昭和33年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
経済企画庁
第三章 停滞をつづける英国経済
(1) 国際収支の推移
ディス・インフレ政策の効果が顕著にみられたのは国際収支の面であった。英国の経常国際収支は第3-1表に示すように,一九五五年の赤字六九百万ポンドから五六年には二六六百万ポンドの黒字へと三億ポンドをこえる改善を示し,さらに五七年にも二三七百万ポンドの黒字を記録している。しかし五七年を前年と比べてみると貿易収支の赤字が三六百万ボンドふえており,五五年から五六年・にかけて貿易収支が三億ポンドをこえる改善を示したのと対照的である。一方貿易外収支は全体として五五年二九七百万ポント,五六年三七百万ポンド,五七年三三四百万ポンドと黒字が僅かながらふえているが大きな変化はない。このように一九五七年の経常収支が,スエズ紛争の余波が残つていたにもかかわらず,大した悪化をみなかったのは,政府海外支出の減少,上半期中減少していた石油収入が下期において急増したことなどによる。しかし,同時に商品貿易において,輸出量の二%増にたいし輸入量が三・五%も増加したにもかかわらず,交易条件が三%の好転をみたこと,また五七年末に支払うべき北米借款の利子三七百万ポンドの支払が延期されたこと等の諸要因も見逃しえない。こういつた特殊要因を考慮すれば,五七年の英国の経常国際収支は,実質的にはむしろ悪化したものとみなければならない。
(2) 輸入の動き
貿易統計によると,一九五四年から五五年にかけて,投資ブームを反映して急増した輸入額は,五六年には引締め政策によりほぼ五五年の水準に抑えられたが,五七年には再び約五%の増加を示した。
しかし五七年の輸入増には,スエズ運河閉鎖による五六年からの延着分がふくまれており,これを除外すると,実質的な輸入量の増加は約二%にすぎず,しかも五七年における輸入増加の約2/3は在庫増にむけられ,同年中に輸入品在庫は著しく増加したものとみられている。
一九五三年以降における輸入の主要商品別内訳は第3-2表のとおりである。食糧・飲料・煙草および基礎原料は,五七年にはいずれも数量で約四%の増加を示した。鉱物油・潤滑剤の輸入が,数量で微減しているにもかかわらず,金額では一三%の増加を示しているのは,スエズ閉鎖にともなう運賃の増加が大きくひびいていたものであろう。また一九五五年中に約三・五倍に急増し,五六年にも七%の増加をみた鉄鋼の輸入額が五七年には二八%の大幅な減少を示し,数量ではほぼ半減したことは,ディス・インフレ政策下における英国工業生産の停滞(後述参照)を如実に反映している。
一方工業完成品の輸入が,消費財も生産財も,引締め政策の下において根強い増大傾向を示していることは注目される。
さらに輸入を地域別にみると,ドル地域からの輸入が一九五五年の月平均七〇百万ポンド,五六年の七一百万ポンドから,五七年には八〇百万ポンドに急増し,OEEC諸国からの輸入額もわずかながら増大しているのに対し,英国の輸入において最大のウエイトを占めるスターリング地域からの輸入が,月平均で五五年一三一百万ポンド,五六年一二七百万ポンド,五七年一二九百万ポンドと停滞している事実も見逃せない。
(3) 輸 出
英国商品の輸出額は,五五年二,九〇五百万ポンド,五六年三,一七二百万ポンドから五七年には三,三二五百万ポンドへと増大をつづけているが,前年に対する増加率では五五年および五六年のそれぞれ九%から,五七年には五%に低下し,世界輸出額の増加率七%をかなり下回っているだけでなく,輸出額の増加も大部分価格上昇によるもので,輸出数量の拡大はわずか二%程度にとどまり,拡大率としては一九五三年以来の最低であった。しかもこの輸出拡大も五七年第三・四半期までで,第四・四半期の輸出は,前年同期を二%下回り,この傾向は五八年第一・四半期にもつづいている。
