平成3年
年次経済報告
長期拡大の条件と国際社会における役割
平成3年8月9日
経済企画庁
第1章 景気循環からみた日本経済の現状
世界経済は1982年を底として長期の拡大を続けてきたが,90年にはアメリカ経済が年央から景気後退局面に入ったのに加えて,カナダでは年前半から,イギリスでは年後半から景気後退が続くなど,一部にかげりが生じてきた。IMFの見込みによれば,先進国全体の成長率は89年の3.3%から90年には2.5%へ減速した。その予測によると91年にはさらに1.3%へと減速する(第1-1-1表)。
アメリカ経済は88年以来,インフレを警戒して,金融引き締め策がとられ,この影響から,緩やかに減速し,ついに90年の夏からは景気後退局面に入った。住宅やオフィス・ビルの価格が下がる不動産不況と金融機関の貸し渋りが進行し,FRBが90年12月以来,3回にわたって,0.5%ずつ公定歩合を下げてきたが,長期金利が高止まりする現象もみられている。
イギリス,カナダ,オーストラリアなども景気後退局面にあり,またフランス,イタリアでは,90年末から景気の減速が目立ち始めている。フランスとイタリアは,一方でドイツによる輸入の増大の恩恵は受けつつあるものの,他方でドイツの高金利が波及したことが,減速の一因となった。高金利の波及は,フランスやイタリアがEMSの下での対マルクのレートを維持しようとすることからおこっている。
景気の拡大局面が続いているところとしては,日本とともにドイツがある。ドイツ経済は旧東ドイツ地域の供給力が増大しないのに需要が増大をするという局面のため,輸入の増大を伴いつつ,内需主導で高めの成長率を続けており,これが先進国経済全体の落ち込みを緩和している。
アジアでは韓国,台湾などのNIEsがひところの外需中心の拡大から,内需中心の拡大へと転換しつつ,86,87年に比べればやや低めであるものの,かなり高い成長率を保っている。また,日本などからの直接投資を契機として,工業化が進展し,高い成長率を実現したタイ,マレーシアが勢いを持続している上に,インドネシアにもそうした動きがみられはじめている。中国では90年3月にそれまでの経済引締め策が一部見直され,工業向けの資金貸付を大幅に増やすなどの措置がとられ,それ以降工業生産が回復してきている。
ソ連では,目下のところ,ペレストロイカが事態を改善させるには至っておらず,経済は混迷の様相もみせており,90年の実質GNP成長率はマイナス2%と戦後初のマイナスを記録した。91年にはいって経済の混乱はさらにつのっているように思われる。東欧諸国では国によって経済制度の変革の進展の度合いはまちまちであり,改革の成果も一部で現われ始めているに止まっている。緊縮政策の実施やコメコン市場の崩壊等から,工業生産が減退している。旧東ドイツ地域を含め,市場経済のための制度の整備はなお不十分であり,このため西側からの投資が流入する状況にはほど遠い。将来的にはここに大きな資金需要が生じてくると考えられるが,それまでには多少時間がかかるようである。
物価は,先進諸国では88年の後半以降,需給の引き締まりから上昇率が高まりはじめた。アメリカなどでは90年の半ばには落ち着きに向かう兆しもみられたが,89年,90年前半はおおむね高めの上昇率が続いた。そして,8月の湾岸危機の始まりの前後に原油価格が上昇し,さらに上昇率は高まった。91年に入ると原油価格の落ち着きや景気の減速を反映して主要先進国の物価は落ち着きに向かいはじめている。ことにアメリカの物価は,原油価格が低下した後,すぐには鎮静化しなかった消費者物価も含めて,春には本格的な落ち着きをみせるにいたっている。景気が過熱の様相を呈し,賃金上昇率も高率となっている韓国で物価がじり高になっている他,東欧では,価格自由化に伴う物価上昇から,各国とも強力な緊縮財政を行っており,ソ連でも相当のインフレ圧力が蓄積されていると考えられる。
景気,物価の両面からみて,90年8月に始まった湾岸危機の世界経済に対する影響は,さほど大きなものとはならなかったといえる。上のように,一時期,各国の物価上昇率を高めた原油価格の上昇をもたらしたし,発展途上国の中にはその影響をかなり受けるところもみられたが,総じてみれば,第1次,第2次の石油危機に比べると影響はずっと軽微であった。
