昭和33年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
経済企画庁
第三章 停滞をつづける英国経済
昨年九月に実施された公定歩合七%への引上げその他一連の経済非常対策以来,英国経済は対外面においては著しく改善され,国内面においても,物価は一〇月以来安定的で,むしろデフレ的兆候さえみられるに至っている。こういった情勢のなかでイングランド倶行の公定割引歩合が五八年に入り二度にわたつて引下げられたことはさきにふれたとおりである。しかし政府当局は,本年に入ってからの公定歩合の引下げがディス・インフレ政策の緩和もしくは拡大政策への転換を意味するものでないことを強調しており,事実公定歩合引下げ後においても銀行貸出の制限,資本発行の審査強化,公共部門における,投資抑制等の措置はいぜんとして堅持されている。公定歩合引き下げの主たる狙いはむしろポンド危機の再燃にそなえて金利政策の弾力性を回復するという点にあったとみるのが至当であろう。
他方において,世界景気後退の懸念が深まり,英国経済の現実からみても,インフレ再燃の危機よりもむしろデフレ的様相が濃化しつつあるようにみえる。以下,英国経済の最近の動向を示す若干の指標について検討をくわえてみよう。
(1) 対外収支の好調と金・ドル準備の増加
昨年九月の経済非常措置により為替投機に終止符が打たれて以来,英国の金・ドル準備は増大の一途をたどつている。五八年に入ってからの動きをみると,一月の二四億ドルから二月二五・四億ドル,三月二七・七億ドル,四月二九・一億ドルと上昇し五月には三〇億ドルをこえ,昨年九月の一八,五億ドルに比べ実に一二億ドルちかい大幅な増加にあたる。この増加額は,昨年七月から九月までの三カ月間に失つた五・三億ドルに米国輸出入銀行からの借款引出し二・五億ドル(一〇月)および米加借款元利払の延期額一・八億ドル(一二月)の合計九・六億ドルを控除してもなお余りがある。金・ドル準備の増強を背景として,ポンド相場も対米二ドル八二セントの公定最高限スレスレの強調を保っている。
ところで,こういつた金・ドル準備増大の背景として,とくに昨年中は九月以前に逃避した資金の還流があつたことはいうまでもないが,同時に最近における英国の貿易収支がかなり好転していることも見逃せない。
すなわち本年に入つてからの貿易収支をみると(第3-14表参照),各月とも輸入超過の幅は前年同月を著しく下回つており,第一・四半期をつうじてみると五七年の入超額一八四百万ポンドにたいし,五八年同期は七二百万ポンドにすぎなかつだ。入超の幅は,三月以降拡大しつつあるようにみえるが,四月においても三三百万ポンドで前年の半分以下である。
しかしこのような貿易収支の好転は,輸出の拡大によるものではなく,もっぱら輸入額の大幅な減少によるものであつた。
すなわち,本年に入ってからの輸入額を昨年同月と比べてみると,一月約一四%減,二月一〇%減,三月および四月はそれぞれ一一%減となつており,とくに基礎原料,鉱物油等の輸入額の減少率が大きい。一方,輸入数量指数(一九五四=一〇〇)をみると,昨年第一・四半期一一八,第二・四半期一一四に対し,本年は一月一一九,二月一〇六,三月一一四,四月一一三で,二月を除けばほぼ一年前の水準にあるとみて差支えなく,したがつて輸入額減少の大きな部分が世界商品価格および運賃の値下りによるものであることがわかる。また輸入額の減少を地域別にみたばあい,ドル地域からの輸入減少が最も大幅で,たとえば米国からの輸入は,昨年同月に比べ本年一月は三四%減,二月四二%減,三月三六%減,四月四二%減となっていることも,ドルの節約という点から見落せないであろう。
