平成7年

年次経済報告

日本経済のダイナミズムの復活をめざして

平成7年7月25日

経済企画庁


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第3章 公共部門の課題

第3節 高齢者就業と公共部門の対応

高齢化社会において将来の成長を考える上で重要となってくるのは,生産性の動向とともに労働力率の動向であることについては第2節で指摘したとおりであるが,そのうち労働力率に大きな影響を与えるのが高齢者の就業動向である。また,公共部門との関連では,高齢化の年金を始めとした財政へのインプリケーションはかなり厳しいのが現状であり,今後の高齢者の就業動向と財政負担がどう関係するのかを十分に理解しておく必要がある。そこで本節では,この高齢者就業の問題についてみていくこととする。

ただし,ここでの分析の基本的視点は,今後の高齢者就業への取組は,経済成長のために高齢者を無理やり働かせるという発想ではなく,高齢者の働く働かないの選択の自由を最大限に尊重した上で,働く意思と能力のある高齢者を市場の枠組みに組み入れる仕組みをどう造っていくかという対応が必要となるということである。換言するならば,高齢者の労働力供給と企業の労働力需要を市場メカニズムによってどう調整していくか,またそのような調整をスムーズにするためにこれまでの人口構造を背景に形成されてきた雇用慣行や制度といった労働市場にかかわる枠組みの再編・調整をどう行っていくかを考えることである。こうした問題意識を前提として,以下で高齢者の就業およびそれにかかわる公共部門の在り方についてみていこう。

1. 高齢者の就業行動

ここではまず,高齢者の就業意識がどうなっているのか,就業か非就業かという高齢者の主体的な選択を規定する要因は何か,また高齢者はどのような就業形態を選択しているのか,その理由は何かといった高齢者の就業行動を分析する。その上で,年金の就業行動に与える影響について分析する。

(高齢者の就業意識)

日本の高齢者就業の特色の一つは諸外国と比べた場合労働力率が高いことである( 第3-3-1表 )。つまり,日本の高齢者は相対的に高い就業意欲をもっているわけであり,特に男子においてこの傾向は顕著である。労働省「高年齢者就業実態調査」により,その理由をみてみると( 第3-3-2図 ),「経済上の理由」を挙げる者が最も多くの割合を占めており,次いで「健康上の理由」(働いたほうが健康によい等)や「生きがい,社会参加のため」となっている。このように,経済上の理由によるやむを得ない就業と,健康,生きがいのためなどによる就業と性格の異なった動機による就業があるということがわかる。なお「経済上の理由」は近年やや低下する傾向にある反面,「健康上の理由」や「生きがい,社会参加のため」就業する人の比率が高まる傾向にあることは注目すべき点である。

「経済的理由」を80年と92年との比較でさらに詳細にみると,55~59歳では,経済上の理由から就業する人とそれ以外の理由から就業する人の比率はあまり変わらないが,65~69歳では,経済上の理由から就業する人の比率はやや低下している。これは特に男子に顕著にみられており,この間家計の余裕が増してきたことの反映であると考えられよう。一方,男女別に比較すると,80年調査では経済上の理由から就業している者のうち,「自分と家族の生活維持」を理由に挙げた者の比率が比較的男子で高く,女子で低いが,これはこれまで女子が家計補助的な意味合いで就業することの多かったことを示している。なお,92年調査では,特に女子において,「生活水準を上げるため」を理由に挙げた者の比率が低下した一方,「自分と家族の生活維持」の比率が高まっているが,これは景気後退に伴い家計が苦しくなっていることを示唆している。

なお,高齢者の生活意識について,厚生省「平成6年国民生活基礎調査」によりみると,65歳以上で「大変苦しい」が9.0%,「やや苦しい」が28.4%とそれぞれ年齢計における12.7%,31.8%を下回っており,第2節でみたように,高齢者はかなりの資産を保有していることも合わせると,高齢者の経済状態は平均的にみると相対的に厳しい状況に置かれているわけではないといえるであろう。

(就業行動を規定する要因)

