昭和33年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
経済企画庁
第九章 東南アジア経済の危機的様相
(1) 輸出入における対世界比の変化
以上のような諸部門における成長形態を背景として貿易がどう推移したかについて見よう。一九五七年初から今年にかけての,この地域の貿易は,戦後最悪の事態に直面した。そこで,ここでは,一九四八年以降のそれについて検討することとしよう。
東南アジア地域の輸出入額の,対世界比は第9-6表に見られるごとく戦前においては輸出一一・〇%,輸入七・五%であつた。戦後は一九五七年についてみる輸出五・五%,輸入七・三%であり,単にその対世界比が低いというだけでなく,年々その比率は低下傾向を示している。
東南アジア地域の人口は約六億三,〇〇〇万で,世界人口の四分の一を占めている。それにもかかわらず,貿易額の対世界比はこのようにきわめて低い。
したがつて,一人当り貿易額は東南アジア地域を除く世界の平均が輸出七六一六ドル,輸入八〇・五ドルであるのに対し東南アジア地域のそれは,高い国でも輸出入額ともに一〇ドルを若干出る程度にすぎない。しかし,この一人当り貿易額の低さは,必ずしも貿易依存度の低さを示すものではない。そのことは東南アジアの純国民生産に占める輸出向け商品生産の比率の高さ,および国民所得に占める輸出入額比率の高さなどから十分うなづきうることである。
東南アジア貿易額の対世界比の,戦後におけるこのような低下傾向の諸理由についてはガットの「一九五五年の世界貿易」は次のようにのべている。
すなわち第一の理由は,工業国間貿易に比して非工業国間貿易が沈滞気味であることである。工業国の方が非工業国よりもはるかにその商品が多様性に富んでおり,そのことが工業国間の相互補完度を必然的に高からしめている。さらに,工業国における迂回生産の拡大によつて単位製品当りの価格が大きくなつているために,工業国の貿易比重が大きくなるということである。
ただ,非工業国の対工業国輸出はこのように減少しているのに対し,工業国への輸出は逆に増加している。この二つの異なつた動きは,後者の場合,いうまでもなく非工業国が経済關発計画を実施しているために工業国からの資本財の輸入が必然的に増加しているものであり,前者のばあいは三つの原因が考えられている。その一つは工業国は輸入原料より国産原料を優先的に使用していること,その二は合成原料が現われてぎたために,天然原料に対する需要が低下したこと,その三は新しい技術の出現によって,単位製品当りの原料使用比率が減つたことであると1るものである。
東南アジア輸出貿易の対世界輸出比率の低下傾向もまさにこのような諸理由によるものである。一九五〇年以後における輸出入の動向を見ると第9-7表のごとく輸出は一九五一年の朝鮮ブームの年を除いては各年とものび悩み状態に推移しているのに対し,輸入はかなりはげしい変動で上昇を示している。すなわち一九五七年の輸入額は一九五〇年の約一・六倍,五六年は一・四倍となつており,ために一九五一年以後は継続的に入超で,一九五六年,五七年のごときはそれぞれ一四億七〇〇万ドル,一七億五,六〇〇万ドルもの巨額に達した。つまり総輸入額の四分の一以上が輸出額と見合わない状態のもとで輸入されたものである。
この一九五〇年以後の東南アジアの貿易額を国別で見ると輸出で比較的のびている国はビルマ,インドネシア,フイリピン,タイであり,これに反し減少傾向にあった国はパキスタン,香港である。
米輸出国の輸出貿易が成長を示したことは,米の価格が比較的安淀していたということによるものである。インドネシアのばあいは石油の生産と輸出増加が大きな支えになっていることはいうまでもない。
輸入はほとんどの国において大幅な増加を示しているが,そのなかでもインド,フイリピン,インドネシア,ビルマ,タイ等の増加が目立つている。一九五七年の輸入がいちじるしく増加したことは,一つは上半期に資本財輸出国のコスト・インフンや,スエズ運河閉鎖の影響などで,輸入商品価格が一般的な値上りを示したことにある。もつとも下半期には景気後退および運賃の低落などで,漸次下降したが,しかし全般的には輸入商品価格は上昇している。
このほかにインドを筆頭として開発計画を推進しつつある国々の資本財輸入が増加したのと,加うるに二,三の国における前年度の食糧生産の不振から,大量の食糧輸入があったなどのことによるものである。
(2) 貿易商品構成における変化
東南アジアの主要輸出商品構成は,第一次商品生産の非弾力性からみて,経済開発計画の実施によってもそれほど急激な変化のないのは当然である。しかし八つの主要輸出向商品輸出額の総輸出額に占める圧倒的地位に変りはないというものの,その重要性は年々少しずつ低下しつつある。すなわち,ゴム,茶,米,植物性油実,砂糖,錫,ジュート,原綿の八商品の輸出額の総輸出額に占める比率は,一九五一年には五四・六%だつたのが,五三年には五〇・五%,五四年は五一・七%,五五年には五二・五%,五六年上半期は四九・八%とジクザクはあるが概して低下傾向を示しているといえる。生産に対する輸出の比率という立場から見ても,ほとんどの商品は,その輸出比率が低下傾向を示している。この原因としてあげられていることは,一つは前述のように工業国の輸入需要の低下もあるが,同時に内需が増加していることによるものであることは明らかである。
