第1節 我が国産業経済の発展基盤の強化に向けて
長期的な日本経済の先行きについて不透明感が強い。将来の日本の産業構造がどうなるのか読めないとか,製造業は競争力を失うが非製造業では経済発展はできない,等である。しかし一方で,我が国経済の競争力,特に製造業の技術力は失われていない,との指摘もある。本節では,経済の効率性や実質所得水準の向上という意味での産業経済の動態的発展のための課題を扱う。
議論の主な柱は次のとおりである。
第一に,我が国の貿易構造,産業の生産性,さらにはその源泉である技術の動向を概観し,現在まで日本の製造業の「生産現場に密着した製造技術」は比較優位を失っておらず,日本経済の生産性上昇への貢献も弱まっていないことを確認する。ただし,これら製造技術は企業内,企業系列内で蓄積され高められたものであって,経済活動のグローバル化が進展し,企業系列等従来の生産体系の見直しや産業構造の変化が進むなかでは,これまで蓄積されてきた優れた技術が今後とも変わらず機能し続ける保証はない。そこで,このような技術力が今後とも有効に活用され,製造業の生産性向上のダイナミズムが失われないための課題についても考察する。
第二に,内需型産業で生産性が伸びれば経済全体としての生産性は高まり,経済の活力は維持できることを指摘する。経済全体の3分の2を占める非製造業の生産性上昇の意義は大きく,新規企業の参入等,構造改革,競争促進策が必要である。
第三に,日本は製造技術を磨いてきたが,今後は製造業,非製造業を問わずリスクの高い全く新しい技術や製品・コンセプト等が創出される環境を整備しなければならない。そのためにも,こうした取組みを評価し,そのリスクを分担・分散する市場機能の強化を図ることが不可欠である。
最後に,対内直接投資は最近増えつつあるが,なお極めて低水準である。日本への投資の阻害要因を解消するような経済構造改革は,同時に国内経済主体にとっても活動の自由を確保することになる。また,海外企業が新たな経営資源や考え方をもって参入することが,我が国経済の活性化への動因ないし刺激剤として有効である。
1. 日本産業の生産性
本項では,貿易財の比較優位構造や製造業の生産性向上の推移をみることにより,製造業が日本経済の成長に果たしている役割を確認するとともに,その生産性向上の源泉である技術開発の特徴や動向を概観する。さらに,我が国の製造業が得意とする分野,技術等が,日本経済を取り巻く環境変化,経済システムの変化の中でよりよく機能するための条件を探る。
(我が国貿易財の比較優位構造)
平成8年度年次経済報告においては,貿易における比較優位構造をみるために,日米間で産業別にその均衡レートを比較した( 第2-1-1図①)(注1)。そこでは,我が国は電気機械,輸送機械,一般機械,一次金属等の分野で比較優位を有してきた一方,逆に食料品,繊維等では比較劣位となっており,その格差は徐々に拡大していることを指摘した。
一方,我が国が得意としている部門ではアジア諸国の生産能力や貿易競争力が強まっており,我が国の比較優位産業を凌駕してしまうのではないかという見方がある。そこで,データのとれる日韓間での産業別均衡レートの最近の動きをみると,輸送機械,精密機械,電気機械に比較優位があることが読み取れる(第2-1-1図②)。特に電気機械については,韓国との関係においても足元では比較優位性を強めている。
このように,我が国貿易財の比較優位部門,特に機械工業の比較優位性は失われておらず,むしろ強まっている。ただし,これは機械工業自身の生産性向上によりもたらされたものとは限らず,逆に比較劣位財の生産性の伸び悩みにより相対的に比較優位性が強まったにすぎない可能性もあることには留意を要する。
なお,95年4月から97年4月のドル高基調時においてはドルとの連動関係の強いアジア諸国通貨の対円レートも上昇させており,日本の機械工業の価格競争力という点からもアジアに対して急速に回復した。
(我が国の経済成長における製造業・非製造業の役割)
今度は,製造業が我が国の経済成長に果たしてきた役割を検証してみよう。
そもそも我々が目指すべきは,経済の成長とそれによる経済構成員の生活水準の向上である。経済成長の源泉としては,資本,労働等の生産要素の成長(投入量増大)と技術進歩や規模の経済性による投入効率の改善が考えられる。
そこで,資本,労働を含めたすべての生産要素を考慮した生産性,いわゆる全要素生産性(TFP:total factorproductivity)をみることとする。全要素生産性そのものを直接測定することはできないが,その上昇率については,生産物の成長に対する,資本及び労働投入量の成長の貢献分以外の残差として求められる。なお,我々が本来測るべきは,技術進歩等生産効率改善の長期的要因の寄与であるが,実際に計測されるのはあくまで残差であり,景気後退期においては生産の伸びの鈍化に対して,労働投入量や資本ストックの調整は緩やかであるため,結果としてTFP上昇率が減少する傾向があるなど,計測に当たっては循環的な要因を排除することが困難である点には留意する必要がある。
