昭和48年
年次経済報告
インフレなき福祉をめざして
昭和48年8月10日
経済企画庁
第2章 世界経済の動向と国際収支
世界的インフレーションの進行のなかで,1971年末の多国間通貨調整にもかかわらず,各国の国際収支の不均衡は必ずしも是正されなかつた。このことは,たびかさなる国際通貨不安をひきおこし,71年12月に成立したスミソニアン合意もわずか1年2ヵ月で崩壊をよぎなくされた。すでに72年6月には英ポンドが変動相場制へ移行してその一角が崩れていたが,73年1月下旬イタリアの二重相場制移行,スイスの変動相場制移行を契機に国際通貨情勢は波乱にまきこまれた。2月はじめには激烈な通貨投機が発生,西ドイツだけで,9日間に約60億ドルもの投機資金が流入した。このため,主要国は為替市場を閉鎖し,ドルの対SDR10%切下げ,日本,イタリアの変動相場制移行などの措置がとられた。しかし,3月1日再び激しい投機の波に襲われ,翌2日主要国の為替市場は再度閉鎖をよぎなくされた。その後,数回の国際会議を経て,EC内では,①EC6ヵ国(西ドイツ,フランス,オランダ,ベルギー,ルクセンブルク,デンマーク)が共同フロートを実施する(この共同フロートは2.25%の変動幅内で域内を固定し,同時に域外に対してはフロートするという部分的なフロートである)。②マルクは対SDR3%切上げる。③為替管理を強化することが決定され,これに対し,アメリカを含む各国が為替市場安定化のために協力することとなつた。このようにして主要国通貨がいつせいに変動相場制を採用するという形で3月19日為替市場は再開された( 第2-36表 )。
その後,各国の為替相場は2ヵ月はど安定的に推移したものの,6月に入ると,共同フロート通貨の対ドル相場が上昇し,そうしたなかでマルクが対SDR5.5%切上げられるなどの動きが生じている( 第2-37図 )。
それではスミソニアン合意は何故崩れたのであろうか。その第1の要因は,72年の各国の国際収支状況には顕著な変化がみられなかつたことである。赤字国であるアメリカの貿易収支は71年の赤字転落(20億11百万ドル)から72年にはさらに63億47百万ドルと赤字幅を拡大させた。他方,黒字国である日本,西ドイツの貿易収支の黒字幅も,通貨調整にもかかわらず,72年中は拡大した(前掲 2-8図 )。第2に,このような国際収支不均衡の持続に対して,各国の政策の効果は十分にあらわれなかつた。たとえば赤字国であるアメリカは,景気回復に重点をおいて政策運営を行なつた。黒字国である日本は,スミソニアン合意を守る趣旨から円切上げを行なわず総需要の拡大などによつて均衡達成をはかつたが,その効果は72年中にはほとんどあらわれなかつた。
第3に,アメリカの赤字増大からユーロダラーをはじめ過剰ドルの累積がいつそう激しくなつたことである。現在,過剰ドルは,数百億ドルにのぼるといわれているが,世界貿易量に対する各国対外準備高の比率をみても70年の31.5%から72年には40.8%へと増大してきており,そのほとんどはドル債権の増大である。こうした過剰ドルの存在は,ドルへの信認を低下させ投機資金の源となつており,国際通貨不安にもつながつている。
国際通貨危機を乗り切るため,各国は変動相場制を採用し,わが国も2月以降,変動相場制を続けている。
変動相場制は固定相場制と比較した場合,理論的にはつぎのような特徴をもつているといわれている。
第1に,変動相場制下では,国際収支の均衡はほぼ自動的に確保されることであり,第2に国際収支の不均衡の代りに為替相場の変動が生じることである。すなわち,固定相場制の場合は,国際収支の不均衡によつて生じる外国為替の需給のアンバランスは,中央銀行が介入して需給の均衡をはかり,為替相場が固定されたレートの上下一定範囲内におさまるようにする。これに対し,変動相場制の場合は,需給のアンバランスは為替相場の変動によつて調整される。
第3の特徴は,為替相場の変動が輸出入の相対価格をかえ輸出入量を変化させ,外国為替の需給のアンバランスを縮小させることである。たとえば,輸出が伸びて外国為替の供給超過が生じれば,為替相場は円高になり,輸出品の相対価格は上昇して輸出は減少する。
第4の特徴は,為替相場が変動することによつて,国外における経済変動の衝撃が吸収されることである。同時に,国内における変動の海外への波及も抑えられる。たとえば,世界的インフレーシヨンの国際収支面を通じる波及は抑えられ,不況期における輸出ドライブも働きにくくなる。こうした特徴に関連して,変動相場制には,従来,種々の問題点が指摘されてきた。現在までに得られる資料は数ヵ月にすぎないが,その動きに即して変動相場制の問題点を検討してみよう。
