昭和35年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和35年11月18日
経済企画庁
第1部 総論
第1章 1959~60年の世界景気の動向
1958年初めごろから景気後退をみた西欧経済は,同年第4四半期から回復に向かい,59年初めには鉱工業生産はほぼ後退前のピーク水準に回復した。 その後も経済拡大は活発なテンポでつづけられ,59年の西欧諸国の実質国民総生産は前年にくらべて4%上昇し,輸出額も9%増加した。
景気の回復は(イ)後退期間中に国際収支が好転し,引締め政策の緩和や積極政策の採用が可能になった,(ロ)繊維,鉄鋼を中心とする在庫調整が終了した,(ハ)金融緩和や政策の変化によって住宅建設と耐久消費財需要が増加した,(ニ)アメリカの景気回復に伴って対米輪出が増加した,などの要因にもとづくものであった。
その後,59年中は個人消費と輸出の増加がつづいたうえ,政府支出の増大,域内貿易の拡大が加わり,年末ごろからは民間設備投資も本格的増加に向かつたので,順調な景気上昇がつづいた。この間卸売物価は多くの国で比較的安定していたが,消費者物価はサービス価格の上昇を中心に,年2~3%の騰貴をつづけている。しかし,多くの国が完全雇用状態となり,景気の過熱を防ぐため59年秋から60年初めにかけて各種の引締め措置がとられたので,経済拡大のテンポも60年春ごろから次第に鈍化しはじめた。
この間,経済の急速な拡大のうちに,西欧諸国の国際収支は好調をたもち,多くの国の金・外貨準備は増加をつづけている。56~57年の好況期に国際収支の悪化から引締め政策がとられ,拡大に終止符がうたれたのにくらべると大きな相違である。
国際収支の好調をもたらした最大の原因は,輸出が増加をつづけたことにある。まずアメリカの景気回復に伴って,対米輸出は58年夏から59年夏にかけて50%以上もの激増を記録した。
58年から59年にかけての総需要増加のうち,10%が北アメリカ向け輸出の増加によって占められたうえ,対米輸出の増加が西欧国内需要拡大よりやや早くはじまつたことを考えると,回復初期の景気拡大要因として大きな役割を演じたことがわかろう。ついで,59年に入ると西欧諸国の活況を反映しで,域内貿易が著しい増加を示した。対米輸出は59年秋から伸び悩んだが,これにかわって非工業国への輸出が59年後半から増加しはじめ,輸出の増勢が維持された。このように,輸出が終始好調をつづけたことは,需要面から景気上昇に貢献しただけでなく,国際収支の好調を通じて,経済拡大の持続を可能ならしめたのである. 一方,輸入の増加が比較的小幅にとどまつたことも見のがせない。これは55年以来の投資ブームによって鉄鋼などの資本財の供給力が大幅に増加したため,域外,とくにアメリカから大量に輸入する必要がなかったこと,需要増加が主として域内で交易される耐久消費財に集中したこと,および,一次商品の価格と海上運賃が比較的安定していたこと,などによるところが大きい。
1957年夏以来景気後退をつづけた日本経済も輸入の急減による国際収支の改善を背景として,金融の緩和,在庫調整の終了によって58年秋から回復に向かつた。その後負速な経済拡大は59年中はもとより,60年に入ってもつづいている。それにもかかわらず,国際収支は好調を維持し,好況の継続を可能にするとともに,貿易為替の自由化を推進する基盤を与えた。
このような国際収支の均衡は,58年秋から59年秋にかけて対米輸出が激増し,ついで同年後半からは東南アジアなど低開発国への輸出が好転,さらに同年暮からは西欧の好況から西欧などへの輸出が大福に増加するなど,輸出が一貫して増加をつづけ,その反面,供給力の増大,輸入価格の低下によつて,輸入の増加が比較的小福だったことによる。これらの事情は,西欧の場合と共通なものが多く,西欧や日本経済の順調な拡大が,良好な国際経済環境によって助長されたことを示している。