昭和53年
年次経済報告
構造転換を進めつつある日本経済
昭和53年8月11日
経済企画庁
第4章 日本経済の構造変化
昨年から最近にかけての円レートの上昇はかつてない急激なものだったため,日本経済に大きなインパクトを与えたことはこれまでいろいろな側面からみてきた。ここでは,円高に対する企業,産業の適応状況を分析するが,その前に,最近に至るほど円高の程度が相対的に大きくなってきていることを示しておこう。
為替レートは,短期的には思惑的なものが加わるにしても基本的には外貨の需給で規定されるものであり,国際収支の動向に左右されるといってよかろう。
しかし,長期的には外国との物価騰落率の差,ことに貿易に関係の深い工業品卸売物価の騰落率の差を相殺するようにレートが変動すると考えることもできる。要するにレートは外貨で測った通貨の価値であり,通貨の価値はその1単位で何がどれだけ買えるかということを示すはずだからである。
そこで,円とドイツ・マルク(以下マルクと略す)の対ドル・レートの変化率とアメリカ,日本,西ドイツの工業品卸売物価の騰落率を比べてみよう( 第4-2-1表 )。
この場合,いつを基準にして変化率を出すかという問題があり,適性な基準時を決定することは難しい。従って,ここではスミソニアン・レートとの比較とが,スミソニアン・レートが決まった46年12月を基準にして計算するが,その結果相対価格変化率とレート変化率を比較してレートが高すぎるとか低すぎるといった判断をする意図はない。ただ,両者の関係が時を経るに従ってどう変ってきたか,特にマルクと比較して円レートはどうかということをみることとする。
例えば,52年1月に円レートは5.8%上がっていたが,卸売物価は61.6%も上がっており,アメリカの63.3%と大差はない。相対価格はアメリカが1.1%高いだけであり,レート変化率と比べると4.7%だけレートの方が上がり方が大きい。他方,マルクは34.8%も上がっていたが,物価は36.2%しか上がっていない。物価がより落着いている分だけ余計レートが上がっても仕方がないといえる。しかし,アメリカの対独相対価格変化率は19.9%であり,マルク上昇率との差は14.9%と,日本を10.2%も上回るレート上昇を示していたことになる。従って,その時点ではドルとの関係ではマルクの方が円より相当高く上がっていたことになる。
ところが,その後の推移をみると,このレート変化率と相対価格変化率の差の日独間の開きが,昨年9~12月には4%台に縮まり,今年の4月頃にはほとんど差がなくなってしまっている。すなわち,円はドルとの関係では,レート変化率と相対価格変化率との差が昨年1月の4.7%から本年4月には27.4%と大幅に上昇しているだけ円の切り上がり方が大きくなってきているが,マルクとの関係も1年半前とは様変りに上昇しており,要するに両方の通貨に対して物価変動分を除いても上昇の幅が大きくなってきていることになり,輸出市場における日本企業の困難性はそれだけ増しているといえる。
既にみたように52年の企業をとりまく環境変化のなかでもっとも大きな問題は,円相場の急上昇であった。円相場の上昇が企業に与える一次的影響は,一方で輸出代金である手取金額(円)の減少であり,他方で輸入原材料等の支払額(円)の減少である。企業の輸出入額が,同類であるならば円相場の上昇は当該企業には一般的に中立的に働く。輸出入額に差が存在するため円高が個別企業にメリットを与えたり,デメリットを与えるのである。
輸出手取額は,当該企業の輸出比率や輸出代金の決済条件としての円建て比率によって決まり,輸入支払額については輸入原材料コストの割合や輸入代金決済条件としての円建て比率によって左右される。
いま輸出比率と輸入原材料コスト比率の大小によって主要業種をグループ分けしてみると,次のようになろう。もっとも,これは円高により海外からの製品輸入が促進され,国産品と競合が強まるといった二次的効果を考慮の外においた議論であることに注意する必要がある。
①輸出比率が大きく逆に輸入原材料コスト比率が小さい産業
これらの業種には機械類や鉄鋼(電炉),繊維,雑貨などがあり,これらは円高のマイナスの影響を大きく受けた業種である。なお,これらの中でも円建て比率が高い造船や精密機械などでは一次的影響は小さいといえる。
②輸出比率が極めて小さいかあるいは皆無である一方,輸入原材料コスト比率が大きい産業
これらの業種には石油,非鉄,食料品,電力・ガスなどがある。これらはいわゆる円高によるプラスの影響を受ける産業である。
③輸出比率と輸入原材料コスト比率がともに大きい産業