まず,全産業ベースでの生産(=実質付加価値生産額)の伸びに対する資本ストック・労働投入・TFPの上昇の寄与をみると,資本の寄与度が一貫して大きく,成長率の半分を超える部分が説明できる(第2-1-2図①)。労働投入の寄与度は小さく,TFP上昇の寄与度が資本の寄与度に次ぐ形となっているが,バブル崩壊後の低成長期を含む足元に限ってみればTFP上昇による寄与は労働投入の寄与度の絶対値をやや下回る程度にまで縮小している。同図②,③で製造業・非製造業それぞれの生産の伸びへの各要素の寄与についてみると,製造業ではTFP上昇が第1次石油危機前後及び足元を除けば最大の寄与を示しているといえるのに対し,非製造業では資本ストックの上昇による寄与が大半を占める。
さらに,全産業ベースでの成長に対する製造業・非製造業の成長の寄与をそれぞれの資本ストック・労働投入・TFPの上昇の寄与に分けてみると(第2-1-3図)(注2),非製造業の資本の増加による寄与が,非製造業の生産全体に対するウェイトの大きさを反映して大きくなっている。非製造業のTFPの上昇による寄与は,需要の動向に左右されている面が目立ち,景気回復局面においては寄与が大きくなっているが,全体としては非製造業のTFP上昇による寄与はそのウェイトに比べ小さい。他方,付加価値生産額においては非製造業の2分の1にすぎない製造業のTFP上昇の寄与が,非製造業に劣らず大きく,製造業における投入の効率性の高まりが我が国経済成長の大きな源泉となっていることが分かる。
(高い電気機械のTFP上昇の寄与)
次に,製造業・非製造業の生産の伸びに対するTFPの寄与をより細かく業種ごとに分けてみよう。
まず製造業についてみると(第2-1-4図①),機械工業の寄与が顕著であり,特に電気機械のTFP上昇の寄与が足元まで一貫して高く,技術進歩等による生産の効率化が活発に進んでいると考えられる。また,一般機械も,バブル崩壊後にはやや大きなマイナス寄与を示したものの,80年代において電気機械に次ぐ大きな寄与を示している。ただし,電気機械,一般機械に次いで付加価値生産ウェイトの大きい輸送機械については,TFP上昇の寄与は必ずしも大きくなく,産業として成熟し,革新的な変化がないとすれば投入の効率性の更なる向上が期待しにくいものとなっていることが分かる(注3)。
電気機械について更に細かくみると(注4),全体として資本・労働投入の伸びの寄与は小さく,TFPの寄与によるところが大きい。中でも,電子部品・デバイス(半導体・集積回路等)のTFP上昇による寄与が大きく,次いで通信機械の寄与が目立つ。また,電子計算機については80年代においては高かったが,90年代に入ってからはおおむねマイナス寄与となっており,電気機械の中では相対的に効率性が落ちていることが分かる。さらに,音響映像機器等を含む民生用電気機械器具のTFP上昇の寄与は相対的に小さいものとなっている。
このように,比較優位性の強まっている機械工業においても,生産性・効率性の向上の動きには違いがみられる。特に,電気機械においては電子部品・デバイス,通信機械等を中心に活発な効率化の動きがみられる一方,自動車を柱とする輸送機械については,比較優位性は依然強いものの,産業としては成熟化した感が強まっており,その比較優位性の上昇は,比較劣位財の生産性が伸び悩んでいることによるところが大きいことが示唆される。
一方,非製造業の生産の伸びに対するTFP上昇の寄与度を業種別に分けてみると(第2-1-4図②),計測されたTFPは景気循環の影響をかなり受けているが(注5),ならしてみれば,業種によりTFPの上昇による寄与がプラス・マイナスに振れており,全体としてTFP上昇による非製造業の生産の伸びに対する寄与は小さいものとなっている。むしろ,非製造業においては,資本ストックの伸び,すなわち資本装備率の上昇による寄与が大きく,内外の製造業のTFP上昇に伴い資本財に体化された技術等がその生産の増大に寄与しているといえる。
(技術貿易にみる我が国の技術開発の特徴)
それでは,上にみたような製造業,特に機械工業のTFPの伸び,すなわち生産の効率性の上昇は,現在においても技術開発力の優位性に根ざしたものといってよいのであろうか。
