昭和55年
年次経済報告
先進国日本の試練と課題
昭和55年8月15日
経済企画庁
第I部 景気上昇と物価安定への試練
第2章 景気上昇の性格
54年度の個人消費は,消費者物価の落ち着きと雇用の改善が進むなかで,おおむね堅調に推移した。もっとも55年に入って,消費者物価がじり高に推移するなかで,消費者マインドには,いくらか慎重さが加わってきた。
実質民間消費支出(GNPベース,前年同期比増加率)は,54年4~6月6.9%,7~9月6.0%,10~12月3.9%,55年1~3月3.2%と年度後半にやや伸びが鈍化したものの,おおむね堅調な伸びを続けた。
世帯別にみると,勤労者世帯が54年度後半やや伸びが鈍ったものの,年度全体として比較的安定した伸びを示し,一般世帯も年度後半に急減・著増など不規則な動きがみられたものの,概して堅調に推移した。しかし,農家世帯は53年度を下回る伸びにとどまった( 第I-2-24図 )。
勤労者世帯の実質消費支出は,前年度比2.3%増(53年度1.5%増)と比較的高い伸びとなった。これは景気拡大を背景に,名目所得が前年度を若干上回ったことに加え,消費者物価が比較的落ち着いていたので,実質可処分所得も1.3%増と着実な伸びを示したことが主因である。ただ,55年1~3月期に入って実質所得の低下,消費性向の上昇がみられるようになった。
第I-2-25図 農家の所得,家計費(前年度比増減率)平均消費性向の推移
一方,一般世帯の実質消費支出も,前年度比2.7%増(53年度3.4%増)と引き続き堅調に推移した。特に,個人営業世帯の消費は堅調であった。
これに対し,農家世帯の実質消費支出は,53年度(3.5%増)までは堅調に推移したものの,54年度は1.9%増と伸びがかなり鈍化した。名目現金消費支出は前年度の伸びをやや上回ったものの,年度後半から農家の生活資材購入価格がかなりの上昇となり,その影響が大きい。所得面では,農外所得が給料,俸給などを中心にかなりの増加を示したものの,農業所得が減少したことから,農家総所得は5.5%増と前年度(7.5%増)を下回り,一方消費性向は高まった( 第I-2-25図 )。
家計消費支出(家計調査,全世帯)の内容を,必需的支出(外食以外の食料費,家賃,教育費など)と選択的支出(レジャー関連支出,家具什器など)に分けると,54年に入ってからも引き続き選択的支出の伸びが相対的に高い( 第I-2-26図 )。これは雇用の改善,物価の落ち着きなどが,家計にゆとりと安定感をもたらしたことによるものと思われる。
選択的支出のなかでは,特にレジャー関連支出と家具什器が高い伸びを示している。レジャー関連支出のなかでは,自動車等関係費が最も伸びが高いが,そのほかでは外食,教養娯楽,交際費などの伸びが高い( 第I-2-27図 )。特に,趣味を生かすための交際や健康のためのスポーツといったものへの支出が増加している。
一方,家具什器も高い伸びを示したが,これは耐久消費財の売行きが好調であったことによるものである( 第I-2-28図 )。いわゆる「白もの家電」といわれる電気冷蔵庫,電気洗たく機などは普及率が100%に近くなっているが,これらは54年中頃まで買い換え需要を中心に伸び,54年中頃にこれらの買い換え需要が鈍化すると代わって電子関係の家電製品の売れ行きが増大し,乗用車も,普及率は50%を超えたものの,買い替えと新規需要で着実に伸びを示した。
このように消費活動はおおむね堅調に推移してきたが,その理由の第1は,実質所得の伸びは鈍化したものの,着実に増大したことである。
勤労者世帯では,54年度の名目収入は53年度をやや上回る伸びとなったが,消費者物価の上昇テンポが若干高まったため,54年度の実質収入は前年度をやや下回る伸びとなった( 第I-2-29図 )。名目収入のうちでは世帯主の定期収入が順調に伸びた。生産売上げ活動の活発化や企業収益の好調を反映して,所定外収入が伸びたほか,臨時収入・賞与も増加した。
第2は,消費者心理が慎重化しつつも,安定していたことである。経済企画庁「消費動向調査」によって,消費者の判断指標を合成して消費者意識の変化(D.I)をみると,53年以降かなりの改善がみられ,54年初めには第1次石油危機以前の水準まで回復した。これには54年年初,消費者物価上昇率が前年比2~3%という20年ぶりの落ち着きを示すとともに,54年中を通じて雇用改善,所得増大が着実に進行していったことが大きく寄与したと思われる。
第1次石油危機後は,消費者は,物価の高騰と雇用不安にはさみ打ちされたが,消費者にとって53年,54年は第1次石油危機後では最も安定感を取りもどしえた年であった。
しかし54年後半以降消費者物価がじり高傾向になるに伴い,消費者心理は再び慎重さを加えるようになった( 第I-2-30図 )。
しかし,現実の消費性向は,むしろ年度後半に高まりをみせ,年度を通じてもわずかながら前年度を上回った。消費者心理は慎重化しながらも現実の消費態度はそれほど変わらなかったのである。これには,消費の習慣的効果,つまり,すぐには消費パターンを変えないという効果も働いているとみられる。しかし,習慣的効果が現実化したのも,やはり上述のように消費者心理が基本的には昨年来の安定感をもっていたからだといえよう。
