むすび
本報告を終わるに当たり,これまでの結論を簡単に振り返りながら,日本経済が直面している課題について考えてみたい。
(厳しかった今回の景気調整過程と景気の現局面)
91年から始まった今回の景気調整過程は,後退期間,落ち込み幅などの尺度で見て,戦後の景気後退のなかでも比較的大型のものとなった。
今回の景気調整過程がこのように長期化,深刻化したのは,今回の景気調整が単なる循環的な後退ではなく,バブル崩壊の影響が重なったためである。循環的な側面としては,企業の設備,家計の耐久消費財に強いストック調整の動きがみられ,伝統的な在庫調整の進展によって生活活動が停滞した。80年代後半のバブルによる資産価格の上昇は,消費への資産効果,資本コストの低下による設備投資刺激効果などを通じて,長期景気拡大の一因となり,逆にバブル崩壊による資産価格の下落は,逆資産効果,資本コストの上昇などを通じて景気後退を加速させた。
この二つの要因は,分かちがたく相互に密接に関連し合いながら今回の景気の後退を厳しいものにした。今回の景気調整過程は,経済の活動水準がかなり高い状態から始まり,減速が進行する過程では,何度か底を打つ気配がみられた局面もあったが,そのたびごとにダウンサイドリスクが表面化することとなり,結局は多くの人々が予測する以上に景気後退が深刻化した。これは,バブル崩壊の影響が経済主体のマインドにも強い影響を及ぼし,景気の下方への累積的メカニズムが増幅されたためと考えられる。
こうして低迷を続けてきた景気にも,93年に入ると最悪期を脱し,回復に向けた動きが現れてきた。 厳密な意味での景気の底がいつかの判断は別としても,経済の大きな流れとしては,こうした回復の動きは,次第に全体としての回復へとつながっていくものと考えられる。それは,第1章で示されているように,これまでの景気後退を深刻化させてきた諸要因について,下方圧力が弱まりつつあるからである。
具体的には次のような点である。
第1に,家計行動の面では,消費性向の低下は下げ止まった可能性も考えられ,耐久消費財にも回復の兆しがみられるようになっている。また,住宅投資にも回復の動きが続いている。
第2に,企業活動の面では,全体としての在庫調整はほぼ終了しつつあり,最終需要以上に生産が停滞するという状況はなくなりつつある。また,資本ストックの伸びは一頃と比べ鈍化してきており,近い将来設備のストック調整も一巡していくものと考えられる。
第3に,これまでは,株価,地価の下落が経済に対する下方圧力となっていた。しかし,93年に入って,地価は依然として下落しているものの,株価は回復してきており,資産価格の下落が景気の後退をさらに強めることはなくなってきている。
さらに,92年8月の総合経済対策,93年4月の新総合経済対策など累次にわたる景気対策の効果も公共投資を中心に次第に本格的に現れてくることが期待される。
しかし,依然として需要の大宗を占める消費と設備投資が低迷しており,それらの自律的回復力は弱いと考えられること,資産デフレの後遺症としてのバランスシート調整は,景気の回復過程に入ってからも継続すること,などにより当面の回復の動きは従来の回復局面と比べて緩やかなものになる可能性があると考えられる。
今後は,再びダウンサイドリスクが表面化することのないよう注意を払いながら,経済を着実な成長軌道に戻していくことが必要である。
(バブル経済の生成と崩壊)
80年代後半から90年代初頭の時期は,バブルの生成と崩壊の時期として日本経済の歴史に刻み込まれることになるだろう。
80年代後半からの資産価格の厳しい上昇と,その後の下落は,国民経済的な規模で進行し,経済の各面に極めて大きな影響を及ぼした。
当時,資産価格が厳しく上昇したのには,二つの理由があった。一つは,企業収益の大幅な増加,東京都心部でのオフィス需要の増加,金利低下など,経済的な条件(ファンダメンタルズ)からみて株価,地価が上昇する経済環境が生じていたことであり,もう一つはバブルが発生したことである。バブルが発生したのは,資産価格の上昇が続くなかで,次第にさらに価格が上昇するだろうという価格上昇期待が高まり,それが投機的な需要を膨張させ,現実に価格が上昇するという形で,価格上昇期待が自己増殖的に膨張していったためだと考えられる。