変動相場制については,第1に,将来の為替相場が不確定であるため貿易実務が阻害され,国際収支は均衡に向かつても縮小均衡に陥るのではないかという疑問がある。しかし,変動相場制移行後,半年間を経過した現在までのところ,わが国においては貿易実務面に大きな混乱は生じていないようである。
世界的な景気上昇によつて,変動相場制下でも世界貿易の拡大は続いており,わが国の貿易量も全体としては増大している。変動相場制移行後の輸出入の動向をみると,1ドル=約301円から265円程度まで為替相場が円高となり,実質的に大幅な円切上げが行なわれたことの影響もあつて,輸出数量は前年に比べ,ほとんど伸びておらず,輸入数量の約20%の伸びと対照的である。先行指標をみても輸入承認額は前年比80%をこえる水準にある( 第2-38図 )。このため,貿易収支の黒字幅は急激に縮小し,長期資本収支の大幅な流出超とあいまつて,基礎的収支,総合収支では大幅な赤字になつている(総合収支の赤字は3月10億91百万ドル,4月11億61百万ドル,5月11億80百万ドル)。こうして国際収支は均衡達成へ大きく前進したのである。
輸出入の内訳を商品別にみると,輸出ではほとんどが低い伸びであるのに,輸入では資本財を除いて原材料,消費財は非常に高い伸びを示している。消費財には変動相場制下の円高に加えて,国内の急激な物価上昇が影響しており,原材料の伸びは,国内景気の急上昇を反映している。地域別にみると対米貿易収支の黒字幅縮小が目立つている。対米貿易収支の黒字は,72年度ではおよそ38億ドルと月平均3億ドルを上回つていたが,73年4月,5月では1億ドル台に低下してきている。なお,変動相場制移行後は総合収支の大幅な赤字が続いており,外貨準備高は73年3月末の181億ドルから5月末には158億ドルへと大幅に減少した。
第2に,変動相場制のもとでは投機的な資本移動が盛んになり,為替相場の急激な変動を招くのではないかという問題点が指摘されている。とくに,巨額の過剰ドルが存在する現状では投機的な資金移動が生じ易く,最近のEC通貨の対ドルレートの不安定はこのような要因によるところも大きいと思われる。もつともわが国については,投機的資金移動の動きはこれまであまりみられず,したがつて,比較的為替相場は安定的に推移している。
変動相場制下においては,政策運営の条件が固定相場制の場合と異なつてくる。
第1は,財政金融政策などの自由度が増大することである。これには金融政策の節度などが失なわれ,インフレ容認や一種の為替切下げ競争につながるのではないかという問題がある。したがつて,政策運営の自由度を生かすには,各国とも物価安定や国際協調を重視し,政策運営の節度を守ることが重要であり,変動相場制移行後におけるわが国の金融引締めの強化は,こうした条件を生かしたものである。
第2は財政金融政策の効果が,固定相場制の場合に比べ大きくなることである。すなわち,固定相場制の場合,財政金融政策による国内経済の拡大は,輸入増加を通じる諸外国への需要増加として乗数効果の一部が吸収されてしまう。これに対し,変動相場制の場合は,輸入増加は為替レートを変化させ輸出が輸入と同じだけ増加するため,国内のみで乗数効果が働く。計量モデルを用いて財政金融政策の乗数効果を試算してみると,固定相場制に比べ政府支出についてはおよそ初年度で1.03倍,第2年度で1.20倍,公定歩合については同じく1.05倍,1.23倍の乗数効果が働くことになる( 第2-39表 )。
第3は海外需要の波及やその結果生じる国際収支黒字のもたらすインフレ圧力がかなり相殺されることである。先にもみたように,アメリカのインフレーションが黒字国に波及したこともインフレ加速化の一因であつたが,変動相場制はその経路を通じる影響を弱めることになる。
世界貿易の急激な拡大は,固定相場制下では大幅に輸出需要を増大させ,物価にも影響するが,変動相場制下では輸出需要の増大は輸入の増大によつてかなり相殺され,物価上昇圧力も弱い(前掲 2-39表 )。
また,一次産品など輸入物価の上昇が国内に波及する程度も,変動相場制の場合の方がやや弱い。ただし,その差は大きくなく,輸入品の価格上昇の影響を完全に防ぐことは変動相場制下でも困難であるといえよう。
わが国における変動相場制の経験からみれば,為替相場は比較的平穏に推移している。しかし,最近の金価格高騰や欧州市場におけるドル売りなど国際通貨不安の根は解消しておらず,安定した国際通貨体制の再建が急務となつている。20ヵ国蔵相会議では将来の通貨制度として,安定的なしかし調整可能な平価制度にもどるべきことが合意をみており,これに基づき通貨制度の改革の議論が進められている。わが国もこうした国際通貨制度再建への努力に積極的に参画するとともに,当面の政策運営においては,変動相場制のもつ利点をも生かして,国内均衡の達成に努めることが重要であろう。