第4節 途上国からの追い上げと国内産業調整

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円高によって国内生産,投資,更には雇用への悪影響が生じるのではないか。これがいわゆる「産業空洞化」の懸念である。「産業空洞化」現象は次の三つのルートから生じると考えられる。第一は円高による輸出の減少を通じて製造業の縮小が起こるというルートである。これについては既に第1節と第2節でみたように,これまでのすう勢的な円高は日本の輸出競争力の高さを反映していたものであって「産業空洞化」とはほぼ無縁であったが,最近の急激な円高は我が国の価格競争力を低下させている。第二は輸入の増大(輸入浸透度の高まり)によって国内生産が輸入に代替されるというルートである。第三は円高によって我が国産業はより低コストの海外生産基地を特にアジアに求めるという,直接投資(海外生産)の増大によって国内投資(国内生産)が代替されるというルートである。

このいずれの現象が起きても国内の製造業は相対的に縮小し,その結果,国内雇用は非製造業にシフトせざるをえないが,非製造業の雇用吸収力が小さい場合や,生産性が低い場合には日本経済全体として失業問題が発生したり実質賃金の低下が起きることになる。それゆえ,「産業空洞化」が生じるか否かは,上記の三つのルートがどの程度の大きさで貫徹するかに依存している。同時に重要なことは円高によってこれら三つのルートが強まったとしても,そのこと自体が即我が国全体の「産業空洞化」を意味するわけではなく,実際に「産業空洞化」が生じるかどうかは,国内経済の中で新しい高付加価値部門の生産が拡大するかどうかに大きく依存する。そしてそのことは,投資効率や生産性,また貯蓄や技術など日本経済全体のサプライサイドの状況に依存する。

そこで本節においてはまず日本経済全体の中での製造業の位置付けをアメリカとの対比で行い,次いで上記の三つのルートのうち第二(輸入),第三(直接投資)のルートを検証し,国内雇用との関係も分析する。さらに,途上国の低賃金によって日本の賃金が影響されているのかという問題を検討する。

1. 付加価値と雇用からみた製造業の位置付け

(アメリカにおける製造業部門縮小の背景)

まず,以下の分析の出発点として国内経済に占める製造業の大きさについて,アメリカとの対比で概観しておこう。まずはアメリカの場合である。

アメリカの製造業は80年代前半のドル高によって「空洞化」したという指摘がしばしばなされるが,まずこの点をみてみよう。第2-4-1図①は製造業の付加価値(名目ベース)と雇用者がアメリカ経済全体に占めるウエイトの推移を示したものであるが,そのいずれも70年代以降一貫して低下している。そしてこのような製造業部門の縮小の背景として輸入の増大(輸入浸透度の高まり)があったことを指摘する向きがある。事実,70年において製造業の付加価値ウエイトと雇用者ウエイトはそれぞれ25%,27%であったが,90年には共に18%に低下するなかで,輸入対製造業付加価値比率は16%から49%に上昇しているのである。

しかしながらここで注意すべきはこの間に輸出も急上昇していることである。事実,70年から90年にかけて,輸出対製造業付加価値比率は17%から38%に上昇しているのである。それゆえ,アメリカにとって国際貿易の拡大が製造業にどのような影響を与えたかをみるためには製造業のウエイトと貿易収支の大きさを比較する必要がある。第2-4-1図②は製造業の付加価値(名目ベース)と製品類の貿易収支対GDP比率の推移を示したものであるが,次の点を指摘することができる。すなわち,80年代前半のドル高を背景とした貿易赤字の拡大によってアメリカ製造業の縮小が加速された面は必ずしも否定できないが,70年から90年の長期でみると,製造業のウエイトの低下の原因のすべてが貿易赤字にあったとはいえないことが分かる(70年から90年にかけて製造業付加価値ウエイトは6.6%も低下しているが,製品類の貿易収支対GDP比率は2.0%しか低下していない)。

それではアメリカ製造業ウエイトの低下の基本的要因はなんだろうか。そのヒントを示すのが第2-4-1図③である。 同図は製造業の付加価値ウエイトを名目ベースと実質ベースで比較したものであるが,製造業のウエイトは名目ベースで低下がみられるが,実質ベースでは低下していない。このことは,製造業の価格が非製造業の価格より低位に推移したからである。それでは製造業の価格が非製造業の価格よりなぜ低位に推移したのかが次のポイントであるが,それは製造業の生産性上昇率が非製造業のそれより高かったからである(同図④)。このようにみると,製造業の付加価値ウエイトが低下したのは,ドル高という一時的要因はあったものの,基本的にはアメリカの非製造業の生産性が低かったからであると理解することができる。またアメリカ製造業の雇用ウエイトが低下したのは製造業の低い生産性を反映した競争力の低下にあったというよりも,製造業の生産性が非製造業の生産性よりも高かったことにあるといえよう。逆にいうとアメリカの製造業は実質ベースでは「空洞化」していない。名目ベースでの「製造業の空洞化」の原因は,非製造業が,生産性の低さを反映して価格が上昇し,名目ベースでウエイトを高めたことにある。このことは,製造業では過去と同程度の実質付加価値をより少ない雇用により生み出していることを意味し,それが正に雇用面での製造業のウエイトの低下を説明する。

(日本の製造業のウエイト)

