昭和34年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和三四年九月

経済企画庁


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第二部 各  論

第一章 景気回復に転じたアメリカ経済

第二節 一九五七~五八年循環で提起された諸問題

(一) 過剰設備の顕現

(1) 過剰設備の実態

戦後,一九五五年頃までは,最終需要の伸び率が高かつた。しかし,五五年央以降,製造業の固定投資が大規模に行われ,他方,最終需要の伸びが緩慢化したので,生産の伸びもこれにつれて緩慢化し,過剰能力が表面化するに至つた。過剰生産能力が特に大量に存在しているのは工業生産の基礎部門たる基礎原料生産工業である。総論第1図にみるように五九年の基礎原料生産工業の生産能力は一九四七~四九年基準の一八三%となつたが,五九年一月の生産は一四四%で能力増加の八〇%に満たなかつた。特に五八年四月の生産は過剰生産能力の六五%という低さであつた。過剰生産能力は基礎原料生産工業だけでなく,製造業のあらゆる分野にわたつて存在している。「総論」第2図にみるように,過剰能力は耐久財産業,特に鉄鋼,機械,自動車産業に強く現われている。例えば鉄鋼では,五一年の季節差未調整の最高生産指数を一〇〇とすると,五八年の最高は八九にすぎなかつた。つまり五八年の月間の最高生産量は,五一年から一一%も低下したのに,この間,生産能力は四四%も増加した。製造業全体の生産能力は五〇年末~五八年末の間に五七%ふえたが,生産指数は五一年一月~五九年一月の間に一三%しか増加しなかつた。また,季節差を除去しない生産指数が最初のピークに達した五六年末にも生産は二〇%増であつたが,能力はその時までに四三%増加していた。このため,操業率は低下し,特に五六年,五七年,五八年の低下が大きかつた。かくして,過剰生産能力の圧力は損益分岐点をかなり低く抑えているアメリカ企業にとつても,営業面でかなり大きな負担となつた。

五七~五八年度の景気後退の影響は,業種によつて大きな跛行性があつた。五五年の自動車ブーム以降,発展を停止した自動車産業は,五八年には極端な不振に終つた。このほか鉄鋼,非鉄金属,繊維,石油精製等も不振であつた。他方,電気機械,化学,食料品工業等は比較的打撃が軽かつた。

第1-19表 製造業操業率

第1-21図

第1-20表 金属加工業における工作機械老朽化率

(2) 投資パターンの変化

アメリカの民間企業は,一九四七~五七年の間に総額二,九一〇億ドルの投資を行つた。この期間の投資は,戦争直後からの強い需要圧力の影響を受けて,主として施設の拡張,能力の増加に向けられていた。マックグロー・ヒル社が,五八年八月に行つた調査によると,四七年以降五七年末までの事業固定投資二,九一〇億ドルのうち,能力の拡張のための投資が一,五七〇億ドル,陳腐化施設置換投資は一,三四〇億ドルで,拡張投資と近代化投資の割合は五四対四六であつた。

このように固定投資の半分以上が設備の拡張に向けられたので,低能率設備があまり廃棄されることはなく,近代的な高能率設備と併置され,他方では,技術革新の急速化によつて設備の陳腐化が早められた。例えば工作機械についてみると,戦後,一〇年以上を経過した老朽設備の割合は趨勢的に増加してわり,五八年には,一〇年以上の設備が六〇%,二〇年以上が一八%あつた。また,製造業では,一九五〇年一二月以降設置された設備が全老朽化・陳腐化設備中に占める割合は,全体の三分の一を占めている。これは,朝鮮動乱直後の投資が,主として能力拡張を目的とした投資であつたためである。

五七年になつて,需要が頭打ちとなり,市場競争が激化し,過剰能力が表面化するようになると,企業の設備拡張意欲は弱まつてが,設備の合理化,近代化の要請はより強く現われてきた。五八年八月にマックグロー・ヒル社が行つた調査によれば,企業が近代化のために必要とする資金は,総額九五〇億ドルに達する。

かくして,五八年には拡張投資と近代化投資との割合は逆転した。近代化投資の要請は景気後退の影響を大幅にうけた自転車,石油精製等の産業にもつとも強く現われ,慢性的な不況産業である繊維産業でも,この要請は強い。他方,投資そのものが,初めから合理化された形態で行われざるをえない化学工業では近代化投資の要請は比較的弱いようである。

一方,資金調達面では一九五七~五八年の景気後退によつて,企業の新規固定投資が大幅に減少したので,非金融法人企業の資金需要は五七年度の四六五億ドルから五八年度には二九四億ドルへと三七%も減少した。しかし,内部資金による調達はわずか八・四%の減少であり,償却準備金からの調達は従来の趨勢に従つて増加をつづげた。その理由は償却準備金の趨勢的増加と,企業が体質改善を計つて,外部資金,特に借人者に木不利な短期債務の削減に努めたためである。債却準備金は五四年の税制改革によつて企業の特別償却が認められて以来増加速度が早まつた。すでにのべたように固定資産が大幅に増加しつつあるにもかかわらず,総固定資産調達額に対する簿価固定資産の割合が,ここ数年,全製造業平均で五四~五五%の水準を一貫していることは,償却が着実に実施されていることの証拠である。最近のマックグロー・ヒル社調査でも五九年の企業償却準備金は前年から六・三%増加するものと予想されている。製造業では,五三~五七年の新規工場設備投資のうち,六一%が償却準備金から支出されたが,五八~六二年には現在の推定額四七八億ドルの新投資の九四%が償却準備金から充当されると推定している。

第1-21表 アメリカ企業の近代化必要投資総額

第1-22表 新規固定投資の拡張投資と近代化投資の割合

第1-23表 戦後景気循環における企業の資金調達状況

(3) 最近の投資傾向

五九年上半期には,鉄鋼,自動車を中心として生産活動は活発化し,操業率が上昇した。このため過剰生産能力の存在はいくぶん緩和され,企業利潤が増加した。これを契機として,工場設備投資もかなり回復しつつあるようである。しかし,五七年第3・四半期のピークから三分の一も低下した製造業の工場設備投資は,長期的にみると,まだ低い。

投資が回復に転じたのは,主として合理化投資による。五八年に逆転した製造業の拡張投資と合理化投資の割合は,五九年には三五%対六五%とさらにその差を拡大する見込みである。その理由は,今なおかなりの過剰生産能力が存在するため,拡張投資は不利であるが,企業間の競争に備えて近代化投資が強く要請されるからである。

これを反映して,五九年の研究開発支出は,前年から一〇億ドル近くも増加して九〇億ドルに達するものと推定される。第1-24表にみるように,五九年の研究開発支出は,ほとんどあらゆる産業分野にわたつて増加しているが,特に技術の優劣が企業経営に大きく影響する部門に多い。連邦政府資金による研究開発支出は,六〇年度予算に五四・八億ドルも計上され,全体の開発支出中に圧倒的割合を占め商業採算にのらない大規模,野心的な研究開発計画の実施に大きな役割を果している。五九年の製造業新規工場設備投資総額中約五%(五億二,三〇〇万ドル)が研究開発施設投資であるように,研究開発支出の増加が,新規固定投資の増加に与える影響はかなり大きく,しかもこの種の投資は趨勢的に増加しつつある。

こうみてくると,過剰生産能力は存在するけれども,企業の投資意欲はかなり回復し,合理化投資,研究開発投資を中心として生産企業の固定投資はかなり回復しつつあるように思われる。他方商業等の第三次産業の投資は安定しているから,近い将来の企業の新規固定投資は五六年,五七年の水準には達しないにしても,かなりの金額にのぼるものと推定される。

商務省調査による五九年の投資予測も,六月発表の予測では,三月発表の予測からかなりふえて五八年の七%増となつた。これを上期と下期に分けてみると,下期の伸びが大きく,このような増加傾向はそのまま六〇年へ続くと期待される。

第1-25表 戦後における研究開発支出費の動向

(二) 雇用構造の改変

一九五七~五八年景気後退は,非農業雇用をかなり大幅に減少させたが,特に工場労働者の減少が著しかつた。ここ数年の傾向として,工場労働者は趨勢的に減少の方向に向つているが,今回の景気後退はこの傾向をさらに加速化したようである。また,不況が一部の耐久財産業と鉱業により深刻であつたために,これらの生産地帯では地域的に大量の失業が発生した。

