昭和35年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和35年11月18日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第2部 各  論

第2章 西  欧

1 1959~60年の景気動向

(1) 好況からブームヘ

西欧諸国は1957~58年中に程度の差こそあれ景気後退を経験した。だが,西欧全体としてみると後退期間も短く,後退の幅もも小さくすみ,ほぼ58年秋から漸次回復に向かつた。鉱工業生産は59年はじめに後退前のピークを突破,その後60年春までかなり急速なテンポで上昇した。だが,その頃には多くの国が完全雇用ないし超完全雇用の状態となり,労働力不足が目立ちはじめた。その結果賃上げ要求も激化し,それまで落ちついていた物価にも動意があらわれるなど,景気過熱化の兆候がみえだしたため,西ドイツを先頭として多くの西欧諸国が59年秋から60年上期にかけて,アメリカと同様に早目に各種の引締め政策を採用し,国内需要の抑制につとめた。こうした労働力不足と引締め政策により,経済拡大テンポも60年春頃から次第に鈍化の兆候をみせはじめた。

第41図 西欧における鉱工業生産の推移

いまOEEC加盟17カ国全体の鉱工業生産指数によってこれを跡づけてみると,58年3月をピークとして8月の底まで約2.2%低下した。その後次第に回復して60年3月までの1カ年半の間に約16%の上昇を示した。60年3月の水準を後退前のピークと比較すると約13%の上昇であり,この拡大テンポは前回の景気上昇期である54,55年のそれに匹敵する。

以上は西欧全体としてみたばあいであるが,国別にみれば経済活動の回復と拡大のタイミングや速度にかなりの相違があった。概していうと,西ドイツ,イタリアオーストリアなどは後退の期間も短く,幅も小さかつたばかりでなく,その後における回復と拡大のテンポも早かつた。オランダとデンマークもややこれに似たパターンを示している。これに対してイギリスは後退の幅は小さかつたが,後退期間が長く,回復と上昇のテンポもイタリアや西ドイツほど急速でなかつた。フランスは後退の幅は小さかつたが,底をついてからかなり長い間低迷状態をつづけ,ようやく59年春に後退前のピークヘ回復した。またベルギーは後退の幅も大きく期間も長く,59年春から回復に転じたものの,60年3月現在においてもまだ後退前のピークに達していない。

60年第2四半期以降の工業生産については,西欧全体としての数字がえられないので,主要国の鉱工業生産の前年同期比増加率をみると,第29表のように第2四半期の増勢は多くの国で第1四半期のそれを維持しているものの,イギリス,デンマーク,ノルウェーなどでは増勢が鈍化している。季節修正をすれば,おそらくこれらの国の工業生産は横ばいとなったものとみられる。

(2) 回復と拡大の原動力

それではこのような西欧景気の回復と拡大は何によってもたらされたのか。

この点を解明するためには58年の西欧の景気後退の性格を分析する必要がある。一般的にいって58年の景気後退は,それ以前のブーム期における物価騰貴と外貨危機の是正のために採用された引締め政策によって招来されたとみることができよう。55~57年の投資ブームにより生産能力が著しく拡大された反面で,有効需要(とくに住宅と耐久消費財需要)は政府の引締め措置により意識的に抑えられた結果,生産能力と需要との間にギャップが生じ,いわゆる過剰生産力が現出した。これにコスト・インフレによる企業利潤の低下,引締め措置による金融逼迫,アメリカの景気後退など内外環境の悪化が加わって企業は在庫をへらしはじめ,民間設備投資も減少した。