日本の場合はどうであろうか。まず,製造業付加価値ウエイト(名目ベース)も雇用ウエイトも60年代後半まではすう勢的に上昇してきたが,70年代は石油ショックの影響もあってかなりの低下をしている(第2-4-2図①)。しかしながら80年代以降は両者ともほとんど変化していない。製造業付加価値ウエイトを実質でみると日本の製造業の位置付けは更に明瞭である。製造業は80年代以降おおむね上昇している(同図②)。そして,製造業部門の名目ウエイトと実質ウエイトの差は,日本の場合も製造業と非製造業部門における生産性上昇率の格差から生じているのである(同図③)。日本の内外価格差の原因と同じ背景をここでも指摘することができる。このようにみると,日本については製造業部門の縮小という意味での「空洞化」は名目ベース,実質ベース,雇用いずれにおいてもみられていない。またアメリカにみられたような「製造業の空洞化(名目ベース,雇用における製造業ウエイトの低下)」が起こらないためには,今後非製造業部門の生産性の上昇を図ることができるか否かがポイントになってくる。

2. 輸入の増大と国内生産・雇用

さて,ここでは上で述べた空洞化の第二のルート,「輸入の増大によって国内生産が輸入に代替され国内雇用が失われるのではないか」という問題を取り上げる。

(増大する輸入と国内生産)

まず,製品輸入の増大により国内生産が圧迫されているかを,国内総供給の動向からみる。国内総供給の四半期の前期比の動きをみると,94年以降においては,鉱工業全体としては国産品の寄与度は総じて輸入の寄与度を上回って伸びている一方で,輸入の寄与度が前年に比べ顕著に高まっている( 第2-4-3図)。財別にみると,耐久消費財,非耐久消費財については,国産品の寄与度は振れはあるものの,ほぼ横ばい圏内で推移するなかで,輸入は増加傾向で推移している。資本財は,94年後半以降において輸入が国産品を上回る勢いで増加している。他方,生産財は輸入の寄与度が高まったのと同時に,国産品の寄与も好調に推移している。

次に輸入の規模をみる。第1章第6節では,消費財の輸入浸透度がおしなべて上昇していることを示した。鉱工業全体でも輸入浸透度は徐々に高まってきており,90年の10%台から95年1~3月期には14.4%と上昇している(付図2-4-1)。特に,精密機械工業と繊維工業では輸入浸透度は急上昇しており,95年1~3月期にはそれぞれ43.8%,29.9%となっている。また,電気機械工業ではまだレベルは低いものの,上昇のテンポは速く,90年に比べ浸透度はほぼ倍増している。このように,我が国の輸入浸透度は他の先進国と比較して依然低いものの,高まりを示しており,輸入の規模は今後も増大する可能性が大きい(付図2-4-2)。

(低付加価値化する輸入)

それでは,さらに輸入の内容を調べてみよう。現在の輸入の増加については,特に低付加価値品の輸入が顕著に増大していることが分かる。

ここでは,低付加価値化を「同一品目の低級化」と「品目構成の低級化」に分けて考える。「同一品目の低級化」とは,同じ品目において,品質・性能が低下し付加価値が低下することで,例えば,「乗用車」という品目において,高級車から中級・低級車に輸入がシフトすることを意味し,「品目構成の低級化」とは,輸入品全体のなかで,低付加価値品のシェアが高まることで,例えば,資本財である高級機械に比べて,低付加価値な家庭電機製品の輸入の伸びが相対的に大きい場合,低付加価値品のシェアが高まることなどが考えられる。このような低付加価値化は輸入価格の低下となって現れると考えられることから,ここで,輸入物価の変化を為替要因,市況要因,高付加価値化要因に分解し,高付加価値要因を更に品目高級化要因と構成高度化要因に分け,低付加価値化の寄与をみる。その際,「同一品目の低級化」はマイナス方向の品目高級化要因,「品目構成の低級化」はマイナス方向の構成高度化要因として現れる。

輸入価格は,93年に大きく低下し,その後低下幅は縮小している。その前年同期比を要因分解する(第2-4-4図)と,91~92年前半は,為替要因と市況要因がマイナスに働いてきた。93年には一層の円高の進展を受けて為替要因の寄与度が大きく拡大するとともに,高付加価値化要因のマイナスの寄与(低付加価値要因)が顕著に増大した。94年後半以降,市況要因は輸入価格押上げ方向の寄与を高めている一方,94年末以降高付加価値要因のマイナス幅は拡大しており,特にその低付加価値化は,「同一品目の低級化」により説明できる。例えば乗用車の場合,94年度に乗用車輸入台数は前年度比で53.3%増と大幅に増加したが,単価300万円以上の高級車中心のドイツからの輸入が同24.6%増だったのに対し,単価180万円程度の中級車中心のアメリカからの輸入は同78.2%増と大きく増加している。

以上から,現時点において生産財以外の財において輸入が国産品を上回る勢いで増加しており,国内生産に対する影響が徐々に高まっている。その際,現在の輸入の増加においては,むしろ低付加価値分野の製品の増加が大きい。低付加価値分野における輸入の増加は,我が国が国際分業を通じて産業の高付加価値化を進めていることの現れであり,その流れは今後も続くものと思われる。

(輸入浸透度の高まりと雇用)

第2節で述べたように,産業の比較優位は主として単位労働コスト(賃金/生産性)の産業別格差を反映しており,生産性上昇率が相対的に低い産業では輸出競争力が失われる(比較劣位化する)。したがって,比較劣位産業では国内生産基盤の縮小,輸入浸透度の上昇,雇用の減少を経験することになる。すなわち,輸入の増加が直接雇用の減少をもたらすのではなく,外国製品に対する競争力の喪失が,輸入の増加と雇用の減少の双方をもたらす根本の原因である。事実,86~93年の間について,業種別に製造業の輸入浸透度と雇用の変化の関係をみると( 第2-4-5図),第2節でみたように貿易財産業の平均レートが増価するなかで比較劣位化した産業が輸入の増加と雇用者増加率の低下あるいは雇用者の減少に直面している姿が示されている。さらに,輸入浸透度の上昇の顕著な幾つかの産業についてみると,繊維と精密機械においては,就業者が大きく減少しているにもかかわらず,労働生産性は低下または極めて低く調整の真っ只中にあるといえる(第2-4-6表)。一方,衣服・身回品,製材・木製品,皮革・同製品においては,就業者が減少することにより結果的に生産性の上昇に成功している。

