第2節 緩やかな伸びにとどまった個人消費
個人消費の回復はさきにみたように緩やかであるが,本節では消費が緩やかであった背景を探ってみよう。第一に物価との関係,すなわち物価が低下している状況の中で,「名目」所得の伸び悩み等を通じて実質消費の伸びが抑制されることがあるのか,第二に資産デフレとの関係,すなわち資産価格の低下が消費にマイナスの影響を与えているのか,第三に金利との関係,すなわち金融緩和にあって低金利が金利収入の減少を通じて消費を抑制することがあるのか,第四に雇用情勢との関係,すなわち雇用情勢の厳しさが消費の抑制要因となっているのか,第五に恒常所得との関係,すなわちバブル崩壊後の低成長を経験した消費者が今後の低成長を予測し,将来期待される所得の現在価値である恒常所得の低下を見越して,それが現在の消費の弱さにつながってはいないかを検証する。さらに,低金利の影響を所得階層別や経済主体別にみることとする。
1. 消費の決定要因
(消費に影響を与える様々な要因)
消費に影響を与える様々な要因とその影響力を分析してみよう。ここでは,上記の第一から第四までの要素(物価上昇率,資産,金利,雇用情勢)の消費に対する影響力についてみてみよう(推計についてはVARモデルを用いている。付注1-2-1を参照)。また,その影響が最近変化したかどうかをみるために,推計期間を75年第1四半期を始点として90年第4四半期までと,94年第3四半期までとで比較している。
75年第1四半期から94年第3四半期においては,物価,金利,雇用情勢,実質資産のすべてにおいて消費に対する影響力がはっきりと認められる(第1-2-1表)。物価や資産の影響力は90年第4四半期までの推計に比べて,最近まで含めた方がよりはっきりと表れている。これは,バブル崩壊後のディスインフレと資産デフレによる消費へのマイナスの影響を示唆している。
次に,各変数の変化が消費にどのような影響を及ぼしていくかみてみよう(ここではインパルス応答関数を用いてその累積的効果を時間的経過とともにみている。インパルス応答とは,ある時点で任意の変数に対して何らかのショックがあった場合に,VARを構成する各変数間のフィードバック関係を通じて,変数相互の時間を追った関連をみるものである。 第1-2-2図はあるショックの累積的な影響を示している)。
物価を上昇させるようなかく乱項の変化については,変化から5四半期くらいまでは消費にプラスの影響を与えているが,9四半期頃から,影響はほぼゼロとなる(第1-2-2図)。このことは,物価が低下すると,当初1年ほどは消費にはむしろマイナスの影響が出るものの,物価低下をもたらしたショックが一期限りであれば,物価の実質消費に与える影響は時間の経過とともに,ほとんど消えてしまうことを意味する。物価が低下すると名目所得が伸び悩むことにより,実質消費が抑制される可能性が考えられるが,分析結果によると,物価の低下からしばらくの間はともかく,その後は物価の低下による消費抑制効果が観察されないことを示している。
金利上昇が消費に与える影響については,徐々にマイナスの効果が高まり,累積的にもマイナスの効果となっている。これは,金利低下がじわじわとプラスの効果をもたらし,累積的にもプラスの効果がある,換言すれば,低金利が実質消費を低下させる関係がみられないことを示している。雇用情勢についても,失業率が高まれば消費は減少する姿が出ている。また,バブル崩壊後の資産価格の低下と消費の関係をみると,資産増は消費増をもたらすので,資産価値の低下は消費にはマイナスである。そこで,実質家計消費支出関数を推計して,消費の前年比の動きを要因分解すると,土地を含む資産効果の寄与は,地価の下落による逆資産効果を通じて91年から94年にかけてマイナスの影響を与えているが,その程度は実質所得(名目家計可処分所得-家計最終消費支出デフレータ)のプラス効果に比べて小さい(前掲付図1-2-2)。また,消費性向(国民経済計算ベース)をみると,80年代後半以降おおむね横ばいで推移しており,バブル崩壊により消費性向が特に低下したとはいえない(付図1-2-3)。
(恒常所得か現在の所得か)
次に,第五の要素,消費と恒常所得について考えてみよう。消費行動は,長期的な視野に基づくライフサイクル恒常所得仮説(消費は,ある期における人的資産と非人的資産から生み出される生涯所得によって決定される)に基づくのであろうか。あるいは,消費は,主として当期の可処分所得に制約される(流動性制約)のであろうか。現在消費が非常に緩慢であるのが景気回復の緩やかさを反映した可処分所得の低い伸びの結果であるとすると,景気回復が本格化すれば,消費も回復テンポを速めるであろう。しかしながら,もし家計が,低成長が続くなかで,恒常所得の期待を下方修正させ,その結果消費が伸びないのであれば,当面の所得が多少増加しても消費は増えないであろう。そこで,ライフサイクル恒常所得仮説と流動性制約双方を含んだ消費関数を推計し,推計期間を変えることにより,家計の消費行動に変化がみられるかを調べてみよう。なお,ここでは耐久財の購買は,住宅ストックなどの例と同様,消費ではなく投資としてとらえており,耐久財の購入額をそのまま使うのではなく,ストックから生じる帰属サービスを計算している(付注1-2-4)。