(1) 戦後雇用構造の改変

戦後アメリカの雇用構造の特徴は非生産部門(特に管理的職員,技術者)雇用の増加,農業雇用と非農業生産雇用の減少である。

戦後,雇用総数は一九四八年七月の六,一六二万人から一九五七年七月の六,七二二万人へと五六〇万人増加したのち,五八年七月には六,五一八万人に減少した。この間農業雇用は逆に,四八年七月の九一六万人から,五七年七月の七七七万人へと一三九万人減少し,さらに一九五八年七月には,六七二万人になつた。

農業雇用が趨勢的に減少しているのは,農業労働の生産性が製造業の生産性の長期上昇率を大幅に上回つて年間四%も上昇し,他方,農産物需要があまり増加しないからである。

これまでの例によると,景気後退期には農業雇用は,減少率が鈍るかまたは若干増加したが,五八年には趨勢以上の異例な減少をみせ,これが五八年の失業を大幅に増加させた一つの原因になつたのは注目に値する。

戦後の雇用構造の変化で注目すべき第二の現象は,女子労働者の増加である。

例えば,五七~五八年の労働力人口増加のうち,およそ三分の二は女子労働者であり,特に学齢以上に達した子供をもつ三五~五四歳の既婚女子労働者がもつとも大幅に増加した。五七~五八年には,特に女子労働者の増加が著しかつたが,これは夫の所得減少を補うためである。かくして,五八年四月には,女子生産年令人口の三六%が労働人口となつた。五九年四月の女子労働力人口は,女子生産年齢人口の三三%と,景気後退の底から若干低下したが,四七年の二八%に比べれば,なお著しく高い割合を示している。

第三は五七~五八年には労働力の移動が緩慢化したことが注目される(第1-27表)。

その理由の第一は,労働慣行となつている先任権の存在である。長期間にわたつて一つの職場で働いた労働者は多くの先任権をもつが,これは単に解雇と再雇用時だけの特権ではない。失業保険給付額,年金,祝日休暇,有給休暇,健康保険等の受益額が先任権の大きさに比例して定められるから職場を変えて手取給与がふえても,以上の付属権利を考慮すると,新らしい職場の全体としての利益は必ずしも多くない。これが労働力の流動性を減じた原因の一つである。

次の原因は,労務管理の理由による。企業の労働福祉関係負担額はこの一二年間に二倍になり,現在では職員給与支払総額の平均二二%にもなつた。企業にとつては雇用の限界費用が急増したので,新規労働者の雇用は超勤手当を支払つて元の労働者数で生産するより不利となつた。また新規採用労働者には,以前よりもはるかに多くの職場教育費がかかるし,販売面からみても労働力の移動が激しい企業の製品は歓迎されない傾向にあるからである。

もう一つの原因は三〇年代の低い出生率を反映して若い労働者の絶対数が減少したことである。彼らはもともと職場の移動性が高い年令層だからである。

第1-26表 戦後農業雇用者数の動向

(2) 非農業雇用構造の改変

戦後非農業雇用構造の特徴は,非生産雇用者の増加と生産雇用者の減少である。技術改新の影響によつて趨勢的に大幅な増加傾向をみせていた技術者と高級熟練工は,景気後退にもかかわらず,五八年には前年から六・六%も増加した。また各級事務職員,セ―ルスマン,サービス業従業者数の変化はほとんどなかつた。これに対し,工員は大幅に減少して,雇用者減少人員全体の九六%とほとんど全部を占め,非農業雇用のみをとり出せば,技術者や家事従業者が増加したので,非農業雇用全体の減少を三六万人も上回つた。

一方製造業の生産労働者は,季節差を調整した人員で,一九四八年九月の一,三四九万人から一九五三年八月の一,四〇五万人へと緩慢な増加をみせたのち,五三~五四年景気後退によつて減少してからのちは再び元の水準に回復しなかつた。五六年一一月の最近のビークでさえも一,三二八万人と五三年のビークを七七万人下回つていた。

これを反映して一九四七~五八年の一一年間に民間雇用は六〇〇万人増加したが,工員は八〇万人減少した。このため,自動車,鉄鋼等の強大な労組の力は若干弱まりつつあるようである。その理由は,最近では男子工員に代つて,職員や技術者が増加し,さらに一九三〇年代の低出産率と上級学校進学者がふえたために若い年齢の男子が労働市場に出てくる割合が減つた反面,戦後の女子が職場に進出するという傾向を反映して女子労働者が増加しつつあるからである。

ブルー・カラー労働者の再雇用が生産の回復にかなり遅れ,五八年の生産労働者の減少が耐久財産業,特に自動車工業に集中されたのは注目すべきであろう。

第1-22図 1957~58年の国民雇用者の職種別変化率

第1-28表 民間雇用の職種別動向

第1-29表 非農業雇用の変化

第1-23図 生産労働者数の変化

(3) 失業の地方的偏在

生産活動の回復につれて,失業は全国的にはかなり改善された。しかし,景気後退の打撃が特に大きかつた地方ー五大湖沿岸,ニューイングランド,北中部大西洋岸地方ーでは,五九年初めでも,大きな失業者を抱えていた。

第1-24図にみるように,南部や大平洋岸諸州の非農業雇用は五八年年央でも前年同期を二%程度下回つただけであり,特にフロリダ州では景気後退があつたにもかかわらず非農業雇用者数は増加しつづけた。これに対し,五大湖沿岸を中心とするアメリカ西北部の諸州では,・五七年九月以降,非農業雇用者は前年同月に比べて減少に転じた。非農業雇用者数の減少は失業者がふえたということである。また景気後退が製造業にもつとも強く現われたために,製造業だけをとれば,五八年初めから秋頃まで,ミシガン州では前年同期から二五%以上減少した。非農業用雇用全体ではかなりよく維持されたカリフォルニア州でも,五八年春の製造業雇用者数は前年同月から八%減少した。

このように失業が地方的に偏在し,雇用情勢が地方的に不均衡を示したのは,不況産業が特に一部の産業に集中され,しかも,不況産業の生産性が大幅に上昇したためでもある。例えば,大戦前には一時間に一トンの鉄鋼を生産するのに二〇人の労働者を要したが,一九五〇年には一五人に,現在では一二人に減少した。

(4) 失業者の年齢的人種的偏在

五八年一二月の二〇歳未満の失業者は一二・一%で,成年労働者の二倍に相当した。未成年労働者に非熟練工が多く,労働協約によつて彼らがまつさきに解雇されるためである。

夏期には学生アルバイトが多数労働力人口に入りこみ,冬期には逆に年平均以上に減少するのが例であるから,五八年末の未成年労働者の雇用状態は成年労働者に比べてかなり遅れたといえる。

五九年二月現在でも三〇歳未満の者の失業率は一〇・八%を数え,それ以上の年令の失業者の二倍近い。三〇歳未満の内でも特に一四~一七歳の労働者の失業率が高く,一五%近くにのぼり,一八~二四歳では一四%であつた。

これは,長期的にみた青少年雇用者の雇用構造の改変を反映する。一九四八年三月には,二四歳以下の雇用者の三分の一が製造業に雇用されていたが,五九年三月には四分の一に減少した。代つて,民間および政府のサービス部門の雇用が大幅にふえた。成年労働者の部門別雇用者数の割合は,この間ほとんど変化しなかつた。理由は,技術の進歩に伴つて製造業の非熟練労働者需要が大幅に減少したためである。

他方,成年,特に高令者の失業率(第1-25図参照)は後退期を通じて相対的に低くなつたが,これは主としてこの年齢の労働力化率が低下したためである。二五歳以上の労働力人口は五五年以来ほとんどふえていない。その原因の一部は,一九二〇年代および一九三〇年代の低い出生率のためでもあるが,他方,社会保障制度が完備してきたことにも原因がある。かくして高令者,特に六五歳以上の国民の労働力化率が終戦直後の二分の一から,現在の三分の一へと大幅に減少した。

また,景気の回復段階に女子の失業率低下速度が相対的に低いのは,就職の困難よりもむしろ労働力人口の増加が主因となつている。

人種的には,有色人種の失業率が高い。五八年五月には白人の失業率が六・四%であらたのに対し,有色人種の失業率は一二・七%と白人の約二倍であつた。回復過程でも,有色人種の失業率の回復は白人に比べてはるかに遅れでいる。

