第5節 財政政策の現状と課題
バブル崩壊後,景気対策としての累次の経済対策が講じられ,今日,景気が回復過程にあるが,この間,財政状況が悪化するなど,財政政策と財政再建の問題がクローズアップされた。年次経済報告でも,既に公共投資については様々な分析,提言を行ってきたが,以下では,財政政策の動向を概観した上で,特に公共投資の中長期的な事業効果を地域経済に果たした役割に着目して検討を加え,今後の財政政策の課題を考えてみる。
1 財政政策の動向
(民需へのバトンタッチを果たした公共投資)
今回の景気回復過程で,財政政策は大きな役割を果たした。すなわち,94年度から96年度にかけて特別減税が計 9.5兆円実施され,95年度からは制度減税(恒久減税)も毎年度3.5兆円といった規模で導入されている。また,95年度には各種施策が講じられたが,特に9月には公共投資等の拡大を中心とした過去最大規模の経済対策(総事業規模14.2兆円)が実施された。したがって,96年の公共投資の動きをみると(第1-5-1図),年度前半は各種経済対策の影響を受けて,公的固定資本形成は,GDPの前年比ベースでプラスに寄与し,年度後半からこれらの対策の反動が生じてマイナスに転じている。この間GDPは着実に成長していることから,公共投資が景気回復の起爆剤となり,これが民需にバトンタッチされるなかで,公共投資が減衰していったといえよう。
(悪化した財政赤字)
バブル崩壊後の税収減や公共投資の追加を伴う経済対策が大規模になされるなかで,我が国の財政は急速に悪化した。我が国の財政状況をみると(第1-5-2図①),中央政府,地方政府とも赤字が拡大してきており,社会保障基金の黒字も縮小している。こうしたなかで,96年度末における国と地方を合計した長期政府債務残高は445兆円となる見通しであり,これをGDP比でみると88%にも達している(第1-5-2図②)。また,これらのほか,国鉄長期債務等の処理等の課題も存在している。
なお,97年度入り後の財政面の措置としては,消費税率の3%から4%への引上げ及び地方消費税の創設が行われ,94年度から単年(度)限りの措置として実施されてきた所得税・個人住民税の特別減税は実施しないこととした。
2 公共投資の経済効果
(公共投資の総需要に対する効果)
公共投資の経済効果には,①総需要に与える効果(フロー効果)と,②事業自体がもたらす事業効果(ストック効果)の二つの側面がある。このうち,総需要に与える効果は,財政政策によって経済の安定化を図る上で,一つの有効な手段であることは間違いない。
今回の場合,度重なる政策発動にもかかわらず景気の回復が遅れたことから,その効果に対し議論が分かれることとなったが,これまでの年次経済報告の分析では(注1),上記乗数効果を遮断するような消費・投資支出性向の変化等の事実は確認できなかった。また,我が国の場合,公共投資に乗数効果を相殺するような別のルート,すなわち,金利上昇効果(クラウディング・アウト効果)や為替増価に伴う輸出の減少(マンデル・フレミング効果)も検証されなかった。90年代前半は,公共投資は成長率押上げ効果から景気を下支えしたものの,民間部門のストック調整やバランスシート調整等バブルの負の遺産が総需要を抑制する方向に作用し,公共投資による需要拡大効果が顕在化しなかった。
(公共投資の事業効果)
景気回復が遅れるなか,公共投資についてはその総需要に与える効果が注目されたが,公共投資に本来期待される効果は,社会資本の提供がもたらす事業効果である。社会資本には,生産能力や効率を高めるためのインフラを提供する機能や,安全を確保する機能,生活の質を高める機能が存在する。また,これら社会資本は,規模の経済や外部経済効果の存在から,民間ベースでは望ましいストックが提供されない。そこで,公共投資という形で政策的な建設が行われ,資源の再配分が実現される。
しかしながら,公共投資であっても,それが国民の税金で賄われる以上,費用との対比で公共投資の事業効果を的確に判断する必要があることはいうまでもない。バブル崩壊という状況で,このところ公共投資が短期的な景気浮揚効果の一手段として注目されていたが,その一方では,次のような批判がなされている。すなわち,①公共工事のコストが割高である,②投資が薄まきとなっており,その効果がなかなか目にみえてこない,③各省庁・事業がバラバラに実施されており,二重投資等の非効率な事例が見受けられる,といった点である。また,会計検査院では,「特に掲記を要すると認めた事項」として,土地改良事業,多目的ダム等建設事業について,その問題点を指摘し,その改善を勧告している(注2)。(コラム「改善が求められる公共事業」参照)。
もっとも,マクロ的に公共投資の事業効果を評価することは容易なことではない。そこで以下では,都市圏と地方圏に分けてマクロ経済効果をみることによって,我が国の公共投資の事業効果をみよう。
(改善が求められる公共事業)
政府の予算執行の問題点は,会計検査院によって指摘されているが,特にここ3年間は,決算検査報告に「特に掲記を要する事項」が4件掲載され,うち2件は,公共事業の実施について直接的な問題提起がなされている。
