昭和34年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和三四年九月
経済企画庁
第二部 各 論
第五章 「躍進」的発展をうち出した中国
五九年四月発表の前掲国家統計局公報によれば,五八年の中国対外貿易総額は前年比二三%増となつており,五,四五九百万ドルと推算される。五八年一〇月に発表された対外貿易部長葉季壮の論文では,五八年には約一四%増加するだろうと予想しているから,対外貿易の面でも国内生産の「躍進」的発展によつて,とくに後半期に予想以上の増大がみられたことになる。五七年の貿易額が前年比三・八%減であつたことと比較して,いちじるしい発展であるといえよう。冀朝鼎の指摘によれば,五八年の生産の「躍進」と建設の発展によつて,良質鋼材,非鉄金属,各種大型精密儀器,大型発電設備,農業機械,化学肥料などの輸入が必要となり,また輸出の面では薬品,機械,電信機材,儀器およびプラントの輸出がおこなわれ,貿易額が大きく発展する可能性が生れた(五九・四・一三香港「大公報」)。なお貿易相手国および地域は,五七年の八二から五八年の九三に増加した。中国の最近数年間における貿易額の推移は第5-7表のとおりである。
五八年以降の中国の対外経済関係において注目されることは,貿易総額の量的発展のほかに,日中貿易の中断をめぐつて,新たな特徴的な局面が生れていることである。それは日中貿易の中断と代替関係にある対西欧貿易(とくに西欧からの輸入)の急速な発展と,東南ア諸国への輸出の増大である。この間にあつてソ連を中心とする対社会主義諸国貿易は比較的安定した発展をとげている。以下そのいくつかの側面を検討してみよう。
日中貿易は朝鮮戦争休戦以後,国交未回復にもかかわらずかなり急速に発展し,五六年には最高に達して往復一億五,一一八万ドルとなつた。五七年には五月に貿易協定の期限がきれたこともあつて,わずかに減少をしめしたが,ひきつづいて五八年度には輸出一八二億円(五,〇〇〇万ドル),輸入一九六億円(五,四○○万ドル),合計三七八億円(一億四〇〇万ドル)と前年比二六%の減少となつた。その原因が五月におこつた日中貿易中断にあることはいうまでもない。それゆえに,年間実績の大部分は一~五月間に達成されたものである。一~五月の輸出入額の月平均は,輸出三四億七,〇〇〇万円,輸入二八億六,〇〇〇万円,これをかりに年率計算にすれば輸出四一六億四,〇〇〇万円,輸入三四三億二,〇〇〇万円,計六五九億六,〇〇〇万円(二億一,一〇〇万ドル)となり,五七年比約五〇%増となるはずであつた。のちにみるように,西ドイツの五八年度中国むけ輸出が一億六,三〇〇万ドル,イギリスの輸出が七,五〇〇万ドルに著増したことからみると,五八年度の日中貿易はさらにこの五〇%を上回る顕著な発展をなしえたのではないかと推定される。
事実,五八年に入つてから五月までの期間に,輸出入契約が長期化してきたこと,輸出の面における重化学工業品の比率が増大したこと,などかなり発展的な要因があらわれており,具体的には鉄鋼長期バーター貿易協定,大豆の年間契約,化学肥料および化学繊維の商談などが進展し,同時に海南島開発,揚子江電力開発,農業および工業における技術交流など経済協力の形態での発展が予想された。また五五年中国商品展覧会の日本における開催,五六年日本商品展覧会の北京,上海における開催にひきつづいて,五八年二月および四月にはふたたび日本商品展覧会が武漢と広州で開催された。また中国の生産「躍進」の気運がはやくも五八年の前半に日中貿易の発展の展望をひらいたことも指摘されなくてはならない(三四年版「通商白書」参照)。五月の中断によつて以上のような発展の萌芽が一切断絶し,現在におよんでいる。ただ五九年二月および四月に少量のうるし,その他の物資が「配慮物資」として輸入(そのみかえりとしてこんぶの輸出)されることになつたが,この一連の物資についてはあくまで「貿易ではない」と規定されている。日中貿易の詳細は第5-8,第5-9表のとおりである。