各国の経常収支の動きをみると,アメリカの経常収支の赤字については90年の赤字は前年比約140億ドル減の921億ドルとなったが,91年に入ってからは,湾岸の拠出金の受入れがあったため,1~3月期で102億ドルの黒字となっている。他方で,日本と同様に,あるいは日本以上にドイツの経常収支の黒字縮小が目立っている。90年にはドイツ全体として445億ドルほどあった黒字が,91年には,IMFによると,ほとんどなくなるとされている。すでに91年初の数カ月は経常収支が赤字となっている。これはいうまでもなく,ドイツ統合に伴う現象である。旧東ドイツ地域に,財政を通じて購買力が付与され,そこでの供給力が増加しないことから,需要超過となり,輸入の増加,輸出余力の減少を招いている。財政収支と経常収支が同時に悪化しており,金利が高めに維持されているという点では80年代初のアメリカと共通しているが,ドイツ・マルクは減価しているところは当時のアメリカと異なっている。これにはドイツにおける投資機会の多寡,経常収支の今後についての市場の見方,ソ連の政治情勢などの要因が関係しているものとおもわれる。その他,80年代後半に黒字の急増をみた東アジアの経済では,ここのところ経常収支黒字が減っている。
以上のように,90年度の世界経済は大きく揺れ動いた。ことにアメリカ経済の景気後退局面入りと湾岸危機の発生による原油価格の高騰は我が国に大きな影響をもたらすかと思われたが,これまでのところ,次の項にみられるように,さしたる影響はみられていない。湾岸危機の影響については,同時に円高があったこと,原油価格が結局は湾岸危機以前とあまり変わらない水準に戻ってしまったことなどから,軽微なものにとどまったものである。詳しくはこの節の最後の項,および第5節でとりあげる。アメリカの景気後退については,対米輸出の減少をもたらすという影響はあったものの,対米輸出の占める割合が低下していることや,東西統一の影響で需要が強いドイツを中心とする欧州向けの輸出,そして東南アジア向けの輸出が好調であることで相殺されたことが指摘できる(この点についての詳細も第5節)。
我が国の実質国民総生産(GNP)は1990年度に5.7%の増加を示した。これは80年代(80~89年度の9年間)の平均4.2%を上回っており,88年度,89年度に引き続き,高めの成長率となった。前年度の後半における成長率が高く,出発点の水準が高かったうえに,四半期別にいうと,年度前半の成長率が高めであった(年率で4~6月期5.6%,7~9月期4.6%)ことが貢献している。10~12月期には天候要因によると目される消費の伸び悩みや,在庫投資の減少など一時的な要因によって,年率の成長率は2%台へ低下したが,91年1~3月には11.2%となった。
内需と外需の別でみると,国内需要は,消費と設備投資の2本柱に支えられ,成長への寄与度は5.6%となり,80年代後半以来の内需中心の成長が続いた(第1-1-2図)。年度中の動きとしては,外需は,前半においてはマイナスに寄与する一方,後半については投資収益の受取の増加と旅行収支赤字の縮小等の一時的要因もあってわずかながらプラスの寄与となった。内需は10~12月期を除いて堅調に推移した。
内需の内訳をみると,消費は,雇用の拡大に伴う雇用者所得の増加を背景として,増加率は3.5%と,堅調な増加を続けてきた。乗用車の販売が頭打ちになっていること,10~12月に消費が一時伸び悩んだこと,などから消費について悲観的にみる見方もあったが,1~3月には回復している。(第1-1-3表参照,以下の各項目についても同様)。
設備投資は,技術革新や省力化,人材確保などのためのいわゆる「生き残り」のための投資需要もあって,金融引き締めのもとでも増勢を保ち,結局,年度全体としては13.6%の増加となり,3年連続の二桁の伸び率を記録した。
これに対して民間住宅投資は,年度前半のかなりの増加がきいて,年度全体としては10.2%の増加となったが,後半には減少傾向を示し,内需に対してマイナス要因となった。
民間在庫投資は小幅の変動にとどまり,ここ数年と同様,成長への寄与度は比較的小さなものにとどまった。公的支出(政府消費,公的固定資本形成,公的在庫投資)も2.4%の増加にとどまり,成長率に対してほぼ中立的であった。