一方,同時期の製造業全体をみると,輸入浸透度は1.2%ポイント上昇していると同時に就業者,雇用者とも増加しており,競争力の低下した産業における輸入,雇用の関係とは異なる結果となっている。しかしながら,現在のように,現実の為替レートが貿易財平均の均衡レートを上回って増価していると考えられるような場合には,雇用への影響が懸念される状況にあるといえよう。

3. 最近のアジアへの直接投資の特徴

ここでは80年代後半以降の対外直接投資をアジア向けを中心にその動向と特徴を分析する。日本からアジアへの直接投資は,80年代後半以降幾分の変動はあるものの増加傾向にある。こうしたアジア向け直接投資の特徴は第一に部品企業の増大であり,第二に海外投資動機の変化である。まず前者についてみると,業種別に電気機械,一般機械,化学,輸送機械等を中心にアジア向け直接投資が増加しているが,特に部品企業の増大が顕著である( 第2-4-7図)。

次に海外投資の動機についてみると,アジアNIEs,ASEAN向けにおいては「進出先マーケットの維持・拡大」が最大の投資理由となっているが,「第三国への輸出」を挙げる企業も比較的多くなっている(付表2-4-3)。また中国のような,賃金が安く,投資の歴史が比較的浅く,かつ潜在的に大きなマーケット向けの投資については「新規市場の開拓」が最大の投資理由となっており,続いて「進出先マーケットの維持・拡大」,「安い労働力の確保」の割合が高い。一方,最近ASEANや中国においては「日本への逆輸入」の割合も高くなっている。また3地域とも,「組立メーカー(日系を含む)への部品供給」の割合が高まりをみせていることが極めて特徴的である。以上の2点の特色はアジアの各生産拠点の最重要販売先をみた場合,91~94年度にかけて日本の割合がやや高まりをみせていることからもわかる(付図2-4-4)。

このように,これら部品企業の投資増加の理由は,現地組立企業への部品供給及び対日輸出と考えられる。すなわち,アジアに対する直接投資については,これまでのアメリカやEUなどの第三国に対する製品輸出のウエイトが低下し,今後は海外生産が進展するなかで,部品企業の海外移転も進み,現地の組立て企業更には日本への部品供給が増加するであろうことが分かる。さらに,将来的には,先に述べた「今後の最重要販売先」にみられるように,アジア市場の拡大に伴い現地向け供給のウエイトが高まると考えられる。

次にアジアでの海外投資の資金源についてみると幾つかの特色が指摘できる。まず第一は海外投資のうち現地調達分や再投資分がかなりのウエイトを占めていることである。例えば,93年度の海外投資を本社送金分と現地法人による調達(現地再投資と現地調達分)を合わせた額でみると,全地域向けでは約45.5%が本社送金分,44%が現地再投資分,残り10.5%は現地調達分となっており,海外投資全体に占める現地再投資分と現地調達分は本社送金による直接投資額を上回っている(第2-4-8図)。第二にこの傾向はアジアにおいても顕著にみられることである。第三はアジアの中でも現地法人による調達分に違いがみられることである。すなわち,投資の歴史の古いアジアNIEsでは,約6割が再投資というウエイトの大きさから分かるように現地での収益から資金を回収しているのに対し,ASEANは約4割弱が再投資,3分の1が現地調達,残り約3割が本社送金分となっていることである。そして最後に,投資の歴史が比較的浅い中国は,約8割が本社送金分,約2割弱が再投資となっている。以上のことから海外投資の資金源については投資先との関係の長さなどによって変化していくが,一般的にいえば,当初は日本からの国境を越えた資本流出によって海外投資をファイナンスするが,次第に現地での現地調達分を増やしていき,当該海外投資が成功するならば更に再投資分を増やしていくというのが自然の傾向であると考えられる。この点は後に述べる海外投資と国内投資の代替の問題を考える上でも重要な点である。

このような海外投資に係る資金源の変化は投資先での収益性とも関係があることはいうまでもない。この観点から注目すべき特徴は他地域に比べてアジアでの海外投資の収益性が高いことである。例えば,海外の現地法人の収益率は,世界全体では景気後退下の日本国内での収益率を下回り続けている(特にヨーロッパと北米)が,アジアに対する投資収益率は93年度で若干鈍化したものの,91年度来国内を大きく上回っている( 付図2-4-5)。



(東アジアの経済成長と日本からの直接投資)


近年,東アジアは世界の中で最も成長している地域である。また,日本からの対外直接投資(製造業)は,全体的に80年代後半に比べ低い水準であるものの,アジア地域に対しては順調に推移している。

下図は,86年と93年の東アジア各諸国の実質経済成長率と日本からの直接投資残高の各国のGDP比の推移を示したものである。これをみると,マレイシア,タイ,インドネシアと中国においては,86年から93年にかけて直接投資GDP比と成長率が共に高まっている。これは,この間ASEAN諸国や中国は積極的に外貨導入策を採用しており,日本の対アジア直接投資残高においても上記4か国のシェアが高まっている(86年度47.0%→9年度59.6%)ことと整合的である。一方,韓国,台湾,香港は86年から93年にかけて成長率は鈍化したものの,引き続き高い成長を続けているが,日本からの直接投資のGDP比はほぼ変化せず,ASEAN諸国に比べると引き続き低い水準となっている。この図からは,日本の直接投資はASEAN諸国と中国の成長の一端を担っていることがうかがわれる。