第1-26図 青少年雇用者(14~24歳)の業種別雇用の変化

(5) 今回の回復過程で雇用の回復が遅れた理由

すでにのべたように,景気回復過程では雇用の回復が遅れるのが通例であるが,今回はその遅れがはげしかつた。

五八年末の季節差調整済み失業率は六・一%で前二回の回復過程の同期に比較すると,一・五%高い。景気回復がほぼ終つた五九年三月月央にもなお五・八%とかなり高いのは,次の理由による。

第一に五五年末~五七年八月の間に雇用が比較的のびず,景気後退直前の失業率が前二回よりも高かつたこと。

第二に農業雇用が趨勢的に減少したこと。

第三に製造業以外の非農業の雇用増加が緩慢で,民間労働力の増加を吸収し工業および農業の雇用減少を相殺するには不十分だつたことの三つである。

また,非製造業雇用は景気後退期に比較的安定していたが,このことがかえつて回復期において雇用の増加をさまたげる原因にもなつた。それは,また戦後,相対的に高い増加率を示した非製造業雇用も現在の経済成長率の下では,ぽつぽつ一つの壁に近づきつつある証拠なのかもしれない。

製造業雇用の回復が遅れたのはすでにのべたように,生産性の上昇が比較的大幅であり,さらに,景気後退中に今まで以上の幅で減少した週平均労働時間が急速に回復したためである。

最近一部地方,一部職種に労働力不足が現われた反面,全国的にはなおかなりの失業が存在し,雇用の遅れが目立つのは,戦後力強い底流となつて進行しつつある産業構造の改変,それに伴う雇用構造の改変,景気回復段階における産業別・地方別雇用の跛行性によると考えられる。

第1-30表 3回の景気回復期における製造業生産と雇用の回復

(三) 金融財政政策の役割

連邦準備理事会が五七年八月に公定歩合を引上げたのは,すでに退調をみせていた投資や消費の減退を強め,逆に一年後の五八年八月以降,引締めに変つたのは回復を遅らせる効果を伴なつた。また別項「しのびよるインフレの進行」で解説するようにインフレの原因がどうであろうと,金融のネジを引締めればよいという考えかたは,時によると引締めの影響を経済全般に波及させて特定のインフレ要因だけの排除を不可能にする。不当に引締めれば経済成長率を落すし,環境が悪ければ,アメリカの国際的地位を落すことにもなりかねない。また,資本力に乏しい企業にしわよせを起し,生産,雇用を落して,大量の失業を発生させる危険もある。このように正統的金融政策に対する批判が強くなると同時に,連邦準備理事会がその独立性を利用して国民経済に大きな影響を及ぼす措置をとる現在の制度はよろしくないとの批判も行われており,中央銀行の独立性を改めようとする意見がでてきたのは注目される。

一九五七年第4・四半期の軍需発注の減少は景気後退のきつかけの一つになつたが,景気回復段階における財政の寄与は無視できない。政府が最後の景気対策と考えた減税は,五八年五月二六日の大統領声明で中止ときまつたが,政府は今回の景気後退を初めから軽微と考え,かつ財政赤字の拡大を防止する意図があつたからである。しかし,連邦・州・地方を合わせた政府財政は,後退の深まるにつれて,赤字を増して行つた。すなわち,今回の景気後退の始まるまで永らく黒字であつた連邦財政は五七年第4・四半期から,赤字に変り,従来から赤字だつた地方財政は赤字額をさらに拡大した。季節差調整済み年率で,国民経済み計算による政府(連邦・州・地方を含む)支出総額は景気後退前の五七年第3・四半期の一,一八八億ドルから景気の回復しかけた五八年の第2・四半期の一,二八一億ドルにふえた。連邦政府は五七年第3・四半期には約三西億ドルの揚超であつたが,景気後退のすでに進行中であつた第4・四半期からは,しだいに散超に転じ,五八年第2・四半期では一〇〇億ドル(年率)の散超になつた。連邦政府と同様に州・地方政府の支出も大幅にふえた。景気後退でとくに都市財政収入は危機におちいつたが,収入の減少分は,道路計画その他による連邦交付金の増加,地方政府融資資金の増加,融資条件の緩和で相殺された。州・地方政府購入は五七年第1・四半期から第3・四半期へかけて,ほとんど不変であつたが,その後,五八年第2・四半期へかけて,三〇億ドル(季節差調整済み年率)約九%増大した。

ところが,連邦政府の物資購入と人件費は五八年中ごろまでは年率五〇〇億ドル弱の水準で,ほとんど増大しなかつた。だが,五三~五四年の景気後退中を通じて逆に減少したのとは対蹠的である。実際の支出はほぼ安定していたが,重兵器の発注は五七年第3・四半期の八五億ドル(年率)から五八年第2・四半期の二〇〇億ドル以上に増大し,五八年一~六月の重兵器発注額は,耐久財製造業者受注総額の約一五%に達した。下請契約ならびに軍需受注会社の原材料,部品購入を合せてみるなら,この比率はもつと高いものとなろう。

以上三つの項目(物資購入,人件費,軍需発注)以上にふえたのは,振替支出を中心とするその他の社会保障的な支出であり,この急激な増加が前二回の景気後退と異るところである。つまり,振替支払は五七年九月から五八年四月までに年率で四五億ドル(二〇%)増となつた。

このうち二五億ドルは失業保険の支払,一五億ドルは退職年金支払であつた。この振替支出が個人所得を維持するうえにどれだけの役割をはたしたか。五七年八月から五九年四月の底までに,九〇億ドル減少した賃金・給与所得の半分は振替支出で穴埋めされた事実からも明らかである。

景気の好転を確信した政府当局は六〇年度予算を均衡させ,一億ドルの黒字を見込んだが,今春歳出入見積りを増額改訂して両院に提出した。改訂見積りによれば歳人は六億ドル増の七七七億ドル,歳出は五億ドル増の七七五億ドル,黒字は当初の見積りよりも一億ドル増の二億ドルとなつた。しかし政府の予定した郵便料金,ガソリン税の引上げは議会で否決された。にもかかわらず財政均衡の見通しが予算提出当時よりも,より確実となつたのは事業利潤と個人所得の増大に伴う自然増収による。

今後の問題は,累積した莫大な国債残高の処理である。一九四一年末に六四三億ドルであつた政府債務は,第二次大戦中の戦費調達を契機として四五年末には二,七八七億ドルに激増し,その後一時的には減少する傾向もあつたが,趨勢とすれば増大しており,現会計年度初では二,八五〇億ドルにもなつた。これが本年度中にはさらに一〇〇億ドル増加して二,九五〇億ドル(推定)となり,利息だけでも八一億ドル(現年度)にもなる。しかも国債は五年未満のものが多いので,ひんぱんに借換えを行わねばならないが,最近のように市場金利が騰貴すれば,低利の借入れは困難となる。そこで大統領は本年六月八日国債と貯蓄債券利子率最高限度(それぞれ四・二五%,三・二六%)の廃止を議会に要請した。そうしないと新規国債発行は短期ものに限られ,金融市場をみだす恐れがある。だがこの最高利子率は一九一八年に設定されていらい四〇年の伝統をもつだけに,議会の態度は慎重である。

第1-31表 戦後公定歩合の動向

第1-27図 国民経済計算による季節差調整済み四半期別財政収支

第1-32表 連邦政府経常収支

(四) 国際収支の逆調

(1) 国際収支の動き

一九五八年の輸入堅調,輸出不振を契機としてアメリカの国際収支は大幅な逆調となり,大量の金が流出した。このような巨額の対外赤字は何に起因するのか。

第二次大戦後のアメリカ国際収支の特色は,ぼう大な商品輸出超過とサービスの黒字を軍事支出,対外援助,民間資本輸出で相殺したが,それでも四八,四九年には合計二五億ドルの黒字となり,その他世界にドル不足を痛感させたが,朝鮮動乱を契機として赤字に変り,次第にその金額が増大した。しかもこの主因が海外軍事支出と海外民間投資の増大にあることは第1-33表からも明らかである。