上述したような輸入の動きに対し,輸出は停滞もしくは減退傾向を示し,英国商品の輸出額は,前年に比べ,本年一月に六%余の増加を示しただけで二月には約五%減,三月六%減,四月にも三%減となっており,輸出数量指数(一九五四=一〇〇)でみても,昨年第一・四半期一一七,第二・四半期一一八に対し,本年は一月一一六,二月一一一,三月一一三,四月一一一で昨年のレベルをかなり下回つている。本年四月の輸出が,スターリング地域に対して前年同月を約三%上回ったほかは,ドル地域,非スターリングOEEC諸国ともに前年を下回つており,とくに二月および,三月にそれぞれ二四百万ポンドをこえ,前年をかなり上回つていた対米輸出が,四月に二〇百万ポンドに減少し,わずかながら前年を下回るに至ったことは,小型自動車の対米輸出好調が伝えられているだけに注目に値する。
要するに,最近における英国対外収支好調が,輸入の減少,しかも国際物価の下落による輸入金額の減少という消極的要因によるものであって,輪出はむしろ縮小の傾向すらみられるということ,さらに英国の輸入額の減少は,スターリング地域諸国の輸出収入の減少をつうじて,英国自身の輸出減少をもたらす可能性があるということ,こういつた諸点を考慮すると,上述した金・ドル準備の累増も必ずしも手放しの楽観を許すものではなく,英国政府が公定歩合の引下げを行いつつも,なお引締めの基調をゆるめようとしないのもまさにこうした見地に立つものであろう。
(2) 工業生産の低下と失業増加
国内経済の動きに目を転じてみよう。まず鉱工業生産の動きをみると,五六年中,指数一三六-一三八(一九四八二一〇〇一季節調整ずみ)で横ばいをつづけたあと,五七年春から上昇に転じ,六月には五五年一二月のピーク一四二まで回復したが,その後再び停滞的となり,昨年末から本年初へかけてやや低下の傾向を示している。エコノミスト誌によると,繊維,衣料,飲食料等消費財の最近の生産水準は,昨年をかなり下回っているようであり,基幹産業たる鉄銅業についてみても,本年四月の製鋼高は三月に比べ約六%減,昨年同月を五%下回っており,同様に銑鉄の生産も一年前に比べ七%も減つている。鉄鋼の主要消費部門である自動車工業の本年第一・四半期における鉄鋼需要が,昨年同期を五〇%も上回つているのに,鉄鋼および銑鉄の生産が右のように縮小していることは注目に値する。昨年はじめ頃は自動車や家庭用耐久消費財生産の不振が他の諸部門における生産上昇で相殺され,全体としての工業生産は横ばいであったが,現在は自動車と家庭用耐久消費財の生産上昇が他部門の生産低下で相殺されているようにみえる。
鉱工業生産活動の一般的な停滞もしくは低下の傾向を反映して雇用情勢も悪化している。すなわち第3-16表に示すように,本年一~三月の雇用数は昨年を下回つている反面,失業者数は一月の三九・六万人から三月の四三・三万人へと増加しつづけている。しかも失業期間をみると八週間を・こえる長期失業者が,一月から四月の間に,男子労務者で一一・四万人から一五万人へ,婦人労務者でも四・二万人から四・七万人へとふえており,これは求人数の減少とともに,失業問題が次第に慢性化しつつあることを示すものであろう。
(3)需要の動向
次に国内需要の動向をみると,まず粗固定投資は一九四八年価格で五七年にも約五%の増加を示し,五六年の四%増,五五年の六%増に比べてもかなり高い水準であったといえる。しかし四半期にみると固定投資は先細りの傾向にあり,たとえば商務省調査による製造工業の固定投資は,前年同期との比較で,五七年第一・四半期における一三%増から,第二・四半期九%増,第三・四半期五%増と増加率を鈍化し,第四・四半期にはわずかながら(一%)前年を下回るに至っている。しかもこれは時価によるものであるから,物価上昇を考慮すると数量的にみた投資鈍化もしくは減少はさらに著しいものがあつたと思われる。
また英国工業連盟が最近発表した企業調査によつて投資計画の動向をみると,回答をよせた五四二社のうち,本年中の建築支出が昨年を上回ると予想しているものが全体の二三%,,増減なしとするもの三〇%,昨年を下回ると予想しているものが四二%にたつしている。機械・設備にたいする支出では,本年中に増加を予想するものと減少を予想するものとが,いずれも全体の三四%を占めているが,今年の認可額では,建物についても機械・設備でも昨年に比べ減少を予想している企業が圧倒的に多い。