図 日本の製造業直接投資残高GDP比とアジア諸国の成長率との関係



4. 直接投資と貿易

以上のようなアジア向けを中心とした直接投資の増大は輸出・輸入の規模や構造に変化をもたらす。ある一つの産業で直接投資が行われた場合,直接投資と貿易の関係は次のように考えられる。まず,直接投資の受入側における生産の立ち上がり時期には,生産活動に必要な資本財や部品・中間財は投資国からの輸出によって供給される(輸出誘発効果)。投資国の資本財・中間財の供給,受入国での最終製品の生産というような分業関係は,やがて現地調達の増加とともにある程度は縮小する。そして,受入国で生産された製品は,受入国や第三国への供給を通じて,投資国の受入国への輸出と投資国の第三国への輸出を代替する効果を持つ(輸出代替効果)。さらに,投資の受入国において生産された製品の一部は,生産が本格化するにつれて投資国に輸出される(逆輸入効果)。こうした効果が投資国側の貿易収支にどのように現れてくるかを考えると,当初は輸出誘発効果が支配的で投資国の黒字を増やすが,時間の経過とともに投資受入側の現地化が進展して現地調達率が上昇するにつれて,投資国側からの部品・中間財の輸出が減少し,また輸出代替効果と逆輸入効果が顕在化して,投資国の黒字を減少させることになると考えられる。

実際には,様々な産業が時期と投資先を違えて投資を行っていること,投資先によって各効果の大きさが異なることから,経済全体への効果は複雑になる。

(アンケート調査からみた直接投資と貿易)

ここで,まず直接投資と貿易の関係について,アンケート調査を基に,具体例を見よう(前掲日本輸出入銀行アンケート,付表2-4-6)。次の2点を指摘できる。第一は海外生産比率が目立って上昇するなかで,海外現地法人の対日輸出比率は目立って上昇していることである。これは素材型産業と加工組立産業ともに共通にみられる傾向であり,また加工組立産業のいずれにおいてもしかりである。第二は親会社の輸出比率は全体としては微増であるが,電気機械部品においては,海外生産比率が高まるなかで,現地法人の対日輸出比率の高まりとほぼパラレルに親会社の輸出比率も上昇していることである。このことは,海外からの部品調達体制の進展の中で逆輸入が増大していること,また現段階では輸出代替以上に海外生産の進展に伴う投資国への資本財や部品の輸出が増加していることを示している。なお,アジアからの逆輸入で多いのは,家電,電気部品,アパレルだとする調査結果もある(通産省「第24回我が国企業の海外事業活動動向調査概要」)。

(輸出・輸入関数からみた直接投資と貿易の関係)

最近における直接投資と輸出・輸入の関係については既に第1章9節で詳細に分析した。そこでは直接投資と輸出の関係について耐久消費財は輸出代替局面に入っているが,資本財については輸出誘発局面にあり,輸出全体に対しては誘発的であること確認した。また直接投資が輸入に与える影響については耐久消費財を始めとして輸入全体にも大きな誘発効果をもっていることを確認した。

この分析を発展させ,直接投資と輸出・輸入の正の関係が国別にも確認されるかどうかを分析してみよう。ここでは,日本と様々な国との間で,貿易(輸出入)と直接投資がどのような関係にあるかをグラヴィティモデル(重力モデル)を用いて探ることとする(詳細は付注2-4-7参照)。グラヴィティモデルとは,二国間の貿易の流れが,基本的には輸出入国の経済規模と両国の距離で説明されるとした上で,更にそれ以外の要因(この場合は直接投資)が貿易を説明するかをクロスセクションで検証するものである。経済規模については,GNPと一人当たりのGNPを用いている。直接投資については,全業種と製造業のみの場合について考える(第2-4-9表)。

GNPについては輸出入両ケースについて有意であり,経済規模が大きくなれば貿易額が大きくなることを示す。また,経済の発展段階を示す一人当たりGNPを見ると,係数はプラスであり経済が発展すればするほど,所得の拡大が需要の増大と多様化をもたらし製品が差別化し,貿易機会が増加する可能性が大きくなることを示していると考えられる。もっとも輸出においてはほとんどの時点で5%で有意であるが,輸入においては有意水準が低下する。これは,輸出に比べて輸入は製品比率が低いため,産業内貿易の程度が小さいからと考えられる。距離は貿易にとってマイナスで有意である。直接投資として1期前の直接投資残高をみると,それは説明力をもっており,輸出入ともにプラスの(増加させるという)関係がある。

製造業の直接投資残高を用いても基本的に結果は大きく変わらないが,輸入に対する直接投資の説明力はより高い。製造業の直接投資と輸出入の関係をより詳しくみると,輸入に対する直接投資のプラスの係数が輸出に対するプラスの係数より大きくなっている。すなわち,日本と諸外国の間の貿易・投資の関係において,製造業の直接投資残高の1%の増加に対して,輸出は0.2%程度,輸入が0.3~0.4%増加するという関係がある。ここでの分析結果は第1章第9節の分析を改めて確認するものとなっている。

(円高と輸出と直接投資)

以上の点を踏まえると円高によって直接投資が増大し,その結果輸出が減少するという単純な図式で理解することは正しくないことがわかる。正しい理解は,まず円高が発生すると,ある種の輸出が減少するものの,同時に直接投資も増大するなかで,輸出の減少は直接投資の輸出誘発効果によって一部は緩和されるということである。