そもそも,我が国の比較優位産業における優位性の源泉は,しばしば「品質の高い製品を安く大量に供給する,生産現場に密着したハード技術」にあるといわれる。すなわち,機械工業を中心とした製造業における,技術・技能の蓄積であり,様々な工程改善や製品機能改善の積み重ねであり,開発部門と生産部門の密接かつ柔軟な連携等の下で応用的な技術を生み出す力である。「日本の製造業の競争力は失われていない」とする論調も,多くはこうしたハード技術やこれを生み出す企業内や企業間の構造・体系を指してのものと思われる。
技術面からは,これらはプロセス・イノベーション(生産工程上の技術革新)といえるが,このことは我が国においてプロダクト・イノベーション(新製品・コンセプトの創出)が行われていないということを意味するものではない。戦後の日本のR&D活動を振り返れば,当初は外国技術の輸入に頼り,続いて外国技術の応用と改良,さらには日本固有の技術開発へといった変遷を遂げてきた(注6)。また,模倣に基づく技術開発は,洋の東西を問わず企業戦略として一般的にみられるものである。
しかしながら,総務庁「科学技術研究調査報告」(注7)により技術貿易の動向をみると,我が国においては,93年度以降収支が黒字に転換したものの,アメリカに対しては依然大幅な赤字となっており,これを海外生産の展開に伴う対アジア輸出で回収する形となっている(第2-1-5図)。また,科学技術庁「外国技術導入の動向分析」によれば,製造業の新規技術導入件数自体も増加傾向にある(第2-1-6図)。
なお,前掲第2-1-5図により,欧米との技術輸出入の内訳をみると,電気機械(特に通信・電子・電気計測器)は輸出も多いが,輸入がこれをはるかに上回っており,大幅な入超となっている。我が国の電気機械工業は,欧米から導入した技術をもって「製品化」することに優れているのであり,その中で固有の技術をも生み出しつつ生産性を高めているのである。
一方,自動車は大幅な出超となっており,しかも輸入は極めて少ない。自動車については,基礎技術も含め技術は成熟段階にあるものの,その水準は海外に比べ依然高く,また国内においても他産業に比べ依然高生産性を保っていることから比較優位性も高くなっていると考えられる。基本的な技術も含めて欧米に対しても相当程度優位性があるという意味において電気機械よりも評価すべきともいえる。ただし,技術的に成熟しており,また海外展開が早いことから,今後も国内における生産性向上,ひいては経済成長のけん引役としての過大な期待をかけることは出来ないというべきであろう。
また,第2-1-7図にあるように,世界の特許等使用料の対外支払額に占める我が国の支払のシェア(全産業ベース)は2割を越えており,そのシェアを高めている。基礎的な技術の輸入の大きさは,それを応用し質の高い製品とすることに優れていることのあかしであるといえ,我が国の製造業は,全体としては,現在においても応用技術,プロセス・イノベーションに高い能力を持っているといえる。
(まとめ―経済のダイナミズムの確保に向けて市場の機能強化を―)
以上でみたように,現時点までの動きをみる限りにおいては,製造業,特に機械工業における技術競争力は全体としては失われていない。我が国経済は,これまで基礎技術を海外から導入し,それを日本固有の技術として高品質の製品を生み出すことで高い成長を遂げてきたが,海外から優れた技術を導入しこれを高度に応用していく能力は今もって強い。特に,電気機械においてはそうした動きの速さは衰えておらず,また,輸送機械,特に自動車においては基礎技術・応用技術ともに成熟したものとなっており,技術輸出の大幅超を強めている。その結果,これら部門は比較優位性を弱めるどころかむしろ強めている。
このような我が国の製造業の有する技術は,一朝一夕に得られるものではない。柔軟な生産システムとそこでの蓄積によるものであり,その能力が既に失われたのではないかなどと悲観するには及ばないといってよいであろう。
ただし,企業の競争力や企業に蓄積された技術が維持・強化されることと,それが今後とも国内に残るどうかかという問題は別である。企業活動のグローバル化,新興工業国によるキャッチアップが急速に進むなかで,製造業企業は国境を越えてその経営資源を蓄積し,強化し,発揮していくこととなるであろうが,国内経済にとってみれば,海外生産比率の上昇,サービス経済化の進展の中で,製造業に従来のように国内経済全体の生産性向上への期待を全面的に寄せることはできない。
したがって,我々が取り組むべき課題は大きくは次の3点であるといえよう。
(課題1:技術開発のダイナミズムの維持・強化)