しかしこうしたバブルは永遠に進行することはあり得ない。金融環境の変化などにより,ひとたび資産価格が下落しはじめると,今度は資産価格下落期待が高まり,それが投機的需要を消滅させ,現実に資産価格が下落するというバブル崩壊の過程が始まったのである。
以上のようなバブルの生成と崩壊は,日本経済に多様な影響を及ぼした。現時点でこれらのバブルの経済的諸影響を評価してみると,バブルの経済的コストがいかに大きかったかが分かる。バブルによる資産価格の上昇は,資産の分配を不平等化し,勤労所得の相対的な価値を低下させた。また,バブルによる一時的な資産価格の上昇というシグナルに経済主体が反応して長期的な投資行動が行われてしまった結果,不動産の過剰供給,財テク・不動産投機への経営資源の配分など非効率的な資源配分が生じた。
一方で,バブルによる資産価格の上昇は,資産効果などを通じて内需を刺激し成長率を高めるという効果があったことは事実である。しかし,バブルによる景気刺激は結局は一時的なものであり,その後に必ず反動的な内需の減退を伴わざるをえないものだった。また,資産価格上昇の過程で,企業,家計は資産・負債を両建てで増加させていったが,ひとたび資産価格が下落に転ずると,資産価値は瞬時に下落する一方,負債はそのまま残るため,バランスシートが悪化し,その後現在に至るまでバランスシート調整局面が続くこととなった。
我々は,こうしたバブルの歴史的教訓として,バブルの経済的コストがいかに大きいものかを認識した。バブルは発生してしまえば,必ず崩壊し,その過程で経済に打撃が及ぶことは避けられない。したがって,経済政策の運営に際しては,バブルの発生を未然に防止していくことが重要である。
(拡大した経常収支黒字)
92~93年には経常収支黒字が急拡大し,多くの議論を呼んだ。
この黒字の拡大は,景気後退と同時に生じたため,しばしば「景気が後退したから黒字が増えた」と受け取られることがある。しかし,今回の黒字の増加は,金輸入,石油価格の変動などの一時的特殊要因,円高による輸出価格の上昇,バブルの崩壊による高額商品の輸入の減少,景気の後退による輸入の減少などの要因が重なったことによって生じたものである。
一方,黒字が拡大するなかで,「80年代後半に黒字が減少したのは,バブルによる一過性のものだった」という評価もみられる。バブルの経済的影響は確かに大きかった。しかし,何もかもバブルのせいだったと簡単に片づけることはできない。日本の貿易構造の変化をみると,80年代後半には,製品輸入の浸透,企業の海外直接投資などにより,それまでよりも輸出が増えにくく,輸入が増えやすい方向への変化が生じたことにも留意すべきである。
また,経常収支黒字をどう評価するかという点については,「日本は世界で唯一巨額の黒字を記録しており,国際協調のためにこれを是正すべきだ」という議論がある。しかし,経常収支黒字にいかに対応すべきかについては,単純に黒字を問題視するのではなく,黒字の削減が必要だとしても,なぜそれが必要かについては慎重な吟味が求められる。
自由な市場メカニズムが作用しており,世界経済が順調に発展している状態を考えると,各国の対外不均衡が直ちに是正すべきものとなるわけではない。しかし,現実経済においては,市場メカニズムが円滑に作用しているとは限らず,また世界経済が停滞するなかで保護貿易主義が高まりやすい環境にあることにも注意しなければならない。
こうした点を総合的に考えると,日本としては,①マクロ面では内需の拡大を図り,②ミクロ面では規制の緩和,輸入アクセスの一層の改善等により海外から誤解を受ける余地のない透明性の高い,開放的な市場を実現していくとともに,③さらに残る黒字については,世界経済の発展に貢献しうるような資金還流を図るという三つの基本的政策を組み合わせていくことが必要である。それは,日本経済の持続的成長,効率化,世界経済の発展にも寄与するものとなるはずである。