外需の寄与度はプラス0.1%となり,5年連続のマイナスは記録できなかったものの,小幅にとどまった。輸入等(財貨・サービスの輸入と海外への要素所得)は年度の初頭において力強い伸びを示したため,その後減少を続けたにもかかわらず,年度全体では7.0%の増加となった。対する輸出等(財貨・サービスの輸出と海外からの要素所得)は概して緩やかに増加し,年度全体としては7.7%の増加となった。前年度に比べれば減速したが,要素所得の受取,支払いが高い伸びを示したことも輸出等,輸入等の動きの特徴となっている。
以上のようなGNPの動きに対して,90年度の鉱工業生産の伸びは5.6%となり,前年度の4.5%よりもやや高まった。四半期別にみると,季節調整済前期比は4~6月期の2.1%増に始まり,以後2.2%増,1.7%増,0.1%減,となった。年度前半にかなりの高率がみられたが,後半には減速している。1~3月期には3月の落ち込みがきいて減少に転じた上に,4~6月についても生産予測指数を用いて推計すると,ほぼ横ばいで推移していくということになる。
91年春以来の生産の伸び悩みは,①アメリカの景気後退が,鉱工業生産,ことに輸送機械部門やその関連の部門に対し影響を与えたこと,②湾岸情勢の展開に伴う石油製品や化学製品の仮需のはげおち,などが重なって生じた現象である。ことに,生産指数の付加価値ウエイトでみて乗用車及び直接関連する製品(付注1-1)は約8%を占めるので,乗用車の生産の減少は大きな影響をもたらした。しかし,これらのうち一過性の現象とみることができる部分があり,生産はなお基調としては増勢にあるといえよう。
出荷と在庫の動きもここでみておくと,まず出荷については,生産と同様,年度前半においては順調に増加したが,10~12月期から減速し,91年1~3月期には前期比で横ばいとなっている。生産者製品在庫は7~9月までは減少傾向を辿ってきたが,出荷の伸び悩みと同じ時期に増加に転じている。これによって在庫率指数は,1~3月期末に96.6となり,前々期末の93.3からはかなり上昇した。しかし,この程度の在庫率の上昇は89年後半にも観察されている。なお,89年の例は,在庫率が上昇しても長くは続かず,その後の在庫調整も比較的短時間に終り,在庫循環による景気後退にまで至らない典型となっており,これは第7節で検討するように,在庫による景気循環が変質していることを示している。
鉱工業生産指数を補完する意味で第3次産業活動指数をみよう。90年度の前半においては順調な拡大をみせ,10~12月期に金融引き締め等の影響から証券,不動産,リースなどの業種の活動が鈍ったため低下をみせたものの,91年1~3月期には情報サービス業の好調等から上昇に転じた。この結果,年度では4.3%の上昇となった。
90年度の失業率は2.1%と,前年度の水準からやや低下した。就業者数,雇用者数の堅調な伸びが続き,ことに雇用者数は,増加テンポがさらに加速する様相すらみられた。有効求人倍率は1.43倍となり,前年の1.30倍からさらに上昇し,労働力需給は一層引き締まった。しかし,90年度中賃金上昇は目立った加速をみせなかった。一方,91年の民間主要企業の春季賃上げ率(労働省労政局調べ)は5.65%と,90年春の5.94%を下回った。
物価は,湾岸危機の影響を受けたにもかかわらず,国内卸売物価は前年度比1.5%の上昇といくぶん上昇率に高まりが見られたものの,基本的には落ち着いた動きとなり,消費者物価は天候要因による生鮮食品の上昇等により,前年度比3.3%の上昇と,前年度に比べいくぶん上昇率が高まっているものの,基調としては安定的であった。91年6月の東京都区部中旬速報値の前年同月比上昇率は3.5%となっている。
輸出は世界経済の拡大が減速したにもかかわらず,89年から90年央にかけての円安などから,やや強含みで推移し,輸入は国内需要の堅調さを背景に製品類を中心に緩やかな増加を続けた。この結果,貿易収支黒字は小幅の減少となった。このほか貿易外収支が,投資収益収支の黒字減少などにより,赤字が拡大し,また,移転収支では湾岸平和基金への拠出により赤字が拡大した。これらにより,経常収支は4.7兆円(337億ドル)と,前年度の7.6兆円(534億ドル)から縮小,4年連続の縮小となった。