輸出の減少も景気後退に拍車をかけた。

第42図 西欧主要国の鉱工業生産の動向

このようにみてくると,海外需要を別にすれば,結局のところ住宅や耐久消費財に対する需要が政府の引締め政策により抑制されたことが,景気後退の根因であったといえよう。したがって,そうした需要抑制措置が解除されれば,潜在需要が顕在化するであろうことは当然予想されるところであった。事実また,西欧諸国は景気後退の色が濃くなりはじめた58年はじめごろから漸次引締め政策を緩和しはじめた。かかる政策転換を可能にしたものは,西欧諸国の国際収支が57年秋から対米輸入の大幅減少を主因として改善され,金・外貨準備が増強されたことと,物価情勢が安定化したことであった。まず゛,金融緩和がはかられ,不況による資金需要の減退と相まつて金利が急速に低下した。金融緩和は金利水準の変動に敏感な住宅建築に刺激をあたえ,一部の国では補助金の増額などにより住宅建築が刺激された。また,イギリスなどでは賦払購入制限の廃止が,それまで抑制されていた耐久消費財需要を発動させた。こうして住宅建築と耐久消費財を中心として58年秋ごろから西欧の景気が立ち直りはじめたのとほぼ同じ時期に,アメリカの景気回復により対米輸出が増加しだした。また,政府支出と公共投資も景気振興の見地から59年中に大幅に増額された。繊維と鉄鋼を中心とする在庫べらしの終了により,この2つの重要産業が59年春ごろから立ち直りはじめた。為替,貿易の自由化と共同市場の発足が西欧諸国間における好況の波及を促進した。こうして西欧に好況の波が高まった59年秋ごろから,それまで一部の国をのぞいて不振だった民間設備投資がふえはじめ,在庫再蓄積の動きもおこつた。設備投資の増勢は60年にはいってますます高まり,現在ではベルギー,フランスなどをのぞいてまぎれもない投資ブームの様相を展開している。以上述べたような西欧景気の回復と高揚の過程は,西欧諸国全体の国民総産の分析からもある程度うかがうことができる。西欧諸国全体の国民総生産の統計は年次データしかないので,景気循環の過程を正確には示しえないが,それでも大体の方向は明らかとなろう。第30表に示されているように,59年における西欧諸国の総需要増加分の約4割近くは個人消費の増加によるが,個人消費全体の伸び率はわずか3.2%で総需要の増加率(4.7%)を下回っている。しかし,個人消費のなかで耐久消費財の伸びが7.7%と非常に大幅であった点が注目される。輸出の増加は金額的にも個人消費についで大きく,48億ドルで,増加率としても8.4%という最高の伸びを示した。輸出増加のうち2/3が域内輸出,1/3が対米輸出の増加であった。域内貿易の増大は全体として西欧好況の結果でもあるが,同時に個々の国にとっては経済拡大の要因となった。西欧諸国は景気循環の上昇局面において相互に需要をふやし合いながら,ある程度累積的に拡大過程をたどってきたといえる。第3に注目されるのは,粗固定投資の増加である。粗固定投資全体では6%の増加であるが,その内訳をみると住宅建設が6.8%,「その他建設」は7.4%も増えた。「その他建設」の大幅増加は主として公共投資の増加を反映したものである。機械,設備投資の増加率はやや少ないが(5%),これは59年秋まで一部諸国をのぞいて民間設備投資が不振だったせいである。在庫投資は年間としてみるとマイナスとなり,また政府消費は4.5%の伸びで,総需要の伸びとほぼ同じであった。

(3) 産業別にみた回復のパターン

このような需要変動の過程は,主要部門別にみた鉱工業生産の変動にも反映している。

今回の後退と回復の過程を通じて主要産業の動きをみると,それは必ずしも一様でなかった。いま主要部門の生産動向を,60年3月の水準を後退前のピークと比較した第31表からみると,まず化学工業の生産が景気後退の影響を殆んど受けず,58年初めに一時的な生産停滞を示しただけで,上昇一途をたどってきたことが注目される。次に金属製品工業(機械,電気,輸送機器造船等)は後退の幅も期間もわずかで,60年3月の生産水準は後退前のピークを約14%上回っていた。この部門では造船業が不振をつづけていることをのぞけば,機械工業も最近は設備投資の増加により立ち直つてきたし,自動車工業は終始一貫して好況をリードしてきた。