そこで輸出関数と海外直接投資関数を用いて円高が生じた場合の直接投資による輸出低下の緩和の大きさをみてみよう。

他の条件を一定にすれば,円高は輸出数量を減少させる方向に働き,海外直接投資を増加させる方向に働く。また海外直接投資累計残高の増加は,耐久消費財については代替効果によって輸出数量を減少させる方向に働くものの,資本財での輸出誘発効果が顕著であることから,全体としては輸出数量を増加させる方向に働いている(第1章第9節参照)。このことは,円高により喚起された海外直接投資が,円高による輸出数量の低下をある程度相殺することを意味する。ここで第1章での輸出関数(87年以降の推計,付注1-9-3参照)と海外直接投資関数(第2-4-10表)を用いて,仮に10%の円高になった場合の輸出数量の変化を試算すると,円が10%増価し,そのレベルで推移すると,輸出数量は円高がなかった場合に比べ約2.6%低下する(付図2-4-8)。10%の円高は同時に海外直接投資を約6.8%増加させるため,輸出数量が増加することになり,円高で減少した部分をある程度相殺する。このように,現時点の輸出構造,直接投資構造を反映した関数を用いた試算では,円高が生じた場合,輸出数量は減少するが,直接投資がある場合には減少が一部緩和されることになる。

5. 海外投資と国内投資の関係

冒頭に述べたように「産業空洞化」の第三のルートは最近の円高の進行によって,設備投資が緩やかに増加に転じても,海外直接投資に代替される,すなわち海外投資に漏れ出すのではないかということである。ここではまず第一に海外投資と国内投資の相関について国際比較をした後,第二に日本の直接投資関数によって,為替がどの程度直接投資に影響してきているのかを分析し,最後に漏れ出しの可能性について検討する。

(海外投資と国内投資の関係の国際比較)

海外での投資は統計的に把握が困難であるため,ここではその代わりに国際収支表に現れた対外直接投資を用いて,OECD加盟の18か国を対象に,国内総投資を国内総貯蓄と対外直接投資に回帰した関数を推計した(第2-4-11表)。その結果,対外直接投資の係数はマイナスであり,所与の貯蓄率の下では対外直接投資(対GDP比)が上昇すると,国内総投資(対GDP比)が低下する,すなわち,国際比較でみる限り対外直接投資は国内投資を代替していることを示している。しかしながら,その平均的な代替の程度は75~85年で1.26,85~93年で0.88とやや低下している可能性がある。この推計式の解釈については後で述べる。

(日本における海外直接投資と国内投資の推移)

次に我が国経済に焦点を当てて海外投資と国内投資の関係をみてみよう。ここでは国内投資については国民経済計算,海外投資については国際収支表を用いてマクロの海外投資比率(海外直接投資/国内企業設備投資)の動向をみると80年代後半に徐々に高まりをみせて,89年度には9.2%に達した後低下していたが,94年度に入って再び高くなっている(第2-4-12表)。次に業種別の動向をみると(国内投資については法人企業統計季報,海外投資については海外直接投資届出実績),製造業では89年度に12.2%に達した後低下,92年度の6.5%に至ってからは反転,上昇に転じている。また,非製造業では,89年度の21.0%をピークに低下した後,92,93年度と横ばいで推移していたが,94年度に入って再び上昇に転じている。このように,海外投資比率は製造業,非製造業ともこのところ増加傾向にあることから,海外投資が国内投資を代替しているとの懸念が指摘されている。

(為替の弾性値が高まる直接投資)

次に以上のような直接投資の動向と円高の関係をマクロ的にみてみよう。ここでは,対世界と対アジア向け直接投資を被説明変数として,現地の需要要因,為替要因(実質実効レート),企業の利益要因の三つで回帰してみた。

なお,回帰に当たっては,国内設備投資に影響を及ぼすのは,直接投資のみではなく現地での再投資や稼働率の引上げも含まれるため,海外生産比率(海外生産/海外生産+国内生産)を基に,被説明変数を直接投資ベースから海外設備投資べース(直接投資+再投資等)に修正した。

その結果,企業の利益要因は有意とならなかったが,現地の需要と為替要因が海外設備投資を決定するに当たって有意であることが分かる(前掲第2-4-10表)。

特に為替要因については,世界,アジア向けともに,最近になるほど弾性値が大きくなってきており,プラザ合意以降の海外進出を通じた現地生産におけるノウハウの蓄積もあって,従来にも増して為替が直接設備投資に影響する度合いが大きくなっていることを示唆している。

(漏れ出しなのか,独立した動きなのか)

以上の分析を踏まえて海外投資と国内投資は代替的か否かについて考えてみよう。まず第一に,国内投資と海外投資は貯蓄率等「他の条件が一定である」とすると,例えば上記の国際比較の分析結果にみるように,国内投資が国内貯蓄によって100%決定されている場合には,海外投資と国内投資との間にはある程度代替関係があるかもしれない。しかしながら国内貯蓄が増大したり,あるいは国内投資資金の海外から取り入れが容易であればその分海外投資と国内投資の代替関係は弱まることになる。事実,前掲第2-4-11表にあるように最近は国内貯蓄の係数が小さくなっている。もう一つは日本のデータを用いて国内投資を被説明変数,海外投資を説明変数として回帰を行ってみると,むしろ,「海外投資が増大するとき国内投資も増大する」という関係がみられる(第2-4-13表)。以上のことは「他の条件が一定でない」ことを物語っている。最近の状況に則していえば,国内投資が低迷しているのは海外投資との代替というよりも,第1章第3節で分析したような「他の条件である」国内要因によるところが大きいといえよう。