品目別にみると,別表 に示すように,金属・機械類の輸出増が目立ち,とくに五六年には航空機船舶等の輸出が著しく伸びたが,五七年には乗用車を中心とする道路用輸送具並びに部品,および化学薬品の輸出が比較的順調な伸びを示したほかは,大部分の商品において輸出は伸び悩み,もしくは前年水準を下回っている。こういつた輸出の停滞もしくは下向傾向は,いうまでもなく,昨年下期以降における世界景気の停滞を反映するものであり,米国の景気後退が深まりあるいは長期化するばあい,この傾向はますます強まるものとみなければならない。地域別にみても,一九五六年に三〇%をこえる拡大をみたドル地域への輸出が,拡大率を急激に鈍化していることは,ドル問題という見地からも重視しなければならない。
(4) 需要の変動
次にディス・インフレ政策の下における英国経済の需要と供給がどのような変動を示しているかをみよう。すなわち,第3-5表にみられるように,支出総額は,一九五六年要素費用で五四年から五五年へかけてのブームの過程で九七〇百万ポンドの大幅な増加を示したあと,五五年から五六年にかけては,引締め政策の効果を反映して増加額は三八〇万ポンドに縮小,さらに五六年から五七年にかけては四三五百万ポンド増で,支出増加の幅は,五五年の半分にとどまつてはいるが,五六年に比べるとやや大きくなつている。しかし,支出総額の変動を内容別にみると,ディス・インフレ政策の影響がかなり違つたニュアンスをもつてあらわれていることがわかる。すなわち,五四年から五五年へかけて,最も大幅に増大した消費者支出は,五六年には増勢が著しく抑えられたが,五七年には再びかなりの増加を示していること,一方固定投資は引締め政策下においても,大した衰えをみせていないこと,五六年に縮小した在庫仕掛品投資が五七年には増加に転じていること,また五五年から五六年にかけて消費支出の抑制をつうじて増大した輸出は,五七年には増勢の鈍化が目立ち,引締め政策が貿易と国際収支面に好転をもたらした五六年におけるとは逆の動きを示していることなどが注目される。要するに五五年から五六年へかけて,消費者支出の横ばいと在庫投資の減少によつて停滞的様相を示した国内需要は,五七年には再び増加の兆しをみせたが,それは一部は政府支出の減少により,また一部は輸出の停滞によつて相殺され,全体としての需要増は前年をさほど大きく上回ることがなかつた。
上述した需要変動のうち,固定投資と消費者支出の動向は,英国経済を支える国内要因として最も重要視されるが,これについて若干の検討を加えてみよう。
(一) 固定投資
粗固定投資の総額は,一九四八年価格で,一九五三年の約一八億ポンドから毎年ふえつづけ,五七年には二三億ポンドをこえた(第3-6表参照)。しかし前年にくらべての増加率は五四年八%五五年六%,五六年四%,五七年五%で,増加テンポは次第に鈍化の傾向を示しているとはいえ,五五年以降のディス・インフレ政策の下においてさえほとんど衰えをみせていないことにむしろ注目すべきであろう。
産業別にみると,最大のウエイトを占める製造工業の固定投資は,一九五五年に一六%の大幅な増加を示したのち,五六年に一一%,五七年三%と増加率の鈍化が目立つているが,一方輸送・通信部門の固定投資は,五五年に微減したのち,五六年に一三%増,五七年にも二三%増と引きつづき増勢を示しており,また農林漁業,鉱業,建築業,ガス,電力,水道等の諸部門における投資は,五六年にはいずれも前年に比べ減少したが,五七年には再び増加に転じている。これにたいし住宅投資は五五年以来引きつづき減少している。
