昭和34年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和三四年九月

経済企画庁


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第二部 各  論

第五章 「躍進」的発展をうち出した中国

第五節 経済の「躍進」的発展過程における問題点

周恩来は去る四月の人民代表大会での報告で,まず五八年の「生産大躍進」の成果をのべたあとでつぎのようにいつている。

「われわれの成果は巨大である。しかし六億あまりの人口をもつ国にとつては,わが国の工農業が現在到達している水準はなお非常に低い。経済発展と人民生活改善の巨大な需要をみたすためには,われわれはなお引きつづいて苦しいたたかいをつづけなければならない。」中国のようなもともと「経済がたちおくれ,底の浅い国」(周恩来報告)においては,第一次五カ年計画の基礎の上に,さらに五八年の急速な発展があつたとはいうものの,これをさらにたち入つて分析するならば,なお少からぬ問題点をふくんでいることは当然である。

他方今年のはじめごろから日本の新聞でも,大増産にもかかわらず都市で一部の消費物資が不足していること,香港への物資移出が一時とだえたこと,輸送が大きな隘路になつていることなどが伝えられ,問題がなげかけられている。

このような問題点に対して客観的な答えを出すにあたつては,まず第一に,現在の中国の生産力の水準は世界の各工業先進国に比較してなおきわめて低い段階にあるということ,また五八年の経済的発展は,゛その基礎の上に急速な発展テンポをうちだしたとしても,そのような一般的低位を一夜にしてくつがえすことは不可能であるということがまず注意されなくてはならない。

たとえば,五八年に達成された工農業主要生産物の生産高を「六億あまりの人口」をかかえた大国としてみるならば,生産力水準の相違はきわめてはつきりしている。

粗鋼生産についてみると,五八年度生産高は八〇〇万トンであるからこれを人口一人あたりにしてみるとわずかに約一二キロとなり,同年の日本の生産高は人口一人あたり約一三三キロで中国の約一〇倍以上となる。(ちなみに五六年の一人あたり消費高を比較すると,日本一一一キロに対し中国九キロであつた。その後の二年間に国内生産だけで九キロから一二キロにふえた速度の大きさはここでもみのがせない。)綿花についてみると,五八年度における総生産高は前年度よりも二八%増で約二倍になり,人口一人あたりにすれば約三・ニキロとなり,さらに,紡織工業の水準が低いため綿布は五八年度一人あたり約一〇・六平方ヤードにすぎず,五七年度日本の綿布生産高を一人あたりにすると四一・二平方ヤードとなるので,そのあいだにはなおかなりのひらきがみられる。

くりかえしいうように,五八年度の増産はこのような低位を基底とした上での急速な成長であり,当然そこにはいわゆる「緊張」と「アンバランス」とが不可避的に発生せざるをえない。たとえば五八年のとくに後半には,「鋼を軸」とし,その他の部分は「鉄鋼増産に道をゆずる」といういわば高度の「傾斜生産方式」が強行され,鋼の生産高については大幅な増産が達成されたが,同時にその他各部門とのあいだにアンバランスと「緊張」を生まざるをえなかつた。このようなアンバランスはさらに生産された価値の順調な実現に対しても影響をおよぼしたことが想像される。それは輸送がネックになつて「滞貨」の発生も現われている。ただ注意しなければならない点は,このようないわば「傾斜生産方式」は基本的には一定の計画と見通しに立つて推進されているということである。鉄鋼を軸とする発展の方式は,まず鉄鋼を発展させることによつて,石炭,機械などの関連産業を,さらには全工業部門をひきずつて発展することができるという考えかたであつて,これはさきに説明した「積極的バランス理論」から当然割り出されるものである。

また別の観点からいえば,柯慶施のいうとおり,「とくにわが国のような大国で,しかも経済の底の浅い国では,高速度で国民経済を発展させようとすれば,どうしても人力,物力,財力を最も全局的な側面に集中して使用しなければならないし,力を分散することはできない」(五九・二・一六「紅旗」)からである。したがつて急速な増産過程で,以上のようなアンバランスと緊張が生まれるのは不可避でもあり,また一面「経過的」,「過程的」でもあるといえよう。現に鉄鋼の増産の基礎が確立した基礎の上で,五九年に入つてからは「傾斜生産」をやや緩和して,全国の経済の配置を一つの碁盤にたとえて,各産業部門間の相互の関連性をやや強調する方針にすすむ傾向があらわれている。

以下に五八年度の生産「躍進」の過程に現われた主要な問題点についての具体的状況を検討してみよう。

(一) 輸送力の不足

五八年の「躍進」によつてひきおこされた当面のもつとも大きな問題の一つは「輸送力が生産の発展に追いつかない」という問題であるとみられる。五八年一年間に完成した鉄道の新線と復線のレール敷設距離は三,五六四キロにおよび,これは一九五七年に新設された距離の二倍である(五九・二・二〇「人民日報」)。しかしこれでも工農業の躍進が急速で,各方面から輸送を求められた貨物がきわめて多量にのぼり(注 鉄鋼の大増産のため全輸送量の五〇パーセントは鉄鋼関係の輸送であつたといわれている),鉄道運輸能力と運輸需要との間にくいちがいが大きく,五八年末に約三,〇〇〇~四,〇〇〇万トンの貨物が滞貨になつた。運輸能力の不足によつて,一方では炭鉱に大量の貯炭ができ,他方では若干の地方で石炭不足となつており,また農業生産が大々的に発展しておりながら,若干の都市で一部の生活消費物資の供給がつまつてきている(五九・一・一六「紅旗」呂正操の論文)。呂正操鉄道部長はこのような緊迫状態は,過去においてあらわれたような短期のものと異つて「輸送量の増大テンポが既存の輸送設備能力を大きく上回り,若干の一般的措置を講ずれば解決できるようなわけにはいかない」と指摘したが,これによつても問題の重大性がわかる。上記「人民日報」も,「今年増加を予想している交通設備と輸送器材とは,数量的にいつてまた客観的要求に応じることができないばかりか,その大部分は本年上半期にはまだ生産に入れない」とのべているので輸送問題の解決のためには五九年以降相当の力がこれにさかれるであろう。

