昭和51年
年次経済報告
新たな発展への基礎がため
昭和51年8月10日
経済企画庁
第4章 求められる企業体質の改善
昭和30年代なかば以降の高度経済成長のもとで,企業は規模拡大と成長への指向をたえず続けてきた。それは旺盛な設備投資とそれを裏打ちした豊富な外部資金の供給のもとではじめて可能であつた。こうしたなかで形成された企業の高度成長体質は戦後最大の不況の中ではしなくもその脆弱性を露呈した。だが高水準操業下でのみ採算がとれるという損益分岐点の高いわが国企業が2年以上にもわたる水面下の経営という現実の下で収益悪化に苦しんだというのは不思議ではなく,その事実をもつて直ちに企業体質が悪化しているというべきではない。体質悪化の真の姿は,以下にみるようにインフレーションの過程で表面的には高収益をおう歌しながらも,その利益の多くが生産過程から産み出されたものというよりはインフレによるいわば棚ぼた利益であつて,実質においては資本の喰い潰しさえみられたという事実に見出すべきではなかろうか。
激しいインフレーションのもとでは,以前のコストの安い時期に生産されたがいまだ販売されていない製品在庫を高い価格で販売することができる。また,安い原材料の保有量が多ければ多いほど企業の利益額は増加する。さらに,地価の安いときに借金をして土地を買つていれば,その一部を売り払うだけで,借金を返済することができ,残りはタダで自分のものになつたりする。この反面,機械,設備など固定資産の償却不足が表面化する。
インフレーションは,このように企業の収益構造に大きな歪みをもたらし,見掛け上の企業収益を極めて良好なものとする。この点を検討する前に,まずインフレ利益の3つの源泉について整理しておこう。
(ア)在庫評価益
これは在庫の払出し評価額と取得額との差額であり,インフレーションの高進期においては極めて多額の利益発生の原因となる。
(イ)償却不足
現在の企業の償却計算は,有形固定資産の取得時価格(帳簿価格)を基礎に行なわれているが,インフレーションによる投資財価格,据付費等の値上がりから現行方式による償却費だけでは旧資産の除却時において,これと同一能力を有する資産で取替え更新を行なうことが不可能になる。別言すれば実体資本の維持が困難になる。
(ウ)債務者利得
債務者利得とは,借入時における資金の購売力と元本の返済時における購売力に差があることから発生する。この差額に相当する購売力が債務者の利得となる。
次に,これら3要素と企業利益との関係を整理すると,まず償却不足は,全額が表面利益を増加させる要因となる。
在庫評価益は,現実に在庫の払出しが行われる時点で初めて利益として実現されるものであつて,それまでは未実現利益としていわゆる「含み資産」の一部を形成する。ただ,在庫の平均的な回転期間からみて,半年期単位でみれば,一般にはおおむね当期中(一部は翌期中)に払い出されるものとみてよいと思われる。そうであるとすれば,在庫評価益は大部分が当期の表面利益の増加要因となる。
債務者利得は,借入金により取得された資産(在庫を除く)が実際に売却され実現利益となる場合を除いて,その他は表面利益の計算中には明示的には入つてこない(企業の含み資産となる)。なお,実現利益となる場合も,主として特別利益として計上され,当期の期間損益を示す経常利益には含まれない場合が多い。
債務者利得は,それに相当する額だけ借入金の実質金利を軽減し,これがなかつたであれば行なわれなかつたような限界投資効率の低い投資を実行させることになつて,高度成長期における投資増加の一つの要因となつたとみられるとともに現在における企業の収益悪化を招く遠因ともなつた。一例として,わが国の法人企業は48年1年間に9兆8千億円にものぼる膨大な土地を購入した(国土庁試算)。このうち販売用不動産についてみると,わが国主要企業の1/3が保有する販売商品としての土地の半分以上は「過剰在庫」であると判断されている( 第4-10表 )。これらの土地の多くは,その多くが将来の地価の上昇を見込んで,借金によつて購入されたものであつたが,49年後半からの地価値下りにより処分することが困難となり,保有企業の収益を圧迫している。
