昭和35年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和35年11月18日
経済企画庁
第2部 各 論
第2章 西 欧
59~60年を通じて西欧の貿易自由化は一段と進捗し,地域的経済統合も具体的に発足した。これによって西欧の経済体制が大きく変貌したばかりでなく,域外諸国に対しても種々な波紋を投げかけつつある。西欧における貿易自由化と経済統合の背景ないし沿革については,すでに昨年の「世界経済の現勢」で詳述したので,ここでは主として59~60年の動きに焦点をしぼつて概説してみたい。
1959年末に断行された西欧諸通貨の非居住者経常取引の交換性回復は,戦後の西欧経済史上において新時期を画する出来事であった。西欧諸国はその後さらに残された資本およびサービス取引の自由化に努力している。
すなわち,資本取引の自由化は貿易の自由化と平行して進められてきたが,その程度はまだ経常取引に比べるとだいぶ遅れている。一般的にいって,居住者の取引は厳重に制限されており,非居住者による取引は比較的緩やかだといえる。けれども,証券取引は非居住者でも証券勘定または資本勘定によつて規制され,そのうえ既発行証券の取引に限られていて,非居住者による新株式発行は禁止されている。
この資本取引の自由化の程度を国別にみると,ほとんど完全に自由化している国はスイスと西ドイツの2カ国で,比較的自由な国はイタリア,ベネルックス,オーストリアである。一方,きびしく制限しているのは北欧のノルウエー,フィンランド,デンマークの3国,その中間に位するのはイギリス,フランスであろう。この理由は,主として金・外貨準備の状況によるもので(第36表参照),資本取引の制限は外貨の喪失,国内資本の海外流出を阻止することをその主要な目的としているためである。また,旅行者の外貨持出しの自由化も急歩調に進み多くの国で事実上自由化が実施された。
次に貿易の自由化についてみると,1959~60年は対ドル輸入自由化がとくにめざましく進展した時期であったといえる。すなわち,西欧諸国全体でみた域内の貿易自由化率(1948年基準)は,59年1月の89%から60年1月の92%へ微増したにすぎなかったが,自由化のおくれていた対ドル輸入自由化率(1953年基準)は同期間に大幅に上昇し,59年1月の73%から60年3月には86%に達した(第40表,第41表参照)。その後4月にスエーデンが約93%に自由化率を高め,フランスも4月と6月の2回(Cわけて約90%に自由化したので,西欧諸国全体の自由化率は現在さらに高くなっているだろう。このように西欧における対ドル輸入の自由化率と域内の自由化率との間にばほとんど差がなくなるにいたつたが,これらは北米および西欧先進工業国間の貿易自由化の拡大であって,その他の地域に対しても自由化が進んできたとはいえ,なおかなり輸入制限が残されている。すなわち,その他の地域のうち旧植民地などをのぞいた日本,中南米といった地域に対しては,西欧主要国は一様に相手国別の相互貿易協定的な特別自由化リストを適用している(第42表参照)。このように1959~60年にかけて自由化を推進させた原因は,アメリカの国際収支逆調と西欧諸国の金・外貨準備の増大および経済力の充実であった。その結果,アメリカは従来かなり厳しかつたドル差別はもはやその根拠を失つていると指摘し,また国際通貨基金(IMF),ガットなどの国際機関もこれを支持したので,59年秋のIMF,ガット総会を契機として,イギリス,フランス,西ドイツ,イタリアなどの諸国が相次いで対ドル輸入の自由化を促進したためである。
以上のように,59~60年にかけて,貿易および為替の自由化が急速に進展し,貿易の拡大,資本の交流,とくに証券投資の増加をもたらしたが,貿易面においては,農産物,化学製品,機械,雑貨などが国により程度の差があっても,なお制限品目として残している。一方,資本取引の面においても,国内での資金運用の制限や有価証券の持出し規制などまだ完全自由化の域に達していない。これはそれぞれの国の産業構造,企業,法規,慣習などの相違に起因するところが大きく,今後の自由化はこれまで以上の困難をともなうものと考えられる。
1)共同市場の発展と自由貿易連合の成立
