昭和50年
年次経済報告
新しい安定軌道をめざして
昭和50年8月8日
経済企画庁
第II部 新しい安定経済への道
第2章 新しい安定経済への道
転換期における日本経済の出発点は,高貯蓄の活用である。
戦後わが国の高度成長は,高貯蓄に見合つた高投資と高い投資効率の相乗効果によるものであつた。国内総貯蓄のGNPに対する比率は40%に近く,欧米主要国のなかでは高い西ドイツ,フランスよりもはるかに高率であつた( 第96表 )。
こうしたわが国の高貯蓄の主因は,個人の貯蓄性向が高いうえに,高成長・高貯蓄という循環が生まれたことにあつた。つまり,高度成長によつて個人所得の伸びが高まつて貯蓄性向がさらに上昇し,また,労働分配率が安定するなかで法人純貯蓄が増加し,租税の自然増収もふえて政府純貯蓄が増加して総貯蓄の伸びが高まつた。高貯蓄に見合う日本の高投資の中心は企業設備であり,それは欧米主要国に比べて著しく高率であつた( 第97表 )。そのうえ,一単位の投資がつくり出すGNPの増加(産出高比率)も国際的にみて大きかつた。高投資に高い投資効率が掛け合わされたから,欧米主要国のほぼ2倍に及ぶ高度成長が実現した( 第98表 )。しかし近年になると,公害防止投資や生活環境改善の公共投資がふえて,これまで低かつた限界資本係数が上昇し,欧米水準に接近し始めている。それは,わが国の経済成長率を減速させるとともに,他方では高い個人貯蓄を背景に投資配分を福祉型ヘ変えつつある。
それは,減速経済下における日本経済の新しい対応の姿を示しているともいえるが,同時に,それは,何のために経済成長をするのか,ということを国民が改めて考え直しつつある証左でもあろう。昨年末,総理府が行なつた「社会意識に関する世論調査」からみると,国民は,日本経済は豊かになつたが福祉社会は遅れているという現状認識をもち,将来はむしろ福祉社会の建設の方が重要と考えているようである( 第99図 )。また,最近における成長条件の変化も強く意識しており,資源,食糧の不足についての不安度が高い。日本人の勤勉さやすでに築いた高い国際的地位を背景に,激動する世界経済のなかで福祉社会の建設を期待しているようである。経済成長は元来,福祉社会建設の手段であつて,目的ではない。戦後の高度成長も,出発点においては,資源に乏しく,人口が大きいわが国が物質的な豊かさを手に入れるための手段であつたが,それがあまりにも成功し過ぎたために,いつしか成長の目的を軽視したきらいがある。日本国民は,成長条件が変貌するなかで,改めて原点に戻つて経済の新しいあり方を模索し始めているといえよう。
個人の高い貯蓄性向は,最近のインフレーションの下でむしろさらに高まつた感さえある。もつとも物価安定とともにこうした現象は変化するであろうが,それを福祉社会向上のために活用することが,これからの日本経済の課題である。それにはまず,個人の高い貯蓄性向の実態を明らかにしておく必要があろう。
わが国の個人貯蓄率を家計調査(黒字率)でみると昭和49年度には24%にも達した。また,国際比較してみても20%台の高率であり,イギリスの6%,アメリカの7%はもちろん,西ドイツの15%やイタリアの17%よりわが国はさらに高い( 第100表 )。これは,限界貯蓄率が高く変動係数が小さい,ということと関係がある。まず,限界貯蓄率がなぜ高いかを考えてみよう。一般に,所得の伸びより消費は遅れる傾向にあるから,高度成長下で所得増が大きかつたわが国は,それだけ貯蓄へ回す割合も大きかつたといえよう。しかしそれだけでなく,わが国には,ボーナスなど臨時収入の割合が大きいという,所得形態の特殊性がある。いま,職業別に定期収入と臨時収入の貯蓄割合を比べると,定期収入では20%未満だが,臨時収入では30~40%に達している( 第101表 )。特に管理職,事務職,労務職といつた雇用者にこの傾向が強く,またそれは,40年代を通じて上昇を示している。臨時収入の平均貯蓄率をみると,昭和40年の23%から48年には36%へ高まつており,この間の定期収入をあわせた総貯蓄率の上昇分6.1%のうち4.7%が,こうした臨時収入による貯蓄増で占められている。