食品,煙草工業も不況に対する抵抗力が強く,個人所得の増勢に支えられて堅実な伸びを示した。

繊維工業は在庫調整を主因として最も早くから(57年春以来)不況に見舞われ,ようやく59年初めに立ち直るなど,後退期間が最も長かつた。その後の回復テンポはめざましいが,後退の幅が大きかつただけに,60年3月現在においても後退前のピークに達していなかった。

金属工業の動向は主として鉄鋼業の動きに左右される。鉄鋼生産も主として在庫調整にわざわいされてかなり早くから不振に陥つたが,59年春からは在庫調整の終了と国内鉄鋼消費の急増および対米輸出の増大に支えられて急速に回復し,60年3月の生産水準は後退前のピークを15%上回るにいたつた。

鉄鋼業の景気変動のはげしさが今回も典型的に実証されたといえよう。

鉱業も後退期間が長く,回復のテンポも緩慢で,60年3月においてはまだ後退前のピークを回復していない。この部門は周知のように石炭業の構造的不振によって決定的に左右された。欧州の炭坑業は非能率炭坑の整理や機械化による更生等が講ぜられているものの,一般景気の好況にも,かかわらずまだ立ち直つていない。

(4) インフレの収束と物価の安定

ところで,59~60年の西欧景気の回復と高揚の過程において最も顕著な現象は,急速な経済拡大にもかかわらず,1)物価が比較的安定していたこと,2)国際収支面も最近のイギリスやデンマークなどをのぞけば比較的問題がなかったことである。換言すれば,国内均衡と国際均衡のもとに経済拡大が達成されたといえる。この点は前回のブーム期たる55年ごろとくらべて著しい対照をなしている。

まず物価の動きを卸売物価指数でみると,第32表のように,58年末の平価切下げの影響をうけたフランスをのぞけば,ほとんどすべての国の物価は58,59年の2カ年を通じてほぼ安定的であったといえよう。60年に入ってからは強含みに転じた国が多いが,それでも60年6月の水準を1年前と比較してみると,一,二の例外をのぞいてかなりの安定をたもつている。

消費者物価も58年春以来安定をつづけていたが,59年夏から暮にかけてかんばつによる食料不足のため値上がりをしめしたあと,60年に入ってからは強含みながらも大体において横ばいといえよう(第33表参照)。国別にみれば,ベルギー,デンマーク,オランダ,イタリアなどではわずかながら低落傾向を示し,オーストリア,フランス,スエーデン,イギリスではやや上昇的であるが,60年にはいってからの消費者物価の上昇は,スエーデンの場合は1月に実施された取引き高税(税率4%)のせいとされ,オーストリアやフランスの場合は家賃,入場料,診察料などサービス価格の引上げによる部分が多い。

それでは58年以来の急速な経済拡大,完全雇用の現出,労働力不足などの条件のもとで物価が比較的安定しているのはなぜであろうか。その理由としては,1)西欧の工業生産力が55~57年間の投資ブームにより一回り大きくなり,その結果,最近まで設備能力に余裕があり,需要の増大に応じて生産を拡大できたことがあげられる。とくに,屑鉄,鉄鋼,石炭など前回のブーム期に隘路となり,その価格の引上げが一般物価水準を上昇させ,国際収支悪化の一因となった基礎資材に,今回は重大な隘路が生じなかったことが,物価の安定に大きく寄与したと考えられる。すなわち,石炭は現在ではエネルギー革命により過剰であり,鉄鋼も薄板をのぞけばとくに重大な隘路となっていない。2)豊富な外貨準備を背景として不足資材を輸入でまかなうことができたこと,輸入原材料が世界的に過剰気味でその価格も安定していたことのほか,西欧に対する工業製品の供給源たるアメリカの景気が,60年にはいって停滞的で十分な輸出余力をもつていることも西欧物価安定に幸いしている。西欧の輸入原料,食料価格指数の推移をみると,第43図のように,58年春の最低点から59年末まで約4%の上昇を示したあと,60年にはいってからはむしろ漸落傾向を示している。3)賃金の上昇率がこれまで比較的小幅であり,その反面で労働生産性が非常に上昇したため,いわゆるコストインフレが解消された。不況からの回復期には遊休設備の稼動で労働生産性が著しく上昇するのがつねであるが,今回は生産性の上昇率も高く,その期間も長い点に特徴がある(第34表参照)。

