第1節 景気の停滞が続く日本経済

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第1章では,我が国の景気が,97年度当初の落ち込みの後,一度は回復に向かったものの,その後再び減速して停滞し厳しさを増すに至ったプロセスを分野ごとに回顧し,問題点を探るとともに,今後の回復のシナリオを描く。第1節では,景気動向でとくに問題となっている幾つかの論点について基本的考え方を示したい。

(景気回復の好循環はなぜ断ち切られたか)

1997年度年次経済報告で指摘したように,日本経済は96年半ばから景気回復が本格化し,景気回復期にみられる好循環が現れて(注2),それまでの景気刺激策に支えられた不安定な回復過程から,民間需要中心の自律的回復過程に移行しつつあった。97年度に入ってからの消費税率の引き上げ,特別減税終了などによる国民負担増,およびある程度の駆け込み需要の反動減については,政府経済見通しでも織り込んでいたが,89年の消費税導入時と比べて所得増加期待が小さくなったなかで消費者の反応は大きく,駆け込み需要とその反動減は予想以上に大きく,消費支出や住宅投資の動きに大幅な振れをもたらした。

97年4~6月には駆け込み需要の反動減によって消費に大幅な減少がみられた。その後景気は回復に向かったが,反動減の影響が長引き,回復のテンポは緩慢であった。ただ,この時点では好循環メカニズムが再び働きつつあり,また雇用は緩やかに伸び,円安基調のもとでの輸出採算の好調もあって企業収益,設備投資は堅調で,景気下支え役を果たしていた。ただし鉱工業生産は,97年度入り後在庫が積み上がり,調整局面が続いた。

しかし,バブル後遺症としての金融機関や事業会社のバランスシート調整の遅れの影響は,予想以上に大きくあらわれた。夏から秋口にかけて起こった大手企業の倒産,株価の下落,さらにアジアの通貨・経済危機や金融機関の破たんによる金融システムへの信頼低下などの影響もあり,家計や企業の景況感は厳しさを増すこととなった。もともと家計や企業は産業・就業構造の変化や高齢化に伴う負担増など,中長期的な先行き不確実性を感じている。それに「悪いニュース」が加わって,家計や企業の先行き不透明感を強め,リスク回避的な行動をとらせることとなった。家計の消費性向は大幅に低下した。また,金融機関の貸し渋り行動が強まったこともあり企業のマインドが悪化,設備投資や雇用が鈍化して,プラス要因は外需のみとなった。こうして好循環の連鎖は再び各所で断ち切られた。

このため政策面では金融システムを安定化させるための各種施策,景気対策のための特別減税の実施など有効需要創出策,経済の足腰を強め事業機会を拡大するための経済活性化策などが決定され,実施に移された。これら効果もあって景況感の悪化には歯止めがかかったが,ひとたび低下した消費需要は容易に回復せず,企業収益や設備投資が鈍化し,雇用も厳しさを増して,景気は95年にも懸念された「デフレ・スパイラル」と呼ばれる循環的収縮に陥る可能性も指摘されている。ここに至って,4月には過去最大規模の有効需要拡大策が取られ,既に決まっていた経済活性化策とあいまって景気の回復への転換が期待されている。

(金融システムの動揺と「貸し渋り」)

金融機関破たんは,97年の景気の減速や,本格的な金融ビッグバンを前に,不良債権問題を抱え経営の悪化している金融機関に対し,株式市場や短期金融市場の信認が失われたこと等によるものである。マーケットによる金融機関選別の動きが顕著になってきたといえる。早期是正措置が取られると取られないとにかかわらず,バランスシート調整の不十分な金融機関は資金調達の困難等に直面し,改善を急がざるを得ない。また金融機関にとって,株価下落や自己査定結果に基づく償却,引当の開始は,自己資本比率の低下要因として寄与し,貸出の圧縮へのインセンティブを与えることとなる。

金融システムの安定性への不安はそれ自身家計や企業の景況感を悪化させる要因になった。これが,金融機関の貸出態度の慎重化,いわゆる「貸し渋り」の強まりとあいまって,実体経済にマイナス影響を与えた。

単に金融機関の貸出のパイプが細ったというだけでなく,家計から金融システムへの資金の流れも大きく変わり,日本の資金フロー全体が安全資産志向を強めている。このためリスクのある案件へは資金が供給されにくくなっている。ただし,リスクをとるような投資案件も少なく,資金需要も低調である。