経済構造・日本的経済システムが変化しつつあり,また,内外企業との競争の激化,企業業積の二極分化やとう汰,「系列」の見直し等産業構造の再編が進んでいる。我が国の技術開発力の強さは,これまで生産・開発部門の組織内部,系列関係内部における「柔軟性」にあったといえ,開発・生産すべきモノの目標が比較的明確であった時代においては,こうした柔軟性が遺憾なく発揮された。電気機械の高付加価値化の動きは,情報関連技術・機器の開発スケジュールが様々な形で提示されたなかでのものであるともいえ,現在でもそうした状況に変わりはない。しかしながら,全体としてみれば,従来型の財の市場は飽和状態にあり,ややもすれば,産業構造の再編が進むなかで,これまで企業に蓄積された技術・技能が新たな活路を見出せず有効に活用されないまま失われてしまうおそれも生じており,こうした技術をいかにマーケットのニーズに対して柔軟に結び付けていくかが重要となろう。こうしたなかで,高度な技術を持ちながら,従来のマーケットを失い廃業に追い込まれつつあった中小製造業が,新商品開発者を求めるベンチャー企業の下で息を吹き返すといった例がみられている。
経済システムの変化の中でこのような新たな「柔軟性」を強化していくこと,すなわち,技術を蓄積した組織・個人が,マーケティング能力等において優れた経営資源と結び付くことを可能とする「市場機能」を高めていくことこそが重要である。
蓄積された技術の有効活用という観点からも,新規開業の環境の整備が不可欠であり,また,業務提携はもとより,企業の経営戦略として従来積極的に位置付けられていなかったM&A(合併・買収)について,その在り方や必要な環境整備に関する前向きな検討が急がれる状況にあるといえよう。その際,企業組織制度,企業情報開示に対する多様なニーズへの対応等の企業関連諸制度の改革の着実な推進,さらにはビジネス支援関連分野の発展も不可欠である。
(課題2:非製造業の生産性上昇)
製造業のウェイトが相対的に小さくなるなか,我が国経済全体の生産性が上昇し生活水準が向上していくためには,経済の3分の2を占める非製造業の生産性上昇がかぎとなる。しかしながら,現在のところ非製造業の生産性の上昇は順調とはいえず,投入要素の一層の効率的な利用が図られなければならない。
非製造業の生産性向上は,製造業の国内生産におけるダイナミズムの維持・強化という観点からも重要である。昨年度の年次経済報告で強調されているように,比較劣位産業,非貿易財の生産性上昇と高コスト体質の改善が,貿易財産業の競争力を国内において生かすための基本的な条件である。これらの産業間の生産性格差拡大は,為替レートの均衡レートから大幅なかい離(為替レートのミスアラインメント)を引き起こし,本来比較優位にあるはずの産業の価格競争力さえも低下させ,産業の「空洞化」につながるおそれがある。本節冒頭に触れたように,このところ比較優位財と劣位財の均衡為替レートの差が拡大する傾向にあるが,これは,比較劣位財の生産性の上昇が芳しくないことが一因となっているともいえ,これらの産業の更なる生産性上昇とコスト低下努力が不可欠である。
非製造業における生産性上昇のための規制改革や競争を制約している商慣行の是正等は,我が国経済全体の成長のために最も効率的な手段となろう。内需向け非貿易財産業の発展は将来の必然的方向であり,今後の日本経済のビジネス機会,雇用機会の源泉となるものである。高い経営技術を持った新規企業が参入して新規ビジネスを開始すれば,日本経済全体の生産性上昇を可能にすると考えてよい。問題は自由な参入や競争条件が確保されているか否かであり,経済構造改革が必要条件となる。
(課題3:リスクを適切に評価・分散する市場機能の強化)
もう一つ重要な課題として,欧米諸国へのキャッチアップ過程を終了し,財市場が飽和状態となるなかで,全く新しい製品やコンセプトを生み出そうとする研究開発が企業の経済活動の中でどれだけなされ,どれだけ効果的に実を結んでいくのか,という点が挙げられよう。
新しい製品やコンセプトを生み出し評価する能力を定量的に測ることは困難であるが,上でみた日米間の技術貿易の偏りはこれを反映したものといえる。日本は新しい技術やアイディアを評価することが不得意であるとか,評価できる人材がいないなどという指摘がしばしば聞かれる。日本のベンチャー企業が,開発した全く新しい技術や製品を国内の大企業に持ち込むと「他での使用実積がないから」といって十分な検討もなされないまま門前払いとなり,これをアメリカに持ち込むと評価され,果てにはアメリカで評価されたことをもって日本でも評価された,等という例には枚挙に暇がない。また,我が国においては,「ソフト」に対する評価が低い,あるいは評価能力に乏しいとの指摘もある。アメリカ等においては新しい技術やアイディアを自らのリスクで評価し,ビジネスとする市場が存在する。実を結ぶ可能性が未知数でも成功した場合のリターンが大きいと見込まれる研究開発には,それを評価し,相応のリスクを分担・分散(シェア)するのためのスキームを設定するというビジネスが存在することにより,市場において適切なリスク分散がなされる。このようなシステムがあるからこそ,新しい研究開発が行われるとともに,その成果が効果的に回収される。