上でみたような理由によって高齢者の就業意欲は国際的にみても高くなっているが,実際に各々の要因は高齢者の就業にどの程度影響を与えているだろうか。そこで「高年齢者就業実態調査」によって高齢者を取り巻く環境と就業率との関係をみてみよう( 付表3-3-1 )。まず,高齢者になると体力的な個人差が大きくなることもあり,健康状態が就業率を決定する非常に大きな要因となっている。また,経済的理由に着目してみると,住宅ローン,教育費の支出が多い場合や,年金を受給していない方が就業率が高くなっており,生活の維持の必要性が就業率に大きな影響を与えている。なお,家族の中において収入面で気楽な立場にある方(例えば収入がある同居家族数が多い)が就業率が高まっている。これは,収入面での制約を緩和できる面があることも一因であると考えられる。さらに会社の制度面からみると,定年制がない場合や勤務延長制度があるなど,継続就業が行いやすい制度が存在する方が就業率が高くなっている。

以上のような諸要因が高齢者の就業・非就業行動にお互いにどの程度影響しているのかどうかを「高年齢者就業実態調査」(88,92年)の個票に基づきロジット推計によって統計的に検定してみよう( 第3-3-3表 及び 付注3-3-8 )。ここでは,就業・非就業を説明する要因として,年齢,健康状態,定年経験の有無,年金による収入,年金・仕事以外による収入の5変数を用いている。それによると,男子では健康状態の良い者ほど就労する方向に,それ以外の4変数はすべて非就労を選択させる方向に影響を与えるとの結果が得られている。後者の4変数の中でも年金の影響については注目すべきである。すなわち,年金による収入が年齢と同様に大きな要因となっていることが分かる。その理由としては,年金収入により経済上の理由による就業の必要性が薄れることと同時に,これまでの年金制度では,在職高齢者において賃金が一定額を超えると年金が減額され,就労意欲の低下につながっていたことによるところも大きいと考えられる。年金の就業への影響がより強くなっている層が,年金の減額の影響を特に受ける60~64歳層であることがこのことを示唆している。また,55~59歳層では年齢,定年経験が,60~64歳層では定年経験が88年調査では有意であったのに対し,92年調査では有意ではなくなっており,これは定年年齢が上昇傾向にあることの反映であると考えられる。女子では,定年経験の有無が60~64歳層においては88年調査では有意ではなかったのが92年調査ではプラスに働いており,65~69歳層においては88年調査ではマイナスに働いていたのが,92年調査では有意でなくなっている。また,年金による収入が,92年調査ではマイナスに働くようになっている。

以上みたように高齢者の就業・非就業の選択行動は年齢,健康状態,年金による収入などによって合理的に説明されることがわかった。さらには,今後の年金給付額の如何は高齢者の就業・非就業に影響を及ぼすことも確認された。

(就業形態の多様化)

高齢者就業をめぐる特色は以上述べた高い就労意欲と就労・非就労の合理的行動という面に加えて就業形態の多様化という面にも見られる。例えば,現実の就業形態でみれば,本人の加齢に伴い普通勤務の割合が低下し,パートタイム勤務や自営の割合が上昇している( 第3-3-4図 )。また,非就業の割合が加齢とともに上昇しているが,その内訳をみると,55~59歳層から60~64歳層の比較では引退とともに失業の割合も上昇しているが,65~69歳層での上昇は,主に引退による上昇であることがわかる。

これを就労希望という観点からみると,加齢とともに,普通勤務や追加的就業を希望する人の割合は低下し,パートタイム勤務や引退を希望する人の割合が上昇する傾向にある。また,引退を希望しながら就業する人の割合は,普通勤務,パートタイム勤務,自営のいずれにおいても年齢の高まりとともに上昇する傾向にある( 付表3-3-2 )。

それでは,高齢者の就業形態の選択に対してどのような要因が影響しているのかについてみてみよう( 第3-3-5図 )。ここでは多肢選択ロジット推計によってこの点を確認する。まず,普通勤務かパートタイムあるいは引退かを選択する際には,年金収入が多い方がパートタイム,引退を希望する確率が高いが,特に60~64歳層でこの傾向が強くなっている。また,健康も60~64歳層を中心として大きな影響を与えている。次に,パートタイムか引退かを選択する際には,年齢とともに健康が重要な要因となってくる他,十分な貯蓄が大きな影響を与えている。

同様に,それぞれの就業,引退間についてみると( 付表3-3-3 ),年金収入が多い人に引退をしている確率が高く,次いでパートタイム,普通勤務,自営の順となっている。また,健康状態が良いほど引退から就業に向かう要因になっているが,形態別には,パートタイム→自営→普通勤務に向かっている。また,十分な貯蓄額は,パート→引退,パート→自営に向かう要因としてかなり説明力を持つが,普通勤務と引退の間では余り影響を与えていない。

(年金の就業希望変化に与える影響)