西欧資本主義諸国との貿易額とくにこれらの国からの輸入額は,五八年度,とくにその後半において著しく増大した。その内容についてみると,鋼材,化学肥料などの増大がとくに顕著であつて,第一に中国における経済建設の「躍進」的発展にもとづく建設資材の需要が増大したことを反映し,第二にはココム・チンコムの緩和,第三には日中貿易中断によつてこれら物資の輸入先が日本から一斉に西ドイツ,イギリスなど西欧資本主義諸国に切りかえられたことを意味している。たとえば,西ドイツの対中国輸出の激増についてハンブルグ発ロイター電は「これは主として日中貿易断絶の結果鉄鋼の対中国積出しがふえたためであつた」(五九・二・一二「産経新聞」)と端的に指摘している。またおなじくフランスと中国との貿易額の増大についても,”Far East Trade”のパリ特派員は,「それは部分的には東西貿易に対する戦略的制限の緩和によるものであるが,しかし日中貿易の商談がとだえたことと重工業製品の交易が行われなくなつたというような特殊事情によつて促進されたものである」(五九・三)といつている。
中国の西欧諸国に対する貿易額は第5-10表のとおりである。
以上の西欧諸国との貿易状況について特徴的なのはとくに輸入ののびが著るしいことで,輸入だけをとつてみるとやはり西ドイツが第一位で前年比二四一%増,イギリス一二四%増,フランス一一七%増,イタリア一三二%増といずれも二倍以上にふえている。主要品目別にみると,ブリキ,パイプ,線材,亜鉛鉄板などの鉄鋼製品,医薬品,化学肥料,染料,合成樹脂,人絹糸,人造面維などの化学製品,機械,プランー類がおもである。いま鉄鋼製品のこれら諸国からの輸入状況をみると第5-11表のとおりである。
中国の鋼材発注の大部分をひきうけたのは西ドイツであつたが,「不況に直面していた西ドイツの鉄鋼業をすくつたものは,中国からの大量の鉄鋼製品の発注であつた」と当時いわれたほど西ドイツの鉄鋼業界はこれによつて活況を呈した。
化学工業製品についてみると,五八年一~九月に西ドイツからの化学肥料の輸入は二四・二万トン,イタリアから一二・六万トンであつた。西ドイツの東方委員会中国部長ハインリッヒ・カロルは最近「中国は工業化の面で大きな成果をおさめたので,化学工業品に対する需要が急速にふえている。ここ数年のうちに西ドイツの対中国輸出物資のうち化学工業品が第一位をしめることになるだろう」と語つている。(五九・六・一香港「大公報」)五八年にイギリスから輸入された,化学工業製品は約八四〇万ドル以上で,全輸入額の一一%以上であつた。五八年に西欧諸国からの機械,プランーの輸入も若干増大し,イギリスからは四〇〇万ポンドの各種機械・プラントを輸入し(そのうち三分の二が繊維プラントとトラクターであつた。五八年末には二四・三万ポンドの製紙工場用プラントが買付けられた),その他フランス,西ドイツ,スエーデン,オーストリアなどからも各種プラントが輸入された。そのほか西ドイツから羊毛,ウールトップ,人造繊維を,イギリスから羊毛とウールトップを,フランスとイタリ―から人造繊維を輸入した。(以上資料は主として”Bonnetehs Hhoctpahhoh Kommepqeckon Hhopmayhh(EHKM)”五九・三・五,邦訳「日中貿易」五九・四・二〇より。)西欧諸国への輸出はもともと中国の対西欧貿易の発展を制約するネックだといわれていた。五八年度にも依然として中国側の入超になつてはいるが,しかし輸出の面でも相当の伸びをしめしていることが注目される。たとえば,イギリス三一%増,西ドイツ四三%増,イタリー八〇%増,フランスだけが若干減少している。このように輸出が増大した理由は,中国の生産の発展によつて「伝統的輸出商品」の輸出余力が増大,するとともに,新しい輸出商品が登場してきたことにある。すなわち,輸出商品を品目別にみると,卵製品,剛毛,柔毛,羽毛,皮革原料,桐油,食用植物油,茶などの「伝統的商品」が主要な地位を占めてはいるが,なおぞのほかに,五八年度に中国は肉,肉製品,鮮魚,魚罐詰,果実罐詰,紙,鉱産物などをはじめてイギリスに輸出した。イギリス向けのこれら新商品の輸出額は,二〇〇万ポンドにのぼつた。中国はまたこの年に綿織物,トリコット製品,工芸品などをスエーデンに輸出した(前掲”TNEN”五九・三・五)。