一九五一~五五年平均でみると,経常収支の黒字が政府および民間の振替で相殺されて,赤字となり,スエズ事件の影響で輸出額の激増した五七年でさえも政府,民間の振替勘定のほうが八億ドル上回つた。五七年を別とすれば五一年いらい五六年まで毎年二○億ドル近い赤字になつている。

それが突如五八年に三八億ドルの大幅な赤字に拡大したのは,世界的な景気後退とアメリカ商品の割高で輸出が不振だつた反面,輸入は余り衰えなかつたので,商品およびサービスの出超が前年の八四億ドルから五二億ドルに下り,また政府・民間の対外支払はほぼ前年並だつたので商品およびサービスの黒字を相殺してなお三八億ドル不足となつたのである。このうち二三億ドルが金で支払われ,一一億ドルは諸外国の対米債券の増大という形で決済された(差額の四億ドルは誤差および脱漏)。

以上のような国際収支の変ぼうは二つの意味で,その他世界に大きな影響を与えた。第一には,アメリカの対外支払超過が前年よりも約三〇億ドル増大して,その他の世界特に西欧の金・ドル保有高を増大させ,ドル不足をほば解消させた。第二はそれが一つの理由となつて西欧の対米貿易の自由化,通貨交換性の再開を促進した。

第1-28図 季節差調整済み四半期別国際収支

(2) 資本移動

五八年の民間資本移動で注目されるのは,直接投資の減少,間接投資の増加であり,投資先では中南米が後退し西欧向けが増大した点である。

直接投資は大企業に多く,五七年の国内売上げ順位で一位から一〇〇位までの会社中九九社が,なんらかの形で海外事業を営んでいる。海外進出業種の最も代表的なものは石油である。五八年の直接投資は,スエズ反動と西欧における景気停滞を反映して石油製造業投資が減つたため,前年から半減したが,直接投資額が一九五〇年末の一二〇億ドルから五八年末現在の二八〇億ドルヘ倍加し,五七年の収益だけでも二三億ドルに達するのは注目されよう。

終戦直後の数年間は,諸外国の輸入制限や為替管理をさけるため,海外に支店,工場を設立し,現地生産を行つたが,このような制限は次第に緩和ないしは廃止され,さらに五八年末には主要西欧諸国通貨の交換性が回復されたために,アメリカからの投資はより容易かつ安全化した。

だが,過去五カ年ぐらいの間の対外直接投資は,前記のような制限を免れようとする考慮のほかに,コスト高のアメリカよりも,コスト安の外国を選んだためのようである。

一九五七年末現在の対外長期民間直接投資は二五二億五千万ドルに達しているが,このなかには二五%以下の資本を出資して経営に参加している合併企業が含まれないので,現実の投資額はもつと大きなものとなろう。これらの資本が外国で生産する物資は一〇年前の一二〇億ドル(推定,当時の商品輸出額とほぼ同様)から,五八年の三〇〇億ドル(推定)に激増して,輸出を約七〇%上回つた。なお今後の動きとして,多くのアメリカ企業者が,向う一〇年間に輸出は五〇%ふえるかどうかも怪しいとみるに対して,一九六八年の在外商社売上は倍加して六〇〇億ドルに達するという推定さえある。前記のように過去一〇年間に在外商社売上げが二・五倍になつた実績から推定したもののようである。アメリカの対外直接投資が石油や金属,およびアメリカの技術水準が優れている化学や電子科学という部門に集中していることを考えると,将来必ずしも売上の倍加は望めないかもしれない。世界の原料,燃料の消費が向う一〇年間に二倍になるとは考えられないし,西欧の技術水準が向上し,西欧の資本蓄積がかなり高まつたこと,在外商社の製品よりむしろアメリカ本国の製品の歓迎される事実,諸外国におけるナショナリズムの抵抗なども考慮しなければならないからである。五八年に直接投資がふえたのは,オーストラリア,デンマーク,日本などの外債調達が戦後の最高に達し,中・短期信用による資金流出とほぼ同じ形を示したからである。しかし,この二つの形の流出は,アメリカの景気後退と直接のつながりがあり,正常の形とはいえない。つまり年初から年央へかけてアメリカの金利が安く,企業資金の流動性も高かつたからである。その証拠に下半期に景気が好転して,金利が騰貴し,企業資金にゆとりが少くなるにつれて,流出は緩慢化し,中・短期信用による流出は,五七年第4・四半期の二億一,一〇〇万ドルから五八年第4・四半期のわずか三,四〇〇万ドルヘ激減した。五九年に入つてアメリカの金利高傾向,西欧の金利安傾向が続いているので,外債を通じる今後の資本流出は,比較的僅少であろう。

一方,外国の一流証券,主として株式の購入を通じる資本流出は着実に増大した。この理由は種々ある。第一は外国株式の高利回り,とくに五八年夏いらいのニューヨーク株式市場の引続く騰貴が証券利回りを低下させ,これが比較的利回りのよいロンドン,パリ株式市場への資金流出を促進した。第二に共同市場の発足は,域内工業を優先することとなつたため,域内の企業へ投資するのが有利となつた。第三は投資先を多様化して,リスクを少くするためであつた。この種の投資は五八年第4・四半期に純額で九,〇〇〇万ドルを上回り,五九年には,対欧株式投資がさらにふえつつある。

民間資本流出を地域別にみると,五八年における減少が中南米にしわよせされているのが明らかである。五七年にはベネズエラに対する多額の石油権利支払があつたが,五八年には,このような支出がなかつたからである。カナダでも主要パイプラインが完成したために,前年ほどの直接投資が必要でなかつたが,他の形態の投資がふえたため,対加投資総額では前年よりも微増,対西欧投資も間接投資の増大で,一,五〇〇万ドルほどふえた。アジアその他地域に対する投資ならびに国際機関への投資もまた増大した。

政府の贈与,借款による資金の純流出は前年とほぼ同様であつた。輸出入銀行による借款契約はふえたが,余剰農産物の現地通貨による売上げが減つたためである。

一九五九年六月にアメリカ政府はIMF増資のため三億四,五〇〇万ドルの金を払込み,新年度予算には七億ドルの開発借款基金を計上した。これは政府資金であるが,一方では民間投資を奨励するため,財政面からの援助を考慮している。

一九五八年における民間および政府資体の純輸出は前年に比べればやや減少したが,一九四八~五五年の約二倍に相当し,どちらかといえば民間資本の輸出が注目される。いま一つ注目される重要な事実は,戦後直接投資の三分の一ないし二分の一にすぎなかつた証券投資が一九五八年には直接投資とほぼ同額になつた点である。このような傾向が今後も継続して,国際資本異動に新しい型を開いてゆくことは,十分考えられる。資本受入国側はむしろ証券投資を歓迎する。かつてのプランテーションのように,受入国の国民経済とはほとんど関係のない外国資本の離れ島がなくなるからである。またこのような間接投資なら被投資国の自立性もそこなわれることなく,ヒモ付き援助などの非難も解消するであろう。

第1-29図 四半期別資本流出額

第1-34表 アメリカ対外投資

第1-30図 アメリカ海外直接投資の分布

第1-31図 地域別アメリカ資本輸出動向

(3) 対外援助

(a) 一九六〇年度の対外援助

五八年の対外援助(贈与および借款)総額は五七年に比べて二,一〇〇万ドル減であるが,絶対額が大きいので国際収支を大きく左右するほどのものではなかつた。総額五〇億六,〇〇〇万ドル中,軍事援助と非軍事援助はほぼ同額であるが,五七年よりも軍事援助の割合がやや増大したのが注目される。国際的緊張を反映して,中東,アフリカ,南アジアへの援助が前年よりも約三割増加し,全体の約三〇%となつた。一方,自立性を高めた西欧に対する援助は前年よりも大幅(五億七,〇〇〇万ドル)に減額されて,全休の二〇%にすぎなくなつた。五六年の四〇%,五七年の三一%に比べれば,急速な削減である。対中南米援助は,五七年よりも二億五,〇〇〇万ドル増となつた。中南米援助の特色は軍事援助が五七,五八年とも七,〇〇〇万ドルで,比率が他地域よりも,きわめて低いことであるが,五八年の援助額がふえたのは,米輸出入銀行借款が大幅にふえたためである。