推計結果によると,当期の実質可処分所得に制約される(流動性制約を受ける)家計の可処分所得の割合は,経済全体の約4割弱を占めるとともに,ライフサイクル恒常所得仮説に従う家計が実質総資産の約0.7%に相当する割合の消費を行っているとの解釈が可能である(第1-2-3表,なお,実質消費のうち,当期の可処分所得が寄与しているのは約4割強,恒常所得が寄与しているのは約6割弱との計算結果が得られた)。また,この結果はバブル景気のピークのほぼ直後の時期から直近に至るまで,かなり安定的である。なお,将来の所得に対して家計が抱く不確実性は高まっておらず,このことは恒常所得の安定性を示していると考えられる。このことから,以下の結論が導き出せる。第一に,家計の消費行動は,バブルのピーク以降もかなり安定的であり,最近構造変化が起こったとはいえない。第二に,消費が当期の実質可処分所得に制約される部分が確かにあって,その程度は実質消費に対して約4割強の寄与を示しており,決して小さくない。したがって,消費行動に最近構造変化が起こり,たとえ当面の実質可処分所得が増えたとしても消費が伸びないという証拠は認められない。消費の決定に対する当期の実質所得の影響は衰えていない(なお,さきにみた実質家計消費支出関数において,名目家計可処分所得と家計最終消費支出デフレータの係数がほぼ等しいことからも,消費を決定するのは実質所得であることが分かる(前掲付図1-2-2))。
(十分に成立しているとはいえない中立命題仮説)
消費が緩やかな伸びにとどまった背景として,94年以降の所得税及び住民税減税が消費を喚起しなかったとの見方がある。確かに,減税が限界消費性向を高めることを通じ,結果として平均消費性向を引き上げ消費を浮揚させるのではないかとの期待もあったが,平均消費性向の上昇は特段みられなかった(前掲付図1-2-3及び平成7年度年次経済報告第1章第2節参照)。他方,減税の効果を否定する考え方として,家計にとっては,今期減税されてもいずれは増税されると予測すると,消費者にとっての恒常所得は増加しないため,減税された分を消費せず,貯蓄に回すからというものがある(中立命題仮説)。しかしながら,平成7年度年次経済報告で述べたように,過去に比べて最近時点の方がやや中立命題に近い状況になっている可能性があるものの,十分に中立命題が成立しているとはいえず,この仮説をもって最近の消費の緩やかさを説明するには不十分といえよう(付表1-2-5及び平成7年度年次経済報告第3章第4節参照)。さらには,上で実証したように,現在の消費のうち現在の可処分所得によって決定される部分は小さくない。したがって,減税は可処分所得を下支えし,消費の増大に寄与したと考えられる。
2. 低金利と消費
上でみたように,金利低下はマクロの実質消費にプラスの影響を与えている。この背景として,収入に占める利子収入の割合が小さいことが挙げられる。しかしながら,年齢階層別に見ると,利子収入の所得に占める割合は異なり,金利低下の影響は一様ではない。
(財産収入の減少)
総務庁「家計調査報告」によると,利子を含む財産収入額の実収入に占める割合は,勤労者世帯全体で0.2%(95年)にすぎない(第1-2-4表)。しかしながら,年金収入が主である世帯主が60歳以上の無職世帯では,その比率は勤労者に比べてはるかに高く,財産収入は95年に大きく減少した。ただし,これらの世帯では,このように財産収入は大きく減少したものの,年金等の社会保障給付や配偶者の勤め先収入等が増加したことから,95年は可処分所得が増加し,この間の消費支出は緩やかに増加した(なお,この世帯の世帯人員が95年に1.3%増加していることが,この消費増加の背景の一つとなっている可能性がある)。
(低金利による所得移転)
家計と金融機関は利子受取超過主体であり,民間非金融法人は利子支払超過主体である。低金利の時期は家計の利子純受取が減少,民間非金融法人の利子純支払が減少,高金利の時期は,家計の利子純受取が増加,民間非金融法人の利子純支払が増加となる。金融機関の利子純受取と金利との間には明確な相関関係はみられない(第1-2-5図)。94年にはすべての主体で利子受取,支払ともに減少したが,家計においては,受取減が支払減を上回り,利子純受取が3.3兆円減少した。一方,民間非金融法人では利払が大きく減少し,利子純支払は2.8兆円減少した。金融機関も支払減が受取減を上回り,利子純受取が1.2兆円増加した。このことから,利子所得という面からみると,94年は,家計から企業や金融機関への所得移転が行われたといえよう。
3. まとめ:消費にとって重要な実質可処分所得
以上の分析からいえるのは,消費の決定要因として,「現在」の実質可処分所得の重要性が無視し得ないことである。消費の伸びが緩慢であったのは,労働市場の改善の遅れもあって,実質可処分所得の伸びが緩慢であったためである。金利低下は,ミクロ的にみれば主体によって影響が異なり,家計,その中でも,利子収入の比率の高い年金生活者等にマイナスの影響が大きくなることは否定できないものの,マクロ的にみれば,経済活動への刺激を通じて,結果的には利子収入の減少を上回って可処分所得の増加をもたらすため,消費にもプラスの影響をもたらす。また,資産価格の低迷が消費にマイナスの効果を与えるとしてもその程度はあまり大きくないと考えられる。したがって,今後雇用情勢の改善によって実質可処分所得の回復が視野に入ってくると,消費の回復もある程度期待できるであろう。