このうち,平成5年度の報告では,「国営羊角湾土地改良事業」が取り上げられている。この事業は,昭和42年度から平成5年度まで109億420万円の事業費が充てられているが,干拓事業と水源事業が,49年度に工事を休止して以来再開のめどがたっていない等の問題があり,報告では,「現行の事業計画どおりに事業を実施することは相当困難な状況となっている」と指摘している。
また,平成6年度の報告では,「多目的ダム等建設事業」について,「6事業(6年度までの支出済合計額851億1,774万余円)について,事業着手後19か年から29か年を経過した現在でも,基本計画作成の見通しや本体工事着工の見通しが全く立っていなかったり,本体工事の着工までには今後も更に長期間を必要としたり,事業計画が周辺事業の進展状況とかい離している事態となっていた」,と指摘している。
(社会資本整備と地域経済)
公共投資の役割の一つとして,社会資本を整備することによって,人や物の流れを盛んにし,地域間の様々な格差を解消することが期待されている。高度成長期の60年代においては,「新産業都市」や「工業整備特別地域」といった拠点開発によって,地方圏における工業の中核都市の形成が行われ,70年代に入ると,「ナショナル・ミニマム」の達成という観点から,生活関連の社会資本整備による地方の生活水準向上も盛り込まれた。この結果,80年代まで公共投資の地方圏のシェアが高まったが,その後80年代後半のバブル期にはそのシェアが低下した。
こうした公共投資の地域別のシェアと地域間格差の関係については,所得の変化の原因は公共投資だけではなく,また,社会資本整備が所得の増加に結びつくにはタイムラグが存在することもあり,直接的な因果関係まではとらえることができないが,単純に,各県の一人当たり県民所得(実質)の変動係数(標準偏差/平均値)との関係をみると(第1-5-3図① ),70年代後半に公共投資の地方圏のシェアが高まったものの,格差はほとんど変化していない。一方,80年代に入り,公共投資の地方圏シェアが低下傾向となるなかで格差の拡大もみられるが,90年以降の両者の関係はデータの制約もあるなか,所得格差についてみれば縮小傾向にある(注3,4)。
また,社会資本の効果は当該地域にとどまらず,他地域へ波及することにも留意する必要があるが,民間資本ストックの集積度が高く,社会資本ストックも大きい都市圏においては,社会資本ストックを同じ比率で増加させた場合に生産力拡大に与える影響は,地方圏よりも大きくなっている(第1-5-4表)(注5)。ただし,用地費を含む金額ベースでみると,都市圏では用地費が通常高いこと,投資額が同じであれば地方圏の方がストックの増加率が高いことを考えあわせると,事業費当たりの経済効果について,都市圏と地方圏とではどちらが大きいのか単純には判断できない。
さらに,公共投資の効果を,所得や生産力といったマクロ指標によってのみ判断することは一面的である。例えば,治水事業の実施や下水道の整備は,それ自体が生産力や所得に直接結び付かなくとも,そこに生活する人々の生命や財産を守り,安全で安心な生活基盤を確保するとともに,生活水準を向上させ,その質を高めることは確かである。
いくつかの社会資本について,その整備状況を地域別にみると,下水道普及率は地方圏での遅れが目立っているが,公園や図書館,文化会館といった施設は,人口当たりでみると都市圏の遅れが目立っている(第1-5-5表)。さらに,昨今,防災という観点から,都市部における社会資本整備の必要性も指摘されている。
重要なことは,公共投資が,生活の質という面も含め,今後とも十分な事業効果を発揮していくことである。また,社会資本の整備水準には地域間格差があることから,地域のニーズを踏まえ,事業内容や地域間の配分に留意する必要があろう。
3. 効率的な財政政策に向けて
財政状況が悪化し,公共投資の事業効果にも改善が求められている今日,財政政策の在り方が根本的に問われている。そこで,これらの問題について,論点を整理し今後の課題を考えてみよう。
(財政構造改革)
まず,今後の財政政策を考えるに当たって問題となる点は,我が国の財政状況が前述のとおり急速に悪化していることである。財政赤字の長期的な問題については,これまでの年次経済報告でも繰り返し述べているが,これらの議論も含めていえることは,財政赤字の持続的拡大若しくは政府債務の累増は,①民間貯蓄を吸収してしまい,今後高齢化が進展し,貯蓄率が低下した場合に資本蓄積を妨げる可能性がある,②政府債務に対する利払いが巨額になり,それ以外の支出に機動的に支出を振り向けることができなくなるといった資金配分の非効率をもたらす,③財政赤字によって得られる利得が相当程度得られないと,財政赤字を償還しなければならない将来世代の増税の分,世代間の不公平をもたらす,④市場の信頼を損ない,国債発行コストの増大から金利の急上昇を招いて資金循環に支障をもたらす,といった点である。