輸出商品構成の変化でさらに大きく注目されなければならぬことは経済開発の進展によって,消費財(主として軽工業製品)の輸出がかなりのびていることである。たとえば綿織物では一九四八年の二,八二〇万メートルが一九五六年には八,七九〇万メートル,五七年第三・四半期は年率で一〇,二五〇万メートルにおよんでいる。同一期間に綿糸は四五八トンから一,三二八トンに増加している。このような傾向はパキスタンの輸出に最も明らかに現われている。
東南アジアの輸入商品構成の変化は,輸出に比べて,より顕著である。すなわち(第9ー8表)に見られるごとく,ほとんどの国において資本財と資本財向け原料の輸入比率が著しい速度でのびていることである。それにひきかえ,消費財の比率は急速度に低下しつつある。資本財および資本財向け原料の輸入増大はもちろん経済開発に対する各国の努力を示すものであるが,消費財輸入の減少は,経済開発の進展につれて,国内生産が徐々にのびてきつつあることと,他の理由は,限られた外貨を資本財輸入に向け,消費財の輸入を抑制する方針をとっていることと,それらの商品の生産を育成するためその政策をおしすすめていることによるものである。
(3) 国別構成における変化
戦後の東南アジアの輸出入市場構成は,戦前に比べるとかなりの変化が見られる。それぞれの国における旧宗主国との関係はいぜん抜きがたいものがあるが,しかし,全体として頽勢は否定しがたいものがある。インドネシアにおけるオランダの地位はいうまでもなく,インド,ビルマ,セイロンにおけるイギリスの地位も緩慢ながら後退を示している。フィリピンの貿易に占めるアメリカの地位は,戦前(一九三八年)においては輸出八三%,輸入六〇%であつた。それが一九五七年の第四・四半期では輸出において五三%,輸入において五八%といずれも低下している。
市場構成の変化で最も注目されることは,アメリカの各国の貿易における地位が,全体的に,輸出に占める比率が低下し,これとは反対に輸入に占める比率が上昇していることである。つまり,アメリカの東南アジアの輸出商品に対する輸入需要が低下し,それとは逆に,アメリカの商品に対する東南アジアの需要が増大しつつあることを示しているものである。
ヨーロッパとの関係は,輸出入ともにその比率が大きくなつている型の国と,それとは逆に輸出入ともに低下している型の国と,輸出が低下し,輸入が上昇している型の国との三つがある。第一の型はフィリピン,タイ,パキスタン,インド,マラヤであり,第二の型はインドネシアであり,第三の型はセイロンである。インドネシアの対ヨーロッパ貿易の減少はいうまでもなく,オランダの極度の後退にある。が,しかしいずれにしても東南アジアの貿易に占めるヨーロッパの地位はいぜんとして大きいことは否定しえないであろう。
従来東南アジアの域内貿易は輸出入ともに総額のほぼ三〇%と想定されてきたのであるが,この域内貿易に占める香港,シンガポールの比率はかなり大きく,しかもこの二つの地域の貿易は中継貿易で,香港のごときは七〇%前後は再輸出とされているので,この再輸出分を除かねばならず,そうすると域内貿易の比率はさらに小さくなるものと考えられる。したがつて域内貿易の実質的な比率は対ヨーロッパおよび対アメリカ貿易に比べてかなり小さいものと想定される。
(4) 輸入抑制政策
東南アジア諸国の一九五六,五七年における貿易収支の著しい悪化はさきにも述べたように輸出ののび悩みもあるが,より以上に輸入の増大にあつた。したがつて,均衡の第一の方法として各国ともに輸入制限政策をとっている。
ビルマでは一九五六年の大部分にわたつて包括輸入許可制(OGL)を中止するという輸入方針をとり,政府勘定による開発資材の輸入すら削減された。
こうした厳重な輸入割当の影響は物資の払底と価格の高騰となつて現われ,その結果一九五六年下半期にはOGL制を一部復活した。インドは一九五六年はじめに第二次五カ年計画を開始して以来,貿易収支は深刻な事態に直面し,以来輸入制限方針を次第に強化してきた。一九五七年上半期には多数の品目について輸入割当を削減するほか新しい品目に対する輸入ライセンスの発給を抑制する措置をとり,一九五七年七月から九月にかけて必需品として指定されていた一部の品目ですら,輸入からはずされた。さらに資本財と重電気機械に対する輸入ライセンス発給方針にも重要な変更が加えられた。すなわちライセンスの発給は輸出入業者間に延払いについての話合が成立し,第一回の支払が一九六一年四月以降に行われるもののみに限られることとなつた。
インドネシアでも一九五六年に輸入制限措置をとるようになつたが,この方針は一九五七年にも堅持され,別途為替管理政策は輸入に対する直接統制を意図するものでばなく,主として全輸出品に対する譲渡可能の証明書の発給と必需品から超奢侈品にいたる各種の分類品目に対する輸入付加税の賦課がその中心となっている。パキスタンの一九五七年の輸入政策は輸出収入と輸入外貨支払向の差額をせばめることを狙いとし,主要なものとしては,非必需的性格の許可品目の縮小,資本財ならびに工業原料の輸入優先,各種消費財向のプライオジティ決定の合理化等があげられる。内需の安定を図り国際収支に対する過度の圧迫を防止する一層根本的な方法として財政金融政策をフルに活用することが心要であるとの認識も域内で次第に高まつてきている。そのための事情がゆるせば為替制限が緩められている。たとえばセイロンでは一九五七年下半期に貿易収支は悪化したが,為替制限によらず,奢侈品を中心とする一群の品目の輸入税を引上げて事態の打開を図つた。その他の国においてもそのような処置が多くとられている。