昭和33年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

経済企画庁


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第六章 一九五七~五八年のソ連経済と新長期計画

二 二つの機構改革

一九五七年のソ連経済における最大の出来事は工業と建設の管理機構の改革である。すでに一九五五年五月の工業関係者会議と同年七月の党中央委員会総会でも経済管理における「過度の中央集権化」を排除することが必要であるとされ,それと相前後して連邦管下企業の一部が共和国へ移管されてきた。ところが,一九五六年の経済の「緊張」に関連して,この年の一二月に開かれた党の会議で「計画作成上の欠陥」が公式に認められた。その時の決定によると,生産,建設計画を過大にし,その修正を必要とさせるに至つた原因は,中央の計画機関や経済関係各省が個々の生産部門や企業の現場の実態をはつきり把握せず,下部機関との連絡を十分とらなかつたことにあるといわれた。その対策として,連邦構成共和国や各企業の自主性を高めると同時に,短期計画作成機関である国家経済委員会を強化し,これを計画遂行に当つての諸問題の機動的な解決,資材の確保などに関する総合調整機関とすることが取上げられた。その後さらに一転して,昨年二月の党の会議で根本的な機構改革が決定され,五月の最高会議で可決された法律に基づいて,長期および短期の計画機関を一本の総合計画,調整機関としての国家計画委員会に改組し,工業,建設関係の中央管理機関たる省の多く(連邦,各共和国を通じて一四一省)を廃止して,全国一〇四の経済行政地区に創設する国民経済会議を経済管理機関の中核とするという改革が実施された。この改革によつて,官庁セクショナリズムを排して各地域の総合的経済発展を図り,また中央の計画的指導を強める反面,計画作業の実務の中心を地方の計画機関に移し,経済管理を現場に近づけるとともに,各地域および企業の自主性を向上させることが企図されたのである。

この機構改革によって国民経済会議の管下に移された企業の工業生産額は生産総額の四分の三に達し,また同会議に移管された建設場では全建設事業のほぼ半ばが実施されることになつたが,その結果生産と建設が進捗し,いわゆる質的指標も向上したといわれる。これについて,一九五七年実績発表もつぎのような数字をあげている。すなわち,工業総生産に関する第二・四半期計画は一九五六年には一〇二%遂行されたが,一九五七年には一〇四%遂行され,計画を達成しなかつた企業の数は前年同期より減つた。また基本投資計画は一九五七年上半期には九一%しか達成されなかつたが,下半期にはその達成率は一〇四%となつた。労働生産性の向上は年間で一九五六年に比べて工業が六・五%,建設が一〇%であつたが,下半期だけをとると,前年同期に比べて工業が七・二%,建設が一一%であつた。

このように機構改革が好影響をもたらしたことは,連邦ゴスプラン議長イ・クジミン(プラウダ一九五八・四・五)によれば,つぎの点に帰せられる。すなわち機構改革によって「各地区の天然資源および経済資源を一そう完全に利用し,技術的進歩を速めるとともに進んだ生産上の経験をさらに普及し,工業における専門化と協同化を発展させる広範な可能性が開かれた」というのである。では,機構改革の効果は具体的にどのような点に現われているか。これを前掲のクジミンの論文およびECEの年報(第一章,三三ページ)から拾つてみよう。

(一) 企業が合併され,工業コンビナートが形成されている。これによつて生産活動が改善されるとともに管理職員の数が減つている。たとえば,ゴリキー州国民経済会議では,同種の製品を生産する工場の数が六〇から一九に,また部工場の数が九〇から五六に減つている。ある場合にはコストの高い工場が閉鎖されており,たとえばモスクワでは鋳物工場一八〇のうち七二で,また電極工場二四のうち二二で従来の生産を維持している。

(二) 企業の専門化と協同化の面でば,鋳物,鍜造品,プレス製品,工具,金属二次製品,電極の生産が集中化されている。たとえば白ロシア経済地区では全工業向けの金属二次製品の生産がただ一つの工場に集中された。また機械工業では,ロストフとザポロージエ地区における「エス・カー3」自走コンバインの生産を専門化した結果,工場規模を拡張せずに年間四万台を増産できるようになった。

(三) 地区間の生産上の結びつきが改善され,自分の地区で生産できる物資を他地区から移入することが阻止され,その結果鉄道輸送の負担が軽減される。たとえばウクライナのゴスプランは今年の計画で,鋳物や鍜造品の移入を完全に停止する方策を講じた。