では,実際に年金支給額の変化は就業形態にどの程度の影響を与えるのであろうか。ここでは先に用いた多肢選択ロジット推計で得られた結果を用いて,就業希望と実際の就業動向の双方について試算を行った( 第3-3-6表 )。まず,就業形態の希望についてみると,年金の増額(ここでは5万円)によって,どの年齢層においても総じてみれば,普通勤務と自営希望の割合が低下(例えば,60~64歳層でみればそれぞれ約5%ポイントの低下)するのに対して,パートタイム勤務,引退に対する希望の割合の上昇がみられている(60~64歳層でみればそれぞれ約7%ポイント,4%ポイントの上昇)。こうして,年金の増額は,高齢者のパートタイム志向,引退志向を高めるという結果となっているが,現実の就業状態の変化についても,年金は希望と同じ効果を与えている。なお,現実と希望とを比較すると,引退とパートタイム勤務では現実が希望を下回っており,現実には就業する場合が少なからずあると推察される。

2. 高齢者雇用の実態とその背景

以上みたような高い就労意欲と多様な就労形態の選択という高齢者就業に係る供給側の特徴はどの程度実現されているのであろうか。ここではまず,高齢者を取り巻く就業環境の現状をみていき,その背景にある企業の意識をみていくことで,高齢者と企業のミスマッチについて考えてみよう。

(高齢者を取り巻く就業環境)

高齢者の就業環境は現実には厳しいものとなっている。例えば,高齢者就業の需給状況について有効求人倍率の推移をみると( 第3-3-7表 ),高齢者の求人倍率は相対的にかなり低いものとなっている。65歳以上については,89~91年にかけて人手不足感が強かったこともありかなり高まったものの,景気の低迷に伴って再び低下している。また,その就職率をみても相対的に低いものにとどまっている。失業率を年齢別にみると,男子では55~64歳層になるとそれまでに比べ大幅に上昇している。

このような厳しい現状を反映して,働くことをあきらめている人も存在している。総務庁「労働力調査特別調査」により,非労働力人口の中で就業を希望している人の比率をみると,特に男子55~64歳で30%以上と,年齢計と比較して高い比率となっている( 付表3-3-4 )。また,「高年齢者就業実態調査」により,仕事に就けない理由をみると( 付表3-3-5 ),男子では,健康上の理由が最も高いが,適当な仕事がみつからないことが大きな理由となっており,さらにその内訳をみると,「今までの技能,経験を生かせる仕事がないから」という理由が最も多くなっている。以上みてきたように高齢者の高い就業意欲と多様な選択という供給側の希望は現実には必ずしも実現されているとはいえない状況にある。

(企業の高齢者雇用に対する考え方)

このように,現下の高齢者を取り巻く就業環境には相対的に厳しいものがあるが,その背景にある企業側の意識面をみていこう。

まず,高齢者を増やす予定の事業所の推移をみると( 付表3-3-6 ),85年から92年にかけて上昇し,92年においては19.2%となっており,産業別には,鉱業,製造業などで大幅に上昇している一方,不動産業,サービス業,金融・保険業では低下している。その理由をみると,「高年齢労働者の経験・能力を活用したいから」という積極的な理由が最も高く,次いで「若年・中年層の採用が難しいから」,「高年齢労働者に適した仕事があるから」などとなっている。

一方,高齢者を増やさない予定の事業所の推移をみると,85年から88年にかけて上昇した後,92年には23.9%と低下したものの,依然として増やす予定の企業割合を上回っている。その理由をみると,「高年齢労働者に適した仕事がないから」が最も高く,次いで「若年・中年層の採用で人手は充足できるから」,「高年齢労働者は体力・健康の面で無理がきかないから」となっている。

このように,企業の高齢者の採用についてはその能力を活用したいという積極的な姿勢がみられているものの,その一方で,若年等の雇用を優先する姿勢も強いことが分かる。また,高齢者にとっての適職という,ミスマッチの問題も大きいことが分かる。

3. 今後の見通しと求められる対応

ここではまず,今後の労働力需給に対する見通しについて考え,その上でこれまでみてきたような高齢者就業に対する現状を踏まえ,今後の労働市場の枠組みに再編・調整に対する考察を行っていく。そのために,企業,高齢者に求められる対応について整理し,最後に年金など公的制度の在り方について考える。

(長期的労働力需給に関する楽観論と悲観論)