これは,円高によるプラス,マイナスを相殺しあうもので鉄鋼(高炉),化学などがある。
④輸出比率と輸入原材料コスト比率がともに小さい産業
窯業・土石,パルプ・紙,建設業などであり,もともと円高による影響の少ない業種である。
円高になり,輸出契約がドル建て等外貨建てで行われていると円の手取りが減るので,企業としては外貨建て輸出価格の引上げ努力をする。当庁「企業行動調査」によると,52年中において,外貨建て契約をしている企業の約6割がそのようなことを行った。また,円建て契約については,その価格を据置く努力をする。同調査によれば実に7割の企業がそのようなことに成功している。
このようにして企業としては円の手取りを減らさないように努力しているが,その結果として輸出価格がどう推移したかは第1章及び第3章で述べたところであり,かなりの程度外貨建て価格の引上げが実現している。
ただ,業種によってその程度は区々であり( 第4-2-2図 ),織・編物,精密機械,自動車,その他電気機器,一般機械などは平均以上の引上げを行っているが,工業用薬品,プラスチック・同製品,化合繊短繊維は全く引き上げておらず,非鉄金属,電子・通信機器用部品,ゴム製品,原糸などは平均以下の引き上げしかできていない。これは,他方における生産性向上等によるコスト引下げを伴っていない限り,企業採算上大きな困難に直面していることを意味する。このような輸出価格面における業種別の明暗は,円高により比較優位産業と劣位産業の差が明確になり,格差が拡大していくことを示している。
円高に対する輸出産業の第2の対応は,合理化等によるコストの削減である。輸出産業等における52年頃までの合理化の状況については,第2章第2節,第3章第1節,本章第1節などで述べたとおりであり,そのような合理化投資などの効果が今回の円高に対しても発揮されつつあるものとみられる。
今後についても,当庁「企業行動調査」によると,合理化・省力化投資を今後1年以内に増加させると回答した企業が全体の約4分の1あるなかで,特に自動車・同部品,電気機器,精密機械,鉄鋼といった輸出比率の高い産業で合理化・省力化投資を増加させる予定の企業割合が多い( 第4-2-3図 )。
コスト削減との関連で注目されるのは,輸入素原材料の消費は未だ減少傾向にあるなかで,輸入製品原材料の消費が50年初来急増しており,52年央には中だるみとなったものの,その後再び急増していることである( 第4-2-4図 )。円高で安くなった海外の半製品を輸入し,我が国で加工度を高めるということは,水平分業型の産業構造への発展の芽と考えられる。その他,自動車や電気機械産業などでは,円高によって安くなった海外の部品や工作機械等を輸入する動きもみられる。また,プラント産業や建設業では,海外工事において資材・機器や労働力の現地調達を増やす動きもみられる。
第3の特徴は,下請段階でも円高に対応する措置がとられていることである。当庁「企業行動調査」によると製造業の約5分の4の企業が,納入部品,原材料などの合理化による単価引下げを「要請した」かもしくは「今後要請する予定である」と回答しており,親企業の多くで円高に伴う合理化による単価切下げが必要とされているといえる。
高加工型組立産業では,いくつかの親企業のもとに,多数の下請部品メーカーで構成されているが,特に造船,電気機械,精密機械,自動車・同部品などの機械産業では多くの下請企業が合理化により円高の吸収を図っており,この結果販売価格が下落している企業の割合が昨年後半から増加している( 第4-2-5図 )。
以上のような努力にもかかわらず,輸出を続けることが難しくなれば,現地生産化と並んで内需への転換が図られることになる。日銀「短観」によれば,52年度から53年度にかけて繊維(17.3→15.8%),鉄鋼(30.0→28.3%),自動車(41.0→38.8%),化学(10.3→9.6%)といったところでいずれも輸出比率が下がると見込まれている( 別表9 )。
円高が輸入原材料価格を下げ,これが輸入産業あるいは物価にとってメリットをもたらし,輸出産業のコスト低下にも役立つことはいうまでもない。これは企業の努力によるものでは必らずしもないが,円高による輸出産業の打撃の打撃を和らげる効果がある。