以上のような西欧諸国との貿易の発展は五九年に入つてからもつづいている。たとえば中国の五九年度第1・四半期の対イギリス貿易は一,一八三万ポンド(前年同期比七七%増),輸入六八〇万ボンド(前年同期比一三二%増),輸出五〇〇万ポンド(前年同期比 三五%増)に達した。イギリス国際貿易促進協議会では「中国は今年もひきつづき金属,大型および精密機械その他産業機械の重要なバイヤーとなるであろう」と観測している(「国際貿易速報」 五九・五・一六)。さらにフランスは五九年なかばに北京で電気機械および電子設備展をひらく予定であり,イタリーも最近水力発電技師代表団を中国に派遣し,水力発電設備の売りこみをねらつていると伝えられる(五九・六・一 「経済導報」)。イギリスの工業連盟はまた六〇年度に中国でイギリス貿易見本市を開く計画をすすめている(五九・二・一二AP電)こうして西欧諸国相互間の中国市場をめぐる競争はますます激化しようとしている。
いずれにしても,以上のようないちじるしい西欧諸国との貿易の発展は,五八年度の中国国内の生産の「躍進」的発展の必然的結果であり,それはとくに英誌,”Far East Trade(五八・九)の指摘する次のような事情によつて推進されたものであろう。「五八年は大規模な計画の大躍進の年であり,西欧の資材は計画達成に絶対必要だとはいわないがきわめて有用だとはいえる。しかも急速な拡大計画は複雑な需要を喚起し,その一部は予見しえないばあいがある。もちろん供するに時をもつてすれば国産で供給されるだろうが,当面輸入できればこれにこしたことはない。こういう緊急需要のためにはソ連より西欧の方がよりショッピング・センターである。さらに今年はココムが更に大幅に緩和された年である。」
五八年度以降,とくに日本において,「中国商品の東南アへの進出」がやかましく伝えられた。この問題に関する統計的根拠は,現在までのところ第5-12および第5-13表のとおりである。
以上の統計では,当面問題となる五八年度の多くの数字が年率計算になつているため,とくに後半年になつて著増したとみられる中国の対東南ア輸出の実態をつかむには不完全である。中国側の文献にも完全な数字はまだでていないが,五八年一一月三日付「経済導報」は「本年(五八年)の中国とA A諸国との経済貿易関係は顕著な発展をしめし」,「貿易額は昨年同期に比して増加した」とのべ,とくにインドネシアとの貿易が「非常に大きく増加した」と指摘している。また同年一〇月一日の香港「大公報」の論文は,「五八年上半期の貿易額の前年同期に対する変化については,インドよりの輸入額は一二・九四%増,セイロンに対する輸出は一三六・四%増,インドネシアに対する輸出は四九・七%増,カンボジアに対する輸出は三二・四九%増,アフガニスタンに対する輸出は三四五%増」とのべている。また最近の日本紡績協会のデータ(五九・五・一七「産経新聞」)によれば,中国の綿織物のインドネシア,香港,マラヤなど市場むけの五八年下半期輸出量は,上半期に比して四○%近くの増加をしめしたといわれているので,綿製品輸出についての右表の年率計算の部分はかなり過少に推計されており,実際はもつと大きく発展しているということができよう。
総じていえば,中国の五八年度以降における対東南ア貿易,特に輸出が著増したことはあきらかに確認されるところである。中国の対東南ア貿易の特徴はかなり顕著な輸出超過におる。たとえば東南アへの主要仲継地としての香港の五八年度移出入額をみると移出二・四四億ドル,移入○・二七億ドルで移出が圧倒的に大きい。イギリス国際貿促協議会の”China Trade and Economic Newsletter”は「この出超が,中国の輸出額以上にのぼる西欧向けの発注政策を支えている」と指摘している(五九・五・一四「国際貿易速報」)が,東南アへの出超と西欧に対する入超とが相互に補完関係にあり,その双方が著しく発展したことが五八年度以降の中国貿易の特徴をなしている。