今後の高齢者の就業環境を考えていく上で無視できないのは,長期的な労働力需給全体に関する見方についてである。まずはっきりしていることは生産年齢人口は確実に減少するということである。例えば,2020年の生産年齢人口は1990年に比べて13.7%程度減少すると見込まれている( 付表3-3-7 )。このように将来の労働力供給の減少が確実であるのに対して,労働力需要面については意見が分かれている。一方では現在の厳しい雇用情勢の中で,先行きの景気の不透明感もあり労働市場の改善はみられないという見方である。しかしながらこのような見方は余りにも短期的な足元の動向に左右されたものであり,第2章でも述べたように日本経済の潜在成長率が中期的に大きく下方屈折したとも思われないため,現在のような緩やかな景気回復が中期的にも続くとも考えられない。仮に雇用の回復を伴わない経済成長がみられるとしたならば,その原因は硬直的な賃金水準や過剰な社会保障コストによる労働力需要の減退によるものと考えられるが,日本の労働市場においては賃金は依然として伸縮的に決定されており,また,社会保障のコストが欧米ほど高くなっていないことを考えると,そのような状況は想定しにくいものである。簡単な数字例をあげてみよう。日本経済はこれまで平均4%(70年~94年)の成長の下で約1%の労働力需要(年間150万人,労働力需要のGDP弾力性は約0.25%であった)があり,それはほぼ労働力供給の伸びに見合っていた。一方,厚生省人口問題研究所「日本の将来推計人口(92年9月)」によれば,今後長期的(1995~2010年)には15歳以上人口の伸びは年率0.2%程度に低下すると見込まれるから,雇用のGDP弾力性一定の仮定の下,労働力需給が悪化するためにはGDPの成長率は0.8%以下に低下しなければならない。このような成長率については,第2節でもみたように,今後中長期的には悲観的になることはないと思われる。

一方,中長期的に労働力需給が逼迫するという見方もあるが,その場合にはインフレ圧力が生じるのであろうか。この場合もそれほど悲観的にはなる必要はないであろう。それは,様々な市場の調整が図られるからである。第一は賃金の上方調整によって労働力需要は減少し,労働力供給は増加するという調整である。第二は以下でみるように高齢者の労働力供給が今後は増加することが期待できるからである。第三は第2節で分析したように労働力の不足は既存の労働者をより効率的に活用する方向への技術進歩を促進させる可能性もあるからである。

以上のようにみるとマクロの労働力需給については市場の調整機能を高めることにより,最終的には調整されていく性格のものであるため,様々な調整メカニズムなどを考慮にいれるとそれほど悲観的になる必要はなく,むしろミスマッチ,特に先にみた高齢者就業の供給と需要に関するミスマッチの問題がより重要になってこよう。

(高齢者就業に対する基本的な認識)

ここで,これまでの分析を踏まえ,高齢者の就業に対する基本認識を整理しておくと,まず,就業意欲を持っている人達に,制度面での阻害要因を取り除くこと及び,多様な就業環境を確保することが重要である。そのための課題は,どのように活躍の場を用意するかということと,どのように処遇していくかということである。

なお,一国経済のために,高齢者を無理やり働かせるのは間違いであるという議論があることについては,働きたくないという人に対しても無理やり働かせるという方向に持っていくべきではないのは当然のことである。ただし,健康状態の良化に伴い平均寿命が伸びたことにより,これまでと比較すると引退後の人生の長さも健康状態も違ってきており,それを踏まえると,引退の自由を阻害しないことが重要であると同時に,引退後の1つの社会参加の選択肢として就業を選べることは意義のあることであろう。

その場合,高齢化に伴い社会システムを変えていかなくてはならない面がある。その大きな一つが雇用制度の改編であり,そのためには就業に対する認識を変えていく必要がある。高齢者は一般に労働力としての能力が劣っているという議論もあるが,第2節で,高齢化による技術進歩率への影響として,「創造性喪失効果」が存在しない可能性が高かったように,その本質は有効な活躍の場が提供できていないというミスマッチの問題に過ぎないのではないだろうか。ILOは「95年版世界労働報告」により,高齢者の生産性が相対的に低いという認識に対し否定しているとともに,多くの先進国で実施されている早期退職制度などに対し,疑問を示している。

これまでの雇用システムは高齢化社会を前提としていなかったため,高齢者の労働力としての性格にシステムが対応できていないという面が大きい。また,この雇用システムの問題は高齢者だけの問題ではなく,女子の問題でもあり,すべての労働者の問題でもある。以下ではそれらについてみていこう。

