平成8年

年次経済報告

改革が展望を切り開く

平成8年7月

経済企画庁


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第1章 今回の景気局面の評価

第3節 緩やかに回復する設備投資

今回の低成長の大きな要因は,設備投資が低迷を続けたことであった。本節では,このように長引いた設備投資のストック調整の背景を探る。まず,80年代後半の活発な設備投資や90年代前半の円高によってどの程度過剰資本ストックが積み上がって調整圧力がどの程度であったかを検討した後,資産価格の下落や負債比率の上昇等によるバランスシート調整あるいは金融機関の貸出行動の変化等の金融的要因により設備投資がどの程度抑制されたかを検討する。さらに,稼働率や潜在成長率からみた設備投資の見方を検討した後,今回の設備投資回復局面における特徴を整理して今後の留意点を探る。

1. 過剰資本ストックとストック調整

(円高と設備投資)

90年代前半は総じて円高方向で推移し,特に,93年,95年の急速な円高は景気回復力を大きく減殺することとなった。特に,円高は輸出の減少や輸入の増加等を通じて企業の売上を減少させるが,これが生産に必要な資本ストックを低下させ,ひいては設備投資にも大きな影響を与えたものと考えられる。そこで,為替レートを明示的に含む製造業資本ストック関数から望ましい資本ストックを推計し,望ましい資本ストックと現実の資本ストックとの差である「過剰資本ストック」の動きをみると( 第1-3-1図 ),90年代には過剰資本ストックが生じていたとみられる。90年以降の為替レートを一定としたシミュレーションを行うと過剰資本ストックはほとんど生じないことから,この時期には,円高による必要資本ストックの減少が過剰資本ストックを生じさせていたといえるであろう。一方,金融緩和による資本コストの低下の影響をみると,90年以降の賃金・資本コスト比率を一定とすると,現実の過剰ストックをはるかに上回る過剰ストックが生じることから,90年代の金融緩和は過剰資本ストックの発生をかなり緩和したものとみられる。

以上のような過剰資本ストックは過去と比べて調整に時間がかかったのであろうか。そこで,ストック調整速度を計測してみると,今回局面において特に調整速度が小さくなったということは検証できなかった。ただし,ストック調整のシミュレーションを行ってみると( 第1-3-2図 ),90年代初めに通常の調整パターンでは説明できない過大な投資が行われていた可能性があり,また,その反動として94年から95年にかけて通常の調整より過少な投資にとどまった可能性もある。これは,90年代初めに景気の山を迎えた後も企業の成長期待が引き続き高かったことによるものと考えられる。

非製造業について同様の推計を行った結果をみると( 第1-3-3図 ),90年代に過剰資本ストックが生じていることに加え,足元においても過剰ストックは解消していない。これは,不動産,建設業等でバブル崩壊の影響から引き続き過剰ストックを抱えていることを反映しているものと考えられる。また,ストック調整のシミュレーションをみると(前掲 第1-3-2図 ),製造業と同様,90年代初めに通常のストック調整のパターンを上回る投資が行われたことがみてとれる。

(バブルと設備投資)

バブル期には大幅な設備投資が行われたが,このときに経済のファンダメンタルズを超える設備投資が行われ,その結果生じた過剰資本ストックがその後のストック調整を長期化させた可能性がある。そこで,設備投資のファンダメンタルズ要因と株価バブル要因を含む設備投資関数を推計した( 第1-3-4図 )。

その結果によると,バブル的な設備投資はむしろ少なく,期待収益率に基づく設備投資が行われたといえる。その限りで,バブルによる過剰投資により過剰ストックが積み上がったとはいえない。しかし,この期待収益率の中には,やや楽観的過ぎる成長期待や通常以上の金利低下が含まれており,その意味で必ずしも健全な判断に基づいたとはいえない部分もあるといえるであろう。こうした結果,設備投資効率は低下し,成長率期待や低金利が反転すると,過剰な資本ストックに転化して,その後のストック調整という重しとなった。

(設備投資を抑制した「構造的要因」について)

今回局面における設備投資の低迷の背景として,そもそも過剰ストックが大きかったということのほかに,金融機関の貸出行動の変化,資産価格の下落,負債比率の上昇等の「構造的要因」により設備投資が抑制された可能性があるかどうかを検討してみよう。

まず,資産価格の下落や負債比率の上昇により設備投資が抑制されたかどうかを調べるために,資産価格や負債比率を含む設備投資関数を製造業/非製造業別に推計し,資産価格や負債比率の影響をゼロとした場合の推計値を実績値と比べてみた。推計値が実績値を上回っていれば,資産価格や負債比率が一定であった場合には現実値以上に設備投資が行われたはずであるということを示すことになるので,資産価格の下落や負債比率の上昇が設備投資の足を引っ張ったということになる。