消費者心理が慎重化しながらも,なぜ現実の消費が落ちずに済んでいるのか,もう少し詳しくみよう。家計消費は所得要因(実質可処分所得),習慣要因(1期前の実質消費支出),金融資産の減価要因(消費者物価上昇率と金融資産利回り),雇用情勢要因(有効求人倍率)などによってかなり説明できる( 第I-2-31図 )。つまり,消費行動は所得要因や習慣要因のほか,雇用情勢や消費者物価の動向(とくに対金融資産)によってかなり左右される。
この関係を前提に,もう少し検討してみると,まず第1に消費性向(可処分所得に対する消費の割合)がほぼ安定的に推移しているのに対し任意消費性向(可処分所得から契約貯蓄を差し引いた任意可処分所得に対する消費の割合)は,53年後半から急速な上昇を示し,その水準も47~48年を大幅に上回っていることがあげられる。このことは消費者が,契約貯蓄率を高めつつも,比較的消費を堅調に増やしていることを示している。その背景には,契約貯蓄が高まり,一方消費はなかなか減らせないという事情もあると思われるが,そのことはまさに消費支出の習慣的効果が持続していることを物語っている。
第2に,消費者物価上昇率と金融資産利回りとの関係( 第I-2-32図 )からみれば,金融資産の減価は生じていないことがあげられる。48,49年当時には,消費者物価が急騰し,金融資産利回りを大きく上回った。そしてその結果,消費性向の大幅な低下が生じた。これに比べると,53~54年は,消費者物価の上昇率は,常に金融資産利回りを下回った。54年4~6月期以降,消費者物価はジリ高に転じたが,一方預貯金金利も今回は早目に引き上げられていったから,54年中は消費者物価上昇率が,金融資産利回りを上回るという状況は生じなかった。55年1~3月期になって両者の関係は逆転しているが,その乖離幅は小さい。
第3に消費者心理と消費者物価上昇率及び雇用動向との関係である。消費者心理そのものは,消費者物価上昇率の高まりとともに慎重化していったが,上述の任意消費性向は,労働需給関係の指標,特に雇用調整実施事業所比率の推移と明確な逆相関の動きを示しており,消費者物価上昇に伴う消費者心理の慎重化が生じても,それが第1次石油危機後のように消費の大幅抑制に至らなかったことを示している(前掲 第I-2-30図 )。
すでにみたように,最近の家計消費では,必需的支出の伸びは緩やかであったが,選択的支出はかなりの伸びを示している。その背景として,消費者が物価上昇に対して敏感に対応しつつも,選択的支出に対しては,消費者自身の好みに応じて支出を拡大していることがあげられる。
家計は消費者物価の上昇に対して,敏感になっている。国民生活センターの調査によって,「物価上昇による生活圧迫感」の推移をみると,「かなり圧迫している」とみる主婦の割合は,49年10月の57%から消費者物価の上昇率鈍化を背景に次第に低下し,53年10月には31%までに低下したが,最近における物価上昇から54年10月には36%へと若干上昇してきた。
物価に対する敏感な意識は,とくに生活必需的支出における家討の行動に典型的にあらわれている。54年1月から55年1月までの野菜の価格上昇率と実質購入額ウエイトの変化率の関係をみると,白菜,キャベツ,レタスなど価格上昇が大幅であった品目の実質購入額ウエイトが低下し,里いも,たまねぎなど価格が安定ないし下落している品目においてはウエイトの上昇がみられる。その結果として,消費者物価指数の上では77.1%上昇した野菜価格であったが,消費者の購入した野菜価格でみると59.3%にとどまった( 第I-2-33図 )。つまり消費者はそれだけ上昇率の低いものを購入したのである。
こうした物価に敏感な家計の合理的行動は,家計調査の実質消費以上に実質消費を高めている。すなわち家計の名目消費支出全体の伸びを消費者物価指数総合の上昇率でデフレートして得られる実質消費の伸びと,個別品目ごとにそれぞれの消費者物価でデフレートして得られるいわば「積上げられた実質消費」の伸びとでは,後者の伸びが高い。消費者物価の安定している時に比べ,騰勢が強い時の方が,消費者が物価上昇に敏感に対応し,合理的に行動するだけにその差は大きくなる。55年1~3月期についてより詳しく検討してみると「総合ベース」での実質消費は前年同期比0.2%増であるが「積上げベース」の実質消費は1%増になる。とくにその中で必需財では野菜のような高騰品目の買い控え,選択財ではガソリン価格の上昇を反映した自動車等関係費の抑制が大きく,それを除くと,多くの品目で実質消費が増大しているといえる。
これらの結果,値上がりの著しい野菜や自動車等関係費を除いて実質消費支出を算出すると,全体で0.2%の増加であったものが,2.2%の増加とかなり高まることになる( 第I-2-34図 )。
このように,最近の家計の行動は,値上がりの著しいものは買い控えたり,代替品に移行するなどの合理的対応を示しており,そうしたなかで,実質消費を高めているということができよう。