(企業,家計行動の変化)
日本経済は,バブルの貴重な経験を踏まえながら,内需中心の持続的成長と質の高い国民生活の実現という二つの重要な課題に直面している。
こうした長期的な課題を解決していくためには,マクロ経済面だけでなく,ミクロの経済主体の行動いかんが重要な意味を持ってっくる。
バブルが崩壊し,景気の後退が長期化するなかかで,企業,家計はすでにポスト・バブル期に向けての新しい動きを始めている。すなわち企業は,バブル期に肥大化した企業体質のスリム化を図り,低採算部門を合理化していくことが求められているが,すでに,収益改善のための経費の削減だけでなく,消費者の需要に即した無駄のない製品開発,多品種少量生産体制の見直し,本業回帰への動き,シェア争い・横並び型競争から収益重視・個性発揮型の経営への移行などの動きがみられる。
家計についても,バブル期の背伸びをした消費態度は影をひそめ,「安くて良いもの」を志向する動き,使い捨て型消費への反省,環境に優しい商品の選択などが芽生えてきている。
経済を覆っていたバブルというベールが解かれたとき,残ったのは,「企業はその企業が比較優位を持つ分野で経営資源を個性的に活用することによって競争に勝ち残ることが出来る」,「消費者のニーズに応える製品を買いやすい価格で提供する企業が消費者の支持を得ることが出来る」,「家計は所得の制約のなかで,自分が真に欲するものを,最も安い価格で購入することによって最大の効用を得ることが出来る」といった,ごく当然の経済の原則であった。
以上のようにして,このところ,企業,家計にみられつつある行動の変化は,持続的な安定成長,生活の質的改善をミクロ面から可能にするものだと評価できる。
(経済発展の基本としての生産性上昇)
マクロ経済面から,日本経済の長期的課題の解決を可能にするものは,生産性の上昇である。内需中心の持続的な成長も国民が求める質の高い生活水準への歩みも,結局のところ,生産性の上昇,経済の効率化に支えられたものでなければ持続可能なものとはならない。
これまで日本経済は,他の先進諸国に比べて相対的に高い生産性の上昇を続けてきた。これは,生産性の上昇を決める資本,労働,技術という三つの要素のそれぞれについて,①高貯蓄に支えられて高水準の資本の蓄積が進み,②企業の研究開発,製品開発努力が技術レベルを高め,③家計の教育投資によって質の高い人的資源が形成されてきたためであった。バブルの時期を経ても,これら生産要素についての諸条件は変化しておらず,日本経済は中長期的には依然として高い生産性上昇力を持っている。また,社会資本の充実は,生産性の上昇に寄与するとともに,国民生活の質的向上をもたらすものである。
この生産性の上昇が重要だという点は,バブルの発生と崩壊のなかで我々が得た最後の教訓でもある。結局のところ,経済の発展,所得水準の向上には生産性の上昇,交易条件の改善,バブルによる資産価格の上昇という三つの道がある。この三つの道を,「サステイナブル(持続可能)であるか」「プラスサム(他人の所得を減らしていない)であるか」という尺度で評価してみると,交易条件の改善は,サステイナブルではあるが,プラスサムではない(一国の交易条件が改善すれば,他国の交易条件は悪化する)。バブルによる資産価格の上昇は,プラスサムではあるが(株価が上昇しても誰も損はしない,ただし地価はプラスサムではないともいえる),サステイナブルではない(永遠にバブルが続くことはありえない)。結局,サステイナブルでかつプラスサムでもある所得上昇の道は,生産性の上昇しかないのである。
このことはまた,「ただの昼飯はない(対価を払うことなしに効用を得ることはできない)」「この世に桃源郷はない(無から有を生み出すことは出来ない)」という経済の大原則が再確認されたということである。
マクロの生産性上昇力とミクロのリストラクチュアリングへの歩みを生かしながら,持続的な内需中心の成長と質の高い国民生活の実現に向けて着実な歩みを進めていくことが必要である。