(四) 各地区内の企業の間でストックや運転資金の再分配が行われ,国民経済会議の処分に委ねられる利潤の一部を生産方法や設備の近代化のための資金として利用する。

このように,機構改革の好ましい効果が伝えられる反面,その否定的な面も出てきている。そのもつとも顕著なものは地域的アウタルキー化と地方第一主義的な傾向とである。一部の国民経済会議は「全国家的な利益」と従来行われてきた各地区相互の物資供給関係を考慮せずに,勝手にある種の製品の生産をとりやめたり,生産量を減らしたりしているし,また新製品の生産開始に必要な措置を講じようとしない。とくに重大なのは他の地区に対するいわゆる「物資・技術供給」の混乱が起つていることである。たとえば,オムスク国民経済会議は昨年一〇,一一月の二カ月間に,他の国民経済会議向けに予定されていた建築用材五,〇〇〇立方メートル以上を現地企業に流し,またカラガンダ炭田向けの木材一万一,〇〇〇立方メートルをオムスク・ストロイに引渡してしまつた。ペルミ国民経済会議は第三・四半期に他の国民経済会議向けの木材発送計画を八七%しか遂行しなかつたのに,管内の企業に対する発送計画は一〇六%遂行した等々の事実が明らかにされている(昨年一二月最高会議におけるクジミンの報告)。イズヴエステヤ(一九五七・一〇・四)も新しい管理機構のもとでは経済行政地区の間の経済的関連を適正にすることが,成功的な発展のための主要な条件であるにもかかわらず,一部の経済指導者の間には地方第一主義的な傾向が見られるとして,他の企業とくに他の地区の企業に対する物資の供給義務を厳密に履行する必要を強調している。そして協定した物資供給を実施しない場合には企業の計画は未遂行とみなすという決定が採用され,この物資供給に関する国家規律が守られるよう監督することが国家計画委員会の「緊急任務」だとされている(「計画経済」一九五七年第七号)。この点に関し本年四月二四日付の最高会議幹部会令は各層指導者に対して服務規律上,金銭上あるいは刑事上の責任を課している。このように新しい経済管理機構は地域的なアウタルキー化と物資交流の不円滑を来す危険をはらんでいるのである。

他方,管理機構の改革にともなつて計画立案方式は根本的に変化した。以前は計画立案が個々の省庁別に行われていたが現在は連邦構成共和国ごとの,また共和国内では経済行政地区ごとの計画立案が重要性をもつようになつた。

また新機構のもとでは,計画案の作成は直接に企業,建設場,国民経済会議で開始されなければならない。そしてこの計画案作成は経済合同,国民経済会議,各共和国ゴスプランおよび閣僚会議を経て,ソ連邦ゴスプランに終る。(一九五七・一一・一二,プラウダ,クジミン論文)このような方式によつて地方資源の利用や企業の生産能力を考慮に入れて地域内で重要生産物の生産と建設の配置を一そう合理的にすることが企図される。こうして,各地域は独自的な発展を計画する余地が大きくなつているのである。もちろん,ソ連邦ゴスプランは総合計画の作成に当つて,共和国ゴスプランの提出した計画案を修正ないし調整するのだが,連邦自体の計画は従来とはかなり違ってきている。連邦政府の確認する計画には,ソ連経済全体の発展の重要な方向,テンポ,プロボーションを決定する計画課題と共和国相互間の経済関連のみがふくまれる。その反面,連邦政府の承認を受けるべき経済指れの数は著しく減らされ,共和国に対する細部にわたる監督は廃止されたのである。

一九五七年の工業および建設の管理機構の改革と対比さるべきものは,本年三月末に決定されたエム・テー・エス(機械トラクター・ステーション)の改組である。この改革の要点は,これまで国営機関としてコルホーズに機械化作業のサービスを与え,これを通じてコルホーズを統制してきたエム・テー・エスに所属する農業機械を各個のコルホーズに売渡し,従来のエム・テー・エス数カ所を統合して「修理技術ステーション」(エル・テー・エス)に改組しようとするものである。これによって,労働力と機械をより有効に利用して農業における労働生産性の向上とコストの引下げを図おとともに,コルオーズ生産に対する従来のようなコルホーズ自体とエム・テー・エスとの二的指導をコルホーズのみに一本化することが企図されているのである。現在はまだこの改組の効果いかんを判定すべき時期ではないが,一九五四年以来行われてきた,農産物調達価格(供出および買付価格)の極端な低水準からの引上げから今度のエム・テー・エスの改組に至る政策は,コルホーズに対する経済的行政的な圧力を漸次緩和し,合理的な経営を通じてこれを発展させようとする方向を示しているのである。

一九五七年と一九五八年に行われた二つの機構改革は前者が国営企業に関するものであり,後者が協同組合経営であるコルホーズに関するものであるかぎり,同一の場で論ずることはできないが,少なくとも極端な中央統制を緩和して現場の自主性を発揮させようとする点で相通ずるものをもつている。さらに広い意味ではともに国家的行政的指導,監督と並んで経済的合理性の追求という原則をソ連経済の運営の面に浸透させてゆく契機ともなるであろう。


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