(高齢者と雇用制度)

第2節でみたように,日本の人口構造は予想をはるかに上回る出生率の大幅な低下と平均寿命の大幅な伸びによって,これまでの高齢者の少なかったピラミッド型から非ピラミッド型に急速に移行してきている。

一方,これまでの日本の雇用システムは,ピラミッド型の人口構造等を前提とし,長期勤続の下で,企業内での協調的行動,人的資本の蓄積を促進し,それが企業の効率性,技術革新に寄与してきたものと考えられる。一方で,累進度の高い賃金プロファイル,遅い昇進によって労働者の長期的な競争へのインセンティブを高めていることによって,雇用の安定に伴う労働者側のモラル・ハザード(勤務状態のいかんにかかわらず,安定した雇用が保障されているので,勤労へのインセンティブが失われる)を防いでいる面がある。つまり,両者は補完関係を保ってきたわけである。

このシステムと高齢者との関係について考えてみると,このシステムはピラミッド型人口構造を背景に形成されたものであり,それを補完する定年制や早期退職制度等によって高齢者の企業内での就業機会が狭められている。賃金面でも,特に大企業において年功制から外れていくという状況にある。賃金プロファイルをみると( 第3-3-8図①② ),賃金の累進性は50歳前後をピークとして減少に転じており,勤続年数調整後でみると,50歳以上でも大幅な低下がみられないことと比較すると高齢者が次第に長期雇用から外れていることを示している。

この賃金システムについては,①企業にとって相対的に賃金の高い高齢者の増加によって,労働コストはこれからますます増えること,②高齢者の需給は緩和し,逆に若年者の需給は逼迫していくことが見込まれるなかで,市場のメカニズムを前提とすれば,今後年齢による賃金プロファイルは従来よりフラット化し,その時々の貢献度に応じた賃金スキームに変化していく力が働くことになろう。実際に勤続年数補正後の賃金プロファイルの推移をみても( 第3-3-8図② ),次第に累進度が低下してきており,緩やかながら調整が行われてきたことが分かる。

そしてそのように賃金スキームが変化するならば,転職者の機会損失も小さくなり,選択のメニューも広がることになろう。ただし,この際留意すべき点は賃金カーブのフラット化に伴い現在の若年層が将来約束されていた賃金上昇のスピードが低下することに伴う勤労モラルの低下をいかに食い止めるかということと,これまでの賃金スキームが持っている若年期には安い賃金であるが生活費がかかる中高年層には高い賃金を保障するという就労期間全体を通じた生活費の配分機能を補うことができるかどうかといった問題が発生することであり,それを踏まえた場合,現時点では賃金における年功部分がどの程度残るかという問題となってこよう。さらに,従業員の能力や仕事の効果を適切かつ明確に評価し,また,従業員の立場からみても納得性の高い評価システムの確立が重要である。

また,雇用慣行についても,今後労働力の高齢化と労働力供給の伸びの鈍化の下での産業構造の変化に伴う労働移動の増加が見込まれる状況のなかで,こうした変化に対応した形への変容を迫られるであろう。なぜなら,企業内においては人員構成の高齢化に伴う賃金コストの上昇,ポスト不足等が生じるとともに,マクロ的にはますます稀少価値の高まってくる労働力の効率的な再配分が重要となってくるからである。ただし,その際に気をつけなくてはならないのは,これまでの長期雇用システムのメリットを否定するのではなく,企業内での中高年齢者の有効活用のための機運の醸成を図るとともに,転職を行うことが不利になるなどの労働移動に関して非中立的な制度の見直しを検討する必要があるということである。また,多様な就業機会の確保や労働時間の短縮の促進など,高齢者の働きやすい環境を整備していくことが望まれる。そしてこれらのことは,労働市場におけるミスマッチの解消に資するものである。

なお,実際に企業が高齢者の雇用のために現在採っている特別措置をみると,「適職への配置・仕事の分担の調整」,「安全衛生・健康管理面での配慮」,「仕事量の調整」が重視されているが,今後の予定と比較した場合,「労働時間の短縮・勤務時間の弾力化」,「定年の引上げ,再雇用など」,「賃金規則・退職金規定の改定」がより重視されていく方向にあることがわかる。また,60歳台前半への雇用延長に対する課題をみると( 第3-3-9表 ),「賃金体系,退職金制度の見直し」,「職務環境,作業環境の見直し」などが高い割合にあるが,企業規模が大きくなるほど課題とする企業の割合が上昇している。このように,企業もこれまでの雇用制度の見直しを迫られている。