我が国においては,自らのリスクで新しい技術やアイディアに取り組んだり,これに自らのリスクで投資をしたりするような,「研究開発」(注8)の幅広い選択肢が提供される市場が十分に整備されていない(注9)。「市場の機能を高め,研究開発の選択肢を増やす」こと,そうした「市場を形成する」ことこそが重要というべきである。
さらに,長期的な観点に立てば,こうした「市場」の新たな機能の高まりを受けて,教育制度についても多様性・柔軟性と選択の機会を備えたものへと変わっていくことが求められている。高等教育のシステムの在り方や大学や高等学校等への進学を巡る過度の受験競争が改善し,さらにはそれらに影響される初等・中等教育期の広い意味での教育も,より「創造性」の伸長に資するものとなることが期待される。その際,学校教育の大きな出口である企業や官公庁における採用や昇進の在り方の改善や,横並び意識の改革が欠かせない。なお,インターンシップ(学生が在学中に自らの専攻,将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと)の導入の在り方の検討やそれに対する支援,社会人の高等教育機関受入れ拡大のための制度改正等は,教育の多様性・柔軟性を高めるものとして評価すべきことであり,その進ちょくが期待される。
(ぜい弱なソフト開発力)
科学技術庁「外国技術導入の動向分析」により,海外からの新規技術導入件数を「ハード系技術」,「ソフトウェア」,「商標のみ」に分けて,80年代後半からの推移をみると,ハード系技術(応用技術,プロセス・イノベーションが含まれる)は導入件数が緩やかに減少する傾向にあるのに対して,ソフトウェアは増加傾向で推移している(図①)。さらに,日本銀行「国際収支統計」により特許使用料,情報,文化・興行についてみると,後2者の方が輸入特化係数が大きく,輸入に依存している度合いが高いことを示している(図②)。こうしたことは,マルチメディア関係のソフトウェア・コンテンツ,ネットワーク構築はもとより,新たなコンセプトやシステムの構築・創造,更にはブランド・デザイン等より広い意味での「ソフト分野」の開発力が十分でないことを示唆している。我が国においては,現時点ではハード系技術に優位性を持ち得るものの,生産活動が一層国際化し,新興工業国がキャッチアップしてくるなかでは,新たな技術的優位性の源泉を生み出していくことが求められており,広い意味でのソフトウェア開発力の強化が期待される。
2. 対内直接投資は拡大するか
前項において指摘したように,日本経済全体の生産性の向上・発展のためには,優れた経営資源を有する新規企業が参入して新規ビジネスを開始することが望まれる。特に,優れた経営資源を持った海外企業が対内直接投資により国内市場に参入してくることは,①新たな技術や経営ノウハウの導入,②内外企業による多様な競争等を通じて,我が国産業や経済全体の活性化,さらには構造改革にとって重要な刺激要因となるはずである。逆に,対内直接投資が増えるためには構造改革が必要であって,海外企業にとって参入や事業活動が困難な市場の多くは,国内企業にとっても同様に制約の多い市場なのである。構造改革と対内直接投資による刺激が相互に作用し合って,魅力的な市場が形成されていくことが望ましい。
(我が国対内直接投資の動向)
まず,我が国の対内直接投資の動向を概観してみよう。
そもそも直接投資については,継続的な経営参加を目的とした国際的な「資本」の移動という理解にとどまらず,優れた「経営資源(技術,マーケティングや営業のノウハウ,経営ノウハウ等)」の国際移動とする見方が一般的である。直接投資を把握する統計としては,通常は「資本」の移動に対応した国際収支統計を用いることが多いが,「経営資源」というより実体的な面を考慮した外資系企業の活動状況等にも注目すべきであり,ここでは,両者についてみることとする。
まず,「資本」移動の面からみよう。我が国の対内直接投資をフローベースでみると,国際収支統計(ネット,ドルベース)では,80年代末から急速に増加した後,93年度以降低い水準にある(第2-1-8図)。届出統計(グロス,ドルベース)では91年度をピークに95年度までは伸び悩んでいるが,足元96年度については前年度比78.5%増(円ベースでは108.5%増)と急増した。
一方,ストックベースで見ると,最新の対外資産負債残高統計によれば96年末時点で対外直接投資残高29兆9,990億円に対し対内直接投資残高は3兆4,730億円となっており,ストックベースでの対内・対外直接投資残高の比率は,8.6倍となっている。
