昭和48年
年次経済報告
インフレなき福祉をめざして
昭和48年8月10日
経済企画庁
第2章 世界経済の動向と国際収支
主要国の景気は,72年春以降,総じて上昇に転じた。72年のアメリカの実質経済成長率は,前年の2.7%から6.4%という高率に達し,西欧諸国でもイギリス3.4%(前年1.7%),西ドイツ(ドイツ連邦共和国)2.9%(同2.7%),フランス5.5%(同5.5%),イタリア3.4%(同1.6%)と,いずれも成長率を高めている。
こうした世界経済の拡大のなかで,世界貿易は再び拡大基調にもどつた。72年の世界貿易(実質値)の伸びは9.8%と,71年の6.0%を大幅に上回つている。とくに7~12月は11.0%(前年同期比)と非常に高い伸びを示した。
しかし,景気の上昇や世界貿易の拡大は,同時に,物価上昇テンポの加速化の過程でもあつた。景気回復に,ともない,年央から各国の物価上昇率は再び高まりをみせてくる。アメリカにおいては,卸売物価の前年同期比上昇率は,72年1~6月の3.6%に対して,7~12月は5.1%へ高まつている。西欧諸国においても,イギリス4.9%から5.6%,西ドイツ2.7%から3.4%,フランス3.4%から5.7%,イタリア3.1%から5.1%と,軒並みに騰勢が強まつた( 第2-6図 )。
73年に入つてから騰勢はさらに著しく,5月の前年同月比上昇率はアメリカ12.9%,イギリス5.7%,西ドイツ6.2%,フランス12.0%となつている。こうした物価上昇に対して,各国は物価安定を当面最大の目標として政策努力を傾けている。たとえば,アメリカにおいては賃金・物価凍結・所得政策の第2段階の効果もあつて昨年末まで物価は安定していたが,物価統制を緩和した第3段階移行後,食料品を中心に卸売物価が急騰し,公定歩合の引上げなど需要面からの抑制策がとられた。しかし総需要管理策が強化されるなかで,物価の騰勢はむしろ強まりをみせたため,6月にいつたん価格を再凍結したあと,7月18日には価格引上げをコスト上昇分に限つて認める産業別の強制的価格規制などを内容とする第4段階の措置が発表された。また西ドイツでは,公定歩合の大幅な引上げ,増税,安定国債の発行など多様な財政金融政策の実施によつて物価安定を達成しようとしている。しかし,これらの効果はまだ十分あらわれておらず,各国ともインフレ対策に苦慮しているのが実情である。
各国の物価政策が,なかなかその効果をあらわさないのは,欧米諸国における物価上昇が,景気変動過程での単なる短期的動きではなく,その背後に長期的・構造的要因を持つているからである。
60年代以降の各国の物価上昇率をみると,60年代末から一段と高くなつている。主要7ヵ国の卸売物価の年平均上昇率は,61~64年1.6%,65~68年1.8%,69~72年4.2%と騰勢が強まつている。こうした動きは,各国の輸出物価にも明白にあらわれている。
こうして,物価の上昇率が高まる一方で,各国の実質経済成長率は低下してきている。主要国の実質経済成長率とGNPデフレーターの上昇率を比べると,60年代前半では,イギリスを除いて,各国とも成長率の方が高かつたが,60年代後半になると,成長率は低下し物価上昇率は上昇するようになつてきた( 第2-7図 )。
60年代も終わりに近い68,69年頃から,世界各国の物価上昇率が高まつてきたのには,いくつかの共通的な要因がある。
第1は,アメリカのインフレーシヨンが激しくなり,それが各国に波及したという国際的要因である。アメリカ経済は60年代に入つてから高成長が持続し,失業率は61年の6.7%から65年には4.5%に低下した。60年代後半に入るとベトナム戦争の影響もあつて需給ひつ迫からインフレ激化を招き,賃金上昇率も高まつた。さらに賃金の高騰は70,71年の景気後退期にも続き,賃金コスト圧力として働くこととなつた。アメリカのインフレーションは,国内需給ひつ迫と価格競争力の低下から輸入需要を強め,貿易収支の赤字を拡大させることになつた。他の国の場合は,国際収支赤字が長期間持続することは困難であり,為替レートの切下げを迫られることによつて,輸入需要の増大もそれほど大きくはなりがたい。しかし,IMF体制下での基軸通貨国であるアメリかにおいては,国際収支均衡への圧力は働きにくい。アメリカの輸入需要増加の影響はすべての国に及んでいるが,とくに国際収支の黒字国である日本と西ドイツに強くあらわれた。アメリカの輸入が大幅にふえ,貿易収支の黒字が縮小した68年には,日本,西ドイツでは国民総生産に対する輸出等の増加寄与率が高くなつたばかりでなく,総輸出に対するアメリカ向け輸出の増加寄与率も高まつた( 第2-8図 )。