この点では輸入に占める原燃料比率が高い我が国の輸入構造が,レート上昇に対する我が国産業の適応を欧米諸国より容易にしている。例えば,西ドイツと比較してみると,経済全体の輸入依存度は日本の方が低いにもかかわらず,輸入に占める原燃料比率が高いため,結局,同じ率のレート変化による国内生産物や輸出製品に与えるコスト面での影響は日本の方が大きくなっている。すなわち,産業連関表によって間接効果も含めたコスト面での効果をみると,為替レートが10%上がった場合,輸入素原材料の価格低下による部分が,国内生産物についてみると西ドイツは0.39%しか下がらないのに対し,日本は0.68%も下がる。輸出製品についてみると,西ドイツの0.37%に対して日本は,0.75%と国内生産物以上に下がることになる( 第4-2-6図 )。このことは,石油危機のような輸入原燃料価格急騰の際は日本にとって不利に働くが,レート上昇のような時は有利になることを意味する。
しかし,これは国内の物価にとって円高の効果が大きいかどうかとは別の問題である。西ドイツの場合は製品輸入の比率が高く,これは直接安い品物として入ってくるので,この部分の効果は日本より大きい。
従って,輸入品全体が10%のレート変化により国内生産物のコスト面に及ぼす総合効果は日本の1.04%に対して西ドイツは1.36%と日本より大きい。これは産業問題として考えると,競合品の製品輸入が日本ではあまり入っていないということで,レート変化による打撃が少ないという意味にもなる。
しかし程度の差こそあれ,日本でも製品,半製品輸入は増加しつつあり,また輸出面における比較劣位産業の後退ということが起こっている。このようなことは国際分業という視点からは評価されるものの,国内産業にとっては打撃になるわけであり,円高に伴う産業調整問題も重要になりつつある。
第4-2-7図 価格面における輸入品の下落と国内競合品との関係(品目分類別)
今,52年1月から本年3月までの国内品,輸入品それぞれの共通品目の価格の下落幅を比べてみると( 第4-2-7図 ),特に非鉄金属とパルプで国内品が輸入品の下落に強く影響されていることがわかる。このことは,安価輸入製品が国内競合産業に大きな影響を与えていることを示しており,円高による産業調整問題発生の一つの現われといえよう。
円の対ドル・レートの急騰は,中小企業に大きなインパクトを与えた。そのひとつは前記のように,親企業の円高対策の下請企業への波及であり,もう一つは輸出中小企業への直接的な円高の影響である。円高が輸入原材料等の価格低下を通じて中小企業に好影響を及ぼすには,かなりの時間がかかり,むしろ短期的には円相場の高騰が輸出中小企業の輸出成約難,収益悪化といった形で影響を与える方がはるかに大きい。
今回の円高のなかで輸出中小企業が受けた影響を,まず輸出産地の,輸出向け新規成約及び受注残の動向(中小企業庁調べ)でみると,主要79産地の新規成約額は52年10月には,前年同月に比べて50%以上も減少したものが過半を占めるという状態を示した。その後,同12月,翌53年2月と経過するに伴い,新規成約の減少産地は引続き多いものの大幅減少を示すものは減り,また受注残が大幅に減少していた産地数も次第に減ってきた。しかしながら,3月に入ってからの円相場の急上昇は,新規成約落ち込み幅の拡大をもたらし,再び産地企業の不安感をつのらせている。輸出産地を業種別にみると,繊維,雑貨産地が受けた円高の影響は,軽機械,金属,農林水産物産地に比べて相対的に大きかった( 第4-2-8図 )。
52年の円高のもとでの中小企業性製品の価格低下は大企業性製品に比べて相対的に小幅であった(51年12月に対し53年4月は大企業性製品は9.5%下がっているのに対し,中小企業性製品は5.8%の低下,日銀「輸出物価指数」)。このことは中小企業性製品のなかでウエイトの高い繊維製品(同上期間につき,大企業19.0%低下,中小企業2.4%低下),金属製品(大企業11.0%低下,中小企業3.0%低下),窯業製品(大企業13.0%低下,中小企業9.6%低下)などの輸出価格の低下がそれら商品の大企業性製品の低下より小幅であったことが影響している。このことはそれら製品における中小企業性製品が高級化などを行っており,輸出価格(ドルベース)の引上げがある程度可能であることを示している。
この点を今回の円高前の51年10~12月期と53年1~3月期の期間をとって,主な中小企業性製品の輸出単価と輸出数量の関係をみると( 第4-2-9図 ),輸出価格引上げでカバーしているものや,輸出単価の低下を数量増でカバーしているものもかなりみられ,今回の円高が必ずしも輸出中小企業すべてに大きな影響を及ぼしたということではない。
