昭和56年

年次経済報告

日本経済の創造的活力を求めて

昭和56年8月14日

経済企画庁


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第II部 日本経済の活力,その特徴と課題

第2章 公共部門の役割と見直し

第2節 公共部門の見直しと効率化

以上のように,財政赤字問題を含めて今日公共部門のあり方の再検討は緊要の課題である。その理由として以下の問題が指摘できる。

第1は,56年度において縮小が見込まれるとはいえ,財政赤字の持続的拡大傾向を避けなければならないということである。

第2は,民間部門の活力を生かすためには公共部門が適正な規模に維持されるとともに,過剰な公的介入を避けなければならないからである。

第3に,公共部門の歳出に非効率的なものや無駄がないかどうかである。公共部門の活動の成果を効率性の面だけからみることはできない。民間部門の活動だけでは実現できない経済的,社会的目標の達成,たとえば公正さの確保もその一つである。高度成長期に役立った公共部門の役割が安定成長期に入って,そのまま必要かどうかは再検討の要があろう。また安定成長期に入って所得の伸びが低下してくれば,効率を高め,無駄を排していくこと自体が公正さを維持する上で重要な条件となる。

第4は,歳出構造の見直しに平行して,歳入面においても公平な負担に一層留意していく必要がある。

そして最後に第5として,先進国が苦い経験と教訓に照らし,それを改善していく努力が推進されつつある今日,わが国自体としてもそれに学ぶべき点が大きいということがあげられる。

1. 「大きな政府」の見直し

1950年代末,イギリスの著名な文筆家パーキンソンは,「役人の数は仕事に関係なく増え続ける」,「金は入っただけ出る」と指摘した。その後の主要先進国の動きをみると,この指摘を否定し難い面がある。ほとんどの国において政府の規模は絶えず増加し続け,財政収支は「入っただけ出る」どころか「入った以上に出る」ようにもなった。

戦後の欧米の先進国は,「大きな政府」への道を急速にたどってきた。そのなかで経済の活力は停滞し,実質成長率は低下した( 第II-2-3図① )。実質的な行政サービスを厳密に比較するのは困難であるが,例えば各国で比較可能な実質政府最終消費支出の動きでみるならば,政府支出の国民経済に占めるウエイトが高まるにつれて,実質的な行政サービスの伸び率は逆に低下していった( 第II-2-3図② )。なぜこうした状況が生じたか。それは公共部門の活動も結局は国民経済全体の一部であり,経済規模(「パイ」)が拡大することによって行政サービスの伸びももたらされたからである。 第II-2-4表 でみても,60~70年の間に各国で行政サービスが伸びた要因の多くは,実質GNPの増加によるものであった。70年代に入ると各国とも公共部門の比重が急速に上昇したが,経済活動が停滞したために行政サービスの伸びは鈍化してしまったのである。

もちろん「政府規模の拡大」と「成長率の低下」とが同時に生じているからといって,この2つの間に因果関係があるとは言いきれない。しかし,民間部門の活力が低下し,成長率が下かったため,その結果として公共部門の比重が上昇したという面があるかもしれない。逆に公共部門の拡大が競争的な市場経済の活動分野を狭め,経済全体の効率を阻害した面もあろう。また,公共部門の拡大に伴う高負担が家計の貯蓄や企業の投資意欲を減退させたかもしれない。そして,このような点が「政府規模の拡大」と「成長率の低下」の悪循環の一因となっているかもしれない。こうした悪循環が欧米先進国でみられるようになってきているとすれば,自由主義経済社会にとっては,大きな問題といえよう。

こうしたなかで,アメリカのレーガン政権,イギリスのサッチャー政権などでは「小さな政府の実現」が経済面の中心的な政策となっている。世界的に公共部門のあり方に対する見直しの気運が強まってきているのである。

2. 大きな政府をもつ可能性のある日本経済

わが国経済には,こうした公共部門の拡大と低成長の悪循環に陥る可能性はないだろうか。現状では,わが国の公的部門は諸外国に比べればいぜんとして「小さな政府」の規模にとどまっている(前掲 第II-2-3図 )。したがって現在程度の政府の規模を維持し続けていく限り「大きな政府」の問題はそれほど生じないとみてもよい。しかし,財政の将来展望はそうした楽観的見方を許さない。

わが国が「小さな政府」を維持することができたのは,高度成長という歴史的局面による面が大きかった。公共部門の絶対規模の拡大テンポはわが国が最も高かったが,高度成長の中でそれが目立たなかったのである。だから70年代に入って経済成長率が低まると,わが国の公共部門の割合は急上昇を示すようになった。一般政府支出の国民総生産に占める割合は,60年代を通じて18%前後の低い水準で安定していたが,70年代前半にはこれが22.7%,79年では31.7%にまで上昇した。