また,アメリカの国際収支の赤字拡大は,国際的な流動性の量を急激に増加させ,世界的なインフレ傾向を助長することとなつた。とくに,黒字国である西ドイツや日本では国内の通貨供給量が対外資産増減に左右される面が大きく,この面からもインフレーションをひき起しやすい環境がつくられた( 第2-9図 )。西ドイツは69年にマルク切上げを行なつた結果,対外資産増による通貨量増大は抑えられたが,日本は黒字不均衡が続くなかで卸売物価が上昇し,アメリカの景気が後退期に入つた70年以降も輸出の増加による通貨供給の増加が続いた。
第2に,各国の国内的要因としては,賃金コストの上昇がある。
60年代以降主要国での賃金の上昇率は,労働生産性の上昇を上回つており,賃金コスト圧力が増大している。とくに西欧諸国においては,景気が成熟期ないし停滞期に入つた70年において,賃金が急騰したが,その後も71,72年と10%をこえる上昇を続けている( 第2-10図 )。
こうした賃金コスト圧力の増大の背景には,二つの要因が考えられる。そのひとつは景気や物価上昇に対する賃金上昇の遅れである。このため,景気後退期になつても以前の物価上昇を反映して高い賃金上昇が続き,賃金コスト圧力を強めていることが考えられる。もうひとつの要因は完全雇用政策を背景に,賃金上昇率の下方硬直性が増大してきたことである。これは労働需給のひつ迫がすう勢的に強まつていることの反映でもあるが,価値観の変化や社会問題の複雑化など社会的政治的要因の影響もあると考えられる。68年のフランス,69年のイタリアの大幅賃上げは単なる賃金紛争の結果ではなく,経済社会のあり方に対する不満の解決策でもあつたと考えられる。
上記の二つの要因はアメリかにおいても,近年のわが国においても程度の差こそあれみられる。
第3は,各国のインフレーションが輸入品の価格上昇を通じて波及しあうことである。各国における輸出入依存度が高まつているだけに,その影響は強まつている( 第2-11図 )。
先進国間でも物価上昇は製品の輸出入を通じて影響しあうが,とくに,原材料を輸入に依存する度合の高い日本にとつては,一次産品価格上昇の影響が大きい。国際原料品市況は70~71年に軟化していたが,72年に入つて高騰をつづけ,最近の世界的インフレ傾向に拍車をかけている。一次産品の価格は72年には工業製品の値上り幅を大幅に上回つた( 第2-12図 )。この市況の高騰には,世界的な景気拡大を背景に需要構造の変化や国際商品協定などの構造的要因と,天候不順による小麦などの農産物の不作や,羊毛などにみられるような需要見通しの誤りに基づく減産などの一時的要因とが重なつて働いている。
以上のようなインフレ要因をまとめてみれば, 第2-13表 のようになつている。各国とも需給要因と賃金コスト要因が相互に影響しあつて物価上昇が生じ,さらにそれが国際的な波及によつて増幅されていることがわかる。
これらの要因のうち,アメリカのインフレーションが国際収支の不均衡を通じて波及するという経路は,71年末の多国間通貨調整と73年2月の変動相場制移行によつて,ほとんど抑えられているが,その他の要因はいぜんとして残されている。最近においては,各国の景気拡大による需給ひつ迫がインフレーションをさらに激しくしている。これが賃金上昇につながることや,一次産品価格の高騰といつた要因を考慮すれば世界的インフレ傾向をおさえることは容易なことではなかろう。
根強い世界的インフレーションは,各国の国際収支不均衡の拡大と併行して進んだ。不均衡の程度を示す国際収支不均衡度係数は,世界的インフレーションが本格化してきた60年代末期頃から急速に高まつている( 第2-14図 )。総合収支の不均衡は国際通貨不安を反映する短期資本の動きによつて非常に大きくなつているが,それに比して貿易収支の不均衡の度合は小さい。これは為替レート変更の効果が働いているからである。すなわち,世界的インフレーションの過程で貿易収支についても不均衡は拡大する傾向をもち,それを為替レートで調整しようとする動きがみられたと考えられる。