固定投資を公共部門と民間部門に分けてみると,第3-7表に示すように,一九五一年以来民間投資(住宅を除く)は約五〇%ふえているのに対し,公共投資の増加率は三三%にとどまつている。民間投資の増勢が最も著しかつたのは一九五三年から五六年にかけてであつたが,この間公共投資は漸増を示したのち五七年には大幅にふえている。
住宅投資は,一九五四年に五・一億ボンドのピークにたつし,その後減少をつづけているが,これを公共住宅建築と民間建築に分けてみると,一九五一年には民間建築四九百万ポンドにたいし,公共建築は約五倍に当る二六七百万ポンドにのぼつていたが,公共建築が五三年をピークとして減退しているのに対し,民間住宅建築は年々増加し,五七年には両者の比重はほぼ等しくなっている。
上述したように,英国経済は一九五三年以来毎年巨額の固定投資を行ってきており,この五年間に国民総生産に対する固定投資の比率も一四%から一七%へ高まつている。もちろんこういった固定投資のすべてが,固定資本の生産能力の純増となっているわけではなく,その一部は古い工場・設備のたんなる更新にすぎないが,いずれにしても拡張あるいは合理化投資を通じて,英国の生産能力は著しく強化されているものとみて差支えないであろう。
(二) 消費支出
まず個人所得総額の効きをみると,一九五三年の一三七・三億ポンドから五七年の一七九・九億ポンドへと,この五年間に三一%の増加を示している。しかし前年に対する増加率は五五年の八・九%から五六年八%,五七年の五六%と次第に低下している。所得増加の絶対額からみても増加率においても最も大きいのは賃金・俸給所得で,それは一九五四年の九三・一億ポンド(対前年増加率七%)から五五年一〇一・九億ポンド(九・五%増),五六年一一〇・七億ポンド(六・二々増)五七年一一七・六億ボンド(六・二%増)へとディス・インフレ政策の下でもかなりの増加を示している。賃金・俸給以外の所得も増加してはいるが五五年に比べると増加率は鈍化しており,とくに五五年に急増した賃貸料・配当および利子所得の増勢鈍化が目立つている。
上述した個人所得の総額から税金,国民保険拠出金等を差引いた可処分所得も総所得とほぼ同じ増勢をたどつているが,消費支出の増加テンボが可処分所得の増加テンボを下回つているため,個人貯蓄の可処分所得に対する比率は一九五四年の七%から五五年の八%,五六年および五七年には約一〇%へと上昇している。
ディス・インフレ政策の下で,個人消費支出はどのような変動を示しているかをみよう。一九四八年価格でみた消費者支出の総額は,一九五三年から五四年にかけて四%増,五四年から五五年へかけては三%増を示したが,引締め政策が強化された五五~五六年には,時価で五%増をみたにもかかわらず,物価上昇に相殺されて実質的にはほとんど横ばいにおわり,五六~五七年にも時価で約五%にたいし,実質的増加は二%にとどまつた。しかし需要抑制の基調が堅持されたにもかかわらず,五七年における消費者支出がわずかながら増加に向っていることは,消費需要の根強さを示すものといえよう。
消費者支出を主要項目別にみると,ディス・インフレ政策の効果がさらにはつきりする(第3-9表参照)。すなわち引締めの効果が最も顕著にあらわれているのは自動車関係支出で,それは前年対比で五四年二一%増,五五年二七%増と急激な増加を示したが,五六年には逆に一二%減となり,五七年にもわずか一%増でほとんど停滞している。自動車とならんで五四年および五五年にかなりの増加をみた耐久家庭用品に対する支出は,五六年に三%の減少を示したが五七年には再び九%の増加となっており,食糧・飲料・煙草その他商品に対する支出の漸増とともに国内消費需要の根強さを物語つている。
(5) 物価とコスト