最近の金融機関の貸出残高減少には大規模な不良債権償却や流動化も影響していること,一方で普通社債やCP(コマーシャル・ペーパー)といった市場からの資金調達が増加していること等を考慮すると,マクロ的にみて,量的金融の急速な収縮に至っているとは言い難い。しかし,企業は金融機関の貸出態度が厳しくなったことを実感しており,特に代替的な資金供給チャネルのない中小企業においては,金融機関の貸出態度が今後も厳しくなるとする割合が高くなっている。なお,中小企業では貸し渋り問題はバブル崩壊後の92年頃からすでに出ていた可能性がある。

金融機関の貸出態度は,従来から企業の設備投資にも影響を及ぼしてきたとみられる。今次不況回復期に,従来の回復期なら設備投資回復を主導してきた中小企業の設備投資が出遅れたのは,構造的要因(後述)や不動産担保価値の下落による借入れ難とともに,金融機関の貸出態度厳格化があった可能性も否定できない。

(金融・資本市場のパフォーマンスをどう考えるか)

「市場に聞け」とはよく人口に膾炙される言葉であり,多くの場合株価をさすが,株価の動向が必ずしも経済ファンダメンタルズのみを反映しているとは言えず,短期的にはさまざまな情報でかなりの不規則変動を起こしている。にもかかわらず,この超短期的な株価の動向は,金融機関の行動に影響を与えている。

金融仲介コストを計測する方法の一つとして,国債と社債の利回り格差を取り上げることができる。昨年秋以降の金融機関破たん等によるリスクへの認識の強まりが,この格差を拡大させた要因とも考えられる。

(「デフレ・スパイラル」の可能性)

95年には円高の進行のもと,輸入物価の下落と輸入数量増のもたらす国内物価下落効果によって物価の下落と実体経済の縮小とが相互作用的に進行するという,「デフレ・スパイラル」が懸念された。物価下落に対する日本経済の調整能力が問われた訳である。現実には大型の景気刺激策で下支えをする形になった。また,95年には金融政策が一層緩和され,貸出の実質金利は95年後半から過去の平均を下回り始めた。円高のスピードとバブル崩壊後の日本経済の「体力」低下とで,自律的調整は困難であった。

「デフレ・スパイラル」とは次のような現象としてとらえられる。①物価下落が企業の売上高を低下させる。②その際賃金コストなどの生産要素価格は下方硬直性を持ち企業の収益を引き下げる。③物価下落により実質金利が高止まりし,金融緩和効果の発現を妨げる。④企業の減収減益が企業行動を慎重化させ最終需要の低下が国内需給を更に悪化させる。

また,「資産デフレ・スパイラル」という指摘もある。先行きの需要予想の弱さが地価や株価を低下させ,負の資産効果を通じて消費や設備投資を低下させたり,名目的な債務金額が変わらないのに資産が減価して一層のバランスシート調整を余儀なくさせる。また金融機関は不動産担保に依拠する貸出を抑制する。

名目賃金には生産物価格の変動と比べればある程度下方硬直性があるが,そうであれば企業収益にはマイナスだが家計の実質購買力の増加がプラス要因になるはずである。また,家計の金融資産の実質価値も高まって家計支出促進要因になるはずである。それが出ないのは心理的要因と言わざるを得ない。94年頃までは実質金利の高止まりがみられたが,95年からは日銀の一段の金融緩和により実質金利も低下した。

今回は国内外の需給の緩みとアジア経済の減速により,再び「デフレ・スパイラル」懸念がいわれている。しかし,現在の物価の下落には,輸入物価の下落の影響や生産性上昇,規制緩和効果などによる部分も少なくなく,需給の緩みによって全面的に物価下落が進行している訳ではない。特に,輸入物価の下落はプラスの交易条件効果を持つはずである。現に製造業企業の原材料と製品の交易条件は昨年秋から大幅に改善している。景気への影響は交易条件改善効果と数量面のマイナス効果との綱引きであるから,「総合経済対策」など政策面の景気刺激効果に加え,心理面が改善して物価下落のプラス効果が出てくれば,「デフレ・スパイラル」的状況にはならないと考えられる。