対外援助近年の動きとすれば,軍事援助の比率がやや減退し(五八年は例外であるが),地域別には対西欧援助が減額されて,アジアと中南米向けがふえた点が注目される。

一九五九~六〇年度の対外援助支出権限額は,総額三五億五,六二〇万ドルと決定した。大統領の要請額三九億九四〇万ドルに比べれば約九%の削減である。項目別にみると,軍事援助の削減が二億ドルで,その他費目よ力も大幅に削減されている。注目されるのは開発借款基金や技術協力費は大統領要請額のまま通過している。また,これを前年度の支出予算に比べてみると,総額では二億五,○○○万ドル増,主要項目では軍事費一億一,〇〇〇万ドル減,開発借款基金一億五,〇〇〇万ドル増である。新年度の対外援助が実際に支出されるまでには,まだ支出権限法案の審議をまたなければならないし,この審議の段階では支出権限額よりも減るのが通例である。現在のところ,これがどの程度の金額になるか不明であるが,以上のような動きから看取されることは,軍事援助のウェイトが軽減されたこと,借款を通じる援助が重視されて,与え放しの贈与が減つたことである。一方審議の過程を通じて明らかにされたことは,上院外交委員会において,開発借款基金が大統領要請額を上回つて決定されたように,この基金が重視されはじめたことである。

新年度予算で軍事費が削減されたこと,対外援助が将来縮小されて経済援助の割合が高くなり,しかも,先進工業国向け援助が縮小されることを合せ考えるならば,わが国としても特需はさらに減ると予想できよう。こうなると特需によつて,わが国の対米貿易赤字を補填したこれまでの形を反省せざるをえまい。

第1-32図 60年度対外援助

第1-35表

(b)借款を通じる援助なお,アメリカには対外援助関係の活動をする輸出入銀行がある。この銀行はアメリカの耐久財を輸出するのが本来の目的であつたが,最近は農産物の輸出や低開発国の開発援助にも融資範囲を拡大した。また昨年二月上院のモンロニー議員によつて提出された第二世銀設立案は国際的な歩調が揃わず五八年中には大した発展をみなかつたが,今年に入つて,これまで消極的であつたイギリスおよび西ドイツの態度が緩和され,ふたたび設立の方向へ向つて動き出すかのようにみえる。

第二世銀の目的は開発資金に乏しい後進国へ低利かつ長期の融資を行い,かつ償還は現地通貨でもよいというきわめて条件の寛大な国際融資機関であつた。具体的には

i) 資本金一〇億ドルとし,世銀出資金に比例して各国政府が払込む(アメリカは三億三〇〇万ドルの予定)。

ii) 融資期間は四〇年,金利二%とし,ドルまたは軟貨で貸出すが,償還金の一部には款貨をあてることができる。

iii)アメリカは出資金のほか余剰農産物代金(現地通貨)を出資する。

以上のような提案に対し,アメリカ国内においては,長期融資をするのに一〇億ドルの資金ではあまりに少なすぎる。軟貨で返済をうけるとなると,この資金を再融資に使用しにくくなる。

第二世銀を設立しなくとも,アメリカにはすでに開発借款基金があり,同じ趣旨の活動を営んでいるから屋上屋を架することになるなどの批判があつた。一方西ドイツでは,年利二%,期限四〇年という条件は資本市場の現実を無視したもので,借款ではなくて,贈与だと酷評し,また去る五月ブラック世銀総裁は,世銀,国際金融公社その他低開発国援助機関が多数作られると,融資希望国が,融資機関をお互いに競合させる結果になつて,低開発国の健全な財政計画をみだす恐れがあると指摘した。

だが,低開発国とすれば,ぼう大な資金需要のごく一部しか満たせない現状であるから,政治的・経済的なヒモのつかない国際機関の融資はできるだけ借用したいところである。この意味から,今秋のIMF・世銀総会を前にして,第二世銀の設立が再び検討されるに至つたのは歓迎さるべきことだが,とくに注意しなければならないのは,アメリカが今年改めて第二世銀の設立を考えだすに至つた動機である。第二世銀構想が上院に最初提出されたころは,まだアメリカの金流出や国際収支の逆調が今日まで永つづきするとは考えなかつた。ところがこの問題が大きくクローズアップされるに及んで,対外援助を国際収支の大きな原因と考えるようになり,ここから開発借款蔑金の負担を将来第二世銀に肩代りしてもらう考え方が財務省に高まつた。だから,アメリカ一国の援助をへらして西欧,日本を合せた世界的規模での資金援助の増加に期待するわけである。

わが国が第二世銀に参加すれば,後進国向け輸出を増大できるであろうが,後進国からみれば第二世銀融資が新たにうけられる反面,開発借款基金の融資が減少する恐れがあるので,差引すれば援助額はそう大幅にふえないかもしれない。

第1-36表 アメリカ政府の対外援助と借款

第1-37表 アメリカの海外投資

(c) 対外援助と民間投資の関係

つぎに対外援助と海外民間投資の関係をみよう。政府は投資の補償措置などによつて海外民間投資を奨励しているが,対外援助と海外民間投資の間には,なんらかの関係があり,一方がふえれば他方がへる仕組みがあるかのようにもいわれた。第1-33図のように一九五一年いらいの実績をみると,五四年から五五年へかけての一年間を除けば,たしかに,この傾向が認められ,五二,五三,五四の三年間については,とくにハッキリそれが認められる。これは偶然の一致かもしれない。しかし,援助の削減される国は,それだけ自立能力の高まつた国であるのが普通だから,多くは経済社会の安定度が向上した国といえる。アメリカとすれば資本および利潤の回収がよういな国を好むから,そういう国には,民間資本も投下されやすいからであろう。このような傾向は,贈与を借款に切替えよという積極的な意見とともに,海外投資を増すことによつて,諸外国の資金需要を満たそうとするいま一つの傾向として注目さるべきであろう。

(五) アメリカ商品の競争力

(1) 輸出競争力の調査

アメリカの輸出は一九五八年に異常な減少を示した。減退理由はさきに貿易の項であげたが,この原因は価格の割,高によるものではないかという問題をめぐつて,にわかに世論が高潮1)てきた。

全米産業評議会(National Industrial Conference Board)は昨年末アメリカの輸出競争力に関する調査を発表した。この調査は同一製品をアメリカと海外の双方で製造する商社のアメリカにおける生産費と諸外国における生産費を比較したものだが,これによると工業製品単価に占める労務費は大部分の国がアメリカよりも安い。材料費が高いために,これでコスト安が相殺される国もある。この調査によると,比較された製品八五品目のうち五五品目は外国のほうが生産費が低く,一四品目はアメリカと変らず,一六品目はアメリカより外国のほうが高い。比較生産費からみるとフランスを除くヨーロッパ共同市場五カ国,とイギリス,メキシコがアメリカよりも有利である(総論第23表参照)。ただし調査の行われた二〇カ国のうち,右の七カ国を除げば,アメリカよりもコスト高となり,とくに南米では,コストが騰貴する傾向がある。だがこのような比較から,アメリカ商品の割高を主張するばあい,品質の点で,アメリカ本国製品のほうが優秀であつて,諸外国のバイヤーはアメリカから買いたがる事実のあることを指摘しておかねばなるまい。

全米産業評議会の調査は特定品目についてアメリカ企業の生産する内外の価格を調べたものであるが,もつと概括的な比較方法としては,卸売物価指数や輸出価格指数の変動を利用することもできよう。すなわちアメリカの卸売物価は世界主要輸出国中イギリスに次ぐ最高の騰貴を示し,輸出価格指数でもまたイギリスに近い騰貴をみせた。これが,西独,フランス,日本の進出を助け,アメリ力の輸出を縮小させた一因とも想像される。

輸出貿易の弱点をもつとも明白に示すのは主要農産物である。余剰農産物処理計画や贈与がなければ,大統領が農業教書で指摘するように「財務省の直接負担なしには,一ブッシエルの小麦も綿花も輸出されない」。