さらに工作機械の受注高をみても,昨年下期にくらべかなり減少しており,五六年第三・四半期以降引渡高が新規受注を上回って受注残高は減少をつづけている。もつとも昨年下期における受注減は外需の減退が大きくひびいており,国内受注はわずかながらふえているが,いずれにしても全体としての需要が低下傾向にあることは否定できないであろう。
工作機械受注高とともに投資の動向を示す工場建設許可面積は五五年第一・四半期の二三・八百万平方フィートから五六年同期二一・九百万平方フィート,五七年同期一三・六百万平方フィートと減少の一途をたどり,本年第一・四半期にはさらに一一・八百万平方フィートになつている(対前年一五%減)。しかし,許可件数の減り方は面積の減少ほどではなく,昨年第一・四半期の五八八件にたいし本年第一・四半期にも五八三件にたつしていることは,一件当りの規模の縮小を示すものとして注目される。
以上の諸指標から判断して,民間産業の固定投資は既に増勢を停止しており,今後は横ばいあるいはむしろかなりの低下が起る可能性が大きいとみなければならないであろう。他方,政府部門の投資は,昨年九月の政府決定により今後二年間は五七年の水準に抑えられることになつており,住宅投資は本年も引きつづき減少が予想されている。したがって固定投資全体としては,本年は昨年程度かあるいは若干低下,来年はさらに先細りが予想される。
次に消費者支出も停滞的な様相を示している。すなわち小売販売高の動きをみると,前年同期に対する増加率は五七年上半期の六%から第三・四半期五%,第四・四半期四%と増勢が鈍化し,本年に入つてからも一月,二月ともに前年同月比わずか二%増にすぎない。可処分個人所得が,五六年に約八%,昨年も五%余の増加をみており,週賃金率の上昇がつづいていることなどからみて購買力の低下は予想されないが,デフレ的傾向がつよまりつつある現状においては,消費者の買控えが生ずる可能性はある。
昨年中かなり巨額の在庫増があつたことはすでに指摘したが,上述したような英国経済の基調からみて,本年中に在庫の蓄積を期待することは困難であり,むしろ削減の可能性が大きいとみなければならない。製造工業の在庫指数をみても,五七年中に八%上昇を示してはいるが,九月の引締め政策強化の影響もあり第四・四半期には増勢は全く停止している。
以上最近における英国経済のおもな指標の動きから結論しうることは,英国の景気が停滞から緩慢な下降をたどりっつあるということであり,そしてこういつた傾向は少なくとも本年中はつづくのではないかと一般に予想されている。さる四月一五日に発表された一九五八~五九年度予算も,「現状維持」予算といわれているように,上述した英国経済の基調を大きく変化させるほどの影響は期待できないようである。エイモりー蔵相も予算演説で五八~五九年度の経済見通しにふれ,国内の固定投資,個人消費,政府消費はほぼ昨年並みの見込みであるが,「輸出需要は不振に陥るかもしれず,さらに在庫の減少がそれに加重されるかもしれない。工業生産は過去数カ月間すでにやや低下の傾向を示してきた。失業も増大しつつある。この傾向は本年一ぱいさらに進行するかもしれない。しかし私は近い将来急激な景気後退がわが国でおこるとは思わない」と述べて,英国の景気が緩慢ながら現実に下降しつつある事実を認めている。しかし同時に「われわれの最大の任務はいぜんとしてポンド価値の維持と物価の安定にある」といい,引締め政策を堅持していることはすでに指摘したとおりである。こういった政府の政策が,現実の事態の発展によつて崩れさる可能性が全くないとはいえないが,それは国内経済の諸要因よりもむしろ外部的な要因,とくに米国景気後退の深度と持続期間が直接,間接に英国経済に与える衝撃の強さによって左右されるであろう。