「デフレ」による相対価格の変動が実物経済に与えるショックの大きさは,相対価格変動に対する経済の調整の速度に影響される。景気が減速すると「デフレ・スパイラル」的な動きが出て政策的下支えが必要になる,という繰り返しから,日本経済は中長期的に脱却しなければならない。このためには,次のような経済構造にかかる問題への取り組みも必要である。第一に,日本経済の「体力」は資本ストック調整や雇用調整などの面では一頃に比べて改善しているが,なおバブル後遺症を抱え,ストック面では必ずしも回復しているとはいえないので,不良債権・不良資産の処理を進め,リスク対応力を回復する必要がある。第二に,資産デフレの影響から脱するには,不良債権問題,不良資産問題を解決するとともに,金融機関においては,株式含み益に依存する経営,不動産担保に安易に依存する貸出,というやり方から脱却することが必要である。第三に,相対的低生産性部門での競争が活発化し,コスト低下が製品価格に速やかに反映されるようになり,消費者の購買力の上昇や国際競争にさらされる企業のコスト低下に直結するようになることが重要である。

(アジア経済・通貨問題との相互影響)

アジアの通貨・経済危機は日本経済にさまざまな影響を及ぼしている。過去のデータを用いた輸出入関数によれば,アジアの成長減速や為替レート低下は日本経済にとって0.5%程度の成長減速要因となり,なかでもアジアの相対価格下落による影響が大きいと結論される。しかし現実には,対アジア輸出は97年末から減少に転じているが,対アジア輸入も数量でも横ばいであり,明確な増加に転じていない。

アジアの通貨下落にもかかわらずアジアからの輸入数量が増加しない理由として,短期的には,アジア通貨安による原材料・部品・資本財等調達の困難,金融システム混乱による輸出金融の混乱や信用状開設の停止,そして日本の内需停滞などがある。さらに,構造的には,①アジア製品の非価格競争力が不十分であること,②輸出の多くが企業内貿易であり,競争力ある輸出品を生産するのは外国企業(とくに日系企業)であり,供給力拡大には直接投資が必要だが時間がかかり,また日本企業がリスクに敏感になっていること,などが考えられる。ただし欧米向にはアジアからの輸出は増えている。これは欧米の景気拡大とともに,企業内貿易の比率が相対的に小さいこと,市場が相対価格変化により敏感であること,などのためとみられる。

日本経済の減速や経済政策がアジア経済・通貨の混乱の引き金になったという議論があるが,妥当とは言い難い。第一に,最近は日本の景気減速による輸入の鈍化や直接投資の減速という面はあるが,アジア通貨が本格的に動揺する97年夏以前には日本の対アジア輸入はなお増加しており,またそもそも95~96年に大幅に直接投資や輸入が増え輸入は高水準になっていた。第二に,日本の円安によるアジアの輸出競争力低下が原因との見方があるが,アジア通貨がドルペッグ制に固執したことが他通貨の変動の影響を受ける原因であった。第三に,日本の低金利と資金余剰が資本の対外流出を通じてアジアのバブル的経済拡大をもたらしその崩壊が現在の混乱を招いている,といわれるが,短期の資本移動が自由化されていて世界市場のリンケージが高まった中でアジアの金融制御・監督システムが不備なままであったことが問題なのである。日本の経常収支黒字が95~96年には大幅に縮少して資本の純流出が縮小したが,まさにそのときにアジアのバブル的拡大がピークを迎えたことは,日本の資本流出がアジアのバブルの直接原因ではないことを示唆する。

アジアの経済減速や実質為替の変動は,アジア太平洋経済全体の相互依存関係を通じて相互影響を持つが,やはりアメリカや日本の経済や為替動向が大きな影響を持っている。日本の影響は上に述べたが,アメリカ経済の拡大がアジア経済を支える構図となっている。

(今後の回復に向けて)

4月以降,税負担増の影響が薄れ,家計の景況感も多少明るさが見えてきたが,他方で企業部門は素材産業の在庫調整が長引き,これまで下支え役だった輸出も増勢が鈍化して,企業収益が減益に転じ,設備投資も弱含んでいる。雇用情勢も更に厳しさが増している。これまで下振れしてきた家計の消費需要の回復への動きと,雇用の厳しさによるマイナス影響が綱引きをする状況になってきた。

このため97年末から98年度初にかけて各種の財政・金融措置がとられ,とくに4月の「総合経済対策」は過去最大規模となっている。これら施策は,少なくとも内需を下支えするとともに,日本経済の体質を強化し民間部門の積極的行動を促すための構造改革措置の効果も期待され,再び日本経済が回復軌道に乗ることが期待されている。これとともに,日本経済が抱える諸問題について解決の見通しを国民に示すことなどを通じ,国民が,長期的な展望が開けるようにすることが重要である。

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