これを欧米主要国と比較してみると第2-1-9図のようになっている。各国の直接投資統計は,例えば直接投資の中に再投資収益(子会社の上げた収益のうち配当や親会社への送金等を除いたもの)を計上しているのが,アメリカ,イギリス,ドイツ等一部の国に限られており,日本においても再投資収益の計上は96年1月からとなっているなど直接投資の定義や統計処理の方法が異なっていることには留意する必要がある(注10)。したがって,対内直接投資について定量的な比較を行うことは困難ではあるが,96年はもとより,95年以前についても,日本と統計の取り方が比較的近いと思われるフランスやイタリアと比較しても日本の対内直接投資は低い水準にとどまっており,欧米主要国と比較して経済規模の割に少ないといえよう(注11)。なお,80年,85年,90年,95年末時点における対内外直接投資の比率をみると,それぞれ,6.0倍,9.3倍,20.5倍,14.9倍であり,80年代にその格差が拡大してきたことが分かる(注12)。
さらに,アメリカ商務省統計により,日本との対内・対外直接投資の残高を業種別にみると,対外資産負債残高統計にみるほどには格差は生じていない(注13)。しかしながら,これをみても少なくとも非製造業については,日米間における不均衡は大きいことが分かる。
(アメリカに比べ低い外資系企業のプレゼンス)
今度は,「経営資源」の移動という観点から対内直接投資の動向をとらえるべく,日米における外資系企業のプレゼンスを比較してみよう(第2-1-10表)。通商産業省「外資系企業の動向」を基に在日外資系企業の全法人企業に占める総資産及び売上高のシェアを試算すると,例えば製造業においては94年度でそれぞれ5.1%,5.9%となっており( 注14),85年,90年調査時点に比べても増加の幅は小さい。一方,アメリカの製造業における外資系企業のシェアをみると,94年時点で総資産が19.8%,売上高が17.7%となっている。以上により,外資系企業のプレゼンスは,アメリカと比較する限りにおいて依然低い水準にとどまっていることが分かる。
(対内直接投資が少ない理由)
そもそも企業は制約がなければ,国内であれ国外であれ収益機会を求めて最適に経営資源を配分できるよう事業展開をするものである。日本企業と同様に海外企業も国際分散投資を目指してその一環として巨大な市場規模と産業集積のある日本市場に立地することは想定し得ることである。しかし,上でみたように現実には我が国の対内直接投資は対外直接投資に比べて低い水準にとどまっている。かつては投資規制が広範に存在したが,規制がほとんどなくなった最近時においても対内直接投資が伸びないのはなぜだろうか。
通商産業省「第29回外資系企業の動向」(97年3月)によると,日本に関心のある海外の企業は,対日進出に当たっての障害点として,①言葉,②情報不足,③文化・商習慣の違い,④競争力,⑤コスト高,⑥規制・許認可,⑦人材不足等をあげている(第2-1-11図①)。また,当庁「対日直接投資促進施策に関する調査」(95年3月)におけるヒアリング調査によると(注15),サンプル件数は少ないものの,①日本市場や日本への参入方法等に関する情報不足,②物流,土地,人件費等の高コスト,さらには規制,価格競争力よりも既存の取引関係を重視するという商慣行,人材の採用等が指摘されている。
また,在日外資系企業を対象としたアンケート調査(日本貿易振興会「対日直接投資に関する外資系企業の意識調査」(95年10月))によると(第2-1-11図②),外国企業が対日投資の阻害要因と感じているのは,①人件費,不動産関連コスト,物流コスト,税金等のビジネスコストの高さ,②系列取引,複雑な流通経路,人的コネクション等日本的なビジネス慣行,品質や価格に対するユーザーの要求水準の厳しさ,③人材確保の困難さ,④不安定な為替動向,⑤行政手続の煩雑さ等となっている。また,96年10月の第2回同調査によると,日本市場への参入時・参入後の問題の有無については,70.9%の企業が日本市場への参入そのものは難しくないと回答している反面,67.0%の企業が参入後に問題があるとしているが,その多くについて過半数の企業が日本企業も直面する問題であると認識している。
このように,外国企業が日本市場に参入するにおいては,そもそも言語の問題も含めての情報不足の問題があるほか,ビジネスコストの高さ,商慣行,人材確保の困難さ等が障害となっているとみられる。
