昭和48年
年次経済報告
インフレなき福祉をめざして
昭和48年8月10日
経済企画庁
第3章 物価の高騰とその背景
物価上昇はつねに相対価格の変動を伴い,所得分配に影響するものである。とくに今回の物価上昇の特徴のひとつである資産価格の急上昇は,資産のある者と,ない者との間の富・所得の不均衡をいつそう拡大し,いわゆるインフレ・ヘッジのできる者とできない者との間で,資産価値の維持についての不平等を増大させることになつた。消費者物価急騰による日常生活の圧迫,資産・所得の配分についての不満の強まりは,国民のあいだに焦燥感と不安感を強めることになつた。こうしたなかで,企業,消費者が換物的行動にはしるならば,市場機構の機能は停止し,正常な経済活動,公正な所得分配の基盤が崩壊する危険が強まつてくる。
物価,資産価格の上昇は経済社会の各部門に大きな歪みをひきおこすが,社会資本,社会保障の充実など福祉政策に及ぼす影響については第4章にゆずることとし,ここでは所得分配と企業活動に与える問題点を考察したい。
最近の資産価格の急上昇は,資産保有者に巨額のキャピタルゲインをもたらし,資産を持たない人々との間の所得格差を拡大している。とくに資産を譲渡した際に生じる所得は,いわゆる「実現されたキャピタルゲイン」であるだけに,国民の間に所得の不平等を強く意識させることになつた。
第3-35図 は国税庁の統計によつて,1人当たりの給与所得と譲渡所得を比較したものである。給与所得は年々の労働に対する報酬であるのに対し,譲渡所得は資産保有期間を通じる資産価格の上昇によつて生じるものである。その意味では,所得発生の期間が異なるものを直接比較することには無理があるともいえるが,資産価格が上昇するなかで譲渡所得と給与所得との格差が拡大し,それが資産を持たない人々の不満を高めていることも否定できない。
資産を譲渡した際に申告される所得は,43年まで給与所得と大差ない速度で漸増傾向を続けていたが,44年からは急増をみせている。これには,地価上昇率の傾向的な高まりのほか,44年度から土地を譲渡した場合の長期譲渡所得に対し,分離課税が適用されていることから面積ではかつた土地の売却単位が大きくなつたことが影響している。この税制は,土地の供給を増加させるという所期の目的を果たすのに有効であつたが,同時に土地保有によるキャピタルゲインがいかに大きいかを明らかにすることにもなつた。
現在まで,47年度中の地価上昇が譲渡所得をどれほど増加させたかについての資料は得られないが,土地取引きが盛んに行なわれるなかで譲渡所得と給与所得との格差はさらに拡大したものと推定される。
譲渡所得は実際に土地等を売却した段階で申告されるものであるから,土地を保有している人が地価上昇によつて享受できる資産価値の増大を考慮に入れれば,所得と富の分配はいつそう不平等になつているはずである。つぎに富の分配について検討しよう。
47年度は資産価格の高騰が目立つたが,とくに国民生活に関連の深い土地の価格が暴騰したことは,土地を持つている人と持つていない人の間の不平等を増幅させた( 第3-36図 )。
資産価格が他の物価や賃金を上回る上昇を続けていることは,つぎのように資産をもたない人々の新たな保有をいつそう困難にしている。
第1に,資産価格の上昇が資産取引額の最小単位を年々拡大しており,平均世帯での資産の購入が困難になつていることである。 第3-37図 にみるように,平均世帯の貯蓄のうち不時の支出や将来の支払いに備えるため預貯金等の確定利付流動資産として保有しなければならない部分は約4割である。したがつて47年の1世帯あたり平均貯蓄額215万円のうち,株式や土地の取得に振向けうるのは,137万円程度と考えられる。この中・長期に運用可能な貯蓄は所得の増加に伴い着実に伸びているが,土地については取引最小単位の増大に追いついていない。とくに47年には平均世帯が東京や大阪の通勤圏で土地を取得するには,取崩し可能な貯蓄額の5倍から9.5倍の借入れを行なわなければならなくなつている。このような借入れは返済と利子支払いの能力からみてほとんど不可能といえるであろう。
第2に,地価上昇は借家,借間に住む人々の持家取得を著しく困難にしていることである。近年借間に住む世帯の構成は低くなつているが,借家に住む世帯の比率は高まつており,46年には「家計調査」対象世帯のうち約35%が借家・借間に住んでいる。年令構成の相違を調整したうえで住宅保有状況別の所得と支出の格差をみると( 第3-38図 ),民営借家,借間世帯の収入は給与住宅や持家の世帯に比べて低く,最近その格差がやや広がつている。しかも地価上昇に伴う家賃・地代の上昇があるため,これら世帯の消費性向は給与住宅や持家に住む世帯よりも高く,それだけ貯蓄がしにくい状況にある。 第3-39図 は実収入から実支出を差引いた黒字額を,持家世帯を100とした指数でみたものである。30年代の終り頃には借家世帯の黒字は持家世帯とほとんど同じ水準であつたが,46年には80前後にまで低下している。地価上昇は,土地や住宅の取得価格をつり上げているだけでなく,購入資金の蓄積をも妨たげているのである。
