第2節 キャッチアップ型産業構造の特徴と限界
前節では,日本のキャッチアップ・プロセスが高い生産効率で達成されたことをみた。本節では,そのようなキャッチアップ・プロセスの背景にあった産業構造と産業調整の特徴をみることにする。
1. 比較優位構造からみた産業構造
一国のマクロの貿易収支は,為替レート,原油価格の動向,諸外国の経済動向等,様々な要因が絡みあって決まり,貯蓄投資バランスを反映しているのに対し,産業別の貿易収支を説明するものとしては「比較優位理論」がある。平成7年度年次経済報告で示したように,産業別の生産コストの相違を反映した均衡レートの序列は,一国内の産業の競争力の序列,すなわち比較優位の序列を表し,産業別の貿易収支は比較優位の序列と現実の為替レートによって決まってくる。また,産業平均の均衡レートが過去20年間で時を追って増価していることをみた。95年についても,貿易財(製造業)の購買力平価の動向から類推すると,94年に比べて一段と円高方向へと推移しているものと思われる(第2-2-1表)。しかしながら,95年夏以降の円高是正の進展により,95年春の為替レートのミスアラインメントは解消の方向に向かっている(なお,均衡レートについては,様々な計測方法があり,統計や基準時点の取り方,産業のガバレッジ等によってもその値は変化するため,十分幅を持って考えるべきである)。
製造業8業種について,均衡レート(生産性と要素投入コストを用いて,日米間でこれらの産業で購買力平価が成立するような為替レート)を算出した(均衡レートの考え方については付注2-2-1。今回は,繊維は紡績と衣服に分けた数値も算出している)。産業別に均衡レートの高い順にみると,95年は,電気機械,輸送機械,一次金属,一般機械,化学,精密機械,紡績,衣服,食料品の順となっている(第2-2-2図)。
このような産業別の均衡レートの序列は,比較優位の序列を表している。例えば,各産業の均衡レートの産業平均からのかい離と輸出特化係数((輸出-輸入)/(輸出+輸入))との関係をみると,輸出競争力のある(輸出特化係数が大きい)産業の均衡レートは,産業平均より円高水準になっている(第2-2-3図,付図2-2-2)。さらに,その関係は時を追うごとに強くなり,優位産業(電気機械,輸送機械,一般機械)は左上方(輸出特化,均衡レート円高)へと,劣位産業(食料品,紡績・衣服といった繊維)は右下方(輸入特化,均衡レート円安)へと移行し,両者のかい離がますます拡大している。なお,化学や一次金属は輸出特化係数が0に近く,産業内貿易(水平分業)が進んでいることを示唆している。さらに,精密機械の均衡レートはずっと平均より円安でありながら,輸出特化を続けている。これについては,後述するようなコスト競争力以外の部分(非価格競争力や製品差別化等)で説明できるであろう。
このように製造業について算出された均衡レートの意味するところは,その水準で日本の財がアメリカと同等の価格水準となり,価格競争力を持ち得るというレートであるが,貿易が拡大し,事実上,非製造業も徐々に国際競争にさらされつつあるなかで,我が国の産業構造の特徴をみるための手法として,非製造業の理論上の均衡レートを試算してみよう(前掲第2-2-2図)。すると,非製造業は,製造業8業種平均を100とする指数でみて円安水準である。これは,後にみるように,製造業に比べた生産性の低さ,及びアメリカと比べての生産性上昇率の低さを反映した状況となっている。また,運輸,建設,農林水産業では平均からのかい離がますます拡大している。このように,我が国の産業構造は,比較優位産業,比較劣位産業,非貿易財産業の間で生産性上昇率格差が大きい,言わば三者の実力が大きく異なる三重構造からなる「重層型」となっている。日本経済の戦後のキャッチアップの過程で,三重構造は解消されるどころか,90年代になってますます格差が拡大している。
(高コスト是正と貯蓄投資バランス)
上で算出した産業別の均衡レートの下で,当該産業における日米の価格水準が等しくなることから,現実の為替レートが当該産業の均衡レートより円高水準であるような業種の財・サービスにおいては,国内財が割高である(内外価格差が存在する)ことを意味する。貿易財産業においては,海外から安い輸入品が流入し,価格低下圧力が生じるが,非貿易財産業(主として非製造業)ではそのメカニズムが働かない。非製造業は経済全体に占める割合が高く,その国内価格の割高さが続いていることが,我が国の高コスト構造につながっている。例えば,日本の燃料,電力,不動産賃貸,輸送サービスにおいては,海外に比べて国内価格はかなり割高となっている(第2-2-4表)。