財政面をみると,支出面は地方公共団体の公共投資がかなり増加したとみられるものの,中央政府などを含めた全体については,緩やかな増加となった。収入面は,法人税などが減収となったものの所得税が好調で,全体としては堅調に推移した。こうしたことから,財政政策はおおむね景気に中立的であったと評価される。金融政策の面では,89年度中の4回の公定歩合の引き上げに続き,90年8月に公定歩合が引き上げられた。長短金利は9月まで共に上昇した後,10月以降は長期金利が低下傾向,短期金利はやや弱含み,といった基調となり,長短金利の逆転の幅が拡大した。91年春以降は,両者ともおおむね横ばいとなっている。M2+CDでみたマネーサプライは,貸出やCP発行に対応する形で,11月頃から前年比増加率が低下し,91年3月の前年同月比は5.1%の低い増加率となった。91年7月には,公定歩合が0.5%引き下げられ,5.5%となった。
昨年度の年次経済報告においては,今回の景気上昇局面の特徴として,次の六つの点を挙げた。第1は今回の景気上昇局面が非常に長いものとなったということ,第2は世界経済も昨年の時点で8年を超える長期拡大となるなど国際経済情勢が良好であったこと,第3は国内民間需要の力強い拡大が続く一方で外需が減少したこと,第4は雇用の伸びが高く,労働力需給が引き締まったこと,第5は物価と賃金が落ち着いていたこと,第6は経常収支の黒字が着実に減少していたこと,の六点であった。これらの指摘が,90年度についてのデータがそろった後でもあてはまるかどうかを以下でみよう。
まず,第1の,拡大局面の長さであるが,昨年の夏時点で上記の指摘をした以後,ほぼ1年がたつが,この間に得られた統計の範囲では上昇局面が続いているといえる。今回の拡大局面が最終的にどれほどの長さになるかはわからないが,いずれにしても,今回の上昇局面が非常に長いことにはかわりがない。
第2点の世界経済については,この1年間で,湾岸危機が起こり,終息し,アメリカなどいくつかの国の景気後退が観察されるなど,大きな変化があった。また,90年の世界の総生産(IMFの「World Economic Outlook」の実績見込み)の成長率は前年の3.3%から2.1%へと低下し,世界貿易(同上)の増加率も前年の7.1%から3.9%へと低下している(前出第1-1-1表)。しかし,湾岸危機は,日本経済にそれほど大きな影響を与えなかった。世界経済の拡大テンポの鈍化についても,これまでのところは景気拡大の持続にとってマイナスになるほどの影響は与えていない。
第3は,国内民間需要の「力強い」拡大と,外需の「減少」という点であった。国内民間需要のうち,住宅投資がここのところ減少傾向にあり,増勢を保っている設備投資も先行き減速の兆しがある。消費が堅調であるため,全体としての国内民間需要も堅調さを保っているが,昨年と同じ表現はあてはまらない。また外需についても,投資収益の受取の増加と旅行収支赤字の縮小等の一時的要因もあってわずかながら増加した。しかし,基本的に外需に依存せず,内需中心の拡大が続くということでは昨年と変わっていない。
第4の雇用の増加と労働力需給の引き締まりについては,1年前とそれほど状況が変わっていない。雇用者数の伸びなどは1年程前にくらべるとむしろ加速している。90年1~3月のその前年同期比増加率は2.8%であったが,91年1~3月期のそれは4.0%となっている。ただし就業者数の伸びは1年前とほとんど変わっていない。有効求人倍率も1年前に比べると,だいぶ上昇しており,91年の1~3月は1.46倍となっている(90年1~3月1.35倍)。これに対して失業率のほうは,89年度中にはまだ低下する傾向があったが,90年度の年度中はほとんど横ばいであった。結果的には,就業者数の増加にみあった労働力供給,すなわち,労働力人口の増加があったということになる。しかし,日本銀行の「企業短期経済観測」によると,企業の人手不足感は高い水準で推移してきた(詳細は第3章)。雇用関係の動きは景気に対して遅行する傾向があることも関係して,この第4の点については,まだ1年前の指摘がほぼそのままあてはまる。
第5の点は,賃金と物価の落ち着きであった。まず賃金については,労働省「毎月勤労統計調査」(事務所規模30人以上)の現金給与総額でみると,90年度4.6%の増加がみられた。これは89年度の4.2%を多少上回っている。特に所定内給与は,90年の民間主要企業の春季賃上げ率が上述したように5.94%となり,89年の5.17%を上回ったことも反映して,4.0%の上昇と,前年度の上昇率3.2%を上回る堅調な伸びとなった。このような賃上げ率は,上記のような労働力需給の引き締まりのほかに高水準の企業収益,消費者物価の動向などによっても影響を受けている。しかし,90年春におけるこれらの条件は賃金上昇を大幅に加速させるものではなく,賃金上昇率は穏やかなものとなったということができる。こうした中で,人手不足感が高い産業の中には,建設業などのように賃金上昇率が相対的に高くなったところもある。また労働力需給の引き締まりから,新規採用,中途採用,パートの労働者の賃金が勤続1年以上の労働者の賃金よりも高い伸びを示すという現象もみられた。しかし,全体としての賃金上昇の目立った加速という事態にはならなかった。