(高齢者の対応)

以上のように,高齢者の雇用に対する制度面での課題をみてきたが,一方で高齢者が企業にとって魅力ある存在になる必要もある。その背景の一つとして,職業間のミスマッチの問題が挙げられる。第1章でみた職業別の労働者の過不足状況によると,企業では専門的・技術的職業従事者や販売従事者に対し依然として不足感を持っている一方,管理的職業従事者に対しては過剰感が強くなっていることが分かるが,高齢者の職業構成をみると( 第3-3-10図 ),専門的・技術的職業従事者や販売従事者の比率は相対的に低くなっている一方で,管理的職業従事者の比率は相対的に高くなっている。企業にとって必要な職業を踏まえつつ,若年のうちから人的資本の蓄積を努めることも必要となってくる。

今後の高齢者の評価をみる上で,年齢別中途採用の賃金の推移をみると( 第3-3-8図③ ),65歳以上では低下してきている一方,50歳台を中心とした中高年層ではむしろ上昇がみられていることは興味深い。また,求人面をみても,景気拡大期の89,90年頃には求人倍率がかなり上昇したという事例からも分かるように,今後,労働力の供給制約の中で,高齢者に対する需要が好転することは大いに期待できる。

(高齢者就業と公的年金の在り方)

最後に,高齢者就業にかかわる各種制度についてみていくが,基本的には高齢者の就業意欲を実現することにより,結果として公的年金の給付と負担のバランスをとっていくというのが望ましい方向であろう。

就業との関連ではまず,60歳定年の完全定着を図るため,94年6月に高年齢者雇用安定法の改正が行われ,あわせて高齢者の働く意欲と能力に応え,定年後60歳から65歳までの雇用の継続を援助,促進するための高年齢雇用継続給付が雇用保険制度に設けられ,これらにより高齢者の働くことへの意欲がより喚起されることが期待される。

また,94年11月には,公的年金制度において,在職老齢年金が,賃金と合わせた総収入額が賃金水準に応じて増加するように改正されたこと等も高齢者の就業意欲を高めることが期待される(コラム参照)。

なお,一連の制度改正により,高齢者の労働力率は高まることが期待され,ひいては適正な成長とともに,公的年金の給付と負担のバランスの確保にも資すると考えられる。


(高齢者の安定雇用に向けた各種制度の動向)

平成6年には,高齢者の安定雇用に向けた各種制度に関する法改正が相次いで行われた。

高年齢者雇用安定法の改正(94年6月)では,60歳定年の完全定着を図るため,現行の努力義務を改め,98年(平成10年)4月以降,事業主が定年の定めをする場合には,原則として当該定年は60歳を下回ることができないこととした。さらに,65歳までの再雇用制度,勤務延長制度や65歳定年の導入・改善を計画的かつ段階的に推進するため,労働大臣が高年齢者等職業安定対策基本方針に照らして必要があると認めるときは,事業主に対して継続雇用制度の導入等に関する勧告等を行うことができることとした。また高齢者の就業ニーズの多様化を踏まえ,労働者派遣法に関する60歳以上の高齢者に対する特例を設け,港湾運送,建設,警備,物の製造以外の派遣業務制限を撤廃した。そして高齢者の知識および技能を活用できる短期的な雇用機会を提供することを目的とする公益法人等に対し,「高年齢者職業経験活用センター」等の指定をあわせて行うことを新たに定めた。

雇用保険法の改正(94年6月)では,高齢者の働く意欲と能力に応え65歳までの雇用の継続を援助・促進するという観点から,高年齢雇用継続給付制度を創設した。同制度は高年齢雇用継続基本給付金と高年齢再就職給付金から成り,高年齢雇用継続基本給付金は,6歳以上65歳未満の者で,その月に支払われる賃金額が,60歳時点の賃金の85%未満に低下した場合に支給される。また高年齢再就職給付金は,失業給付を受給した者が再就職した際,その賃金が60歳時点の賃金の85%未満に低下した場合に支給される。

なお厚生年金法の改正(94年11月)では,在職老齢年金制度が抜本的に改められた。「平成6年度年次経済報告」にも指摘があるとおり,従来の在職老齢年金は,賃金が高くなると減額率が大きくなるために就業意欲を阻害する面があるといわれていたが,今回の改正により,賃金の増加に応じて賃金と年金の合計額が常に増加するようになる。