潤の役割」についての提案を行ない,生産性が年3~3.5%以上増加した会社は,その超過分を価格引下げに使うべきであること,また所得政策の見地からみて正当化できない利潤は賃金と同様,それ自体インフレの原因となることを指摘している。

これまで所得政策はとかく賃金の抑制を強調するあまり価格引下げの必要がなおざりにされているとの批判がかなりあっただけに,政府はNICが所得政策をより広範なかたちで取り上げたことを重視するとともに,その指摘を支持している。またこれを機にNEDC(国民経済発展審議会)ですでに検討されている価格問題の討議の具体化が促進されよう。

ところで,NEDCは63年はじめに所得政策の確立にともなう「困難な問題」を解決することがその重要任務の一つであることを確認したが,価格とコストの安定に必要な将来の貨幣所得の増加率を年平均3.25%と決定した。

さらに63年秋には注目の「価格と所得」に関する報告書が発表される予定であり,これによって所得政策を実施するための具体的構想が明らかにされるものと期待されている。

以上でみてきたように,政府は所得政策を推進するとともに国民各層にその必要性を説き,その支持を得るための努力をはかってきたが,このところ賃金,物価ともかなり安定してきており,この意味では所得政策はある程度成功したといえる。

(b) 経済計画化の進展とNEDCの機構拡充の動き

① 経済計画化の進展

周知のように62年3月,政府の諮問機関として政府および労使代表20名によって発足したNEDCは,10月には61~66年の成長率を年平均4%とする暫定的経済モデルを発表し,63年1月には4%の成長目標を確認するとともに最初の報告書として「1966年にいたるイギリス経済の成長」を,ついで4月には「成長促進のための望ましい条件」を発表した。この報告書は,4%の成長がイギリス経済にとってどんな意味をもち,その実現可能性および目標達成にともなう困難な諸問題について詳細な検討を行なっている。

NEDCはこの報告書で,4%経済成長を達成するための新たな政策および措置について検討を行なっているが,ここではとくに具体的提案が行なわれた不況地域と失業および国際収支対策について述べてみたい。

まず第一に,不況地域対策としては,第2-17表および第2-5図で明らかなように,衰退産業である石炭,せんい,造船部門の多い北部,スコットランドおよびアイルランドなどの相対的に失業率が高く,生産性が低い不況地域の過剰労働考を雇用に引入れることが全体としての雇用水準を高め,労働力需要の増大を通じて経済成長の促進に役立つとしており,このための措置としては企業に対する財政援助や社会的下部施設に対する公共投資の増額および労働力再訓練施設の拡大などをあげている。また,衰退産業から成長産業へ,生産性の低い企業から高い企業への労働力の移動をスムーズに行なうための措置としては,(1)移動労働者のための住宅建設に対する地方当局への財政的テコ入れ,(2)移動労働者のための特別住宅補助金の給付,(8)移動手当の増額,および(4)国民保険制度の改正,過剰労働力救済基金の設立などをあげている。

以上でみてきたように,NEDCは,産業構造の変化を通じて経済成長は達成されるとしており,それにともなう労働力の移動に対しては効果的な過剰人員対策を,また地域格差の是正には不況地域への企業誘致条件の改善などの推進が必要であることを強調している。

第二に,国際収支対策についてみると,NEDCの報告書は,4%という成長目標は,過去の実績からみてかなり野心的なものであり,この成長過程で国際収支の赤字に対処して利用できる資金は現在(63年5月末)約23億ポンド(第2線準備を含む)あるが,これでは不十分であるとしている。このため金外貨準備やIMFからの借入権の増加をはかるとともに国際金融協力を一層強化する必要があるとしている。しかし根本的な国際収支改善策としては生産性を高め,コストと価格の引下げによる輸出競争力の強化以外にはないことを強調している。また,4%の経済成長を達成するためには輸出を5%伸ばす必要があり,輸入の増加を4%に抑えねばならないとしている。さらに5カ年計画を達成するためには最終年度である66年の経常勘定で3億ポンド(調整項目を含めると4億ポンド)の黒字を,また「ストップ・アンド・ゴー」政策を極力回避するためには基礎的国際収支で若干の黒字が必要だとしている。

ところで,EEC加盟交渉の失敗によって,貿易問題の悪化は考えられず,輸出はEFTAの関税引下げやディロン・ラウンドによる利益が期待できるので,むしろ若干の改善がみられ,年5%の増加は容易であり貿易外収支の黒字も計画期間を通じて増加をつづける見込みなので,少なくとも63,64年の国際収支の赤字は大幅とはならないとみている。このため金・外貨準備は国際収支面からの圧迫に十分耐えられる水準まで増加し,輸出を急速に高めるためのクッションの役割を果たすこととなろうとみている。

② NEDC機構拡充の動き

このような経済計画作成の進展につれて,NEDCの機構拡充の動きが具体化してきている。すなわち,NEDCが計画立案に必要な情報を収集し,その計画に役立てるために,またその計画を産業界に浸透させるために,その補助機関として主要産業別に連絡委員会を設置することが決定された。このようにNEDCは報告書の作成と公表という段階からもっと実際的でキメの細かい業務処理の段階へと重点が移りつつあり,今後は所得政策の具体的方向づけを行なうための仕事がNECDの主要な議題となるとみられる。

なお,労働党は所得政策については賃金のみならず,利潤とくに独占利潤,配当,賃貸料および社会保障給付金をも対象とすべきことを強調しており,労働党政府成立のばあい,所得政策についてただちに労組と協議することを明らかにしている。NECDは,党の政策を具体化する政府の機関として存続して拡大強化する必要があるとしているが,NICについては直ちに廃止することを言明している。また63年秋の党大会では「計画化された経済]に関する総合決議案が可決され,労組と協議して「持続的な経済政策を推進すること」を確認している。

以上のようにみてくると,イギリス経済が高度成長を達成するためには基本的には輸出競争力の強化が必要であるが,当面は64年春のガットにおける一括関税引下げ交渉に努力を注ぎ,輸出の増大をはかるとともに,国内産業を刺激して経済の体質改善をはかることが急務とされている。


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