もちろん前掲 第4-2-8図 にみるように,主要輸出産地の受注残は53年に入っても前年水準を大きく下回っており,また円高の間接的な影響もあるので全体としての状況は必ずしも楽観視しることはできない。このことは,今回実施された中小企業為替変動対策緊急融資の利用状況をみてもその利用件数,融資額が53年3月以降に急増していることからも窺われる( 第4-2-10図 )。
我が国は資源の賦存状況が貧弱なため,国民の生活水準を高めていくためには原燃料の輸入が必要であり,この輸入代金を支払うために輸出が必要であるということは,明治以来変らぬ宿命であった。そして,日本産業の国際競争力が弱い間は,常に国際収支の天井に経済成長が規定され,国際競争力の強化が経済政策の最重要の課題であった。国際収支の天井が経済の制約条件にならなくなったのは昭和40年代に入ってからである。しかし,100年間にわたり形成されてきた輸出重視の意識と慣行,そしてその結果としての資源配分のパターンは容易に変り得ない。そのことが,その後生じたニクソン・ショック,石油危機,そして昨年初来の円の急騰という海外からのインパクトに比較的容易に適応できる潜在能力となったと思われる。しかし,逆に,このような輸出志向型経済体質がそのような外的インパクトの原因になった面もある。
しかし,問題は輸出志向型体質のみではない。日本経済にとって国際競争の波を直接かぶる部分は一部にすぎなかった。その他の部分は厳しい国際競争にさらされることなく,効率化が遅れたままに存在している分野が多い。上記の資源配分のパターンはこのことも含めて考えるべきものである。かくして,日本産業の重層構造という特質が形成された。これは欧米諸国に遅れて近代化を開始し,早急にキャッチ・アップするためには先端産業を急速に発展させたという歴史的沿革に由来している。このような構造は資源の賦存状況が貧弱で遅れて近代化を開始し,国民生活の向上を図るためには,それなりの意味をもつものであった。
そこで,円高に対する日本の産業の対応をみてみると高能率,高付加価値輸出産業はそのような特性をさらに高めることによって円高を乗り切っていくであろう。他方,その過程で,このような産業に関連する中小企業も合理化努力を払うが,大企業並みの生産性向上は難しい場合が多いであろう。貿易に直接関係のない分野は,円高があっても特にその面から効率化を迫られるということはない。かくして,円高によっても産業間の生産性格差は縮まらず,他方,輸出は増え続け,輸入はあまり増えないという産業構造が持続する可能性がある。もちろん,これはひとつの側面を強調しすぎており他の側面がすでに生じつつあることは既述したし,後でも今後の産業発展の新しい方向としてとりあげるが,とにかく,ここで述べたような流れも根強いことは確かである。
また,前記のような重層構造を背景に,日本国民の努力が発揮され,我が国の賃金水準は急速に上昇してきたが,さらに今や急速な円高が加わり,ドルで測った賃金水準は10年前にはアメリカの6分の1,西ドイツの4割であったのが,2割台の差しかない状況になった( 第4-2-11表 )。輸出の場合には,企業はこのような測り方の賃金を前提にして競争を行うのであるから,輸出産業の競争条件は厳しく,効率性も国際水準の上をいかざるをえなくなっている。
かくして,大きな生産性格差が形成されてきたが,所得格差は国際的にみてもそれほど開いていない(前掲 第4-1-1表 )。それには低生産性部門の価格上昇により所得均衡がもたらされている面が大きい。例えば貿易に関係の深い工業品卸売物価は,過去10年間(1967~77年)に,アメリカでは年平均6.9%上昇し,消費者物価は6.1%上昇,西ドイツにおいては,各々4.4%,4.6%の上昇と,両物価の上昇率の間にはほとんど差がないが,日本では卸売物価の5.4%上昇に対して消費者物価は9.3%の上昇と,相当な乖離を示している。そして相対的に効率化や充実が遅れている分野の財貨(例えば食料品や住宅)については,労働時間で測った実質的価格は,アメリカなどに比較してかなり高くなっている( 第4-2-12表 )。
他方,国際的にも壁にぶつかりつつある。日本の経済規模が大きくなるにつれ,一時に大量に日本商品が流れこみ,自国の産業に重大な損害を与える場合に,貿易摩擦が生じるようになった。他方では日本の輸入があまり増えないという体質にも不満が高まりつつある。
日本に資源が乏しい以上,輸出力の保持は今後とも必要である。ことに,中進国の追い上げが激しくなっていることもあり,引き続き日本経済の活力は保持していかなければならない。そのことは無視できないにしても,いまや基本的に資源配分のパターンを新しい状況に適応する新しい意味でのバランスのとれたものに変えるべき時がきている。