第3に,地価上昇は,土地保有者の借入れ可能性を高め,土地を持つている人と持たない人との間で新規土地取得の機会を不平等にすることである。
土地の保有者は地価上昇によつてその担保価値を年々高めているから,金融機関借入れを行なつて新たな土地を取得するのも容易となる。これに対し,土地を持たない人が借入れによつて土地を取得しようとする場合は,現在の所得水準によつてほぼ決定される借入可能額によつて,大きく制約を受けることになる。住宅金融公庫の利用者調査をみると( 第3-40表 ),近年利用がとくに増えているのは持家や社宅・官舎に住んでいる世帯であり,民間借家等に住んでいる世帯の利用は相対的に減つている。
以上のように,持続的な地価上昇のもとでは,できるだけ早めに土地を取得することが有利と考えられ,それがまた地価を吊り上げるという悪循環が生じている。土地は単なる価値の貯蔵手段ではない国民生活の場を提供するものである。それだけに土地を持たない人々の取得機会が地価上昇によつて少なくなることは大きな社会問題といえる。
47年の資金循環表によれば( 第3-41表 ),主として土地の移動を示す調整項目の動きからみて法人の土地取得が大幅であるのに対し,個人は総体として売り越しになつている。たとえば全国農業会議所等の資料によると,最近農外資本によつて購入された農地や山林の面積はかなり大きなものとなつており( 第3-42表 ),それらの多くは当面の利用計画なしに投資されているとみられる。しかも農地については農地法による転用許可をえる前に契約を締結して仮登記と代金の一部の授受が行なわれている場合がみられる。
投機的な法人の土地投資は地価をいつそう押上げて庶民の土地取得を困難にしているだけでなく,住宅や公共投資などの切実な土地需要があるにもかかわらず,広大な未利用地を残すという不合理な状態を作り出している。
しかも,主要大企業が保有する土地の簿価は時価よりはるかに低く,その乖離であらわされる含み益は年々拡大している( 第3-43図 )。そのうえ,土地取得を全額借入れでまかなう場合でも金利負担を常に上回る含み益が発生している。
借入能力が高く,有利な投資物件に関する情報収集能力が高い法人は,個人に比べ資産取得が格段に有利であることは歪めない。土地のように国民生活に密着した資産の配分については,単純に市場のメカニズムにまかせておいたのでは,住宅や生活関連施設の拡充が進みにくい段階にきているといえよう。
47年度には,法人と個人の間で金融資産の分布も変化した。企業金融の緩和は,企業の関連会社に対する投融資や株式など有価証券投資を増大させた。売上高純利益率が低下するなかで,有価証券の売却益は46~47年度に急増している( 第3-44図 )。
当庁アンケー卜調査によつても,47年中に株式投資を実施した企業は全体の74.5%に達しており,短期運用として行なつた企業も30%にも達している。48年中についても若干比率は低下するものの47年とほぼ同様の傾向が見込まれている。こうした傾向は大手総合商社についてみるとさらに明瞭となつている( 第3-45図 )。
46年における輸出前受金を中心とした大幅現預金増や借入金の増加を背景に,商社は資産投資活動を活発化させた。
また,法人と個人の資産分布については,債務者利潤と債権者損失の発生が問題になる。個人部門は全体としてみるかぎり恒常的な資金余剰部門であり,その保有する金融資産のほとんどが確定利付債である。これらの元本価値は物価上昇によつて年々減価する( 第3-46図 )。恒常的な資金不足部門である法人企業は借入れの返済負担が物価上昇によつて軽減される。
消費者物価が高騰する一方,卸売物価が安定していたときには,個人の債権者損失が企業の債務者利潤に見合つていたか否かの判定は難しい。しかし47年度後半のように両物価がともに上昇するもとでは,債権者損失と債務者利潤がともに巨額に達したことは明らかである。このような状態が続けば,消費や住宅投資に回るべき資源が企業投資に振向けられることにもなろう。
47年度後半からの物価上昇は企業に大幅な収益増加をもたらした。第1章でみたように,47年度下半期には国民所得統計の法人所得は著増したが,前年同期比の増益額のうち売上げ数量の増加による部分は4割弱にすぎず,6割強は価格上昇によつてもたらされたとの試算がえられる。
