昭和35年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和35年11月18日
経済企画庁
第1部 総論
第1章 1959~60年の世界景気の動向
1957年半ばから後退をつづけていたアメリ力経済は,金融の緩和を背景に,連邦政府支出が急増し,在庫削減のテンポが緩慢化したため,58年第1四半期を底として回復に向かつた。58年中は,政府支出,住宅建設,個人消費が増加し,在庫削減のテンポが緩慢化したため,景気は急速な回復をつづけ,国民総生産は58年第4四半期,鉱工業生産は59年2月には,後退前のピーク水準に回復した。その後も,59年夏にかけては設備投資も緩慢ながら増加に向かい,鉄鋼ストにそなえての在庫蓄積を反映して在庫投資も急増したので,経済の拡大がつづいた。その結果,59年上半期の実質国民総生産は,前年同期を9%も上回った。しかし,供給力に余力があったため,卸売物価の上昇は小幅で,消費者物価も年1%未満の上昇にとどまった。一方,失業率は景気の回復上昇にもかかわらずあまり低下せず,59年夏ごろにおいても5%に近く,前回の好況期にくらべると比較的高い水準を示していた。
59年夏以後,アメリカ経済は伸び悩み状態を示すようになった,その直接の原因は,7月半ばから4カ月にわたってつづけられた鉄鋼産業の大ストライキで,鉱工業生産は6月の110(1957年=100)をピークとして,10月までに7%低下した。しかし,58年夏以来政府が金融引締め政策をとったことや,インフレ抑制の見地から連邦政府の支出が59年秋から削減されたことも,景気の頭打ちをはやめる一因となった。
鉄鋼スト終了後,59年末から60年初頭にかけて景気は急速に回復したが,60年に入ってからは高原状態を示すようになった。その後の推移を鉱工業生産指数でみると,60年1月には111となり,スト的の水準に達したが,その後7月までは109または110の線で停滞をつづけた。59年後半から輸出が急増し,設備投資も増加をつづけたにもかかわらず,景気が頭打ちとなった最大の要因は在庫投資が急激に減少したことであるが,耐久消費財需要が伸び悩み,連邦政府の支出と住宅建設が漸減したこともひびいている。
このように景気が頭打ちとなったため,59年夏以来卸売物価は全く横ばい状態を示し,60年春ごろからむしろ弱含みとなった。失業率も5%の水準で下げどまりとなり,60年6月ごろから上昇しはじめた。このような情勢に応じて,政府は国防費や公共事業費の支出促進をはかり,一方,連邦準備銀行は6月と8月に公定歩合を2回にわたって4%から3%に引き下げた。また支払準備率の引下げあるいは公開市場操作等の金融緩和措置も講じている。
しかし鉱工業生産指数は8月から低下しはじめ,第3四半期の国民総生産は前期を0.3%下回った。この間に製造業の雇用者と労働時間,耐久財製造業の受注額,企業倒産など景気指標といわれるものの多くが相ついで悪化しているばかりでなく,小売売上げや法人利潤が減少し製造業在庫力が減され,個人所得が伸び悩むなどの徴候からみて,アメリカ景気は後退をはじめたと判断される。さらに,公定歩合の引下げのための西欧諸国との間の金利差を拡大することになり,7月以後金の流出が著しく増加している点が注目される。
前述のように,アメリ力経済は58年春から59年夏にかけて,急速な回復,上昇をつづけた。このような経済活動の活況を反映して,アメリカの輸入は58年後半から著しい増加に向かい,59年上半期には,前年同期にくらべて18%増加し,年率149億ドルにのぼつた。景気後退中に減少していた原材料の輸入は,工業生産の上昇に伴って増加に転じたので,非工業国(アメリカ,カナダ,西欧,日本,共産圏をのぞく諸国)の輸出増加と貿易収支の改善をもたらす大きな要因となった。一方,工業製品の輪入は,アメリカの消費構造の高級化,多様化,西欧や日本の工業力の充実と国際競争力の強化などによって,数年来強い増勢を示しており,57~58年の景気後退中にも増加をつづけた。さらに景気の回復による個人所得の増大につれて,工業製品輸入は急テンボで増加し,59年上半期には年率48億ドルに達し,前年同期を32%上回った。その結果,工業製品のおもな供給者である西欧と日本の対米輸出は,この1年間に4~5割という大幅な増加を示し,これら諸国の国際収支の改善,ひいては経済拡大の継続に大きく貢献した。
これに対して,アメリカの輸出は58年初めから59年中ごろまで低水準で停滞をつづげたので,57年には61億ドルにも達した商品貿易の黒字幅は急激に縮小した。これを反映して,アメリ力の国際収支は58年以降年率30億ドルをこえる巨額の赤字をつづけた。
59年夏以後になると,アメリカ経済の停滞を反映して,輸入も59年以来横ばい状態に入った。とくに,原材料の輸入が停滞しただけでなく,従来根強い増勢をたどっていた工業製品の輸入が60年に入ってわずかながら減少しているのが目立つ。これには,ストの解決によって鉄鋼製品の輸入が減少したうえ,59年秋からアメリカの3大自動車メーカーが一斉に小型車(コンパクト・カー)の生産に乗り出し,数年来激増をつづけていた乗用車の輸入が,昨年秋から伸び悩み,今春以来減少に転じたことが大きくひびいている。このため,西欧からの輸入は59年夏から増勢が鈍り,60年に入って若干の減少をみせている。日本からの輸入も59年秋から増勢は著しく鈍化している。
一方,停滞をつづけていたアメリカの輸出は,59年後半から顕著な増加をみせるに至り,高原景気をささえる大きな要因となった。これは綿花やジェット機の急増など一時的要因によるところが大きいが,西欧と日本で好況がつづいていることや,貿易自由化の影響も加わって工業国への輸出がふえたこと,非工業国の外貨事情が好転したために,非工業国向け輸出が増加したことも少なからず貢献した。