次に指摘すべきは,「他の条件」の中で直接投資を増大させ,逆に国内投資を減少させるある変数が変わった場合は,見掛け上,両者の間に代替関係が生じることがあるという点である。その例は為替レートの増価である。上でみたようにまず直接投資(ここでは海外設備投資ベースに修正)に為替要因が効くのは,円高によって国内での労働コストが割高となるため,生産コストのより低い海外に進出してきたためと思われる。このことは,コスト志向が強いアジア投資向けの為替に対する弾性値の絶対値が,貿易摩擦回避型の海外進出が多かった欧米を含んだ対世界よりも大きいことからも確かめられる。ところが,第1章第3節の3で示したように,国内設備投資に対して為替が影響してくるのは直接的というよりも,売上の減少や輸入品の流入に伴う生産の減少を通じてであることから,海外設備投資との明瞭な因果関係は実証的には証明できない。この意味では,企業は国内設備投資とは別の投資判断によって海外設備投資の額を決定しているといえなくはない。

以上のように国内投資と海外投資の代替は明瞭ではないが,それでも円高不況以降に海外進出を果たした企業について考えれば,設備投資に国内・海外の区別はなく,コスト的に最適と判断される場所で生産するとみられるため,結果として国内設備投資が抑制される可能性は否定できない。もっとも,こうした漏れ出しが生じた場合でも,それは連結ベースでみた企業の合理的な行動ととらえれば,仮に国内設備投資がそれを理由に減少したとしても,連結経常利益の改善が図られることになる。

さらにいえば,仮に国境を越えた直接投資と国内投資の代替が大きい場合でも,海外投資のすべてが国内投資を代替するわけではない。既に述べたように海外における投資のすべてが本国からの送金(国境を越えた資金フロー)によるものではなく海外現地法人による再投資や現地調達分も重要な投資資金源になっているからである。そしてこれらの現地資金分,さらには海外からの資金調達によって海外投資が行われた場合は,国内の投資は資金的にクラウドアウトされる可能性は小さくなると考えられる(例えば,国境を越えた対外直接投資は本国の国内投資を1対1で減少させるが,海外の投資が再投資や海外からの資金によって賄われることを考慮すると,アメリカの場合は海外投資と国内投資の代替の程度は1対0.2~0.3という研究もある)。

最後に,仮に過去行われた対外直接投資が1対1の割合で国内投資を代替したとして,日本の場合そのGDPの押下げ効果を試算すると,海外直接投資が急増した85年から90年にかけて年平均で0.2%程度に過ぎないことが分かる(付注2-4-9)。もちろん,実際には代替の程度は1対1より小さい可能性が高く,GDP押下げ効果はもっと小さかったと考えられる。こうして直接投資の漏れ出しの可能性についてはすべてを否定することはできないが,その代替によるGDPの押下げ効果はかなり小さい上,代替の程度に関しては,投資の資金調達形態によっては小さいものにとどまる可能性がある。

(海外直接投資と雇用)

海外直接投資は,上で述べたように輸出入や国内投資の変化等を通じ,国内経済へ様々な影響を与えるため,雇用に対しても影響を与えると考えられる。84年以降について,海外直接投資の伸びと雇用者の伸びの相関関係をみると(第2-4-14表),製造業全体では,直接投資の伸びと2年後の雇用者の伸びとの正の相関が高く,直接投資の増加は短期的には国内の雇用者の伸びを増加させている可能性がある。このことは,先にみたように,海外直接投資が輸出を誘発すること,輸入浸透度の高まるなかで製造業全体として雇用者が増加してきたこと,過去のデータの分析では「海外投資が増大するとき国内投資も増大する」関係がみられたことなどと整合的といえよう。ただし,海外直接投資の進展とともに輸出代替効果や逆輸入効果がみられるなかで,雇用面への影響についても考慮する必要がある。

さらに,労働省ヒアリングによれば(付表2-4-10),親企業が海外進出したが自らは進出していない下請け企業の状況をみると,親企業の海外進出に伴い国内の事業規模が縮小したとする企業が6割以上あり,国内の従業員規模が減少したとする企業が4割弱あるなど,下請企業への影響についても留意が必要である。

また,同ヒアリングによれば,2000年時点における企業の海外進出が雇用に与える影響については,「現在の雇用量よりも減少する」とする企業が「現在の雇用量を維持または拡大する」とする企業をやや上回り,雇用に関して企業は決して楽観的にみているわけではないことには注意する必要がある。ただし,雇用量を減少させる場合の方法としては,「新規学卒の採用抑制」,「中途採用の停止・削減」等が中心で,「希望退職者の募集」を挙げる企業はわずかとなっており,「解雇」を挙げる企業はなく,既存の雇用を維持しつつ雇用調整を行おうとする企業の姿勢がみられている。

6. 貿易と製造業の賃金の関係

以上みたように,これまでのところ円高の過程において比較劣位産業は輸入浸透度の上昇と雇用者の減少という厳しい調整を強いられてきたが,比較劣位産業の余剰労働力は他の産業で吸収されており,日本経済全体での雇用調整は比較的緩やかなものであった。次に賃金調整面をみていこう。

(製造業の相対賃金の推移)

海外競争にさらされている製造業においては,非製造業に比べて相対的な賃金が低下している可能性がある。ここでは大企業に属する男子について,産業計を100としたときの製造業の相対賃金の推移を学歴,年齢別にみると(第2-4-15図),総じてみれば基本的には産業平均の回りを動いているが,91年以降では産業計を下回った状態が続いている。これを学歴,年齢別にみると,高卒,大卒いずれにおいても45~49歳層の相対賃金が70年代後半に低下し,それ以降産業平均を下回った状態が続いており,この世代が一貫して相対的に厳しい状況にあったことが分かるが,91年以降においては,20~24歳層においても相対賃金の低下がみられている。産業別にみると(付図2-4-11),大企業の高卒男子,20~24歳層では,輸送機械,電気機械の低下がみられており,高卒男子,45~49歳層では輸送機械において相対賃金の低下がみられている。