一般的に「インフレは企業に有利」といわれている。これは借入れにともなう債務者利潤の発生や景気上昇初期の段階における価格効果が大きく現われるからである。毎期の決算利益についてみると,製品価格だけが上昇してコストが上らないのであればともかく,これまでの経験では必ずしもつねにそうなるとはかぎらず,物価騰貴によつて企業収益が増加するとはいちがいにいいきれない。
第3-47図 は製品価格,原材料価格,賃金の変動と企業の利益率との関係をみたものである。企業部門全体でみるかぎり,製品価格の上昇によつて増加するはずの粗付加価値は,その多くの部分が原材料価格や人件費等の上昇によつて相殺され,利益率の上昇に結びつかない場合が少なくない。製品価格は大幅に変動しながらも40年代に入つてからはそれまでに比べ好況期の上昇が大きく,不況期の下落が小さくなつている。しかし一方で人件費比率が上昇基調にあるため,売上高純利益率はかならずしも上昇していない。
いうまでもなく物価上昇の企業収益に与える影響は業種によつて異なる。 第3-48図 は織物と電気機械について投入価格と産出価格をみたものである。両製品とも産出価格の変動は投入価格の変化に遅れ,またその幅も著しく小さい。紡績や鉄鋼メーカーが産出価格上昇の恩恵を受ける局面でも,加工段階の織物や電気機械メーカーではむしろ投入コスト上昇の圧力が働くことになるのである。
もつともこれまでは,紡績や鉄鋼のような市況産業は産出価格が大幅に変動しており,価格低下の局面では,自らの収益悪化の反面,織物や電気機械メーカーの投入コストを低めていた。したがつて物価が需給等に敏感に反応して動いている間は,物価上昇によつて業種別の収益格差が生じても物価下落の局面で逆の格差が生じることによつて相殺される傾向にあつたといえる。
ところが,製品市場や労働市場での硬直化要因が強まつている局面では,市況産業の価格が大幅に低下する可能性は少なくなる。このため中小企業などでは原材料コストや人件費の高騰が経営上の隘路になりつつある。
高い物価上昇が続き,インフレ心理が強まるなかでは企業経営にもゆがみが生じることが懸念される。 たとえば,投機など物価上昇に伴う利潤の増大は,技術革新を中心に生産性の向上によつて収益を高めようとする企業の意欲を減退させ,いたずらに投機やインフレ・ヘッジに走らせるなどわが国経済の活力を弱める可能性があることである。 また,資産価格の上昇は土地を担保とする企業の借入能力を高めているが,資産の転売が困難になつたり,土地政策の発動の効果などによつて地価が下落する場合には,借入れの返済不能に陥いる危険をはらんでいることである。
地価上昇は農業経営の近代化を妨げる要因ともなつている。
第3-49図
は農産物価格,農家の購入品価格および農地価格のそれぞれについて年度ごとの推移をみたものである。農業生産や農家の生活に必要な資材の購入価格は,これまで消費者物価をやや下回る上昇率で推移してきた。一方農産物価格は資材購入価格を上回る上昇を続けているが,とくに30年代後半から42年度までの上昇が大きく,その後46年度までは生産者米価の抑制もあつて低めの上昇となつていた。この間,大都市周辺などでの農地価格の上昇は著しく,つねに農産物価格の上昇率を大幅に上回る騰勢を示している。 農業は製造業等に比べて生産性上昇率が低く,それを高めるための農業構造の改善には,長年月を要するため,短期的には,農産物価格が資材購入価格を上回つて上昇することは所得分配上やむをえない面をもつている。農業にとつてもつとも基本的な生産要素である農地の価格が農産物価格を上回る上昇を続けることは,必要な農業用地の確保や農業の生産性向上を妨げるものである。 かりに農地が他の用途に転用できないものとすれば,農地価格が農産物価格を常に上回つて上昇するという事態は起りえないはずである。現実にそうした事態が生じているのはまさに農地に対する転用需要が増加しているためである。 全国の農地価格とその転用価格について,大都市からの距離に応じて分類した3つの地域での動向をみたのが
第3-50図
である。束京,名古屋,大阪を中心とした三大都市圏とその周辺では,39年頃から農地価格,転用価格とも上昇が激しく,そうした傾向はしだいに中間地帯や遠隔地帯にまで及んでいることがわかる。 30年代後半における市街地価格急騰が示すように,都市集中を伴つた経済成長の過程では,大都市周辺での工業用地や住宅用地などの需給がまずひつ迫した。それでも38年頃までは農地価格はほとんど上昇を示さなかつたが,その後農地に対する転用需要が急増し農地価格も高い上昇を示した。 転用需要の増加は当初大都市周辺が中心であつたが,43年頃からは中間地帯や遠隔地帯にも及び,これら地域での農地価格も高い上昇を示した。最近では大都市周辺や中間地帯での農地価格上昇率は年々20%以上にも達し,34年当時の農地面積に対する転用率も47年までの累計では大都市周辺で約21%,中間,遠隔地帯でも約12%に及んでいる(