その結果をみると( 第1-3-5図 ),製造業については,バブル期についても90年代についても,株価・地価の影響はそれほど認められない。非製造業については( 第1-3-5図 ),景気後退初期に地価の下落等がかなりの影響を及ぼしたと考えられる。これは不動産業等におけるバブル崩壊の影響を反映しているとみられる。

次に,金融機関の貸出行動の変化による設備投資への影響も指摘されているが,これについては,第9節で詳しく検討するように,バブル崩壊後金融機関が企業の信用力の差を反映したリスクプレミアムを考慮するようになり,これによって中小企業の設備投資が限界的ではあるが影響を受けた可能性はある。しかし,第9節でみるように,以上のような金融機関の貸出行動は,いわゆる「貸し渋り」というよりは,むしろバブル期の「貸し過ぎ」からの正常化過程とみるべきものと思われる。

(中小企業の先行性の消失)

中小企業の設備投資は,大企業の設備投資に比べて,非製造業では先行性はないが,製造業については先行性があるとされてきた(平成6年度年次経済報告,187ページ以下)。しかし,今回の景気局面においては先行性が失われたのではないかとの指摘もある(平成7年度年次経済報告,41ページ以下)。

そこで直近までのデータで,設備投資,業況判断について中小企業の先行性をみると( 第1-3-6図 ),最近では,設備投資について中小企業の先行性がややはっきりしなくなっている。実際,今回設備投資回復時にも,大中堅企業に比べて回復が遅かった。一方,中小企業における設備投資に対する業況判断の先行性(設備投資の業況判断に対する遅れ)はやや大きくなっている。これには,為替の先行き不透明さに加え,親会社の海外生産シフト等の構造変化が影響していた可能性がある。

中小企業製造業について地価・株価を変数に含んだ設備投資関数を推計して,地価・株価を90年以降一定とした場合のシミュレーションを行ったが( 第1-3-7図 ),91年から92年にかけての落ち込みの時期には特に実績に遅れはみられないが,94年あたりの反転から95年の回復にかけて実績値はシミュレーション値に対して遅れている。94年の反転時にはシミュレーション値を地価・株価を現実値にした推計値が下回っているので,この反転時には地価・株価の影響があったものとみられる。しかし,足元の実績値のかい離は,シミュレーション値と推計値が同じような動きをしているため,地価・株価要因では説明できず,設備投資についての意思決定の遅れのような要因があったと考えられる。これは,為替の先行き不透明さや親会社の海外生産シフト等の構造変化に直面して,中小企業が設備投資を手控えたことによるものとみられる。

2. 稼働率や潜在成長率からみた設備投資の動向

(稼働率指数からみた設備投資の動向)

製造業における設備投資は,稼働率の方向だけではなくその水準にも影響される。平成6年度年次経済報告第2章第2節では,稼働率指数がおおむね90を超えると設備投資が大きく増加するということを指摘している。こうした観点からみると,今回の景気回復局面においては,稼働率指数80程度という低い水準から出発し,かつ,一時90近くとなったものの95年初めより再び低下したことが,設備投資が緩やかにしか増加しない一つの要因であるといえるであろう。

現行の稼働率指数においては,集積回路や電子計算機といった情報化関連品目が採用されていない。これは,こうした品目の生産設備の能力評価が技術的に困難であるためであるが,こうした品目が現在の設備投資をけん引していることを考えると,これら品目について何らかの形で生産能力を推計することにより「試算稼働率指数」を推計することも参考となろう( 付注1-3-3 )。こうして推計した「試算稼働率指数」を使って設備投資との関係をみると( 第1-3-8図 ),「試算稼働率指数」の水準が88程度の時に,設備投資が大きく伸びる分かれ目があるとみられる。さらにいえば,86程度の時にもかなり設備投資の弾力性が変化している可能性もみてとれる。96年1~3月期には,「試算稼働率指数」は88.5と試算されるので,設備投資がかなり増加してくる環境ができているといえるであろう。

(期待成長率からみた設備投資)

資本ストックを拡大させるためには設備投資を行うことになるが,どの程度資本ストックを拡大させるかは将来の生産の見通しに依存すると考えられるため,企業の期待成長率と設備投資比率との間には密接な関係にあると考えられる。実際,ある期待成長率を仮定すると,その下で,設備投資増加率と前期の設備投資比率とは双曲線の関係にある( 付注1-3-5 )。期待成長率が低下すると,双曲線も左方にシフトする。

以上の関係をプロットしたものが, 第1-3-9図 である。図中の左上方から右下方にかけて引かれている点線がそれぞれの期待成長率に対応した双曲線である。全産業をみると,60年代には10%成長に対応する双曲線の近傍にいたが,70年代に大幅に左方に移動し,80年代にはおおむね4%成長に対応する双曲線に沿って動いている。80年代末から90年代初にかけて一時的に右方に膨らんだが,以降,ずっと左方に移動し,95年の設備投資増加率はプラスとなったものの,引き続き2%成長ラインの下にある。業種別にみると,製造業についてはやはり2%ラインを下回っているが,非製造業については2%ラインの上にある。「企業行動アンケート調査」(平成8年3月)によると,製造業が期待する業界需要成長率は今後5年間平均で2.1%であるから,製造業設備投資は更に増加率を高める可能性がある。一方,非製造業については,期待業界需要成長率は2.2%であるから,しばらくは非製造業の設備投資は高まらない可能性もある。