アメリカ製工業製品の輸出はまだ輸入の二倍以上であるが,この比率が三倍以上であつたのは,そんなに遠い過去のことではない。競争力低下を最もよく代表するのは乗用車と資本財である。五八年の乗用車輸出台数は輸入台数の三分の一にすぎないし,輸出台数では西独,イギリス,フランス,イタリアに次ぐ第五位に転落した。自動車輸入国側の関税,消費税などによる制限措置,自動車使用者の好み,経済性などにもよろうが,価格の割高が最も大きな原因のようである。景気後退中,国内の生産財支出は激減したのに,資本財輸入はへらなかつた。アメリカ企業の資本財購入がまだ減退中であつた五八年に,資本財輸入はふえはじめ,五九年第1・四半期には,五七年と五八年同期の四〇%増となり,アメリカの資本財輸出の一五%,国内市場の三%相当額を占めるに至つた。この原因には外国の資本財生産者の引渡条件や品質の向上によつて外国の競争力が増したからでもあるが,過去四カ年間に,アメリカの資本財価格が二〇%騰貴したことが大きな原因になつたようである。またアメリカの自動車はここ数年来,新車の出るた,ひごとに値上げされるに反して輸入車の積出港における価格はここ数年間下つている。これはアメリカ市場における国産車の競争力低下を示すものであるが,外国市場においても同様のことがいえよう。

アメリカ商品の国際競争力をみるにはいま一つの方法がある。それは商務省の事業経済局国際収支部長レーデラー氏の発表したものである。氏は輸出循環の底とみられる最近二つの年,つまり一九五三年と五九年三月に終る一,力年間をとり,この両年間に輸出増加額の最大な商品と最小の商品を選び出して前者をアメリカの競争力が最大,後者を最小とみた。最大の増加を示した商品グループは五三年から五七年へかけても最大の伸びを示し,五七年から五八~五九年にかけての輸出減退期にも低下を示さなかつた。逆に最近の輸出減退の主因となつている品目ば,五三-五七年にも低下した。従つて,これらの商品は競争力の最も弱い品目である。この二つの年の間に平均以上の増加を示した商品は化学製品(人造ゴムを含む),鉄道施設,民間航空機,冷蔵庫,冷房装置,石油,建設・鉱山設備,食品加工機械のように,長期間に多額の資金を投じて開発された製品か,あるいはアメリカが他国にさきがけて製作したもの,諸外国では市場が狭くて量産に鼻みきれないものである。だから,このような製品は他の輸出商品のように輸出価格を考慮しなくてもよい。競争力の最も少ないものとみなされる食種・飼料のなかでも,果物,植物油,飼料がふえたのは,一見奇異に感じられるが,これは諸外国の所得増加による生活水準の向上を反映したものであろう。

増加率の最も少ないのは,繊維,乗用車,トラクターであるが,これは明らかに諸外国の生産が増大し,しかも比較的開発支出の少なくてすむものである。平均以下の増加を示したのは,小麦,タバコ,綿花,とぅもろこしのような農産物のほか鉄鋼製品がある。

以上の分析から明らかなことば,近代的技術を要するものや新製品については,価格が必ずしも輸出競争カを決定することにはならないが,その他の製品になると,諸外国の生産能力,技術,生産性の向上によつて,アメリカの優位は失われつつあるかのようにみえる。

第1-38表

第1-39表 自動車の貿易

第1-40表 外国の積出港平均価格

第1-34図 商品輸出金額のグループ別変化

(2) アメリカの輸出減少と今後の問題

以上のべたように,アメリカの輸出減退は大きな話題になつているが,アメリカ経済にとつてはそう大きな問題ではなく,世界貿易の流れからみても戦時中および戦後の一〇年間を通じて,生産力を拡大すると同時に世界市場を開拓したアメリカが,復興から拡大へ転じた西欧および日本の進出に道をゆずるという意味と,その他世界のドル不足を解消する意味では,歓迎さるべきことである。しかし,アメリカが国際収支の赤字に関連して,輸出増強を考慮しているのば事実である。問題はその方法であるが,さし当り考えられるのは,次の諸点である。

i) 金融面を通じて輸出を増大する(例えば開発借款基金の増額)

ii) 輸出補助金の増額(例えば綿花,本年八月実施)

iii) 輸出綿製品用原綿価格の引下げ(七月一六日上院可決)

だが,このような措置の効果は余り期待できない。むしろ一般的な反インフレ対策よつて一方で物価騰貴を抑制しながら,企業および政府機関による輸出信用を強化して,市場のばん回策を講じるばあいのほうが日・英・西独にとつては脅威となろう。

(3) 対共産圏貿易

西欧諸国の強い要望に答えて,アメリカはしだいに東西貿易を緩和してきたが,一九五八年三月,まだ制限を受けている品目について,パリでココムの討議を開始し一部商品の輸出を緩和した。日本および西欧は,この結果にもとづいて,輸出緩和の措置をとつたが,アメリカは数カ月おくれて,五八年秋に対ソ禁輸リスーから二五〇品目をはずした。

アメリカの輸出制限緩和政策は,西欧の対共産圏輪出を増す効果があつたようである。すなわち西欧の共産圏向け輸出(東西ドイツ間の貿易を含む)は五七年の一三億四,七〇〇万ドルから約二億ドルを増して一五億三,一〇〇万ドルとなり,とくに中国本土との貿易ぱ中日貿易の途絶という理由も加わつて,五七年の一億九,七〇〇万ドルから三億四,一〇〇万ドルヘ激増した。西欧の共産圏貿易もふえたが,アメリカの貿易も増大した。すなわち輸出は前年よりも二,七〇〇万ドル(一テ・四%)増の一億一,三〇〇万ドルとなり,輸入は二六四万ドル(四%)増の六,八三〇万ドルとなつた。輸出の対前年比増加率は大きいが,アメリカの輸出額に占める比率は○・七%,輸入は○・二%で大したものではなく,西ドイツおよびイギリスの対共産圏貿易に比較してもはるかに小さいし,自由世界の対共産圏輸出に比較しても六%にすぎない。

アメリカの対共産圏輸出の特色は他の国のばあいとは違つて,相手国がポーランドにほぼ限定され,輸出品も農産物を主とする点である。すなわちポーランド一国でアメリカの対共産圏輸出の九二%を占め,ポーランドからの輸出はアメリカが共産圏から輸入する全額の約半分を占め,品目では農産物が主である。

アメリカが共産圏に輸出する主要商品は小麦および綿花で,この二品目だけで五七年の輸出の五二~五八%を占め,五八年上半期には減少したとはいえ,まだ四四%に当つている。一方アメリカの輸入品もまた肉類およびソーセージ,ベンゼンが大きなウェイトをもち,五七年では五二・九%,五八年上半期では四八・八%になる。したがつて西欧の対共産圏貿易商品とは質的に相違がある。

ここから東西貿易の促進論者は,機械および高級製品を輸出する余地があるとみるし,フルシチョフ首相は昨年書簡をもつて大統領に通商をよびかけた。戦前の対共産圏貿易からみても,たしかにその余地ばあろうが,政府筋の制限政策は容易には変更されないようである。ダレス長官の死去,対ソ貿易に慎重であつたストローズ商務長官の更迭を機会に,中共貿易再開の要望が西海岸の業者からあがつている。今夏のニクソン副大統領の訪ソを契機として,対ソ貿易拡大の気運が醸成されているようであるが,禁輸政策の転換には,なお,かなりの時刻を要するであろう。

第1-41表 対共産圏貿易

第1-35図 米ソ貿易

(六) しのびよるインフレの進行

(1) インフレ要因

景気後退中もアメリカの物価は騰貴した。アメリカ経済には従来の古典的なインフレ要因つまり購買力と産出間の不均衡のほかになにか別の原因があるのではないか。新しい要因に対しては新しい対策が必要であり,この要因の対策をめぐつて,近年真撃な検討がくり返されている。

この新しいインフレ要因は建設産業・防衛産業・消費者信用産業の発達,老令年金および扶助金の増額,政治家のインフレ政策,労働組合および農民などの所得増額要求である。このうち主な要因を分析してみると,次のとおり,(a)技術研究費支出増によるコスト高最近の長足の技術進歩は,ある面からいえば,競争の結果であるが,この種の支出を惜しめば,コスト高と時代おくれの製品という犠牲をしのばねばならなくなるので,この種の支出を惜し気もなく投入している。五六年に研究・開発に従事した特殊科学者数は一九三〇年の五倍となり,研究に使われた支出総額は当時の一二倍にもなつた。五八年の景気後退の年にも研究費ばふえ,最近のマックグロー・ヒル社の支出調査によると,事業商社の研究支出は五九年に一〇・七%増,五九年から六二年までには一七・一%増の計画である。これがインフレ要因に数えられるのは,技術改良によつて資本コストは増大するが,利潤を引上げるチャンスがふえ,利潤の大きい会社ではストをさけるため労組に寛大な譲歩をしがちである。それが他の労組の賃上げをよび起す。ここからコスト・インフレを発生する。

