昭和50年

年次経済報告

新しい安定軌道をめざして

昭和50年8月8日

経済企画庁


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第II部 新しい安定経済への道

第2章 新しい安定経済への道

(3) 福祉充実と社会の対応

a. 社会保障の充実

(個人貯蓄と社会保障)

それでは,わが国としては,福祉をどのように充実すべきだろうか。国際的にみると,福祉を充実させている西欧諸国では,個人税や社会保険の所得に対する負担率が高く貯蓄率は低い国が多いが,わが国はその反対になつている( 第108図 )。このことは,わが国において,福祉の充実等のため,今後,さらに費用負担を増加しうる余力があることを示している。

わが国の現在の社会保障費の特徴をみよう。第1は社会保障給付額に占める医療費の割合が大きく,他方年金の割合が国際的に小さいのが目立つていることである。第2は,被保険者・使用者・公共の三者負担型をとつていることである。イギリス・北欧の租税負担型,西欧大陸諸国の社会保険使用者負担型と異なつた負担のパターンをわが国はとつている( 第109図 )。第3は,個人税や社会保険の負担率が低いことである。イギリス・北欧では個人税負担率が高く西欧大陸諸国では社会保険負担率が高いが,わが国ではいずれの負担率も低い( 同前図 )。

社会的ニーズのライフサイクルと稼得所得のライフサイクルのギャップを埋めるのが社会保障の大きな役割であるとすれば,その負担率が国際的に見ても低い現状にかんがみ,今後の安定成長の下では社会保障の充実に見合つて,負担の増加をはかつていかなければならない。

(人口の老令化と今後の社会保障)

わが国の社会保障が,こうした面で立ち遅れていたことには,それなりの理由があつた。第1は,家族制度による私的扶養が大きかつたことである。しかし,戦後の急速な核家族化の進行のなかで,こうした私的扶養から社会的扶養ヘと社会情勢が変わりつつある。例えば,厚生省「厚生行政基礎調査」によれば,48年には核家族世帯は全世帯の57.5%占め,過半数をこえている。第2は,人口構成が若いことが,年金の割合が小さいひとつの理由であるが,今後はわが国においても老令化が急速に進むと予想され,例えば,65才以上の高令人口についてみると,現在の13百万人台から20年後には23百万人台へと倍増するものとみられる。国際的にみても,世帯単位が核家族化している国ほど,国民所得に対する社会保障費の割合が大きい。予想される人口の老令化や核家族化の進行を考えると,今後社会保障の給付費の増加はわが国にとつて避けられないといえよう。

「老後」の不安にこたえる社会保障がいかに重要であるかを,各種調査に現れた老人の姿を通して見てみよう。

まず,世帯類型別に所得階層別構成比を「48年国民生活実態調査報告」でみると,第I4分位に属する世帯の割合は,一般世帯が21.5%であるのに対し,高令者世帯は79.6%ときわだつた高率を示しており,さらに,生活保護をうけている世帯についても,一般世帯は全体の0.9%に過ぎないのに対し,高令者世帯は11.0%にも達している。また,一般世帯と高令者世帯の傷病状況を「48年度厚生行政基礎調査」でみると,前者が42.1%であるのに対し,後者は53.6%とかなり高くなつており,しかも,それらのなかで現金実支出が5万円未満の比較的低所得層の占める割合は,各々22.5%,73.0%と明確な対照を示している。

ここに,所得の稼得能力を失い,核家族化社会のなかで,貧困と病気に悩む老人の姿がある。このような貧困な老人層に対しては,生活保護や社会福祉施策による対応がなされている。もつとも,老人世帯のなかには,持家や金融資産があつて,悠々自適に暮している人もいるわけだから,すべて老人世帯が貧窮していると考えるのは現実的でない。その意味で生活保護制度等の重要性は失われるものではないが,同時に,より一般的な年金制度が,社会事情や人口構成が大きく変化していくなかで,老人の社会的扶養を充実させるものであることはいうまでもない。

第110図 厚生年金,国民年金の従前所得との比較及び保険料総額と年間収入との比較

(「老後」と年金制度)

わが国の年金制度は,厚生年金保険,国民年金,船員保険及び5つの共済組合で構成される国民皆年金制度となつているが,そのなかでも国民年金及び厚生年金保険がその大宗をなしている。このような年金制度によつて「老後」がどのように保障されるかをみてみよう。

年金制度の第1の機能は危険負担機能であることはいうまでもないが,これに加えて年金制度には個々の必要性からさまざまな仕組みが工夫されているので,結果としてそこにはいくつかの再分配機能がある。具体的には所得階層間における再分配をはじめとして,被保険者期間の長短,受給開始年令,さらに遺族年金制度がある場合には配偶者の有無,等による再分配である( 第110図 )。