貿易収支の不均衡の大きな原因としては各国間の価格の差があげられるが,世界的インフレーションの過程においても,各国間の輸出価格の差は縮小せず,むしろ拡大した。それでは各国の輸出価格の差は世界的インフレーシヨンの過程でどのようにして拡大したのであろうか。第1に,各国とも物価上昇率は従来に比べ高まつているものの,物価水準の低かつた国の方が上昇が激しいという訳ではなく,物価水準の格差は縮小していない。たとえば,格差を示す卸売物価指数の各国間変動係数は最近になるほど大きくなつている( 第2-15図 )。
第2は,各国の国内物価と輸出物価との間の関係が著しく相違しているからである。輸出物価の上昇率は65~72年においてアメリカ24.0%,イギリス44.8%に対し日本5.9%,西ドイツ4.9%となつているばかりでなく,卸売物価の上昇率と比較すれば西ドイツ,日本はかなり低い。卸売物価の上昇率は日本11.9%,西ドイツ22.1%,アメリカ23.5%,イギリス38.7%になつている。このため卸売物価の変動係数以上に,輸出物価(自国通貨べース)のそれが大きくなつている。したがつて,そのまま放置すれば,各国の国際収支の不均衡は急激に拡大する可能性があり,通貨調整が必要とされた。輸出物価(ドルベース)の変動係数が低下しているのは通貨調整の結果である。
各国の物価水準の格差拡大には,物価上昇の背後にある生産性上昇率の差が影響している。生産性上昇率の差を製造業について比較してみると,各国間の生産性上昇率格差は,60年代前半よりは,60年代後半の方が大きくなつている。すなわち,60年代前半についての製造業平均の生産性上昇率は,日本の30%からイギリスの17%までそれほどの差がない。これに対し60年代後半では,日本の90%からアメリカの8%まで大きな差が生じているのである。
こうした各国の生産性格差の拡大は,すべての業種において平等に生じているわけではない。製造業平均の生産性上昇率が大きい国では,通常生産性上昇を先導する業種があつて,それらの業種の生産性上昇が,全体を引張つていくという関係がある。業種別生産性上昇率をみると,日本は非常に格差が大きく,これに対しイギリスはほとんど差がなく,西ドイツとアメリかはその中間にある。そして,各国とも60年代後半の方が格差が大きくなつている( 第2-16図 )。このような生産性上昇率の格差に対し,賃金上昇率の格差は生産性上昇率ほど国際的にも大きくなく,国内的には平準化の傾向が著しい。このことがコス卜の差となつて国際競争力に影響している。
さらに黒字国である日本と西ドイツについて,生産性上昇率と輸出構造の関係をみると,生産性上昇率の高い業種においては,輸出比率が製造業平均より高いことが示されている。( 第2-17図 )。つまり,輸出は生産性上昇率の高い産業分野に集中する傾向を持つている。卸売物価の上昇率が平均的な生産性上昇と関連しているとすれば,同じ卸売物価上昇のもとでは業種別生産性上昇率の格差が大きいほど,輸出品の価格上昇圧力は,相対的に弱いことになる。
このように,世界的インフレーションの進行は,各国の物価上昇率を軒並み上昇させたが,物価水準の差はいぜんとして残され,それが価格競争力の差となつて国際収支の不均衡につながつてきた。
通貨調整は,前述のような各国間の輸出物価の格差を縮小し,それによつて国際収支の不均衡を是正しようとするものである。そして現実に,通貨調整によつて各国間の輸出物価(ドルベース)の格差はかなり縮小してきた(前掲 2-15図 )。通貨調整は切上げを行なつた日本や西ドイツのドルベース輸出価格をその他の国の水準に合わせる方向にもつてきている。同時に輸出数量の増加も抑えられ,最近では数量より価格の上昇が目立つている( 第2-18図 )。他方,輸入についてみれば,切上げ国は輸入価格(自国通貨べース)の低下という好影響があるのに対し,切下げ国では逆に輸入価格の急上昇が生じている( 第2-19図 )。
しかし,国際収支の均衡達成という観点からみると,世界的インフレーションの進行が通貨調整の効果を相殺する点が目立つている。西ドイツについて,過去3回のマルク切上げの貿易収支に与えた影響をみると,前2回に比べ,71年末の多国間通貨調整は貿易収支の黒字縮小に役立つていない( 第2-20図 )。このことは,通貨調整時には各国の輸出価格(ドルベース)の格差が縮小したとしても,その後世界的インフレーションの進行過程でその格差が再び拡大してしまうことを示している。