(b)労働組合の成長つぎに古い時代と比べて新しい要因としで注目されるのは労働組合の成長である。

労働組合の力は二〇年代とはまるで違う。CIO,AFLの二大労組は五五年一二月に合体してより強力な力をそなえた。アメリカの労組は政治活動をしないのが特色であるが,その代り労働条件の改善をかちとるためには,かなり強力な政治保護を与えられ,団結力も強く,民衆も労組の行動には同情的である。一九四八年から五八年まで一〇年間に民間産業労働者の平均時間賃金は,労働者一人一時間当りの実質産出のほぼ二倍騰貴し,企業合理化によるコスト引下げのかなりの部分を相殺した。これはいうまでもなく労組の力が強く,企業にそれを認めるだげの利潤があつたからにほかならない。

(c)管理価格この言葉は一九三五年に当時ヘンリー・ウォーレス農務長官の財務顧問をしていたガーディナー・C・ミーンズ博士が,一九二六~三三年の卸売物価指数の月別変動を検討して,「七四七品目中半数以上は年三回たらずの変動しか示しておらず,自由放任政策の採用されている弾力性ある市場価格とは本質的に異なる影響を及ぼす物価形態を示す」ことを発見し,これを管理価格とよんだことに始まる。今日使用される意味での管理価格は一般に大企業がその製品に対する需給関係を無視して,一定の利潤を確保できるようにきめた価格である。これは一般市場で取引されて価格変動の絶間ない製品とは違つて,比較的独占的にきめられる固定価格の意味であるが,こういう価格決定方式が採用されるのは独占ないし寡占の行われている企業であつて,しかも,このような方式を採用するために企業利潤は高い。しかも管理価格が変更される時には必ずといつてよいほど高いほうへ修正されるから値上りの負担ば消費者に転嫁される。企業利潤が高ければ使用者は労組の賃上げ要求にも譲歩しやすく,一つの産業で譲歩が行われれば,それが他産業に波及して,労賃を騰貴させる。しかし企業とすれば,労務費の騰貴は消費者に転嫁できるよう価格を管理できるから被害者は,中小企業の労働者か消費者となる。ミーンズ博士は,一九五三年以降のインフレは管理価格によるインフレ,つまり集中産業における価格騰貴によるインフレであつて,一九四三年から五二年までの「古典的」インフレ(過剰購買力に起因するインフレ)とは区別し,とくに「管理インフレ」とよんでいる。その例証として博士は一九四二年から五二年までに卸売価格は平均七一%騰貴したが当時の原因は古典的なものであつた,五三年から五八年一〇月までの騰責率八%は管理価格-鉄鋼,自動車,機械,紙-によるもので,「市場に支配される」物価は微騰ないしは下落したと強調する。

第1-36図 1953年以降の物価動向

(2) インフレ対策

(a) 古典的金融政策

インフレ対策として,まず考えられるのは古典的な引締め政策であり,連邦準備理事会が最もその効果を期待する対策であるが,今日ではその効果の一部に疑問をもたれている。

たしかに信用を引締ぬれば,需要をおさえることができるが,引締めなくてもよい産業部門にまで引締め効果が及んで,薬がききすぎ失業を発生させる危険がある。またものによつては国内のコスト高をもたらして輸出を不利にする面もあるので,もし金融引締めによつてインフレを防止するのであれば,不動産信用や短期消費信用に止めで,引締め効果をインフレ抑制に役立つ部面に限定すればばよいのであるが,金融当局はそこまで考えておらず,さし当りは従来の古典的引締め政策を継続ずるであろう。

(b) 大企業および労働者の力の排除

新しい形のインフレには新しい対策を必要とするのはいう愛でもない。新しい形のインフレ要因は前項でみたように,管理価格と労働組合の賃上げ圧力がその主たるものである。そこで,この二つを取り除けば,インフレは抑制されるわけである。まず管理価格をなくしようと思えば反トラスー法もしくはその他の法律をもつて大企業な分断するか,政府の介入を求めて,直接物価統制を行わねばならないであろう。

次に労組勢力を抑えるためには,これまで賃上げ攻勢のトップを切つた大企業を工場単位に分割することもできよう。だが,この方法にはマイナスの面がある。すなわち,アメリカの生産方法の特質である大規模生産は,大企業にとつては不可欠であり,対ソ競争上からも大企業の分断は望ましくない。労組を分断したからといつて,同一企業傘下の労組である以上,意志の疎通や協同の協議まで阻止できないし,また一つの工場が全国的な産別組織に加われば決してその力は弱まらない。以上のように労使ともに難色をみせている。

(c) 物価統制

これは前項の管理価格を除去する対策でもあるが,管理価格の有無にかかわりなく,簡単かつ控え目な物価,賃金統制を行うことである。つまり完全雇用ないしはそれに近い経済部門に,インフレ的な価格引上げや賃金騰貴が現われないように,公けの干渉をするわけである。だから公定価格の設定や全面的な賃金凍結を行えというのではない。家具,食料品その他多くのインフレ圧力の源泉でない経済部門に干渉する必要はない。問題は集中産業とくに鋼,機械類,自動車を生産する大企業である。これら企業の価格引上げや過大な賃上げが干渉の対象になる。そこで賃金騰貴を安定物価の枠内におさえるため,毎年公式の調査会を開き十分な検討を行う。調査会のメンバーは労使および公衆の三者を代表するものとする。新しい団体協約で賃上げが要求されなければ,この調査会を開く必要はないが,賃上げが要求されていれば,事前に調査会において物価騰貴の原因を排除するようにすることも考えられている。

物価統制は,物価の上昇圧力を緩和することはできても,物価を安定ないし引下げる力は少ない。つまりしのびよるインフレを公式に是認する結果になりかねない。政府の調査会で再検討ないし許可することにしても,値上りを抑制するだけで,積極的に値下りさせることはできないからである。また,このような考え方のなかには,民間産業の賃金,価格まで政治的に決定しようとする意志が働いているので,労使双方から反撃も予想しなければならいし,現政府も直接統制には反対の見解を表明している。だから現状では,まず実現の可能性はない。

(d) 輸入障壁の撤廃

なお以上の国内的なインフレ対策のほかに,対外的には関税を引下げ,輪入割当を撤廃して,米国企業を海外の冷たい風に当てれば,物価引下げの効果がある。すなわち,外国からの競争は,国内の商社が労務費の騰貴を消費者に転嫁しにくくするので,賃上げ要求に対する使用者側の抵抗は強くなり,賃上げが物価騰貴をもたらす影響を小さくできる。また輸入障壁の引下げないしは撤廃は長期的にみれば,アメリカの物価を引下げる影響をもつが,これに対しては国内の保護貿易派が政府や議会に働きかけて,猛烈に反対するであろう。したがつて,この種の運動を抑制しないと,外国からの競争に多くを期待しえない。

(e)労働移動性の引上げ

みかたによつて新しいインフレ要因は,労働者の移動性の低さにも求められよう。そこから,地域相互間,産業相互間の労働移動性を高めて,賃金騰貴によるインフレを防止できる面もある。その方法として考えられるのは,別居手当の増額,不況地域における経済活動の多様化,労働者の再教育であろう。

以上のようにみてくると,現在および近い将来において採用されるインフレ抑制策は(3)の古典的金融政策だけであるが,(5)の労働移動性は若い労働力の増加その他によつて,しだいに高められてくるが,これだけで賃金騰貴を抑制するわけにゆかない。こうみてくると,アメリカには,それ以外に有効,適切なインフレ対策はないように思える。

(七) 成長か安定かをめぐる諸問題

(1) 成長を必要とする理由

上述のようにインフレの抑制策については各種の見解があり,政府や連邦準備制度理事会の考える古典的な政策では,必ずしも完璧を期しがたい。インフレ要因は必ずしも古典的なものばかりではないからである。古典的武器をもつてインフレを阻止するのは不可能ではないが,しかし,そのためには産出と雇用が大幅に減退する。つまりインフレを阻止して通貨を安定しようとすれば,経済成長をとめるか,それとも低い水準におさえなければならなくなる。