第1章第5節で推計した製造業と非製造業の需要曲線,供給曲線を用いて,生産性が1%上昇した場合の生産量と価格への影響をみてみよう。製造業,非製造業ともに,供給曲線の下方シフトにより生産の増加,価格の低下がもたらされるが,生産増効果は製造業が大きく,価格低下効果は非製造業が大きいことが分かる(前掲第1-5-1図)。このことは,非製造業の生産性上昇による価格低下効果が大きいことを意味する。したがって,高コスト構造解消のためにも,非製造業の更なる生産性上昇とコスト低下努力が不可欠であることが分かる。
それでは,高コスト構造の是正は,国内の貯蓄投資バランスにどのような意味を持つのだろうか。第1章第2節の消費関数によれば,長期的には,平均消費性向は低成長になるほど,また物価上昇率が低いほど高まることになる。すなわち,低成長やディスインフレの下では,貯蓄率が低下することが示唆されている(前掲付注1-2-4参照)。一方,高コスト構造の背景の一部として,過剰な規制や不十分な競争,市場のゆがみ等の要因が考えられる。こうした要因を除去することによって高コスト構造を是正していくことは,経済効率を高め,産業の空洞化を防止するとともに新たな投資機会をもたらすことになるであろう。このように,物価上昇率が低下すると貯蓄率が低下する一方で,高コスト構造の是正が投資にプラスの影響を与えると考えられることから,現在進行している規制緩和や海外との「大競争」を通じた低コスト経済への移行によって,国内民間部門の貯蓄投資バランスは縮小することが予想される。
2. 比較優位構造と貿易パターン
以上のような我が国の重層型の産業構造の特徴は,貿易構造にどのように反映されているのであろうか。ごく最近に至るまで,日本の貿易黒字がなかなか縮小しないのは,日本の貿易構造が政府の「管理」等により市場メカニズムを反映しない「異質」のものであるからとの批判がしばしばみられた。以下でみるように,日本の貿易構造は,「重層型産業構造」の特徴である産業間に存在するコスト競争力の大きな格差を反映しており,国際貿易の基本的考え方である比較優位理論が当てはまり,決して「異質」なものではない。
(単位労働コストの比較)
まず,アメリカ,ドイツ,イタリア,フランス,イギリス,オーストラリア及び韓国について,製造業全体及び業種別の賃金及び単位労働コストを日本と対比してみよう。その際,実勢レートで換算した賃金とともに,生産性を考慮した単位労働コスト(賃金/労働生産性)を比較することで,賃金格差に加えて,労働生産性を加味したコスト比較を行っている(ここでの賃金は一人当たりの雇用者所得を用いており,実際は賃金・俸給に加え,社会保障その他の雇主負担を含んだものとなっている。また労働生産性は各国通貨単位なので,付加価値購買力平価で換算している)。このように算出された単位労働コストは,為替レートの変化により影響を受ける賃金格差に労働生産性を加味したコスト競争力の変化を反映したものとなる。
まず日本との相対賃金を製造業全体でみると,韓国以外は,70年代は日本より高かったが,その後は差が縮小し,80年代後半以降,為替レートの影響もあり,アメリカ,ドイツ,フランスが日本とほぼ同等かやや上回り,その他の国は日本を下回った(第2-2-5図)。業種別にみると,韓国は全業種で一貫して日本より低くなっている。韓国以外の国について80年代後半以降の動向をみると,日本の方が高賃金なのは,衣服,鉄鋼(対アメリカ以外),自動車(対アメリカ,ドイツ以外)等で,日本の方が低賃金なのは,繊維,食料品,電気機器(対オーストラリア以外)等である。
次に,生産性上昇を加味した単位労働コストでみてみよう。韓国に対しては製造業全体ではかなりのコスト高であるが,賃金に比べてその差はやや縮まる(第2-2-6図)。韓国以外の国に対しては,円安傾向であった90年~92年は日本の方がコストが低かったが,93年には円高で日本のコストが急上昇している。ドイツは大半の期間で,日本よりコストが低くなっているのに対し,イギリスやフランスは,80年代後半以降,日本よりコスト高となっている。業種別に80年代後半以降の動きをみると,90年代のイギリスとフランス以外,繊維や衣類では日本の方がコスト高である。食料品は,ドイツよりコスト高,イギリスよりコスト安,その他の国とはほぼ同程度である。鉄鋼,自動車,電気製品は日本の方がコスト安である。特に,電気製品では85年以降に,日本のコスト面の有利さが急速に強まっている。また,特筆すべき点は自動車で,賃金では韓国を大きく上回るものの,生産性上昇を加味すると,80年代末以降韓国に対してコスト安となっている。
以上をまとめると,繊維では日本の賃金は相対的に低いものの,相対的な生産性上昇が低かったことから,コスト高となっている。逆に,鉄鋼,自動車では日本の方が相対的に賃金が高いにもかかわらず,相対的な生産性の上昇が高かったことから,日本の方がコスト安となっている。また,電気機器はドイツ,フランス,イタリア,アメリカ等に比べて賃金が低い上,生産性上昇率が相対的に高かったことから,コスト面でかなり有利となっている。