(輸出・輸入と賃金)

このような製造業の相対賃金の推移を念頭において次に,輸出と賃金の関係をみてみよう。円高などによる輸出競争力の低下は,生産の減少を経由して賃金上昇率の低下につながると考えられる。また,為替レートが割高になった場合には賃金上昇率の引下げ圧力も生じよう。そこで産業別のデータによって輸出比率と賃金上昇率との関係をみると,輸出比率の低下幅が大きい産業では賃金上昇率は相対的に低くなっている。このことは,輸出競争力低下(上昇)が賃金に対してマイナス(プラス)方向に働いていることを示している(第2-4-16図)。

また輸入と賃金の関係については,競争力が低下した産業では輸入浸透度の上昇幅が大きく,賃金上昇率が相対的に低くなっていると考えられる。ここでは輸入浸透度の増大と製造業の相対賃金との関係をみてみよう。第2-4-17表によってわかるように輸入浸透度の変化と相対賃金との関係については,いずれの年齢層においても負の有意な関係がみられているが,その年齢別への影響の程度をみると,高卒,大卒のいずれにおいても20~24歳層に比べ,45~49歳層の係数が大きくなっている。

以上の分析をまとめてみると輸出比率の低下した産業で賃金上昇率の低下がみられており,また,競争力が低下した産業では輸入浸透度の上昇幅が大きく,相対賃金が低くなっていると考えられる。なお,相対賃金の低下は中高年層の方が相対的に大きくなっているが,若年においてもみられており,近年その相対賃金が下がってきていることからも,賃金調整の対象となってきているとみられる。

(日本の賃金格差と要素価格均等化)

ところで,80年代以降のアメリカにおいては熟練労働者と非熟練労働者の間の賃金格差が拡大しているが,その原因に関して低賃金を武器にした途上国からの安い製品の輸入増大が犯人であるか否かの議論が進行している。いわゆる要素価格均等化命題が成立しているか否かの議論である。

要素価格均等化命題によれば,熟練労働者が多い先進国が,熟練労働者が少なく,非熟練労働者が多い途上国と貿易をするならば,自由貿易の下では先進国は熟練労働集約的な財を輸出し,逆に非熟練労働集約的な財を途上国から輸入することになる。その結果先進国の産業構造は熟練労働集約的な産業が拡大し,非熟練労働集約的な産業が縮小するという方向に変化し,先進国では熟練労働者に対する需要が増大し,非熟練労働者に対する需要が減少することになるのである。すると,熟練労働者の賃金は先進国では上昇,途上国では低下するのに対して,逆に非熟練労働者の賃金は先進国で低下し,途上国では上昇する。そして,このような賃金格差の結果,先進国ではすべての産業で割高な熟練労働者を相対的に減らすような,つまり熟練労働者対非熟練労働者比率を下げるような力が働き均衡に至ることになる。

我が国ではこの命題は当てはまっているのであろうか。ここではそれを二つの分析によって検証することとする。なお,これらの分析においては熟練労働者及び非熟練労働者のデータが必要となるが,それらをとらえた統計が存在しないため,本来概念が異なるものの,ここではあえて熟練労働者の代理変数として管理・事務・技術労働者を取り,非熟練労働者の代理変数として生産労働者を取ることとする。このような代理変数の選択は必ずしも適当とはいえないため,ここでの結果は十分幅を持って解釈する必要がある。なお,管理・事務・技術労働者と生産労働者の賃金格差は80年代後半から93年でみてわずかに拡大しているにすぎないことに留意する必要がある。

まず,要素価格均等化のメカニズムが成立しているとすると熟練労働者対非熟練労働者比率と熟練労働者の賃金対非熟練労働者の賃金比率は逆相関をしていなければならない(付注2-4-12)。これが本命題を実証するポイントである。第2-4-18図はこの関係について85年から93年までの変化をみたものであるが,もし要素価格均等化のメカニズムが成立している場合は,図の第2象限に位置しなければならないのに,現実は第1象限にある産業がほとんどであることがわかる。このことから,要素価格均等化のメカニズムは日本では成立していないことが推察される。

次に要素価格均等化定理をもう一つの方法によって検証してみよう。それは熟練労働者対非熟練労働者比率と相対価格の関係を調べることである。もし上で述べたようなメカニズムによって熟練労働者の賃金対非熟練労働者の賃金比率が上昇するならば,熟練労働集約財の価格対非熟練労働集約財の価格比率は上昇することになる。それゆえ熟練労働集約財の価格対非熟練労働集約財の価格比率と熟練労働者対非熟練労働者比率はやはり逆相関をするはずである。この点を卸売物価,輸入物価,輸出物価についてみたのが第2-4-19表であるが,いずれの物価を用いた場合でも係数はプラスになっている。このことからも,要素価格均等化のメカニズムは日本では成立していないことが推察される。

(途上国の追い上げと実質賃金)