第43図 西欧諸国における輸入価格の推移

第35表 西欧諸国の経常収支尻

これには過去数カ年間の投資の重点が合理化投資におかれ,現在もそうであることが大きく寄与していることと思われる。(西ドイツなどでは58,59年の工具生産の増加はもっぱら生産比の上昇によるもので,延労働時間数はむしろ減少している。)4)貿易自由化の進展や共同市場の発展により競争が激化し,価格引上げが困難となった。5)今回の好況局面においては比較的早目需要抑制策が講じられた。

(5) 金・外貨準備の増強

物価安定と並んで今回の好況局面において第2の特徴とみられるのは,西欧諸国の国際収支が比較的順調に推移し,金・外貨準備が著しく増強されたことである。西欧諸国の国際収支は58年に39億ドル,59年には42億ドルの黒字を出した。53~57年間の平均黒字額15億ドルからみれば大幅な改善である。これは主として対米収支の好転を反映したものだが,北米以外の諸1glとの収支尻も主として一次商品価格の低落により好転した(第35表参照)。

このような国際収支の好転により,西欧諸国の金・外貨準備も著しく増強された。西欧諸国の金・外貨準備は52~57年間に平均11億ドルの割合で増加したが,58年の増加額は37億ドルに達し,59年には約20億ドルにおよぶ特別支払い(米加借款,IMF債務などの早期返済,IMFや世銀の増資に対する拠出金など)があったにもかかわらず,14億ドル増加,59年末には204億ドルに達した。

第36表 西欧諸国の金・外貨準備

西欧全体としての金・外貨準備が増加したばかりでなく,西欧内部における配分も著しく均衡化された。これまでは西ドイツに外貨が集中してフランスやイギリスなどがしばしば外貨危機に悩まされ,それが西欧経済の攪乱要因となっていたが,53,59年を通じて西ドイツの外貨準備の増勢がチェックされた反面で,フランスとイギリスの外貨準備が増強され,またイタリアの外貨準備も著しく増加した。59年における西ドイツの金・外貨準備の減少は,58年以来の低金利政策により民間資本輸出(主として証券投資と短期資金)大幅に増加して経常勘定の黒字を相殺した結果であり,フランスの準備増強は58年末の平価切下げと一連の経済改革措置による輸出の増加および資本輸入増大のせいであった。だが,60年にはいってからは西欧ブームの高揚にともない,輸入が膨張して国際収支の悪化と外貨準備の減少を示す国が多くなった。60年8月末現在において59年末とくらべて外貨準備の減少した国は,ベルギー,デンマーク,フィンランド,トルコ,ポルトガルの5カ国であるが,このうちデンマークをのぞいては減少額も小幅である。また,ベルギーの場合はコンゴ危機による資本逃避が原因であった。

イギリスの金・外貨準備は58年に7.3億ドル増加したあと,59年には3.6億ドルの減少をみたが,これはIMF増資,輸銀,IMF債務早期返済など特別支払い約6億ドルのせいで,それを考慮すると2.5億ドルの増加であつた。60年にはいってからも1~8月間に3.2億ドル増加している。しかし,これは主として高金利によって短資がロンドンに流入したためであり,経常収支は60年第2四半期に赤字900万ドルを出した(第37表参照)。 このような経常収支の赤字は,設備投資の盛行と在庫蓄積により輸入が大幅に膨張した反面で,輸出が春以来停滞的となったためである。