欧州における経済統合の動きは59~60年を通じて著しく進展した。まず59年1月から仏独伊,ベネルックスの6カ国からなる欧州共同市場が事実上発足し,域内関税10%削減,輸入割当量の引上げが実施され,さらに60年1月には第2回目の輸入割当量の引上げが実施された。60年3月には欧州委員会が共同市場実施促進案を発表し,加盟諸国間の数回にわたる討議ののち,5月の共同市場理事会で次のような実施促進案が採択された。
同促進案によれば
(イ)域内関税を60年7月1日に予定どおり10%引下げるほか,60年12月末にさらに10%引下げる。また61年末の関税引下げを予定どおり10%とするか20%にするかは,61年6月末の特別理事会で決定する。
(ロ)域内の輸入割当制を61年末までに廃止する。
(ハ)農産物の一部を促進計画のなかにとりいれる。
(ニ)第三国向け共通関税率への調整を60年12月末から開始する(ローマ条約によれば61年末の予定)。そのばあい対外関税率をローマ条約の規定する水準より20%引下げる。ただしこの引下げは暫定的で互恵主義を条件とする。
共同市場はこうした関税および数量制限の撤廃促進に踏み切つたばかりでなく,共通の農業政策の作成,労働および資本移動の自由化,景気政策の調整などの重要事項についても準備作業を進めている。このほか,ローマ条約の規定になかった6カ国蔵相会議および外相会議(いずれも3カ月ごと)を開催するなど,共同市場の経済的および政治的統合への歩みは,当初の予想をはるかに上回るテンポで進められた。また,6カ国内部の後進地域開発を目的とする欧州投資銀行や,アフリカ属領の開発を目的とする海外領土開発基金なども既に活動をIう開始している。
他方,かかる6カ国の経済統合の進展に対応して,イギリス,オーストリア,スイス,スカンジナビア3カ国およびポルトガルの7カ国からなる欧州自由貿易連合(
このように,欧州では共同市場と
そこでかかる分裂を回避し,2つの経済ブロック間に橋をかけ,なんらかの形で両者を統合しようとする動きが平行的にすすめられてきた。もともと
2)共同市場の成果
ところで,欧州の経済統合はこれまでどのような経済的成果をもたらしたであろうか。EFTAば60年7月から発足したばかりであるし,共同市場にしても発足後わずか2年たらずであり,その経済統合措置もまだ初期的段階にあるので,経済統合による効果を評価ずるのにはまだ時期尚早の感があるが,それにしても,これまでの経過からみて共同市場が予想外の成果をあげつつあることは否定できないように思われる。
共同市場の究極的目的が商品,資本,労働の域内自由化による資源の最適利用を通じて「安定的成長と生活水準の向上をはかる」(ローマ条約第2条)ことにあるから,共同市場の成果はかかる観点から測るほかないこととなる。
59~60年の実績をみるに,共同市場6カ国の国民総生産は59年に4.3%増加し,工業生産は59年に6.3%,60年には11%(推定)も増加した。また,域内貿易は59年に19%増加したあと,60年上期には34%も増加している。ただし,前記の経済成長率自体は戦後における共同市場6カ国の平均成長率にくらべて必ずしも高いとはいえないが,これは1つには過去においてきわめて高い成長率をみせた西ドイツが労働力不足のために成長率の鈍化する時期に現在あること,また1つにはフランスが58年以来国内経済の改革を目的とした一連の引締め政策により,伸び悩んでいたこと(フランスの59年の国民総生産の成長率は2%)のせいである。そこで,こうした労働力の制約やフランヌの特殊事情を考慮にいれれば,59年における共同市場の実質国民総生産の伸張率4.3%はかなり高いものとみることができよう(EFTA7カ国の59年における成長率は3.5%)。
去る6月末に発表された共同市場委員会第3次報告書は,今後数年間において実現可能な国民総生産の年間成長率を4~5%と推定しているが,50~55年間における共同市場6カ国の成長率が年平均6%であり,しかも,これが年平均1.65%の労働力人口増加率によって支えられていたのに対して,現在は労働力人口の増加率が半減していることを思うならば(55~65年間の労働力人口の推定年平均増加率083%),今後数カ年間の成長率を4~5%と推定することは,共同市場当局が共同市場の成長刺激的効果に相当の自信をもつにいたつたことを物語るものといえよう。