日本の立場からは,このような中国の東南アへの進出とは競合関係にあることは明白で,五八年度における香港市場への進出状況を比較してみると,中国は上半期の五九・二万香港ドルから下半期八〇・五万香港ドルに増加したのに反して,日本は三〇・八万香港ドルから二八・九万香港ドルに減少したのをみてもわかるとおりである。
このような中国の進出は,現在の段階では若干の東南ア諸国との間にも競合関係をうみだしていることも事実のようである。たとえばマライ,シンガポールでは中国からのセメント輸入に制限を加えるために五八年一月から輸入許可制を採用した。またインドの綿織物輸出は,中国綿布の進出の影響で著しく減少したといわれている。すなわち,インドネシヤ向け輸出は五七年の四,八四〇万ヤードから,五八年の一,〇九八万ヤードに,マライ向けは三,一七三万ヤードから六一六万ヤードに減少した。(五九・六「経済情勢」参照)。このような競合関係も一部の原因となつて,五八年末以降,東南アの若干の国と中国との間の関係が一時悪化した。すなわち,五八年一〇月マライおよびシンガポール当局は華僑に対する圧迫措置と同時に,中国綿製品の輸入制限ならびに一部の禁止措置をとつた。また五九年一月にはタイ国政府が,中国商品は「非必需物資」であり,調査,統制が困難であるということを理由に,輸入禁止命令を発布した。
中国のアジア・アフリカ諸国に対する貿易の方針はつぎのようなものとされている。「われわれはその国〔アジア・アフリカ民族主義諸国〕の人民が必要としている一般の物資を供給するほかに,かれらの必要にもとづいて,可能な範囲内で公平かつ合理的な価格でこれらの国に各種の機械やプラントを供給し,また専門家や技師を派遣して,これらの国の民族工業と独立経済の発展を支持している」 (五八・一〇・一一香港「大公報」対外貿易部長葉季壮の論文)。
当面軽工業品の輸出が多数を占めている段階では,部分的に競合関係が発生することはやむをえないであろうが,中国の経済的進出が,本国の工業化とあいまつて,重化学工業品,機械,プラントとくに経済協力の比重の増大とともに,このような矛盾関係は漸次稀薄になつてゆく可能性がある。現在東南アジアから中国への輸出は,ゴム,綿花,石油,ジュート,米,ココナット油,非鉄金属などの第一次生産物と原料である。中国からの輸出は,綿製品,自転車,ミシン,万年筆,新聞用紙,ワイヤーなどが主であるが,さらに「中国経済の迅速な発展によつて,すでに東南アが独立経済を建設するのに切実に必要としている鋼材,鉱産物,各種機械,およびある種の軽工業工場のプラントを輸出できるようになつた」(五八・・一〇・一香港「大公報」)といわれ,たとえば,いままで綿製品の輸出が主であつたインドネシアに対して,最近長期の延払い方式による紡績機械一二万錘の輸出契約が行われたもよう」と伝えられ,これによつてインドネシアの紡績設備は現在の倍にふえることになる。いずれにせよこの事実は中国の対
東南ア経済関係の新しい発展と展望をしめす特徴的な事例として注目ざれる。東南アとの関係における経済協力の登場は新しい傾向として重要な意味をもつている。米誌”Far Eastern Survery”はこれについてつぎのように評価している。「南および東南アジアにおける中国の計画の新しい特徴は,中立諸国への経済,技術援助である。援助の額が限られたものであるのはたしかである。しかし,自国の発展水準のまだ低い中国が対外援助活動をはじめたという事実が注目される」(五九・一)。この論文によれば,今日までに中国は,力ンボジア,セイロン,ネパールに対して総額五,〇三〇万ドルの贈与,ビルマ,セイロン,インドネシアに対し総額五,四五〇万ドルの低利借款を提供した。五八年以降における経済協力の進展をみるとつぎのとおりである。五八年初頭,セイロンの洪水に際し四万二,六〇〇ドルと薬品一五トンを贈与した。同年九月にはさらに一五〇万ドルの借款をセイロンに提供した。