なお,ビジネスコストの高さ等は企業の収益性の低さに現れてくることが考えられる。他の条件が同じならば,収益性の低い市場への資本の流入は収益性の高い市場への資本の流入に比べ小さくなるといえる。一例として,アメリカ商務省資料により米系海外子会社の利益率を地域別に比較してみると,日本はヨーロッパ諸国に比べ低い水準にある(第2-1-12図)。また,収益性と米系子会社の当該国での投資水準との関係をみると,利益率と投資水準とはある程度の相関関係があることがうかがわれる。無論,原材料の確保や貿易摩擦回避等が主目的で海外進出を行う場合もあることから,収益性のみで直接投資の水準を説明することは難しいが,収益性の違いも無視できない要因であるといえよう。
このところの不動産価格の低下や円高是正は収益性の改善につながるであろうし,系列の見直しの動きが進んでいること(注16)も投資環境の改善をもたらすであろう。また,労働者保護に配慮しつつ,公共職業安定機関とあいまって労働力需給調整機能の役割を果たす有料職業紹介事業や労働者派遣事業の制度の見直しを行うことにより,労働力需給両面にわたる多様なニーズに対応して,労働力需給のミスマッチを予防し,既存分野にある人材が新規分野に円滑に移動していけるような環境を整備することも,投資環境の改善をもたらすものといえる。企業税制についても,税の公平・中立等の基本的視点に加え我が国産業の国際競争力の維持,企業活力の発揮,新規産業の創出などの観点も踏まえ,課税ベースを適正化しつつ税率を引き下げるという基本的方向に沿って検討を進めることが重要である。
また,一部のコスト要因等については,企業の新規設立という形をとるのではなく,既存企業の一部又は全部の「買収」等の形を取ることによりある程度克服できるものであるとの指摘もある。特に,地価が高いことに関していえば,我が国企業を買収する場合に不動産の含み資産価格がその買収価格を割高なものとする面があるのに対し,「営業譲渡」という形で必要としている事業だけを譲り受け,不必要な不動産の価格を買収価格から排除することも可能になるという考え方もある。
実際,近年のアメリカ,イギリス等における外国投資家による投資状況をみると,既存企業のM&A(合併・買収)という形態が大きな役割を果たしているとみられる。例えば,外国投資家によるアメリカ企業の買収若しくは新規設立のシェアをみると,8割強が買収によるものとなっている(第2-1-13表)。一方,日本においては,これまで国内企業間でのM&A自体が少なく,特に外国企業によるM&Aは極めて低い水準にとどまっていた。
(注目されるM&Aの動向)
80年代後半以降,世界的に対内直接投資が増加した背景をみると,アメリカやイギリスにおけるM&Aの増加が挙げられる。そこで,日米欧における外国企業と国内企業の間でのM&A(クロスボーダーM&A)についてみよう。
第2-1-14図をみると,国内企業による外国企業のM&A(内-外型M&A),外国企業による国内企業のM&A(外-内型M&A)ともに特にアメリカ・イギリスにおいて活発であるほか,ドイツやフランスにおいても,イギリス等に比べれば水準は低いものの,内-外型,外-内型がある程度バランスしてみられている。そもそもアメリカやイギリスにおいてはM&Aの歴史は古く,90年代に入ってからは,金融部門,医薬等ヘルスケア部門,マルチメディア部門,防衛産業等の分野におけるより事業戦略的なM&Aが活発になっている。また,特にイギリスにおいては,現在の経営陣が企業の一部又は全部を買収(=オーナーが売却)するMBO(Management BuyOut)といった手法により企業のリストラクチャリングや後継者対策としてM&Aが積極的に用いられていることが特徴的である。なお,イギリスを除くヨーロッパ諸国においては必ずしも歴史的にM&Aが盛んであったとはいえないが,近年においてはヨーロッパ域内市場統合の動きの中でその動きが徐々に活発化してきている。これに対して,日本においては,M&Aの水準自体が低いとともに,内-外型に大きく偏っていることが分かる。
クロスボーダーM&Aと対外・対内直接投資は定義上,完全に重なり合うものではないが,こうしたM&Aのインバランスと直接投資のインバランスには類似した動きがみられる。
(我が国のM&A市場)
日本においては,これまで日本企業が関与するM&A自体少なく,特に外-内型のM&Aの水準は極めて低いものにとどまっていた( 第2-1-15図)。対内直接投資に占める外-内型のM&Aの割合も同様に低い水準にとどまっている。さらに,日本企業が関与するM&Aの伸び率が高まった80年代後半においても,増加したのは内-内型のM&Aではなく,内-外型のものであった。
こうした現象の背景には,①M&Aに対するマイナスのイメージや考え方の違い(企業の売却は事業が完全に立ちいかなくなった企業のすることであるという考え方や,積極的な売却を望んでもその情報が漏れるとマイナスの評価を受けてしまうなど),②メインバンク・株の持合い等日本的企業間システムなどが関係しているという指摘がある。こうしたことから,日本から企業の売却案件が出されるケースが限られており,また事業や業務の再編・再構築に当たってM&Aのような手法が想定されなかったといえ,前述の外国企業アンケートにおける日本市場への参入の阻害要因として「情報不足」が挙げられていることも,M&Aの実現のための前提条件たる企業情報が市場に発信されていないということとも関連があると思われる。