このような年金制度について,今日,緊要な検討課題として指摘されているのは,各種年金制度を通じて必ずしも斉合性ある年金権の確保がなされていない点である。例えば年金額算定方式の違い等によつて年金額の水準に差があること,受給開始年令が原則として共済組合の55才,厚生年金保険の60才,国民年金の65才とかなりの差があること,制度相互間の問題として老令年金には通算制度があるが,遺族年金・障害年金には通算制度が欠如していること,さらに被用者の妻の老後保障に関して体系化された取扱いがなされていないこと等の問題である。このような問題の解決を遅らせている根本的な原因は,わが国の年金制度が歴史的な背景をそれぞれ異にする各種の年金制度に分立しているところにあるが,今後は各種年金制度を通じて斉合性のとれた受給権を確保するため,共通の基盤の上で長期的視野にたつた検討を行なう必要があるものと思われる。

今後わが国が減速経済へ移行していくなかで福祉を高めるためには,このような観点からの効率的な制度設計を行ない,従来にも増して所得再分配機能を生かしつつ負担の公平とその水準を高めることが必要であろう。それなくしては「老後」の保障は確保できない。さらに年金問題をライフサイフルという面からとらえ,現在の青年も将来は老人であり,したがつて現在の老人の年金水準を高めるために,現在の青年が負担することは青年自身の利益につながつていることを再認識する必要がある。

年金制度の基盤は社会的な連帯感にあるのである。

第111図 医療需要と医療供給

(医療サービスの需給)

「老後」の所得保障が年金制度であるとすれば,年令が高まるにつれてもつとも必要となつてくる社会ニーズは医療であろう。近年のわが国の医療需給をみると,需要の伸びが医師数の伸びに比べ高かつたことがわかる( 第111図 )。このような需要の増大の要因を人口の増加,人口構成の老令化,受診率の上昇の3つの要因について分けて,国民健康保険の受診率等を用いて推計してみると,もつとも大きい要因は受診率の上昇であつた( 第112図 )ことがわかる。また,高令者の受診率が近年その医療費の無料化が進められた結果,さらに高まり,需要の価格効果を通じてこれまで潜在化していた需要を顕在化し,医療需要の増大に大きな影響を与えた。給付率の違いによる価格効果は,10割給付となつている組合管掌健康保険(本人),政府管掌健康保険(本人)の受診率が,7割給付の国民健康保険や5割給付(48年10月から7割)の政府管掌健康保険(家族)より高いことによつて認められる( 第113図 )。

近年における受診率の上昇は老人医療の無料化等の影響によるものと考えられるが,その結果として,医療需要が急速に顕在化し,真に医療を必要とする病人に対して医療供給体制が即応しきれないという問題も生じ易くなつている。このような状況に対処していくためにさらに大きな医療供給が求められてくることになれば,それは全体としての適正な資源配分の姿にも影響を及ぼしてくることが考えられる。そのような見地からも適切な医療制度のあり方について検討していく必要がある。

なお,医療の需給に関しては,辺地医療確保問題などの地域的な需給アンバランスの解消も含めて,今後国民がいつどこにおいても必要で十分な医療がうけられるよう,制度の改善やマンパワーの確保等をはかつていく必要がある。

わが国の経済社会は,ますます社会保障の必要性を強めつつあるが,高度経済成長軌道の修正過程のなかで,社会保障の充実をはかつていくことは決して容易ではない。それは,これまでの資源配分パターンを円滑に変えていくとともに,国民の負担増大に対するコンセンサスが得られるようにしていかなければならないからである。そのためには,価格機能を十分に活かすとともに,他方では再分配機能をより一層高めて「社会的公正」を実現していくことが必要である。さらに,社会保障の充実が単に経済面だけでなく,社会面にも関係していることに留意していかなけれげならない。例えば,核家族化に伴つて社会的扶養が増大する一方では三世代世帯における私的扶養が行なわれていること,あるいはまた家族から独立した老人世帯でかえつて,その生きがいが失われ易いといつた問題についての十分な配慮がなければ,真の福祉充実は望めないことを忘れてはならない。

b. 生活の質の向上

(都市化と福祉水準)

個人の高い貯蓄率の背景には,いまひとつ「住宅」があつた。しかしこれは,どこでも人の住む空間構造を建てればよいというものではない。福祉充実には,前述の社会保障による「社会的公正」と並んで,「生活の質」の向上という問題がある。「生活の質」は,人間疎外環境からの脱出や自然への回帰といつた人間的欲求の充足という内容を含んでいるからである。「住宅」は,したがつて人間の生活環境としてとらえるべきであり,その質が高いほど福祉は充実することができる。このような視点から「住宅」をみると,わが国の実情は急激な都市化の進行と深くかかわつていた。