もちろん,59~60年におけるこのような高率成長は,たまたま共同市場の発足と時期を同じくして欧州経済が不況から回復し,状況局面を迎えたせいでもあり,いわば共同市場は好況の波に乗つて順調な進展をみせたともいえるが,同時にまた共同市場の進展が,経済拡大を刺激した面も大きかつたことを見のがしてはならない。具体的にいえば,共同市場の進展に伴う市場規模の拡大と競争の激化に対処すべく,企業は近代化,合理化投資を推進すると同時に,国際的な企業提携を通じて技術の交換,生産分野の協定,専門化・共同投資あるいは販路の確保につとめており,そのことが需要の拡大と生産性上昇およびコスト引下げに寄与しつつあると考えられる。
共同体意識の高まりにつれて域内貿易が異常に増大したことも,6ヵ国の経済拡大を助長している。さらに域外諸国,とくにアメリカ企業が共同市場諸国の成長性を高く評価し,共同市場向け投資をふやしている点も,アメリカ的技術と経営方法の導入を通ずる欧州産業の生産性上昇の見地から見のがしてはならぬところであろう。
そこで以下においては,域内貿易の動向とアメリカ企業の共同市場向け投資について,簡単に述べておきたい。
3) 域内貿易の著増
59年における共同体諸国の輸入総額ば,わずか4.4%しが増加しなかつたが,これは主としてフランスの国内景気が比較的不振で,フランスの輸入が減少したせいである。とくに共同体諸国の対第三国からの輪入は年間わずか0.7%の増加にすぎなかった。しかし域内貿易は前年比19%も拡大した。
1952年から56年末までの平均でみると,共同市場6カ国の域外輸入は大体において工業生産の伸張率と同じ率で増加し,また域内輸入は工業生産の増加率の約2倍近い比率で増加してきた。しがるに,59年の域外輸入の増加率は工業生産の増加率をはるかに下回った反面,域内輸入は工業生産増加率の約3倍のテンボで増加した。
そこで域外からの輸入があまり伸びなかった原因をさぐつてみると,その主因は対輸入の減少(約6%)にあり,しかも燃料,原料ばがりでなく工業製品,機械,輸送用機器などの輸入も減少した。だが,西欧景気が一段と高揚した59年第4四半期からは対米輸入が激増し始め,この傾向が60年にはいっても続いている。
また,北米以外の第三国からの原料輸入も59年秋まで比較的低調であった。
共同市場の発足が第三国に対して与える影響についてはこれまでのところあまり明確な傾向が出ていないが,少なくともそれが域内貿易を著しく拡大しつつあることは疑いない。これは共同市場発足に伴う関税引下げや数量制限の削減による直接的影響もさることながら,むしろ主として共同市場の進展を見越して業者が域内輸出に力をいれた結果であろうと思われる。
4)アメリカの対共同市場投資
アメリカの民間企業の対欧直接投資は59年に急増して7.3億ドルとなり,前年比約7割の増加をみせた。その結果,アメリカの対外貿易投資総額に占める対欧投資の比重も,50年の14.7%から58年の16.8%,59年の17.5%へ高まつている。ただし,このなかにはイギリスのブリティシュ・アルミニウム社の経営権取得に伴う大口投資1件が含まれ,それが投資総額を膨張させた点があるが,それをのぞいても対欧投資の増加傾向がうかがわれる。とくにふえたのはイギリスおよびスイスのほか,共同市場に向け投資である。イギリスは欧州のみならず英連邦向け輸出の拠点として従来からアメリカの対欧投資の中心となっており,この点は今日も変わらない。
共同市場向け投資額は58年の2.3億ドルからアメリカ59年の2.9億ドルへと増加9従来の最高であった57年の2.8億ドルを上回った。アメリカの対外直接投資額に占める共同市場向け投資の比重も58年の7%から59年の7.4%へ高まつている(50年ば5.4%)。アメリカの共同市場向け直接投資の産業別内訳をみると,59年末現在でその5割が製造工業に対する投資であり,ついで石油工業(3割),商業(約1割)の順となっている。
すなわち製造工業中心の投資であって,この点アメリカの他地域向け投資が石油を中心としているのとくらべて著しい対照をなしている。製造工業のなかで機械工業,輸送機器,化学工業,電機,金属工業が大きな比重を占めている。
なお,アメリカの製造工業の約3/4を対象としたマクグローヒル社の調査によると,アメリカ製造工業の対欧投資は59年の3.8億ドルから60年の5億ドルヘ,さらに61年には6.5億ドルヘ増加する予定であり,製造工業の対外投貸総額に占める対欧投資の比重は,59年の40%から60年の45%,61年の50%へ増加する。とくに共同体向け投資ば59年には対欧投貸の41%を占めていたのが,61年には55%となるはずである。