なお,為替レートが仮に購買力平価水準で推移したとすると,製造業全体で,日本の単位労働コストはさらに低くなり,韓国に対してもほぼ同じコストとなる(同⑧)。このことは,日本は賃金上昇に伴い,労働生産性を上昇させることでコスト上昇をかなり抑制してきたが,生産性の上昇を上回る数年来の急速な円高でコスト競争力が大きく不利になったことを示している。
(単位労働コストと貿易パターン)
さて,以上みたように,日本の場合,輸出をリードしている産業は,生産性の上昇によってコスト面で有利な業種であることが分かる。そこで,日本,アメリカ,ドイツ,イタリア,フランスについて,貿易パターンと単位労働コストとの関係をみてみよう(具体的には,業種別の貿易パターン(=輸出特化係数(輸出金額-輸入金額)/(輸出金額+輸入金額))を,その業種の単位労働コストと8か国(日本,アメリカ,ドイツ,フランス,イタリア,イギリス,オーストラリア,韓国)の平均の単位労働コストとの相対比で回帰する(付注2-2-3)。ここでは推計にパネルデータを用いており,貿易パターンを,業種間のコストの相違と同一業種内のコストの時系列的相違に分けて比較することができる。単純最小二乗法(OLS)はすべての業種ですべての期間について一度に推計したものであり,そこでの定数項は一つである。一方,固定効果モデルは,時系列的にみて,単位労働コストと輸出特化係数との関係を示す係数がすべての業種において同じであり,定数項が業種ごとに異なるとしたものである。また,分析データの入手期間から業種パターンを分けているが,業種パターン2は,業種パターン1に,鉄道車両,自動二輪車・自転車,航空機を加えたものである(付注2-2-4)。
第2-2-7表をみると,以下のことがいえる。
第一に,分析したすべての国において,固定効果モデルが有意であり,単位労働コストの変化が業種ごとの貿易パターンを変化させていることを示している。例えば,日本において80年代後半以降,多くの業種で円高によるコストの上昇から輸出特化係数が低下したり,アメリカにおいて90年代でコストが相対的に低下し,輸入特化係数が低下していることと整合的である。
第二に,日本とイタリアは,OLSの結果が有意で係数も大きい。このことは,両国,特に日本では,業種間のコストの差及び同一業種内のコスト変化に対して,貿易パターンが感応的に変化していることを意味する。例えば,日本で,相対的に高コストの繊維,衣服,木製品等において輸入超過であり,相対的に低コストの電気機器,自動車,鉄鋼で輸出超過となっている。また,イタリアでは相対的に高コストの非鉄,鉄鋼,化学等で輸入超過,相対的に低コストの繊維,家具,衣服等で輸出超過となっている。
第三に,ドイツやフランスでは,OLSの結果が有意でなかったり符号条件が逆であるのに対して,固定効果モデルのみ有意となっている。これは,ドイツやフランスでは,貿易パターンが業種間のコストの差をあまり反映していないことを示唆している。例えば,ドイツでは自動車,金属製品を始め,多くの業種でコストが高くても輸出超過になっている。
貿易パターンが生産コストを反映しないのは,第一に,製品差別化による産業内貿易の存在,第二に,高技術,高性能,高品質,ブランド等の非価格競争力の存在,第三に,輸入障壁や市場メカニズムを妨げる規制の存在等が考えられる。
第一の点については,輸出入特化係数が比較的小さい,すなわち輸出も輸入も同時に行っている業種が多く存在することが産業内貿易の存在を示すものと思われる。第二の非価格競争力については,実証するのは困難であるが,例えば,上記推計で,アメリカで航空機を含んだ場合(業種パターン2)では,固定効果モデルのみ有意となる。すなわち,貿易パターンが業種間のコストの差をあまり反映しなくなってくるが,これは航空機の非価格競争力の強さを示すものと思われる。同様の例では,フランスの飲料品,航空機,ガラス製品,日本の金属製品,陶磁器,ゴム製品等,コストが高いにもかかわらず輸出超過となっているものが挙げられる(付表2-2-5)。
以上の結果をみると,国ごとに特徴はあるものの,ある業種の貿易パターンは,労働生産性を考慮した単位労働コストの変化を反映していることが確認された。その際,日本の貿易パターンは他国に比べ,業種間及び同一業種のコストの変化を最も敏感に反映しており,比較優位構造を最も反映していると思われる。なお,日本と同様にすう勢的なマルク高でありながら輸出超過国であるドイツにおいては,貿易パターンが単位労働コストの差をあまり反映しないようになっているが,一つの解釈として非価格競争力の存在があるように思われる。