イギリスの国際収支悪化と並んで注目される最近の現象は,西ドイツの金・外貨準備が59年10月以来再び増加をつづけ,本年1~8月間に15億ドルも増加したことである(8月末現在高65億ドル)。これは同期間における西欧の金・外貨準備増加額19.4億ドルの7割近くに相当する(同期間に1億ドル以上の増加をみた国はイギリス3.2億ドル,フランス3.8億ドル,オランダ1.1億ドルだけである)。これは59年以来国内ブーム抑制のためにとられた金融引締め政策により,西ドイツの資本輸出がとまり逆に在外短資が引揚げられ,経常収支の慢性的黒字が再び表面化したためである。その結果マルク切上げの噂がひろまり,投機資金の流入などがみられたが,西ドイツ政府は外国短資流入阻止の措置を講ずるほか,数次にわたってマルク切上げの意図なきことを言明している。

第38表 西ドイツの国際収支

(6) 最近の経済政策

さきに述べたように,西欧景気の回復と拡大の過程において政府当局の金融,財政政策が大きな役割を果たしたと同じく,ブーム期において比較的早めに採用された引締め措置がブームの行き過ぎを防止し,物価の高騰を未然にふせぐのに役立つたと思われる。

そこでこの機会に西欧の主要国がとってきた引締め政策を簡単に観してみよう。

まず最初に引締め措置をとったのは西欧ブームの先頭をきつてきた西ドイツであった。59年9月に公定歩合を引き上げて(2.75から3へ)警戒信号を発してから,その後60年6月まで数次にわたって引締め政策を強化した。

引締めの用具としては主として金融政策が採用され,公定歩合の引上げ3回(5%へ),支払い準備率の引上げ4回のほか,中央銀行の市中銀行に対する再割枠の削減,売オペ等を行ない,また外国短資の流入阻止のため非居住者預金に対する利付禁止,非居住者の金融市場証券の取得禁止等の措置をとった。また,固定資産償却率の引下げなどの財政措置が8月に実施され,さらに最近では輸入補償税と輸出売上税割戻しの廃止(輸入促進と輸出の抑制をねらつたもので,実質上のマルク切下げとなる), 民間企業による10億ドイツ・マルクの後進国援助案,政府の後進国援助資金増額など,景気過熱と対外不均衡の阻止を目的とする対策が目下論議されている。

イギリスは,60年1月に公定歩合を4から5へ引上げてから,4月の新予算で若干の増税措置を講じたが,同月末に特別預託制(市中銀行の総預金額の一部を強制的に中央銀行に預金させるもので,預金準備制度と似た制度であるが,これは金融市場における資金の流動性を削減することを目的としている)の実施と賦払信用の再制限など本格的な引締め措置に踏み切り,さらに6月には公定歩合を6%へ引上げ,特別預託率を2倍に引上げた。

このうち賦払信用制限は即効的な効果をあらわし,自動車や家庭用電機器具などの売行き減少をひきおこし,一応所期の目的を達成したとみられている。

イギリス,ドイツ以外の諸国も昨年秋から本年中にかけて,公定歩合の引上げ(第39表参照),支払準備率の引上げなどの金融引締め政策をとるほか(ただし,ベルギーの公定歩合の引上げは対外上の顧慮から行なわれた),増税(スエーデン),政府支出の削減(オーストリア)など財政措置をもとられ,また,住宅建築の一時的禁止(デンマーク), 政府補助金による住宅建築の削減(オーストリア,スエーデン),投資抑制(オランダ,スエーデン)などの選択的措置が採用されている。

ただし,ベルギーとフランスだけは景気の回復が主として輸出の拡大を起動力とし,国内需要が弱いために,むしろ景気振興策が最近まで採用された。

たとえば,フランスでは59年末に有利な償却制を実施し,60年5月には住宅刺激策をとり,10月には公定歩合引下げと月賦制限緩和を行なった。