物価も,こうした賃金の動向等を受けて,安定的に推移してきた。昨年度の年次経済報告では,景気回復が始まった86年10~12月から90年の1~3月の間,消費者物価は平均して年率1.4%にとどまったことを指摘したが,これに比べて,90年度の年度中の上昇率,すなわち91年1~3月の前年同期比の4.2%は高い。しかし,これは湾岸危機の影響による分や生鮮食品の一時的高騰による分があり,それを除いて基調をみれば物価は安定圏内で推移していた(この点についての詳細は次項)。
第6の点は経常収支の黒字の縮小である。これなどは,昨年度の年次経済報告の作成時点からさらに指摘した方向に進捗がみられた現象である。湾岸平和基金への拠出という特殊要因もあったが,90年度の経常収支黒字は4.7兆円(337億ドル)となり,その対GNP比は1.1%となった。ピーク時である86年度の4.4%に比べると4分の1に縮小している。この点は,今回の景気上昇が内需中心のものであるということと密接に関係しているが,内需中心の拡大ということについては上述したようにこの1年間でさほど変化していない以上,この第6の点についての指摘も変更する必要がない。
以上のように,経済の拡大テンポが減速してきているために,1年前と程度においては差がでてきているものの,今回の景気上昇局面の特徴として昨年度の年次経済報告で指摘した諸点は,本質的にはこの1年間においてもあてはまる。これは,景気の上昇局面がこれまでのところ続いているということが,この面からも確認できたということを意味しよう。
90年度の国内卸売物価は1.5%の上昇となったが,四半期別にこれをみると,7~9月期,10~12月期においては相対的に上昇率が高く,その前後においては落ち着いていたということができる。また消費者物価は90年度は3.3%の上昇となったが,四半期別にみると,7~9月期までの前年同期比の上昇率は2%台を続けていたが,10~12月期のそれは3.8%に高まり,1~3月期においては4.2%になるなど,年度後半には上昇率に高まりがみられた。
このような上昇率の高まりは,そのタイミングからして湾岸危機の影響がかなりあると考えられるが,これは結局一時的な現象であった。以下でこの点をさらに詳細にみよう。ただし,石油3品と生鮮食品を除く物価(コア・インフレ率とも言える)については,第3章においてとりあげる。
また,湾岸危機の物価以外の面に対する影響については,第5節でとりあげるので,以下では簡単に触れるにとどめる。
まず,原油価格の動向をみると,スポット価格(北海ブレント)は,90年初めには,寒波やOPECの減産見通しを背景として22ドル/バーレルの水準にあった。その後,OPECの生産枠を超える生産水準が続く中で,原油価格は下落し,6月には15ドル/バーレル台にまで下落した。7月にはいると,OPEC湾岸5ヵ国会議(7月11日)において実質減産で合意したのを受けて,いくぶん上昇気味となった。そして8月のイラクのクウェート侵攻を境に原油価格は急上昇し,9月下旬には40ドル/バーレル台を記録した。その後は,上昇,下降の動きを繰り返しながら,傾向としては下落に向かい,91年1月の湾岸における武力行使後急落し,20ドル/バーレルを割った。その後はおおむね17~20ドル/バーレルの間で推移してきている。
原油の通関輸入価格も以上の動きにやや遅れて変動した。8月までは16ドル/バーレル前後で推移していた(ボトムの7月は15.4ドル/バーレル)が,9月22.4ドル/バーレル,10月30.3ドル/バーレル,11月34.2ドル/バーレルと上昇したが,その後は下落傾向に向かい,91年4月には17.5ドル/バーレルとなっている。