鉄道輸送がこのように国民経済全体にとつて大きな隘路になつた基本的な原因は,これもやはり呂正操の指摘しているように,旧中国から遺産としてのこされた鉄道の現状からくる。旧中国の鉄道の特徴は「少」(二万五,〇〇〇キロにすぎなかつたこと),「偏」(主として沿海地区にかたよつていた),「低」(技術設備が古く立ちおくれていた)によるもので,これを「数年間で完全に改めるわけるわけにはいかなかつた」(同上)のである。当面このような状況に対して,中国では幹線は近代的設備をとり入れ,地方の支線は主として小規模な在来技術による鉄道建設を並行的にすすめ,五九年には鉄道貨物の輸送量が三六%増大するように計画されている。

(二) 消費財の相対的不足

昨年の暮から今年のはじめ頃,一部の都市では砂糖,食用油,石けん,煙草などが不足し,また一時的に香港に対する食糧および日用品の供給がひつ迫したと外電は伝えた。

さきにあげた五八年度の項目別生産高をみてもわかるように,上述の物資については,砂糖四%,食用油一四%と他の物資にくらべて増産率がいちじるしく低い。とくに砂糖は年間目標一六一万トンに対し実績は九〇万トンしかなかつた。そのほか増加率の低いものには紙巻煙草七%,綿布一三%などがある。全般的にみても,五八年には生産財の伸びが一〇三%であつたのに比較して,消費財の伸びは三四%であつた。(五九年計画では生産財四六%,消費財三四%とやや均衡化されている。)要するに五八年度は最重点が鉄鋼と食糧におかれ,工業内部での重工業と軽工業のバランスは今後の課題として,一時的な緊張を恐れず傾斜生産が推進された。五九年六月九日の「人民日報」社説によれば「当面ある種の日用品の供給不足は比較的きわだつた現象」であり,その原因は工農業の躍進と人民公社化,とくにそれによる就業の増大によつて,国民の購買力が急速に増大したことにあるといわれている。たとえば江蘇省宿遷県,安徽省臨泉県,河南省遂平県の調査によると,五八年には前年に比してゴム靴の販売量が一一五%,洗面器が七九・七%,琺瑯びきコップ六一・五%,石けん八・八%それぞれ増大した。五九年にはさらに増大をつづけ,多くの日用品の販売量は前年同期の二倍にふえているといわれる。したがつて都市における日用品物資の不足は,経済基盤の急速な拡大過程において必然的に起る「緊張とアンバランス」の一つの表現にほかならない。

(三) 土法技術採用による品質上の問題点

すでにみたように,五八年度工業部門の増産は全国農村に大量に建設された土法零細工業の生産に負うところがきわめて大きかつた。また五九年度においても「このような小型企業の土法生産は今年の工業生産において」,「いぜんとして重大な任務を負つている」(上掲周恩来報告)とされており,たとえば銑鉄については,土法銑が約五〇%を占める予定(五九・三・二二新華社電)だといわれているから,土法生産による工業製品の質の問題はなお一定期間大きな意義をもつている。

五八年一〇月,鉄鋼大増産運動の時期に「人民日報」は次のように指摘した。「土法による銑鉄は比較的低温でつくられたものであつて,これは洋式の高炉でつくつた銑鉄とちがつて硫黄と燐を非常にたくさん含んでおり,硅素とマンガンは少量しか含んでいない。」この問題を解決することは「目下鋼鉄戦線上における新しい課題であり技術上の難問である」(五八・一〇・一二)と。その当時の土法銑の硫黄分は,一般に○・二~〇・七%,多いばあいには一~三%以上であり,一般の銑鉄の数倍,数十倍に上つていたといわれる。その後脱硫の技術についてはいろいろの研究が重ねられ改善が加えられたが,最近でもなお小高炉の銑鉄の質の問題が鉄鋼の質を高める「中心的な環」であり,「根本問題はいかにして硫黄の含有量を低くするか」であるとされ,第3・四半期までに銑鉄の合格率を九〇%以上にすることが要求されている(五九・五・一四「人民日報」冶金工業部の指示)。また土法高炉は石炭の消費量が過大であることも問題になつている。土法炉では銑鉄一トンを生産するのに四~六トン,ばあいによつては八~一〇トンもの石炭を消費する(近代的高炉のばあいは約二トン)ので「石炭の消費ができるだけ少くてすむ炉型を普及させる」ことが要請された(五八・一〇・一三「人民日報」)。

全体としては土法高炉が鉄鋼増産に大きな役割を果したことは疑いないが,このような技術上の困難も少なからず存在していたようで,銑鉄の生産高が一度一,七七〇万トンに達したと報道され(五八・一一・一九新華社電)ながら,五九年四月「公報」の最終統計では,計画(一,六九〇万トン)を下回る一,三六九万トン(洋法銑は九五三万トン)に修正されているのも,生産された土法銑の質の上でかなりの不合格部分があつたことを反映しているようだ。


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