都市化の進行は「生活の質」に次のような影響をもたらした。第1は所得の上昇である。人口増加都市の割合と非1次就業人口比率の関係をみると,都市へ向かつて人口が社会的に移動することによつて,雇用機会を高め,より高い所得を稼得してきたことがわかる( 第114図 )。しかし第2に,その他の福祉水準では,人口流入が大きくなるほど,その都市における福祉水準が低下した。いま,生活環境(住宅の質,居住環境,文化施設,体育施設),教育(学校の施設,教職員の数),健康(健康状態,環境,医療水準)について試みに各種の指標を総合して,昭和40年と48年を比較してみると,概して大都市を含む都道府県では減少しており,それ以外の都道府県では増加している( 第115-1図 )。それぞれの指標について,人口密度に対する順位相関係数をとつてみると,生活環境と教育では,人口密度が高い都道府県ほど関連指標が低くなる傾向にあり,また,48年にかけてその傾向が強まつている。一方,健康は,大都市の方が医療供給が大きいため有利となつているが,急激な都市化によつて,その有利性が縮小している。これ以外にも,居住地域がスプロールするなかで居住地と職場の通勤時間が長くなる。交通混雑や工場と居住地の接近などによる公害の拡大,郊外の宅地乱開発による緑被地の減少,ベッドタウン化による地域コミュニティの破壊など,さまざまな問題を考えれば,大都市における所得以外の福祉水準の低下はもつと大きくなるだろう。

なお,大都市において,特に将来重大になると思われるのは水問題である。建設省の「広域利水調査二次報告」の推計によると,例えば南関東における水不足量は昭和60年には20億立方m/年にのぼり,予測される供給量の半分近くにのぼる。これは水の需要が現在までと同様のテンポで増加すれば非常に深刻な水不足が起こることを示している。こうした事情もまた大都市の膨張を制約する条件として働くであろう。

都市化の進行の指標であつた人口の社会増は,東京を中心とする大都市圏においても,最近ほぼ止まつてしまつた( 第116図 )。これは,大都市圏への流入による所得の上昇を,大都市圏における上記の福祉水準の低下がこえ始めたことによるところが大きいと思われる。そして,大都市圏に住みついた人の家庭における自然増が大都市圏の人口増加の主体となつてきた。「生活の質」は,いま新しい問題を提起し始めている。ひとつは,大都市圏内の大きい自然的人口増に福祉水準がいかに対応できるかである。2つは,社会的人口増の中心となりつつある地方中都市において,福祉水準をいかに維持するかである。

第115-2図 所得の地域格差と人口増加率

所得の地域格差の縮小傾向が続くなかで,その人口移動要因としての影響力も弱まつてきており( 第115-2図 ),福祉観の多様化が急速に進行していることを意味している。「生活の質」が提起している問題にこたえるためには,安定成長経済のなかにあつても,福祉への資源配分を着実に増加させていかなければならない。

c. 社会の対応

(高度工業社会の反省と福祉のあり方)

福祉という言葉に包まれる人々の欲求は多様である。それは経済的なものにとどまらない。最近ではむしろもつと広く人間形成を支える諸要素のバランスを求めているようである。前述の総理府「社会意識に関する世論調査」によれば,46~49年の間に,高度成長を「良い面が多かつた」と評価する人の比率は27%から18%へ減り,「悪い面が多かつた」と批判する人が評価する人を上回つた。また,「人間の生存のために地球上の生態系の維持が必要」とする人の比率は,22%から57%ヘ急増している。

こうして変化は,ひとつには,物質的な豊かさの向上に伴う効用のシフトという側面をもつている。「物質的には豊かになつた」と評価する人の比率は63.7%を占めており,それは地域,年令,性,職業の別なくほぼ60%をこえている。もつとも60才以上の高令者はまだ55.1%と若干低い。「老後」が経済的には解決されていないことを示しているが,全体としてみると,物質的豊かさを認める意識が全国的に行きわたつてきたとみられる。それとともに効用のシフトが起こつたといえよう。2つには,人間形成の場としての社会が経済のあり方と深くかかわつているという側面である。急激な都市化の進行が人口の社会的移動を促して,農村地域における過疎と都市における過密をもたらした。また,地域開発の進行は,対象となつた地域社会に急激な変化をもたらした。高度成長はまたわが国社会構造の急激な変貌の過程であつたといえる。それは,物質的な豊かさをつくり出した反面,社会における人間形成に種々の問題をもたらした。家族制度が崩壊して核家族化が進行するなかでエゴイズムや社会的無関心が拡がつていくと,さまざまな社会的問題を生じさせる。上記の効用のシフトとこうした社会的人間形成のゆがみが結びつくとき,例えば,観光公害が起こる。