この借款は期限四年,利率二分五厘,設備資材提供のかたちでおこなわれ,なお中国はセイロンに対して紡績工場,製鉄工場の建設援助を提案している。セイロン側では二万五,〇〇〇錘,織機五〇〇台の紡織工場プラントをうけ入れることに決定している。インドネシアに対しては五八年の四月四,〇〇〇万ドルの低利借款が提供され,綿布(七,二〇〇万ヤード)と米(二万ト乙の購入にあてられた。ビルマに対して同年一月四〇〇万ドルの借款が提供され,これによつて四万錘の紡績工場が建設された(以上資料は主として前掲"Far Eastern Survey”)。同年一月にはイエーメンとの科学技術文化協力協定が調印され,さらにこれにもとづいて五九年一月,自動車道路の建設と一万錘の紡績工場の建設に関する議定書が調印された(五九・一・二五北京放送)。
このように中国と東南ア諸国との経済関係は,経済協力の強化という方向にすすんでいることが注目される。そのような関係から「南および東南アジア諸国は大体において中国との経済関係の拡大に好意をよせているようだ」 (前掲,”Far Easttern Survey”)と観測されている。一度輸入制限をとつた国のうちでも,シンガポールは最近の政変によつて中国との関係が急速に改善されつつあり,タイでも五九年六月になつて漢薬,菜種子などの輸入が解禁され,つづいて建築器材,新聞用紙,罐詰などの解禁が考慮されている(五九・六・一三)。
社会主義諸国との貿易は中国の全貿易額のうちに一貫して主要な地位を占めており,しかもそのうちでソ連との貿易が過半数を占めている。この点についてはここ数年来大きな変化はない。
最近における中国の対ソ連貿易額の変化は第5-14表のとおりで,過去において拡中国の入超であつたものが五五~五六年をさかいとして出超に転じていることが注目される。
ソ連からの輸入品目は,工業設備,黒色金属,有色金属,金属切削機械,各種動力機械,農業機械,儀器,機関車,ラック,石油,農薬などが主要なものである。五八年度には,四月にバーター議定書が調印されたのち,生産が急激に拡大したため一部の機械設備と工業原料の需要量が急増し,ソ連に対して追加発注がおこなわれた。
ソ連に対する輸出品目は,大豆,米,食用油脂,油脂原料,各種有色金属,鉱産物,絹織物,茶,豚毛,羊毛,皮革,冷凍肉類,冷凍家禽,果物,卵製品,罐詰,麻,葉煙草,化学工業,原料,その他軽工業品などである。
経済援助の面では,五八年以降数回にわたつて重要な協定が調印されている。まず五八年一月に科学技術議定書が調印されたが,これは中国の五八年から六二年までの科学技術発展長期計画実現をソ連が援助することを規定している。
五八年八月には技術援助協定が調印された。これによればソ連は,中国の四七項目にわたる工業企業の建設,拡張に対して技術援助を与えることを規定している。
その内容は,冶金,石炭,石油,発電所,機械製作,建築材料などの工業企業プラントの供給である。五八年度の生産の急速な発展の過程で,とくに小型発電所,各種工作機械,ウインチ,電気シャベルなどの不足設備についてソ連の援助をうけた,といわれる。
五九年二月には大規模な長期の援助協定が締結された。これは五九年から六七年までのあいだに冶金,化学,石炭,石油,機械製作,電機,無線技術,建築材料など七八の大型工業企業と発電所を中国に建設するもので,援助の金額は五〇億ルーブル(一二億五,〇〇〇万ドル,四,五〇〇億円)に上る。この協定について注目される点は,中国自身の工業力の発展にともない,自力で担当する部分が過去にくらべて増大してきたことで,ソ連側は製品の生産特許権を無償で中国で引きわたし,さらに必要な技術資料を提供し,中国側は大部分のプラントを自力でつくりだすことになつている。
ソ連以外の東欧社会主義諸国との経済的関係も五八年度には生産の急激な発展を反映して大幅に拡大した。五八年度における東欧諸国との貿易額のうち現在までに公式に発表されたものは第5-15表のとおりである。
注 本稿の初稿の段階で,第八回中央委員会総会決定が発表されたので,これにもとづいて,数字その他の修正を行つた。