この間,為替レートは,年初,円が下落し4月初めに159円台(インターバンク直物中心相場)をつけた後,多少の変動はあったものの,おおむね円は上昇し,10月には124円台となった。その後は一進一退の推移となったが,この円が強含んだ期間は,原油価格が上昇した期間と重なる部分が大きい。過去の2度の石油危機においては原油価格の上昇とともに円安が進んだが,今回はそうでなかったことは,大きな違いであった。1月中旬以降円は再び強含み,2月には127円台をつけたが,2月末以降ドルがやや強含みとなった。この頃は原油価格は下落に向かっていた。
この結果,原油価格を円建てでみると,7月14,741円/kl,11月27,573円/kl,91年4月15,144円/klとなった。ドル建てでは7月から11月までに2.22倍の上昇となったが,円建てでは1.87倍にとどまっただけでなく,91年4月の円建ては湾岸危機以前とほとんど同水準となった。
以上のような原油価格と為替レートの動きが,そのまま100%,しかも即時に各段階の物価に波及するとしたら,どのようなことが起こったのであろうか。産業連関表(投入産出表)を用いて,これを試算すると次のような結果が得られる。
まず,基準時点として90年上半期の平均をとると,原油価格は1バーレル当たり18.1ドル,為替レートは1ドル=151.6円である。この基準のレベルから,原油価格がバーレル当たり30ドルに上昇し,そのレベルにとどまるとすると,国内卸売物価に対し2.0%程度,消費者物価に対して1.1%程度の上昇圧力となる。もう一方の為替レートについては,原油価格だけでなく全ての輸入価格に影響するため,切り離して推計をすると,基準のレベルから1ドル130円まで上昇すると,国内卸売物価に対して1.6%程度,消費者物価に対して0.8%程度の引き下げ圧力となる。これらはいずれも産業連関表を使っての計算であるので,仮に影響が出つくした場合の長期的な姿,すなわち,潜在的な「圧力」を示すものであることには注意を要する。
ところで,実際には,原油価格と為替レートは30ドルと130円のレベルにとどまったわけではなく,上でみるような推移をたどった。そこで,上の結果を利用しつつ,イラクのクウェート侵攻後の各週の原油価格(通関CIF価格に近い東京市場でのドバイ原油のスポット価格)と為替レートの現実の組合せをとった場合,どのような上昇,引き下げ圧力になったかを示す必要もある。これを図で示したのが第1-1-4図であり,この図では基準点(18.1ドル,151.6円)を通る太い線上では原油価格と為替レートの変化が相殺しあい,上昇圧力も引き下げ圧力もない。この線から右上に離れるほど上昇圧力が大きくなり,逆方向は逆,ということになる。
湾岸危機が終わった時点(3月3日の週)でみると,左下方向に太線からかい離しており,一時は上昇圧力が生じたものの,結局,国内卸売物価を1.7%程度引き下げる圧力が生じたという結果になった。湾岸危機終了後の円建ての原油輸入価格が,イラクのクウェート侵攻前とほぼ同じであったのに,このようにかなりの物価引き下げ圧力が生じたのは,為替の円高は原油価格ばかりでなく,他の輸入品の価格も引き下げるからである。
消費者物価についても,スポット価格がピークを迎えた9月23日の週に,およそ0.9%上昇させるはずの圧力が生じたのが最高でその後は上昇圧力の減少から引き下げ圧力の増大に変わった。湾岸危機の終了時には0.9%程度引き下げる圧力と変わっていたのである。
7月から11月にかけて,原油価格が円建てで87%上昇したことは,国内卸売物価に大きく影響した。また,湾岸における石油精製能力が一部稼働しなくなったこと等により灯油など,輸入石油製品の価格が上昇する,という影響もあった。これらを受けて,まず石油・石炭製品が9月から11月にかけて上昇した。その国内卸売物価上昇率に対する寄与度は0.80%であった(9月~11月の累計)。次いで化学製品は,原油価格や輸入ナフサ価格の上昇の影響を受けて,10月頃から上昇し,その寄与度は0.50%となった(10月~91年2月)。プラスチック製品もやはり10月頃から上昇が顕著になり,4月頃まで原油価格等の上昇の影響が残った(寄与度は10月~91年4月で0.27%)。これらを合計すると,これまでのところでは,原油価格上昇に影響されやすい品目の寄与度の合計は1.57%となっている。