次に変動係数が小さい理由を考えてみよう。不況期で所得が鈍化しても,消費態度には好況期の惰性が働き易いから,不況期には貯蓄が減るというのが欧米諸国のパターンで,アメリカ,イギリス,西ドイツなどの変動係数がきわめて大きいのはその現れであつた。もつとも欧米諸国でも最近はインフレ下で貯蓄態度が強まるという現象が生じている。これに対してわが国の変動係数が対照的に小さいのは,不況期で所得が鈍つても貯蓄態度は変わらない,つまり消費態度の方が変化するという傾向があることを物語つている。
「貯蓄に関する世論調査」でその目的をみると,第1が「病気や不時の災害の備えとして」(81.5%),第2が「子供の教育費や結婚資金に充てるため」(54.4%),第3が「老後の生活のため」(37.3%),第4が「土地,家屋の買入れ等」(32.3%),などの予備的動機で占められ,貯蓄性向の強い理由を示している。このうち,第1の目的はあらゆる世帯に共通してもつとも大きいが,第2,3の目的は年令階層によつて,また第4の目的は所得階層によつて,重要度に差異が生ずる。
わが国における貯蓄ストック(年々のフローとしての貯蓄の残高水準)とその目標額を対比してみると,昭和46年頃から目標額が相対的に高まつており,低所得層ほどこの傾向が強い( 第102表 )。これは,インフレーションに伴う貯蓄の実質価値の減少を補てんする動きを示すものと思われる。さらに低所得層ほど持家資産保有率が低く,住宅購入の潜在的意欲が強いこととも関係があろう。持家資産保有世帯比率は,第5分位階層(勤労者世帯)では45年の69.7%から48年の73.9%ヘ上昇したが,第1分位階層では39.6%から40.9%へとほとんど変わつていない( 第103表 )。「貯蓄に関する世論調査」で自家取得計画の程度をみると,「5年以内」といつた具体性のあるのは高所得層(年間所得500万円以上層)で42%,低所得層(同160~200万円層)では9.9%であり,自家取得意欲は低所得層ほど「いつになるかはつきりしない」といつた潜在性の段階にとどまつている(低所得層の64.5%)。
46~49年間に保有世帯当たりの持家資産額は約2倍に高まつており,所要の住宅購入資金が大きくなつたから,家を持たない低所得層にとつて「住宅」は一層手が届かないものとなりつつあるが,それはむしろ貯蓄性向を強める方向に作用しているようである。いま,住宅保有関係の相違によつて,世帯別の純貯蓄率(フローとしての貯蓄を所得と対比)がどのように変化したかをみると,38~48年間にもつとも大きい上昇を示したのは借間世帯であり,次いで民営借家であつた( 第104図 )。また持家資産保有世帯比率を世帯主の年令別にみると,若年層ほど低く,年令が高まるにつれて上昇している( 第105図 )。勤労者世帯の場合,平均値をこえるのは40才台からであり,年功賃金制による所得の上昇とあいまつて定年までの間に持家世帯となる場合が多いことを示している。
住宅と並んで,貯蓄目標額を引上げているとみられるのは,「老後」に備える貯蓄である。貯蓄率を年令階層別に国際比較すると,欧米でも年令が高まるにつれて上昇はするが,西ドイツでは45~54才,アメリカでは55~64才で頭打ちする。ところが日本は,上昇傾向が高令者になるまで持続し,その水準は著しく高くなる( 第106表 )。この理由は,日本では定年までは年功賃金制度のため大企業につとめる人は年令が高くなるほど所得も高まり,また退職金制度があるため定年後の貯蓄が高まるなどの事情があるほか,欧米諸国ほど消費者金融が発達していないこともあるが,社会保障,年金制度が未成熟であるなどの影響も否めない。65才以上世帯層の生計費に対する収入の内訳をみると,わが国は圧倒的に賃金収入に頼つているが西ドイツでは約80%,イギリスも65%が社会保障と年金に依存していることからも,そうした事情がうかがえる( 第107表 )。
わが国にとつて,租税や社会保険の負担を高めて福祉充実をはかることや,高い貯蓄率をいかに活用していくかが,今後の安定成長経済の下では大きい課題となつてこよう。この場合戦後の投資配分パターンで高投資を考えるのでなく,国民の切実なニーズに直接こたえられるように,新しい配分パターンによる投資を考えていかねばならない。