ディス・インフレ政策は,物価の騰勢をおさえることでもある程度効果をおさめているようである。小売物価指数の動ぎをみると,一九五五年中に五・五%上昇のあとをうけて,五六年には三・五%,五七年一月~五八年一月の一カ年間にも三・五%の騰貴にとどまり,全体としてスエズ紛争の影響はほとんど現われていないといえる。しかも五六年以降の消費者物価の上昇には,住居費,食糧および各種サービス価格の上昇がかなり大きな影響を与えており,耐久家庭用品などは反落さえしている。しかし,騰勢は鈍化したとはいえ,物価が年間三-四%の上昇をつづげること自体は問題であるといわねばならない。
他方において,ディス・インフレ政策は,生産コストの上昇を抑えるという点では効果をあげえなかったようである。すなわち第3-11表に示すように,引締めの効果が最も顕著であった一九五六年においても,生産物単位当り労働コストは一〇%も上昇し,これに原料および燃料コストの上昇が加わって,綜合コストはかなりの上昇をみたものとおもわれる。これに反し五六年から五七年へかけては,原材料コストは前年とほとんど変化がなく,生産物単位泊り労働コストの上昇も五六年にくらべてはるかに小さかつた。五七年一二月現在食料以外の製造工業で使用される基礎原材料平均コストは,同年平均を七%も下回つておりこの傾向は一九五八年にもつづいているものとおもわれる。したがつて英国経済白書(一九五八年)も原材料コストの低下が労働コスト上昇によって相殺されないかぎり,一部の産業では価格引下げの可能性があることを指摘している。しかし最近における原材料コストの低下は,英国におけるディス・インフレの効果というよりも,むしろ世界景気の後退を反映した第一次生産物価格の低落によるところが大きい点は見逃せないであろう。最後に輸出価格について付言するならば,一九五四年を基準とする価格指数は五七年第三・四半期の一一二から第四・四半期には一一一へと反落して五五年初以来の騰勢は停止し,五八年に入つても指数一一〇でほぼ保合状態を呈している。
(7) 鉱工業生産の推移
ディス・インフレ政策下における鉱工業生産の動きをみると,第3-12表に示すように,一九四八年を一〇〇とする指数(季節調整ずみ)は,一九五五年第四・四半期に一四〇のピークにたつしたのち,五六年に入るとようやく引締め政策の効果があらわれ,上半期の一三七から下半期には一三六へ低下している。五七年には第一・四半期から第二・四半期にかけて上昇傾向を示したが,第三・四半期へかけては再び下向に転じた。要するに五六年以降における英国の生産はほとんど停滞しており,これはディス・インフレ政策が払つた大きな犠牲であったといえる。
製造工業だけについてみると,前年に対する生産の増減は,一九五五年六・五%増,一九五六年一・二%減,一九五七年一・八%増となっている。しかし,部門別にみるとかなり違つた動きを示しており,五四年から五五年にかけて増加の著しかつた輸送具およびその他金属使用産業の生産が,五六年に縮小したのち,五七年に再び増大に転じていることが工業生産全体の動きを大きく左右している。たとえば乗用車の生産台数は,五六年の七〇八,〇〇〇台から五七年には八六一,〇〇〇台へと約二二%の増加を示し,しかも生産増加の五分の三は輸出にふり向けられている。
一九五七年には鉄鋼,石炭の需給が著しく緩和してきたことも注目される。粗鋼生産は五五年の一,九七九万トンから,五六年二,〇六六万トン,五七年には二,一七〇万トン(五六年に対し五%増)へと増大した反面,輸入は五五年の一八五万トン,五六年一七七万1ンから,五七年には九五万トンへとほぼ半減している。
石炭の生産も五七年には一五〇万トンの増産をみたのに対し消費は暖冬や熱効率の上昇,重油転換などで七〇〇万トンも減少し,この結果輸入は五五年の一,一五〇万トン,五六年の五二〇万トンから,五七年には二九〇万トンへと激減している。ディス・インフレ政策のもとで,鉄鋼,石炭面における生産の隘路は,五七年にはすでに解消したとみて差支えない。