いま,日本銀行調べ「主要企業経営分析」を利用して,これらの3要素がどれほどの額に達するかの試算を行ない,それによつて企業収益にどのような歪みが発生しているかみることとしよう(推計方法は巻末付注参照のこと)。 第4-11図, 12図, 13図, 14図 の各図にみるように,これら3つの要素はいずれもインフレの高進が始まつた47年度下期以降急増をみている。
まず在庫評価益( 第4-11図 )については,44年度にやや大きな額が発生したものの,47年度上期まではさほどの額ではなく,また価格上昇率の鈍化した49年度下期及び50年度上期はほとんど取るに足りない額であつた。しかし,50年度下期には多少ながら増加している。これに対して47年度下期から48年度下期までの期間は企業が意識的に製品及び原材料在庫の積増しを行ない巨額の評価益を稼いだ( 第4-12図 )。特に後者については,1960年代を通じて国際的に低落傾向にあつた一次産品価格が1972年を境に上昇に転じたのに対応して,わが国企業が従来の在庫行動を転換し,原材料在庫率を上昇させる政策をとつたことが,結果的に巨額の利益を生むことになつた。なお,仕掛品在庫については,意図的に積増しを行なつたり,取崩したりという性格のものではないが,製造期間中における原材料価格,製品価格の値上がりによつて評価益が発生した。
償却不足( 第4-13図 )に関連して,留意すべきは借入金で取得した企業設備(土地を除く有形固定資産額)についての償却不足をどう考えるかという問題である。ここで償却不足とは,インフレーションのため帳簿価格を基礎とした現行方式による償却額だけでは設備の除却時において旧設備と同等の生産能力を有する資産で取替え更新を行なうのに必要な額(=再投資コスト)の償却費を積立てることができないということを指している。この章では,国民経済計算的視点に立つて企業利益を分析しようとするものであり,再投資コストによる償却引当額を基準に考えている。この意味では償却不足は,資金調達方法の如何(自己資金か他人資本か)とは無関係の概念である。しかし,減価償却を投下資金の回収手段という観点からみれば,当該企業の立場に立つ限り,借入金によつて取得した資産の償却計算は帳簿価格を基礎とする償却額で充分である。なぜなら,100万円を借りて購入した機械は100万円を減価償却費として回収しさえすれば債務を完成することができるからである。
なお,40年代前半の好況期においては償却超過が発生していたが,これは投資財の価格が安定していたことに加えて, 第4-13図 下方にみるように租税特別措置による特別償却や法定償却以上のいわゆる有税償却の形で手厚い償却が行われていた結果である。しかし,最近は,過去2年に及ぶ設備投資の停滞などから特別措置の適用設備の割合が少なくなつているばかりでなく,利益率の低下によつて有税償却を計上する余裕もなくなつている。
債務者利得は,地価,投資財価格の急騰をみた47年度後半から急増し,実質金利負担はマイナスになつている( 第4-15表 )。なお,45年度以降主要企業(製造業)において,資本集約度(従業員1人当たり資本ストック)が急速に高まり,労働から資本への代替が進んでいるが,これは賃上げ率が大幅になつたのに対し,借入金に対する実質金利が極めて低いか時にはマイナスにさえなつた結果,労働力を資本設備で置き換えることが企業にとり有利となつたからであると考えられる。
企業が実際に計上した利益は,インフレに起因する在庫評価益及び当期中に実現した債務者利得を含むものであり,加えて償却不足の結果発生した利益の増加分を含んでいる。しかし,これらのうち在庫評価益及び債務者利得はいずれも,国民経済計算的視点からは,当期の生産活動の結果産み出された純生産物の一部ではなく,移転所得にほかならない。また償却不足があると経費が過少に評価されることになり,当期の利益(売上高マイナス経費)を過大に表示する結果となる。