本節の最後の論点は近年の途上国(なかんずくアジア新興国・地域)の生産性の上昇を背景とした先進国へのキャッチアップによって日本の輸出の価格競争力が低下し,さらには日本の実質賃金(ここでは名目賃金ではなく実質賃金を問題にしている)は低下するのではないかという問題である。こうした懸念の背景には自国の輸出価格競争力や実質賃金の上昇率は自国と外国の生産性上昇率の格差によって決定されるという考えがあるからである。例えば次のような場合である。すなわち,途上国の生産性の上昇によって途上国の輸出価格は低下する。そうすると日本の輸出価格は相対的に高くなるから競争力を失うというものである。しかしながらこうした考え方は賃金や価格,さらには為替レートが変化しない場合を想定した極めて部分均衡的理解であって長期的にみれば必ずしも正確な理解ではない。例えば,価格や為替レート(交易条件)が変化する場合には次のようなメカニズムが働くのである。今,何らかの原因によって途上国の生産性が上昇すると,これに見合って途上国の輸出価格は低下するが,同等に日本の円レートも同率だけ減価するならば日本の輸出の価格競争力は低下しない。また,このとき日本の円ベースの輸入価格も変化しないから交易条件も変化せず,その結果,日本の実質賃金も変化しないのである。次に,途上国の生産性が上昇した場合,日本の賃金が同率だけ低下したケースを考えてみよう。この場合,日本の生産性は変化していないから日本の輸出価格も同率だけ低下することになり,その結果,日本の輸出の価格競争力は低下しない。また,このとき為替レートは変化していないから,日本の円ベースの輸入価格は輸出価格と同率だけ低下することになり,日本の交易条件は変化せず実質賃金も変化しないのである(付注2-4-13)。

ここで例示したケースは極めて単純化した場合であるが,より一般的には途上国の生産性が上昇した場合に日本の交易条件が悪化し日本の実質賃金は低下するというルートも存在することはあり得る。そこでその場合に問題になるのがその程度であるが,日本の交易条件(石油輸入価格を除く)の推移をみると対アジアとの関係では,90年(これ以前のデータは利用不可能)から94年にかけて18%改善している。ということは理論的には,途上国の生産性上昇によって日本の交易条件が悪化するというメカニズムは存在するが,その程度が顕在化するほどには大きくなかったといえよう。また,日本の輸出競争力については主として円高によって低下したのであって,途上国の生産性の上昇によって低下したというのは正しい理解とはいえない。

(まとめ)

以上の分析を踏まえ,「産業空洞化」問題については次のように整理することができる。まず,為替レートが中長期にわたって増価方向にミスアラインメントした場合には,輸出,輸入,直接投資の三つのルートを通って,国内雇用にマイナスの影響を与える恐れがある。しかし,円高が均衡レートから大幅にかい離したものでない場合,それを背景としたアジアを中心とした海外投資の拡大は,アジア規模での資本投入の増大であり,コスト条件を睨んで資本の配分を行うことによって我が国企業の体質強化に役立っていると考えられる。

均衡レートから大幅にかい離した円高になると,いずれにしても輸出競争力が失われるため,直接投資がなくとも輸出は打撃を受ける。つまり,直接投資が輸出を代替するのではなく,円高で輸出が減少した場合に直接投資による海外生産は,むしろ世界市場に足場を確保する方策である。もちろん,企業が生産活動を国際的に展開し,資本が国境を超えて移動するのにつれて,雇用面・賃金面では何らかの痛みを伴う調整が行われることが予想される。実際,雇用調整(現在のところ既存の雇用を維持した形での企業内調整,例えば残業規制,中途採用の削減・停止,配置転換,出向等に限られているが)や賃金調整もみられている。しかし,本来海外投資は貿易創出的であり,海外投資により日本からの資本財・部品輸出が拡大するとともに,現地の所得が増大すれば,日本で生産する高付加価値製品への需要も増えていく可能性が高いことにも留意すべきである。日本では逆輸入により低価格の製品を消費することもできる。海外投資の増大が一気に空洞化を進めると考えるのは正しくない。

空洞化の問題の核心は,国内生産基盤が縮小することにより,国内の実質所得が低下することにある。したがって空洞化への対処は,国内の生産性を低下させないことである。既存の生産基盤が縮小していくなかで,我が国の生産要素がより多くの付加価値を生み出すことが必要なのである。そこで,第6節以降で,生産性上昇に支えられてきた我が国産業の競争力と経済成長をもたらしてきたサプライサイドの分析を行う。



(海外生産とアメリカ経済)


ここでは,海外生産(製造業の対外直接投資)と経済,特に貿易と雇用との関係についてアメリカを例にとってみてみよう。企業はなぜ海外生産(正確には国外生産)を行うのだろうか。各企業には,独自の技術,特許,販売,組織に関するノウハウを始めとした様々な経営資源がある。企業は海外市場でシェアを増やしたり,現地や第三国のライバル企業に対抗することを目的とし,これらの経営資源をライセンスなどにより他社に販売するよりも自分で進出する方が利益が上がる場合に直接投資を行う。

まず,海外生産と貿易との関係についてみると,アメリカ製造業の貿易額が世界全体の製造業の貿易額に占める比率は,長期的にみると低下傾向にある(表)。しかしながら,アメリカ多国籍企業の貿易額が世界貿易に占める割合がほとんど低下していないことから,アメリカ多国籍企業が海外生産を通じて世界市場でのシェアを確保していることが分かる。

次に,アメリカの対外直接投資が雇用に与える影響をみてみよう。多国籍企業は海外生産により海外へ「職を輸出している」,すなわち国内の雇用機会を減少させているといわれるが,実証分析からは確たることはいえない。海外生産比率が高まると,本国の生産労働者が減少する可能性があるものの,一方で本社機能(経営管理部門,R&D部門等)の役割が増し,それらの部門の雇用が増えることが予想される。このように,海外生産は雇用構成を高度化するものと考えられる。(参考文献:ロバート・リプシー「OUTWARD DIRECT INVESTMENT AND THE U.S.ECONOMY」)

表 製造業において,アメリカの貿易額が世界貿易に占める割合



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