昭和55年
年次経済報告
先進国日本の試練と課題
昭和55年8月15日
経済企画庁
第II部 経済発展への新しい課題
第3章 国際経済摩擦への対応
特定商品の特定市場への輸出の増加が相手国市場で引き起こす摩擦に対して,わが国の輸出産業は,できるだけその解消に努めてきた。
第1は,現地生産の動きである。現地生産の最も典型的な事例はカラーテレビである。カラーテレビでは,51年の対米輸出急増とともに摩擦が生じたが,52年5月の日米政府間協定により,同年7月から向こう3年間の輸出を年間175万台に抑えることが合意された(55年6月末終了)。そして,その後,家電メーカーはアメリカでの現地生産に力を入れ,現在の生産規模はピークである51年の輸出規模(296万台)に匹敵する水準に達したとみられる。このため,対米輸出は,53年には154万台,54年には69万台へと激減した。また,自動車産業では,アメリカでの現地生産やそのための調査を行う動きが出てきている。さらに,半導体や工作機械の業界でもアメリカでの現地生産が進められている。
第2に,輸出価格に関する価格政策があげられる。輸出価格も国内価格と同様に国内の生産性向上を反映すべきことはいうまでもないが,同時に為替レートの変動によって左右されやすい輸出採算の安定化も必要である。53年末から55年初にかけての円安の過程で,わが国の外貨建て輸出価格は低下せずに横ばい状態を続けた。このような輪出価格の動きには,各国の国内物価上昇率が高かったことも影響しているが,輸出企業が円高の過程で悪化した輸出採算の改善に努めつつ,貿易摩擦の激化を回避しようとした面があるとみられる。鉄鋼の対米輸出についてみると,54年は数量は前年比2.4%増にとどまったのに対し,輸出価格は同10.0%上昇した。また,企業は,これまでの経験から,特定市場への輸出が急増しないように配慮する傾向もみられる。
以上のように,輸出企業は現地生産や価格政策の活用などのかたちで対応を進めているが,摩擦の少ない輸出商品,輸出市場の開拓も行われている。その例として,中近東向け輸出とプラント輸出があげられる。
わが国の中近東向け輸出は,45年当時は5.5億ドル程度で,中近東諸国の輪入に占めるシェアも10%弱とアメリカはもちろん,イギリス,西ドイツよりも小さかった。しかし,その後の中近東市場の拡大に伴うわが国の輸出増加はめざましく,54年には96億ドルと約18倍に急増し,シェアも17.2%とイギリス,西ドイツを抜き,アメリカに次ぐ輸出国となった( 第II-3-7表 )。この間わが国の輪出は世界市場でも比重を増大したが,中近東諸国でのわが国のシェアはそれを上回る拡大を示した。
輸出増加の内容を商品別にみると,鉄鋼,自動車,カラーテレビなど対先進国貿易でも主力商品であるものが大きく伸びている。
このように,わが国の中近東向けの輸出はめざましく伸びており,その結果として,先進国全体として石油赤字減少にも寄与しているといえる。
わが国のプラント輸出(承認額,ソフト部分を含む。)は,45年度には10億ドル程度で輸出総額(通関べース)に対する割合は5%に満たなかったが,54年度には118億ドルに増加し,その割合は11%と自動車,鉄鋼などと並ぶ重要な輸出品目となった( 第II-3-8表 )。プラント輸出は輸出先国の経済発展にも役立ち,摩擦も少ない輸出であり,その伸びが大きいことは望ましい。しかし,OECD諸国のプラント関連輸出に占めるシェアをみると,77年で,西ドイツは23.0%,アメリカは19.0%となっているのに比ベ,わが国は10.9%とまだ小さく,今後さらに輸出増加の余地があるものとみるべきであろう。そのためには,コンサルティング能力,エンジニアリング能力の向上,また,国際協調の観点からの国際コンソーシアムの形成,第三国市場での調達などの課題を解決していかなければならない。