3. 今回の回復局面における設備投資の特徴

今回の回復局面の設備投資の特徴としては,上でみたように回復が緩やかであることや中小企業の先行性がみられないことのほかに,①業種的には製造業がリードしていること,②製造業の設備投資も一部の特定業種によってけん引されていること等を挙げることができる。以下ではこうした特徴を順次検討しよう。

(緩やかな回復をリードする製造業の設備投資)

まず,製造業が設備投資をリードしている点について考えよう。業種別の設備投資動向をみると( 第1-3-10図 ),製造業が設備投資をリードしてきたことが分かる。この背景について考えるために,製造業及び非製造業における設備投資と資本ストックとの循環をみよう( 第1-3-11図 )。これをみると,製造業では94年に入って資本ストックの前年比伸び率の低下に歯止めがかかる一方,設備投資の前年比伸び率も減少幅を縮小させ,95年に入ってからはプラスに転じている。他方,非製造業では資本ストックの前年比伸び率が製造業よりも高い水準で下げ止まる一方,設備投資の前年比伸び率の立ち上がりが鈍い。これは製造業において相対的に厳しいストック調整が行われてきたことを反映しているものと思われる。

このようなストック調整の進展の違いが,製造業,非製造業の設備投資回復の姿の違いとなっているが,特に非製造業におけるストック調整の遅れが全体の設備投資の回復を緩やかなものとしている。また,ストック循環図からも分かるように,フローである設備投資の立ち上がりは製造業においても緩やかなものにとどまっている。

(特定業種にけん引された製造業の設備投資)

次に,今回の景気回復局面における設備投資の緩やかな回復をリードしている製造業の設備投資について,これが特定の一部業種によってけん引されていることについてみてみよう。この点を確認するため,各景気回復局面ごとの設備投資の増加に対する業種別の寄与率を大きい順に並べ,その寄与率を累積してみた( 付図1-3-6 )。これをみると,景気回復2年目に当たる95年度の設備投資の累積寄与率は他のいずれの景気回復期をも上回っており,今回の設備投資の緩やかな回復が特定の一部業種の好調によって支えられたものであることが分かる。

このような特徴は,我が国産業を取り巻く環境が大きく変化するなかで,産業構造の変化がストック面から進みつつあることを示唆しているものと考えられる。すなわち,世界の「大競争」と呼ばれる状況にあって,製造業を中心として我が国経済がより国際競争にさらされるようになり,コストダウン(価格競争力)や製品差別化(非価格競争力)によって国際競争力を維持できる業種と,そうでない業種の分化が進んでいるのである。さらに為替レートの変動がこうした分化を促進したと思われる。

以上のように,産業構造の変化が進展するなかで現在の設備投資の回復が一部業種に偏っていることは,全体としての設備投資の伸びを緩やかなものにするとともに,設備投資回復が一部業種の動向に左右されやすいという意味でぜい弱性を含むものといえるであろう。

(中小企業の設備投資について)

今回の回復局面における設備投資の特徴として,大・中堅企業に比べて,中小企業の回復がより緩やかなものであったことがある。しかし,大蔵省「法人企業統計季報」によれば中小企業の全産業ベースの設備投資は,95年4~6月期以降前年比で4四半期連続の増加が続いており,大・中堅企業に始まった設備投資の緩やかな回復の動きが中小企業にも広がってきたことが分かる。また,96年度の設備投資計画を日本銀行「企業短期経済観測調査」等各種アンケート調査でみると,現時点での投資計画は年度下期の計画が未確定となっている企業が多いため前年度比減少計画となっているものの,その減少幅が95年度の同じ時期の調査(95年度計画)に比べてかなり縮小している。

ただし,大蔵省「法人企業統計季報」でみた中小企業の設備投資が増加している背景には,株式会社の資本金を1,000万円以上とすることとした商法改正の影響があることには留意する必要がある。これを受けて増資手続きを行った企業が新たに「法人企業統計季報」の調査対象企業となったことが,ここ数年間の中小企業の調査対象企業数が大幅に増加している原因の一つと考えられる(「法人企業統計季報」の調査対象企業は資本金1,000万円以上)。

しかし,こうした中小企業の調査対象企業数の増加の影響を除去するため,「法人企業統計季報」のデータから一社当たりの設備投資額を計算しても,8年1~3月期の中小企業の全産業ベースの設備投資は前年同期比で0.9%の減少にとどまっており,またその減少幅も期を追うごとに縮小傾向にある。このことからも,中小企業の設備投資が緩やかな回復傾向にあると考えることができる。