しかしながら,経済システムが変化するなかで,事業の再構築,業界再編の必要性が高まっており,M&Aや対内直接投資を取り巻く環境も変化しつつある。特に,金融自由化の動きを受けて,金融業における対内直接投資はこのところ急速に増加する傾向にあり,国内金融機関において外国金融機関との提携を図りつつ再建を図る手法が評価されるようになることによって,業務提携やM&Aに対する考え方が変化することも期待される。
また,業務提携やM&Aが前向きにとらえられることによって,企業が債務超過に陥る以前にその経営資源を再生したり,後継者問題を抱える企業の資源が有効に維持されたりすることが期待され,これは,前述のような技術や技能の有効活用にも多いに資するものと考えられる。
なお,我が国産業・企業にとってこうしたM&Aは必ずしも外国企業によるものである必要はなく,むしろ,国内におけるM&Aの環境が整い,M&Aが企業戦略の一貫として機能することが,外国企業によるM&Aをも増やすことになろう。政府においても,96年4月に対日投資会議で「M&A環境整備に関する対日投資会議声明」等を決定するなど,これまでM&Aをどちらかといえば対日直接投資促進の観点からとらえてきた。しかしながら,事業支配力が過度に集中することとならない範囲での持株会社の解禁,合併等に関する商法改正等の制度改革が進むなかで,今後はM&A環境の整備をより国内的な問題としてとらえ,その在り方についての検討を進めることが望まれる(注17)。当庁「平成8年度企業行動アンケート調査」によれば,今後,新規事業への進出においては既存資源のみならず外部資源をも利用するという企業の割合が増加しており,その具体的な内容として,新規研究開発投資,情報化投資に加え,業務提携,さらにはM&Aを想定する企業が増大する兆しがみられている(注18)。また,海外の対日進出関心企業に対する調査においても,日本企業に対するM&Aを希望する企業が日本に支店を設立することを希望する企業数に並び,100%出資子会社の設立を希望する企業数を大きく上回っている(第2-1-16表)。
(対内直接投資の役割)
外国資本の参入,特にM&Aという形での参入については,既に存在する国内経営資源を海外からの優れた新たな経営資源と結び付け,従来以上に有効かつ効率的に活用することにつながるものであり,経済システムが変化するなかで,一定の役割を果たすことが期待される。
さらに,非製造業の生産性向上の観点からすれば,新規参入による競争促進こそが一義的には重要であり,その際対内直接投資であれば,既存の優れた経営資源が流入することが期待される。特に,情報通信,金融・保険,不動産等の分野においては,規制改革等の進ちょくや期待される市場の規模の大きさなどからみても今後とも更なる展開が有望であるといえよう。
なお,対内直接投資には,優れた経営資源が国境を越えて移動するという見方もできる一方,優れた経営資源・経営環境に資本が集まるという形もある。シリコンバレーに各国企業のR&D部門が集まるのは,後者の面である。最近,韓国や台湾,香港企業による対日直接投資やM&Aが増えてきているのもこれに当たる(第2-1-17図)。こうした意味においては,核となる優れた研究開発が国内で活発に行われる環境を整備することで,世界から資本や人を呼び寄せ,国内においてシナジー(相乗)効果が起こることも期待される。
また,対内直接投資については,地域経済の発展の観点からもその役割に対する期待が高まっている。我が国における外資系企業は大都市圏に集中しており(通商産業省「第29回外資系企業動向調査」によれば,東京都,大阪府,神奈川県の3都府県で企業数の89%,売上高の94%を占める),地方レベルでの外国資本の参入のための更なる環境整備の在り方が問われている。
今後対内直接投資が増加するためには,規制緩和・高コスト構造の是正といったビジネス環境の整備はもちろんのこと,資本市場・M&A市場の改善(特に情報公開面,M&Aの活用),ビジネス仲介者(弁護士・専門機関等)の充実による情報流通の円滑化,既存分野にある豊富な人材が円滑に移動していけるような環境整備や研究開発投資の環境整備等が重要である。言い換えれば,構造改革による柔軟な経済システムの構築こそが重要なのであり,その結果対内直接投資が促進され,これにより一層の構造改革が進むという好循環が生まれることが今後期待される。