第3-51図
)。
48年に入つて農産物・資材購入価格とも著しい上昇を示し,世界的な農産物市況高騰のなかで,あらためてわが国農業における食料の安定供給と生産性向上の必要性が認識された。機械化をはじめ,施肥,病害虫防除等に関する技術の改善によつて農業の生産性を引上げる余地はまだある。しかし,これまでの経験では資本装備率を高めても,小規模経営では機械の稼働率が低いため生産性上昇に限度がある。やはりわが国農業の生産性向上のためには,経営規模の拡大が基本になければならないであろう。ちなみに主要農産物について労働投入1時間当たり農業所得を規模別にみると(
第3-52図
),経営規模拡大が生産性上昇をもたらすことが明らかである。 農家の経営耕地規模は46年まで拡大の傾向にあつたがそのテンポは遅々たるものであり,47年には遠隔地帯を除けば経営耕地1ヘクタール以上の農家のシエアが低下を示した(
第3-53図
)。経営規模が過去に拡大傾向を示したといつても,自立経営農家(生活環境の類似した町村在住勤労者と均衡する農業所得をあげている農家)の全農家に占める割合は,農林省調べによれば42年の12.9%から46年には4.4%へと低下している。 このように農家の経営耕地規模が伸び悩んでいるのは農地価格が急上昇していることに深くかかわつている。 第1に,農地価格の上昇が資産としての農地保有を強めることである。前掲
第3-50図
にみるように,大都市近郊の畑地価格は10アールあたりで40年度の54万円から46年度には約6倍の305万円にまで高騰している。こうした地価の騰勢が続く限り,農地を早めに手放すことは不利であり,長く保有するほど売却益が多くなる。資産としての農地保有の強まりは最近になるほど目立つており,転用需要が高まるなかで転用化のテンポは伸び悩み,農地間の移動も停滞している(
第3-54表
)。こうしたなかでは当然農地の集中も進みにくく,経営規模の拡大は阻害されざるをえない。 第2に,農地を購入して経営規模を拡大させることが農業の採算に合わなくなつていることである。たとえば大都市周辺で農地10アールを購入して得られる平均的農業所得は,その購入代金相当額を1年もの定期頂金に運用した場合の利息収入をも下回ることになる(
第3-55図
)。農地価格が急上昇するもとでは,農地保有者に売却手控えの動きが生じるだけでなく,農地面積を拡大させる意欲をも失なわせることになるのである。 第3に,農地価格が上昇するなかで兼業化が進み,それが農地の集中的利用を妨げていることである。
第3-56図
のように,全国的に兼業化が進み,とくに農業より兼業を主体にする第2種兼業農家の比率が急上昇をみせている。さらに47年には大都市周辺での兼業農家のうち自家菜園的な非販売農家が全農家の24.2%にも達している。こうした兼業化の進展により,農家所得に占める農外所得の割合は大都市周辺や中間地帯では7~8割となつている。また北海道を除く都府県の小規模農家層(経営規模0.5ヘクタール未満)では,44年項から農外所得が農家の家計費を上回つており,こうしたところでは家計のうえで農業経営の重要性が薄れつつあるといえる(
第3-57図
)。都府県農家数の約4割を占めるこれら小規模農家は,農地を資産として保有しつづけることが可能であり,そうしたなかでは専業農家が他の農地を構入して経営規模を拡大することにも限度があろう。 このように,農地価格の上昇は農家経営の規模拡大を阻害し生産性向上を妨げている。こうしたなかで,大都市周辺や中間地帯の農家は,土地収益性の大きい中小家畜や施設野菜の作目割合を増やすなど,零細な農地面積での収入確保に努めている。それによつて農業全体の生産性がいくぶん高められることは事実だとしても,経営規模の拡大なしには限度があることも否めない。 農産物の安定供給と生産性向上を確保するためには,農業経営規模が拡大しなければならないが,その基本条件は農地価格が転用需要のたかまりと広域化によつて農業収益から乖離して広範囲に高騰する現状を改めることである。そのためには,全国的な視野にたつた土地利用計画のなかで農用地と非農用地の区別を明確にし,農地に対する転用需要の影響を最小限にとどめることが必要であろう。農地価格の形成が農業収益を基準に行なわれるようになれば,資産としての農地保有動機が弱まり,生産性の高い農家の経営規模拡大の意欲も強まろう。