わが国の福祉充実において,経済的に解決しなければならない問題が多いが,それが真の福祉水準の向上へ結びつくためには,社会における豊かな人間形成も伴わなければならないであろう。福祉は,それを支える社会的基盤がなければ,経済的基盤だけでは充実しないからである。むしろ,最近の福祉要請は,豊かな人間性をもつ社会を取戻そうとするところに,新しい動機がある。それには高度成長の下で忘れられている個人の社会性,つまり,社会人としての個人の立場が,あらゆる生活の場において改めて再発見されるべきであり,福祉の社会的基盤もそこからつくられる。だが,それはまた,人々の社会的価値観に依存する。「あれも,これも」ではなく,「あれか,これか」を人々がどのように選択するかが,これからの日本経済の方向を決めるといえよう。

(社会の主体的対応)

こうした意味で重要なことは,第1に企業の地域社会への貢献である。経済システムと社会システムは,次元は異なるが重なり合つている。企業は,高度工業社会で大きい影響力をもつている。地域開発に伴つて「企業城下町」できるといわれるゆえんである。企業の成長は,経済システムにおいて市場の硬直化をもたらすとともに,社会システムでも,土地,水,労働力,エネルギー,知識,資本の占有率を高め,あるいは公害を生ずることによつて社会構造を変えたり社会意識に影響を及ぼす。いま5千人以上の巨大企業の資源占有率をみると,労働力18.7%から淡水使用量50.8%に至るまで,大きい比率を示し,また増加傾向を示している( 第117図 )。経済システムの硬直化に対応する手段は独禁法など競争政策の活用であるが,社会システムにおける影響力については,種々の社会的規制で対応することができるにしても,企業と地域住民の協調を通じて社会そのものが活き活きとしたものになるためには,企業が地域社会に及ぼす影響力が大きいことを自覚して,地域の一員としてその社会に積極的に貢献することを考えるべきであろう。これには,アメリカで問題になつている社会責任会計の具体化や厚生施設,社内報の地域住民への解放,地域優先雇用や社会福祉への寄付などを指摘することができよう。市場の競争が保たれ,地域住民や消費者の主体性が強まれば,そうした社会的責任が企業の存立と成長の基本的条件にもなつてくるだろう。

第2は労使関係の新しい発展である。西ドイツの経営参加方式は,減速経済のなかで労使紛争を避け,コスト・インフレを抑えて,政府の物価安定政策を容易にした。わが国も減速経済が円滑に進むためには,労使関係のあり方について広い視野から考えるとともに,日本的な経営参加方式の具体化も検討すべきであろう。

第3は消費者の主体性を確立することである。生産者に対する消費者の対等権を回復しようとする動きは,近年わが国でも急速に強まつている。消費者団体等の苦情処理機関を通じてとらえられた消費者の苦情,相談件数は,45年度37,921件から48年度110,786件ヘ急増している。また,15都市の主婦3千人を対象とした調査では,約4割の人が,1年間に1度は商品,サービス,アフターサービスについて被害をうけたと指摘している。消費者の対等権の回復が十分に行なわれるためには,消費者の市場参加へと発展しなければならないであろう。それには,情報の公開,商品比較テスト,さらには危険負担ルールの買手から売手への転換など,被害の救済とその防止のための具体化を進めなければならない。

第4は地域コミューニティの発展である。人間の住む場所とそこに住む人間の自主的な連帯感がコミュニティであるとすれば,その発展は,ひとつには,前述した高度工業社会の反省から出発しなければならない。2つには,戦前の古い「家」や「町内会」などではなく,戦後の新しい「家庭」や自発的な各種のサークルのなかから生まれるであろう。3つには,人間性の回復における教育の役割の重視と教育の場の社会への拡がりが,伴わねばならないであろう。「住宅」や「老後」の問題は,こうした地域コミュニティの形成と関連して解決すべきであり,企業の地域社会における活動も,その形成に貢献することが望ましい。郊外の「ベッドタウン」,地域との交流のない老人ホーム,工場地帯の画一的な社宅街等では,コミュニティの成長について今後特に配慮がなされるべきであろう。

福祉経済は,経済と社会の対話がなければ実現できない。「社会的公正」や「生活の質」は,経済問題であると同時に,社会に基礎をおいているからである。また,福祉充実のための負担やコスト・インフレの阻止や雇用の安定をはかろうとする労使協調もまた社会に根ざしているといえよう。