そして,現行の歳出構造が不変としても,公共部門の比重は近い将来にさらに上昇していく可能性がある。

これはたとえば,わが国の人口は今後急速に高齢化していくと見込まれているが,これに伴い社会保障関係の支出が不可避的に増大していくという面もあるからである。わが国の社会保障移転比率(対国民所得比)は54年で12.4%と,先進国のなかではかなり低い水準にある。とはいえ,この比率自体は,わが国の現在の老齢化の程度からみれば,先進国並みの水準に達している( 第II-2-5図 )。それが低いのは社会保障受給対象の大宗を占める老齢者の比率の低さを反映している面が大きい。したがって,わが国の人口構成の今後の急速な老齢化を見込んで試算すると,それに伴って社会保障移転比率も上昇し,75年には現在の欧米諸国のレベルにまで達すると予想しうる。

このように人口の年齢構成を考慮すると,「日本の社会保障水準は低い」という見解は,昭和45年には説得力を持ち得たが53年には最早成り立たない。「スウェーデンが超福祉国家である」というのは「超高齢国家である」ことに大きく関係している面があるのである。

わが国の公共部門の拡大はきわめて急速であり,しかも最近にいたるまでそれが「大きな政府」という形では現われてこなかった。そうしたなかで行政サービスや社会資本の増加に対する国民的欲求はなお大きなものがある。それゆえ,日本経済が「大きな政府」をもつ可能性は小さくはない。しかし,それでいいのかどうか,これまでにおける先進福祉国の経験に徴して改めて国民が選択しなけれげならない時がきているといえよう。

そうした観点から,わが国の歳出面について,今後留意しておくべき点をいくつかあげておかねばならない。

まず,GNPに占める一般政府の人件費支出の推移をみよう(第II-2-6図)。わが国の公務員数は防衛関係が少ないという特殊事情を除いても,主要国に比べかなり少ない。その結果,政府人件費のGNP比も絶対レベル,その上昇速度ともに小さいものであった。多くの国で人件費の上昇は社会保障費と並んで「大きな政府」を生む主因となってきた。そうした傾向が今までみられなかったのは,わが国の公共部門が少なくとも他の国の公共部門に比べれば効率的だったことを示唆するものともいえる。とはいえ,今後も現状を維持し,常に効率化の努力を行っていく必要がある。

次に,補助金の整理,合理化をあげなければならない( 第II-2-7図 )。

補助金の伸び率は過去10年以上名目GNPの成長率を上回り,一般会計補助金のGNP比も55年度には5.8%に達した。補助金の中身をみると,社会保障関係費,文教及び科学振興費,公共事業関係費といった項目が約8割を占めている。しかし,経済環境の変化などによりその重要度が低下し,社会的な存在理由を失なっているようなものがないかについて不断に見直していく必要がある。補助金のようにその制度が一定の既得権と結びついている場合,公共部門だけの努力では効率化をすすめることは困難であり,民間部門との相互の努力,協力が不可欠であるといえる。

3. 負担の公平性の確保

公共部門のあり方に関しては,以上のような歳出面の課題だけでなく,歳入面にも課題がある。

しかし,まずわが国の租税税外負担率が,国際的にみて,主要国中最も低いことを指摘しておかねばならない( 第II-2-8図 )。

このうち租税負担については,高度成長下における自然増収を背景に減税が進められてきたことなどによるところが大きい。

とはいえ,近年では,石油危機以降の経済の停滞により租税収入が伸び悩んだこと,その中にあって景気の回復,国民生活の安定を図るため歳出が拡大したこと等により,いわゆる経常的歳出を経常的歳入でもって賄い得ず大量の特例公債に依存しているという異常な財政状況があり,歳入面についても見直しが進められている。

今後,国民生活の安定・向上をはかるには,先進国化した現在の福祉制度やその水準をできるだけ維持する努力が必要である。こうした中で,負担の増加が公平への関心を強めると思われ,税負担の公平が制度的にも実質的にも確保されるよう一層留意していく必要がある。

4. 公的規制・介入の見直し

公共部門の役割は,単に財政赤字の縮小や政府規模の拡大防止といった量的な面だけでなく,質的な側面についても行われなければならない。なかでも,重要なのは政府規制についての見直しである。政府規制には,法令等に基づく参入規制,設備・数量規制,価格規制等の強い規制があるが,それ以外にも様々な形で政府が民間企業の活動に介入している。このような政府による規制,介入が先進国において近年急速に拡大してきた。たとえばアメリカでは70年代に入って規制に関わる予算や人員が著しく増加している( 第II-2-9図 )。

わが国においても,公正取引委員会の試算によれば,何らかの形で政府規制が行われている分野が全産業の4割以上(生産額べース)を占めており,そのうち規制がかなり強いとみられる分野だけでも2割近くになっている(第II部第1章第4節参照)。このような各種の規制には市場の失敗がみられる分野における政府の規制などそれぞれに理由や必要性があることはいうまでもないが,次のようなものについては,その緩和ないし撤廃を早急に進めていく必要があろう。

その第1は,規制の目的自体が経済環境の変化等によって意味を失っている場合である。本来,幼稚産業保護のために導入された規制で,その産業が十分に独り立ちした後も存続しているものがあるとすればこれに当たる。この場合には,規制の行なわれている産業が独占や寡占の利益を享受している反面,社会全体としての効率は自由競争の場合に比べて低下していることになる。