そこで企業利益をインフレによる移転利益と企業部門がその正常な生産活動から産み出した部分とに分離するため,国民経済計算的視点に立つて計算された法人利益( 注 )(これを以下「実質利益」と呼ぶ。)をみると, 第4-16図 のとおりである。実質利益の具体的な計算は,企業が実際に計上した表面利益から在庫評価益,債務者利得(ただし,実現分)及び償却不足額を控除して行なう。ただし,このうち当期の実現利益となつた債務者利得も,企業経理の上では,当期の期間損益を表示する経常利益ではなく,特別損益に計上されているとみられるので,実質利益の推計に当つてはこれを除外して考える。このような手続きに従つて試算した実質利益は,46年下期までは表面利益とほぼ並行して増減し,両者の間に乖離はほとんどみられなかつたが,その後両者は開きを大きくし,インフレーションによる見かけ上の繁栄とは逆に企業体質悪化症状がこの頃からわが国企業をむしばみ始めたということが知られるのである。特に物価狂乱期に両者の乖離が著しい。ただ本試算においては,投機熱とそれに続く物不足の恐怖にかられて,手当り次第買い漁つた原材料在庫や売残り製品在庫,仕掛品在庫に係る評価益のすべてを当期の実現利益とみなしている点で(事実は,当時の過大な在庫蓄積がその後長らく在庫投資の盛上りの足を引張つているのであるが),実質利益がやや過小に算定されているとみられる点を考慮する必要がある。それにしても,過去最高の利益率を誘つた48年度下期の利益額の大部分がインフレーションによつて水増しされたものであつたことが明らかにされている。しかし,その後は表面利益の落ち込みとは対照的に実質利益は水準がなお低いものの回復にむかつている点が注目される。
最後に,インフレが企業経営に与えた影響を 第4-17図 によつて総括的に整理してみよう。
まず,企業収益については第1にインフレ利得の発生があげられる( 第4-17図,(I) )。これは債務者利得及び在庫評価益の合計であり,47~48年における激しいインフレーションのもとで巨額の利得が発生した。第2は,表面利益の増加である( 第4-17図,(II) )。これは償却不足に基づく経費の過小計上と在庫評価益によるものであり,企業の表面利益を過大なものとしている。
しかし,国民経済計算(前掲 脚注 参照)的視点にもとづいて計算した場合の企業利益は,インフレ期にはむしろ減少した( 第4-17図,(III) )。
前節でみたように,自己資本比率が低下する過程で企業の収益性(自己資本純益率でみた)は傾向的に高まつた。利潤追求を本質とする企業において収益性が高まつたのであるから,私経済的観点からは企業の体質が悪化したとはいえない。ただ,問題は収益の内容であつて,この点を国民経済計算的視点から分析すれば,40年代前半においては企業の表面利益の増加が実質的な収益力の増大に見合つていたが,後半,特に47年度以降のインフレ期においては両者は乖離し,企業部門の実質的な収益力が低下したということが明らかにされるのであつて,ここに企業体質の悪化の真の姿をみるべきであろう。
以上みたようにインフレーションの進行は,企業経営の真の実態を覆いかくしてしまう。表面利潤は急増し,その結果,配当,交際費支出(不況下の49年度においてさえ,1兆9,000億円に達した)等,それに加えて,表面利益の増加が見かけ上の賃金支払い能力を増大せしめることにより賃上げ率が高くなる(第3章参照)等によつて社外流出が過大になるので,企業の実質的な自己蓄積力は低下し,その結果企業体質の脆弱性を強めた。
また,表面金利の高水準にかかわらず,実質金利負担が低水準,時にはマイナスにさえなるため,土地等に対する効率の悪い過大な投資が行なわれて資源配分を歪め,経済の効率性を害することも多かつた。これを銀行の立場からみても,インフレーションが進行する限り,非効率経営であつても返済能力が保証されるということから,安易に貸し応ずるということがなかつたとはいえない。
しかし,インフレーションが収束に向うと,以上が,見せかけの繁栄にしかすぎなかつたことが,人々の目に次第に明らかとなつてくる。人々は名目値ではなく,実質値に目を向けはじめるようになつた。いまや「貨幣錯覚」は急速に打破されつつあり,インフレーションがもたらした企業財務の歪みを是正する方策を探究すべき時期にきている。