原油価格が下落に向かって以降,石油製品は下落に向かったが,それでも8月~11月の上昇分の6割程度の下落が4月時点で実現されたにとどまっている。化学製品は3月から下落しはじめたが,プラスチック製品は4月時点ではまだ下落しておらず,原油価格下落の波及には時間がかかった。この間,湾岸危機に端を発した石油価格の上昇は,第1次石油危機にみられたような仮需を誘発しなかった。この結果,以上でみた石油に関連する製品を除いた国内卸売物価を作成してみると,電力の夏季料金による影響(7月の寄与度0.2%,10月の寄与度マイナス0.2%)を除けば,高くても0.2%程度の前月比上昇率に止まっている(第1-1-5表)。また,石油関連製品を除いた国内卸売物価の91年4月の前年同月比上昇率は1.3%であった。
このように,卸売物価は,90年度中において,一過性の要因を除いても,いくぶん上昇率に高まりがみられるものの,基本的には落ち着いて推移してきている。91年度に入ってからの国内卸売物価は前月比で4月は0.1%の下落,5,6月は保合いとやはり落ち着いた基調に変わりはない。
なお,企業向けサービス価格(日本銀行作成,1991年1月より公表が開始された)は,90年度の前年度比上昇率が3.6%となった。消費税の影響のあった89年度(前年度比5.4%高)をとばして,88年度(同1.7%高)と比較すると,いくらか上昇率が高まった。四半期別にみると,4~6月に部分的には季節性があるとも思われる1.9%の前期比上昇率を記録した以降,0.5%,1.0%,0.4%と推移した。これにより91年1~3月期の前年同期比は3.9%となった。
90年度の全国の消費者物価は,前年度比上昇率が3.3%となり,89年度の同2.9%を上回った。なお,89年度には消費税導入に伴う一回限りの価格上昇があったことに留意する必要がある。88年度の0.8%の上昇と比べることもできよう。
四半期別にみよう。消費者物価の場合,季節性や短期的な変動をならす意味で前年同期比上昇率でみることにも意味がある。4~6月のそれは2.4%であったが,期をおってこれは高まり,91年1~3月には4.2%に達した。
この動きに対しては,生鮮食品が秋頃から上昇率を高めたことが大きく寄与している。そこで生鮮食品を除く総合の動きをみると,年度全体では2.8%の上昇で,前年度の上昇率と同率である。88年度の0.6%よりは高い。これを四半期別にみると,4~6月期には前年同期比上昇率が2.0%であったものが,91年1~3月期には3.4%となっており,この場合でも上昇率に高まりがみられる。ここに,原油価格上昇の影響がどの程度作用しているのであろうか。
消費者物価指数(全国)に対する石油製品の寄与度をみると,ガソリン,灯油など石油製品の値上がりの期間であった10月から12月までの3ヵ月間で0.43%ポイントとなっている。湾岸危機による原油価格の上昇がなければ,90年12月の生鮮食品を除く消費者物価の前年同月比上昇率は2.8%にとどまった(現実には3.3%)。その後1月以降は末端でも石油製品の価格は下がり始め,4月までの合計で0.23%ポイントのマイナスの寄与となった(第1-1-6表)。結局,生鮮食品と石油関連製品を除いた消費者物価でも上昇率に高まりがみられるが,この要因については第3章で扱うこととする。
湾岸危機は,物価ばかりでなく国際収支にも影響を与えたことはいうまでもない。まず,数量面については灯油など石油製品の輸入が減少するという影響はあったが,原油の輸入量はむしろ増加しており,全体としては影響はほとんどなかった。輸出面では中東向けの輸出が大きく減少したが,中東向けの輸出はウエイトが小さいため,この面でも影響は軽微であった。
原油価格の上昇の影響はどうか。原油輸入価格を湾岸危機発生時点で固定し,輸入量は実績値と変わらなかったとして,これによる原油輸入金額の増加を試算すると約100億ドルとなる。これを,湾岸危機がなければ90年度の経常収支の黒字はこれだけ余分に大きかったと考えれば,国際収支面での影響はある程度あったということになる。
しかし,これを,原油価格上昇に伴う所得移転の規模,デフレ効果の規模としてみると,年度のGNPに対して0.3%,湾岸危機中の7ヵ月間に換算したGNP対比では0.5%でしかない。しかも,原油価格がすでにほぼ元の水準にもどっているという意味で,91年度以降に対してはデフレ効果は残らないということになる。これは前2回の石油危機との大きな違いである(これらの詳細は第1章第5節参照)。
また,前述したように,湾岸危機の期間に円高が進行していたことは,交易条件の改善を通ずる影響(例えば輸入価格の下落による購買力の増加)だけに限っていえば,原油価格上昇のデフレ効果をかなり相殺した。