第II-2-10図 公的規制商品の消費者物価の推移

第2は,市場メカニズムの機能に制約を加えているために社会全体としては資源配分上問題を生じている場合である。これには次の2つの類型が考えられる。

そのひとつは,規制によるマイナスの影響がプラスの影響を上回ってしまう場合である。たとえば生活必需品の価格を高目に維持する価格規制は,その生産者に対してはプラスの,消費者に対してはマイナスの影響を与えるが,ごく限られソたケースを除き社会全体としてはマイナスになることが多い。

消費生活をめぐる商品の中には各種法律等により生産数量,価格,事業参入等の面で公的規制介入を受けている占旧がある。 第II-2-10図 によって「規制商品」の消費者物価上昇率をみると,近年では「その他商品」のそれを上回る傾向を示している。もちろん,こうした動きがすべて規制によるものとはいえないが,そうした面がないかどうかについて検討する必要があろう。

こうした規制が持続的に生じるのには二つの理由があると考えられる。その一つは,「経済的安全保障」等の観点からの必要性があるからである。その二つは,プラスの影響が特定の少数者に対して明確に及ぶのに比べ,マイナス面は不特定多数の人々に少しずつ分散されてしまい,マイナス面が軽視されがちになるからである。しかし,こうした品目についても,できるだけ見直し,どうしても必要なものは,規制によるメリットがデメリットを明らかに上回っているのかどうか絶えず検証していく必要があるのではなかろうか。

いまひとつは,規制そのものはプラスのようにみえても,社会全体として実はマイナスになる場合である。アメリカでは長期にわたる国内エネルギー価格の低位すえ置きが,石油価格上昇による消費者の節約意欲と国内業界の投資意欲を共に弱めることとなった。それはよく知られているように,アメリカの石油輸入依存度を急上昇させ,国際収支赤字やインフレーションの大きな原因となった。この種の規制はこのアメリカの例からもうかがわれるようにそのデメリットが極めて大きくなり誰の目にも明らかにならない限り改善ヘ向けての合意ができにくい。価格が安いことは,誰しもが賛成する。しかし,そのことが相対価格変化を通じた市場機能の力,さらには資源配分の最適化を弱めているといえる。したがって,これらの規制については,経済全体との関係を含めて総合的な視野からその得失を検討していく必要がある。

5. 公共部門の効率化と需要削減効果

公共部門の効率化を進めるに当たっては国民経済に与える影響に十分留意する必要がある。とくに財政バランスの改善が需要に対するマイナス効果を持つ可能性があることは重要である。需要削減効果が大きければ景気停滞により財政バランスが再び悪化し,公共,民間ともにパフォーマンスの悪化を招きかねない。しかし,財政バランスの改善が需要削減効果のみをもたらすわけではない。歳出を削減すればその分は必ず国債発行の削減か減税(増税の回避)に当てられる。減税分が民間の支出増加となればそれだけ需要削減効果は相殺される。また,減税分のうち,貯蓄に回す分と国債発行が削減される分はいずれも金融緩和要因であり,景気拡大効果を持っている。このように財政バランスの改善は需要削減効果と景気拡大効果の両面を持っている点を考えなければならない。

さらにより長期的には,財政の対応力が回復されることにより,財政がその役割をより弾力的,より効果的に果たすことができるようになり,将来の経済発展にプラスとなると考えられる。また,財政バランスの改善を通じた公共部門の効率化により資本蓄積率を高め,経済の潜在的活力を増加させるという効果も期待できよう。

一方,財政赤字と民間部門の「過剰貯蓄」との関係についてはどう考えるべきであろうか。高い個人貯蓄率が今後も長く続くとすれば財政バランス(=政府部門の貯蓄投資バランス)の恒常的改善は必然的に需要削減産力を持つことにならざるを得ないとも考えられる。しかし,経済全体としての貯蓄率やその部門別動向について分析すれば,次の諸点が指摘できる( 第II-2-11図 )。すなわち,①個人貯蓄率は石油ショック直後に急上昇したが,これは,同時期に企業の貯蓄率が大きく低下した(企業収益の赤字化)のをほぼ相殺していること,②その後,個人貯蓄率が高水準にとどまっているが,これは政府貯蓄率の低下(財政赤字の拡大)にほぼつり合っていること,③50年以降国民総貯蓄率は総じて安定してきたが,その間企業貯蓄率の上昇(企業収益の回復)と表裏して個人貯蓄率が低下してきたこと,等がそれである。

これらは,経済各部門の貯蓄がそれぞれ独立に決まるとは限らないことを示唆している.このことは,公共部門の効率化を通じた財政赤字の改善が進んだ場合においても,民間企業の投資意欲,家計の消費意欲が高まるならば,結局,全体としての貯蓄投資バランスが維持され需要削減効果はあったとしてもそう大きくないことを示している。