このため,政府は96年12月,国及び地方の一体となった取組みにより,まず公的債務残高の対GDP比の上昇を止めるため,国及び地方の財政赤字の対GDP比を3%以下とし,その後,速やかに公的債務残高が絶対額で累増しない姿を実現していく必要がある等の財政健全化目標の閣議決定を行った。また,平成9年度予算を財政構造改革元年として位置づけ,歳出面では,一般歳出を対前年度比1.5%増とし,財政健全化目標達成のための方策として定められた名目成長率(3.1%)より相当低く抑えるという目標を達成した。また,4.3兆円の公債減額を行い,プライマリー・バランス(国債費除きの歳出を税収等,つまり借金以外の収入で賄う)についても,9年度予算で目標を達成している。さらに,本年6月の閣議決定で,政府は財政赤字の対GDP比を2003年までに3%以下にする等の目標を設定した。
(公共投資の効率化)
さらに,公共投資の課題として挙げられる点は,その効率的な執行である。我が国の社会資本は,なお立ち遅れている部門が残されているものの,我が国の公共投資は他の先進国と比べ高い水準にあり,整備水準が向上していることから,社会資本の整備とその効果を考えるに当たっては,代替手段の存在等も考慮し,その必要性を検討することも重要である。このため,①公共工事のコスト縮減対策を推進し,②類似事業間の調整や省庁の枠を超えた事業間の連携を強化するとともに,③費用効果分析等の導入による客観評価により公共投資の一層の効率化を図り,投資効果を高める必要がある。
(公共事業における省庁間・事業間連携─「駅内外歩行者快適化作戦」)
公共投資の一層の効率化を図るためには,省庁の枠を超えた事業の推進が必要である。特に,高齢化,あるいは自然環境に対する配慮等,公共事業に対する新たなニーズにこたえるためには,従来からの行政の「縦割り」では有効な事業効果が見込めない。そこで,ここでは身近な例として,駅を利用する歩行者のための「駅内外歩行者快適化作戦」をみよう。
この「作戦」は,簡単にいえば,駅舎内のエスカレータ・エレベータの整備と併せて,駅周辺の歩道のバリアフリー化,ペデストリアンデッキの整備等を推進するものであり,運輸省と建設省の連携によって生まれた。高齢化が進むなど,やさしい街づくりが求められているなか,鉄道施設と道路の整備が一体となって行われる方が,駅を利用する歩行者にとってその便益が高まることは自明であろう。例えば,駅前で横断歩道橋の昇り降りがある場合に,駅構内にエレベータを設置することの投資効果が低いこともあり得る。平成8年度に5つのモデル地区が指定され,すでに「作戦」は開始されている。
また,モデル地区の一つである豊橋市(愛知県)では,同じく建設省の新しい施策である路面電車に関連する補助事業を受けて,路面電車の駅前への延伸が「作戦」の一つに組み込まれた。欧米では,「ライトレール」と呼ばれる従来より高速,低騒音で乗降しやすい低床式の車両が開発されるなど路面電車が近年見直されつつあるが,我が国でもこうした新しい公共事業が,他の事業と連携しながら,より投資効率を上げる形で実施されているということも注目される。
なお,平成8年度には,公共事業の重点化・効率化等による投資の向上を図るため,国土庁,農林水産省,運輸省,建設省の間で「公共事業の実施に関する連絡会議」を設置・開催し,平成9年度に取り組むべき連携施策として13の施策を推進することが決定されたほか,新しく調整費が創設され,省庁間連携事業として,「臨海部道路総合事業」(運輸省,建設省),「交通需要マネジメント(TDM)施策」(警察庁,運輸省,建設省),「FAZ関連整備事業」(大蔵省,通産省,厚生省,運輸省,建設省)等が企画されている。
また,効率化を考えるに当たっては,どのような範囲の社会資本を公的な部門が整備していくかという観点からの検討も必要であろう。公的介入は,理論的には,外部効果や非排除性等から「市場の失敗」が生じるケースに対して有効な手段であるといわれてきたが,一方では,公的介入に伴う効率性の低下等の問題点も指摘されている。こうした観点からは,民間部門で供給可能な社会資本整備は民間にゆだねるという方策の検討も必要になろう。高齢化や環境負荷の逓減といった観点から,社会資本がもたらす外部経済効果を考慮して公的介入が正当化されるケースが決して少なくないと考えられるだけに,より柔軟な姿勢で公的介入を見直していくことが重要であり,それによって,公共投資の投資効果は高まるものと思われる。
また,地域経済との関係においては,地方圏は都市圏と比べると民間資本の集積メリットが享受できず,基盤整備が不十分な面もあることから,効率的な公共投資が地域の活性化,自立を支える基盤の効率的整備をもたらし,民間の自立活動の一層の活性化にもつながっていくものと考えられる。地方圏においては,マクロ経済における公的固定資本形成の割合が相対的に高いが(第1-5-6図),経済を主導するものは民間の経済活力である。例えば,有効求人倍率を都市圏と地方圏に分けてみると,バブル崩壊の中で公共投資拡大が地方圏の雇用悪化を緩和する形となっているものの,有効求人倍率の悪化や改善の方向性は都市圏と地方圏でおおむね一致しており(第1-5-7図),地方圏の経済も基本的にはマクロの景気と連動しているといえよう。
最後に,こうした形で公共投資が効率化され,機動的に運営されるためには,国民の信認がなければならない。公共投資の効率化を進めるために,政府は,引き続き適切な情報の開示等により透明性を確保することが重要である。