昭和44年

年次経済報告

豊かさへの挑戦

昭和44年7月15日

経済企画庁


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第2部 新段階の日本経済

4. 新らしい経済政策の方向

(2) 人間能力の開発

先進国との間の技術格差の縮小や情報社会の急速なひろがりなどによつて経済社会が新らしい段階を迎えようとしている今日,新時代にふさわしい人間能力を開発していくことは今後の経済政策においてももつとも重要な分野の一つである。

人間能力の開発が問題になつたのは決して新らしいことではない。すでに昭和30年代央には技術者,技能労働者の不足の表面化にともなつて,科学技術者を中心とするマンパワーの養成が叫ばれた。このことは,その後の科学技術教育の拡充に役立つたが,やや人間能力の開発で技術的,経済主義的な側面が強調されすぎたきらいもあつた。そのため知識が便宜的に扱われすぎる傾向があらわれるなど,一部で,教育の目的がたんに就職のための条件づくりと考えられたりする風潮を生んでいる。

今後の人間能力の開発は,これからの労働力不足化傾向と技術の要請に応えて労働力の生産性を高めるという点のみを目的とするのではなくて,所得や余暇の増大といつた経済成長の成果が,国民生活の向上を通じて人間性の高揚につらなるように,教養を含めた全人的な能力を開発することに重点がおかれなければならない。

このような観点から,これからの人間能力の開発にはつぎのような側面が考慮されるべきであろう。

その第1は,労働力の知的水準の一般的な向上である。技術革新と情報化社会の進展は,あらゆる職種での専門的な知識と理解力を要求している。しかし,その前提には現代社会に必要とされている一般的知識の向上がなければならない。さいわい,わが国の場合,これまで教育に力が注がれ,明治末期に就業者の6割を占めていた不就学者は姿を消し,現在では就業者の半ば近くが後期中等教育以上の学歴をもつている( 第226表 )。そして,専門的職業や技術的職業以外の職種でも教育程度が高まり,学歴格差が縮小している。わが国の高等教育普及率はアメリカ,スエーデンに次いで高いが,このようないちじるしい普及に対応して教育の内容が充実してきたとはいいきれない。今後は教育施設水準の向上や,カリキュラムの改善など内容の充実に努めるべきである。

第2は,専門的,技術的,管理的労働力の質的な向上とその相対的な増加をはかることである。このような労働力は,がい博かつ高度の技術的知識と思考力,あるいは管理能力や情報処理能力を備えたいわゆるハイタレント・マンパワーである。その多くは現代大企業のテクノストラクチュアとして中心的な役割を受持つているが,このようなハイタレント・マンパワーの経済活動人口に占める割合は1人当たり国民所得の水準とかなり高い相関々係にある( 第227図 )。1,000ドル段階に達した日本経済では,今後ますますハイタレントの需要が増大しよう。とくにわが国の場合,技術の分野で自主技術開発の重要性が高まり,一方,経営の分野では管理能力の強化が要求されていることからみてもハイタレントの養成が急務になつている。

第3は,消費の多様化と余暇の増大に対応した人間能力のあり方の問題である。わが国の消費水準は,少なくとも衣食や耐久消費財ないしはレジャー支出といつた私的消費の分野では西欧水準に近づき,労働時間も短縮されてきた。こうした物的消費と余暇の増大のなかで人生を有意義に過ごしうる能力をもつととも,現代人にとつて欠くべからざるところである。

人間能力を一般に高めることと関連して国民の健康の管理に関する問題がある。健康な肉体に健全な精神が育ち,そのなかでこそ人間の能力が最大に発揮されるからである。戦後,所得水準の上昇と健康に関する認識の深まりによつて,国民の健康はいちじるしく増進された。しかしながら,他方では近年,騒音,大気汚染,水質汚濁といつた公害現象のほか,交通の混難や住居の過密など生活環境の悪化からくる健康への悪影響が大きくなり,さらに技術の進歩や情報社会のひろがりが国民の精神的,肉体的不安感や緊張感を高めている面もみられる。このような観点から,健康を守る配慮が人間能力を開発するためのきわめて重要な条件になつてきた。

第228図 教育への労働投入量の推移

ところで,人間能力の開発は,地域社会から家庭にいたるまでの社会のあらゆる分野で実施されなければならないが,とくに直接的には学校教育と職業訓練がその中心をなすものである。

第1に学校教育であるが,わが国の学校教育は前述のごとく国際的にみて高い水準に達している。学校教育への資源投入の大きさを,教育に対する労働投入量と有業人口の比でみると,教員全体と中等以上の教育機関に在学としている学生の合計は,明治30年頃までは有業人口の1%にも満たなかつたものが,大正末期に10%をこえ,昭和13年には20%に達し,現在では30%をこえている。中等教育のうち義務教育である新制中学生を除くと20%近くになる( 第228図 )。つまり教員という雇用労働力と,在学中の潜在労働力が全就業者に対して5分の1の割合に達していることになる。このような学校教育によつて,幅広い教養を身につけるとともに職業に関する知識と技術を修得し,さらに情操を深め健全な精神を培うことは,経済社会の繁栄にも大きく寄与することになろう。

第2は職業訓練である。現在,公共職業訓練および認定事業内職業訓練により養成訓練を受けているものは13万人(雇用者の0.4%)にのぼつている。このほか転職訓練,再訓練,監督者訓練といつたさまざまな職業訓練が行なわれている。また,企業が独自に行なつている職業訓練にも養成訓練(4万人,41年調べ)。再訓練(48万人)。監督者訓練(28万人)がある。わが国では,特定職務のための特定能力によらず,むしろ潜在能力を基準に新規学卒者を採用して,その後に企業内で職業訓練を行なうことが雇用慣行になつてきた。しかし,今後は①被訓練者の質量をともにあげねばならないこと,②とくに,企業内訓練の規模別格差は賃金格差以上に大きく,そのため中小企業での訓練の必要性が高まつていること( 第229表 )③労働力の部門間移動を活発化する必要がいつそう大きくなつていること,④産業構造の変化や国土開発の進展により地域をあげての転職が多くなり,地域的な訓練の必要が生じていること,などから地域社会や,企業集団あるいは国または公共団体による訓練の必要性が高まつている。このような職業訓練によつて新しい段階にふさわしい職業人が育てられるであろう。

以上の学校教育や職業訓練のほか社会教育や家庭内教育さらには各種の消費者教育などによつて広く人間能力の開発が行なわれるのであるが,このような各面での教育の効果を高めるためには,教師,指導員の充実,公共施設の整備,労働力の健康管理,社会保障の充実など教育の周辺の問題について十分な配慮を払う必要がある。人間能力は,そうした環境の整備のなかで,教育を受ける人間の主体的な自己開発意欲とあいまつて,最も効果的に開発されるものであり,それがひいては経済社会の発展に貢献するものである。


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