このような慎重な政策よりも,むしろ積極的に高い成長率をもち続けたほうが,アメリカの繁栄を築きあげるゆえんではないであろうか。この慎重政策と積極政策の是非はすでに一九五二年いらい論争されてきたが,五六,五七年の緩慢な物価騰貴が起つたにもかかわらず,経済成長率は鈍化したために,再びこの問題が脚光を浴びるに至つた。

では,なぜ成長率を過去の実績である三%程度に止めた安定下の成長よりも,はるかに高い五%成長が望まれるのか。その理由をたずねてみよう。数多くある理由のなかでとくに注目される点をとりあげてみると,

(a) アメリカの消費世帯の五分の一はまだ年収(税込)一,八九〇ドル以下,五分の三は五,一三九ドル以下にすぎない。全体の五分の一は七,九一〇ドル以上の世帯であるが,年間七,〇〇〇ドルないし一〇,〇〇〇ドル使うのはむずかしいことではない。アメリカ以外の国に比べればアメリカの所得は高いが,大部分の世帯はまつたく,つましい生活を送らねばならない。こういう人たちの所得水準を引上げるためにも成長は必要である。

(b) 増大する人口を完全就業させるには,高い成長率を必要とする。

(c) 人間は希望の動物である。人の欲望は固定していない。欲望はたえず成長する。現代は原始人には予想できなかつたような多くの欲求がある。全米世帯の五分の一を占める最高所得層世帯の耐久消費財支出は最低所得層世帯の六倍以上に達する。生産と所得が増大すれば,耐久財消費需要を異常に引上げるであろう。.

第1-42表 年間成長率

第1-37図 長期的経済成長率

(d) 成長があれば,個人的に成功するチャンスがあるが,成長がないとそのチャンスが少なくなる。一九三〇年から四〇年までアメリカには長い間不況が続いた。その結果,一九四〇年の男子熟練労働者は三〇年よりも一・二%少なかつた。四〇年から五〇年にかけては戦争ブームの年で,男子熟練工は三三・四%ふえた。その他部門の労働カも同様で,自由業や技術者は三〇年代に二四・二%増,繁栄の四〇年代には三五~四〇増%となつた。普通の労働者から熟練工に栄進する割合は,経済成長率によつて決定される。

(e) アメリカは競争の世界に住んでいるから安全保障上,アメリカが強力であることを必要とする。つまりソ連から挑みかけられた経済競争にうち勝つためにも高い成長が必要である。

以上のようにみてくると,アメリカ経済は(a)から(d)までの国内的要因と(e)の国際的要因によつて,高い成長を維持する必要がある。高い成長率の望ましい点については,何人も異論はないが,問題は高い成長率が副産物としてインフレを発生する点である。

(2) しのびよるインフレは不可避

この点について政府経済専門家,金融界,実業家等の間ではインフレを忌避する立場から,高い成長率に批判的である。その理由は,

(a) インフレはしのびよる程度の段階から,しだいに速度を増して,かけ足のインフレになる。そうなると年金生活者,資産生活者が甚大な被害をうける。そればかりではない。インフレは徐々に通貨価値を下落させて,終局的には貨幣的請求権を無価値にする。この点が安定論者の重要な反対論拠である。だが,これに対しては次のように答えられよう。しのびよるインフレの莫大な被害者が多量に出た事実はない。貯蓄や生命保険の価値が下つたために損害をうけた人もあるが,しかしそのうち多くの人々は借金その他所得に与えたインフレの影響で,損失を補填されている。最大の被害者と思われる年金生活者にしても,年金計画が寛大になつたために,かなり適当な穴埋をされている。例えば一九四〇年から五六年末までに,,消費者物価指数は二倍になつたが,老令年金保険で支払われる一人当り年金額は三倍になつた。

(b) 大衆はインフレを希望しない。だから,インフレよりも安定を好むし,また大衆の購入する物資・サービスの値下りを好むと反インフレ論者は主張するが,反面,労働者は現実に賃上げを要求し,老令者や復員軍人は年金の引上げを要求する。大衆が値下りを好むからといつて,これで大衆のインフレに対する態度が明白化されたわけではない。だれでも自分たちの売るものの値上りを好むはずである。ここにインフレに対する大衆の根強い気持がある。だから,インフレは軽微な程度に食いとめられる限り有害ではない。むしろ,高い成長を維持するためにはさけられない犠牲である。とくにアメリカのように数次の景気循環をくり返しているうちに,回復過程でおきたインフレは容易におさえられないし,またブームの時期にもインフレをおさえようとすれば,景気後退へ導く危険があるので,しのびよる程度のインフレはむしろ看過されねばならないであろう。高い成長率が物価に及ぼす影響を緩和する方法がないわけではない。だが方法はあつても満足なものではない。つまり,信用を引締めて,生産性をト面る賃金騰貴を防ぎ,失業をふやす方法もあるが,これでば安定が主となつて,成長が従になる。その結果は成長率が鈍つて社会的損失が増大する。年間四%の成長が可能であるにもかかわらず,物価安定の考慮からこれを二%に抑えるなら,一〇年間には,能力一杯に成長するよりも二六%成長が遅れる。

また別な方法としては,前述のように労組を分断することも考えられるが,これでは所期の目的は達成されない。

また別項に掲げたように,関税引下げや輸入割当の廃止によつて,アメリカ製品を海外との競争にさらせば,国内物価の騰貴を抑制できるが,これまた前述のように多くを期待しえない。

過去におけるアメリカの安定・成長論争はまだ今日も続いており,議会および政府においても各種の委員会を設けて調査する段階であつて結論を出したわけではない。だが大勢とすれば,

i) 成長はより重要な経済目標であつて,その他の目標は時としては犠牲にされねばならない,

ii) 過剰需要を原因とするインフレ以外は,金融引締以外の手段で抑制すべきである,

iii) 安定と成長の調和をはかるため,労使および政府が賃金,物価を検討する年次会議を開催するのが望ましい,

という方向に動いてきた。

(3) 結  論

長期的にみて,アメリカ経済では資源の全面的利用と物価の安定は両立しないが,これも明確に断言できるほどのものではない。一般物価変動を測定する完全な尺度というものがない。公表された物価指数では,現実よりもやや高目に表現されがちで,それが最終消費者には強い心理的圧力となるからである。品質の向上や,選択の自由などを考慮したばあい,実質的にいかほど物価騰貴になつているかは測定できにくい。だが,近年の物価騰貴の背景には,近代社会における一つの大きな特徴一労働者福祉の向上一という要因のある限り,経営者が,これまでどおりの所得を維持ないしは,拡大しようとすれば,労使の双方がコスト引上げを招来することになろう。したがつて,国連の世界経済報告(一九五八年)の指摘するように,物価騰貴は能力を上回る総需要の過剰に起因するのではなく,むしろ労働者,企業の双方がお互いに矛盾する所得の増大を要求するか,それとも需要の変動がさけられない特殊産案分野における一時的な隘路による。したがつて「長期成長率を抑制する政策は,長期的インフレ圧力を軽減するよりも,むしろ悪化させる傾向があるかもしれない」。

ところで何を始発点として高い成長を維持するかは問題であるが,自由経済を標ぼうするアメリカでは,総生産を動かす力をもつ政府購入を増すか,それとも租税措置によつて,投資や消費を刺激するほかはあるまい。そこでまず考えられるのは現在不足している病院,学校,道路建設,労働者福祉の増進,年金制度の拡充等が考えられよう。この種の支出はすでに過去数年間趨勢的に増加しているので,政策的にも最も増加しやすい部門だからである。

もし,アメリカがより高い成長を維持することにふみきれば長期的には,原料需要や製品需要がふえ,その一部が対外需要の増加となつて現われ,低迷的な原料相場を刺激し,低開発国の輸出所得を引上げ,世界貿易を拡大することになろう。また,もし高い成長にはしのびよるインフレがさけられないとすれば,健全通貨を維持し通せる国にとつては対米輸出を増進できるだけでなく,第三国市場においてアメリカ製品にうち勝てることになる。したがつて世界の富を均衡化する効果が期待される。だがその過程において,対外援助が削減さ庇,輸入障壁が高められ,アメリカが高コストの孤島化するなら,その他世界をうるおすことは少くなるであろう。