昭和42年
年次経済報告
能率と福祉の向上
経済企画庁
第2部 経済社会の能率と福祉
3. 能率と福祉の結びつき
地価はこの10年間にきわだつて騰貴した( 第61図 )。最近では地価騰貴は都心から周辺ヘ既成工業地帯からその他の地域へとひろがりつつある( 第62図 )。
それは,設備投資,住宅投資,消費などの需要増加にもとづくものではあるが,それらの要因のみによつて説明することはできない。その理由は複雑であるが,一種の予備的需要もしくは思惑などによる値上がり部分があるからである。しかも,こうしていつたん値上がりした地価は,土地の供給に限界があることもあつて,一途に上昇しつづけることに問題がある。
では,地価は一体どうして上昇し,それがどんな社会的経済的影響を与えているのだろうか。
宅地および公共用地の地価は主として近傍類地の売買実績を基礎として決定される。土地は①保管費用がかからない。②陳腐化したり,変質したりしない。③将来の需要からみて売り急ぐ必要がない。などの経済的特質をそなえている。このことが土地市場を売手市場化し,地域的独占価格の形成をひきおこし,価格機構を働きにくくさせ,土地の合理的な利用を阻害している。
ところで,用地拡大の余地は物理的な限界に逢着しているのだろうか。わが国の国土面積は約3,700万ヘクタールで,たしかに世界でも狭少な部類に属する。しかし,その8割以上は森林,山地,原野,湖沼などで占められていて,農地,宅地として利用されている土地は2割にも満たない。現在の土地需要を強めているのは,住宅,工場,公共施設などの用地需要であつて,これに対する供給は,田畑,山林などからの転換や,埋立,干拓などの土地造成によつているが,農地,山林からの転用が大きく,そのうち農地からの年々の転用面積についてみると,30年当時の6,000ヘクタール台から40年には27,000ヘクタールへと急増している( 第67表 )。現在,農地面積は国土の16%を占めているが,宅地は約2%弱にすぎない。人口,世帯の増加や,工業化,都市化の進展につれて,宅地(商工業用地を含む)や公共用地の需要は高まる一方だから,主に農地や山林の転用という形でそれが充足されていこう。
土地の取り引き額は年間1兆円を下らないとみられるが,その内容をみると,面積は別として金額では工場用地や公共用地の占める割合はあまり大きくなく,相当大きな部分は住宅用地需要である。そして潜在的供給量という点からいえば,大都市附近のごく一部をのぞいては不足しているわけではない。ところがこれに対して大都市ではこの宅地需要が強まつており,そこへさきにのべたような土地の商品としての特性,それに基づく売り惜しみなどのために需給の逼迫がおこり,地価が上昇している( 第63図 )。
このような地価上昇の背景に,需給の媒介者としての不動産業者がいるが,その一部が地価上昇や投機をもたらす一因になつている。さきにのべたように,不動産業は,相対価格の変動を通じて最も高い配分,再配分所得をえているが,その地域的分布をみると,宅地需要が最も強い大都会とその周辺に集中しており,とくに東京およびその隣接3県には全国の業者の4割以上が集中している。しかも宅地取引は単位が小さく,取引マージンが高いうえに,現在土地売買についての情報機構が未整備なため,価格のつり上げ,あるいは不完全な宅地造成,誇大広告等に一般消費者が乗ぜられやすく,それらの結果土地取得に対する負担が高くなつている面もある。
以上のような地価の急騰は,企業,公共部門,金融,個人生活などの面でいかなる影響を及ぼしているだろうか。まず,企業経営に及ぼす影響をみてみよう。
その影響の第1は,設備投資に対する土地取得費の割合が年々上昇していることであろう。32年に3.5%であつたものが,40年には6.3%に達している( 第68表 )。その第2は,新しい工場,商店,事業所等が移動ないし拡張しようとしても,それがいちじるしく困難になつたことである。商店・スーパーマーケツト等が郊外住宅地や団地等に新規に立地しようとしても,地価が高くて採算がとれず,この面から新規参入が制限されて消費者物価や流通コストの上昇をまねいているなどはこの例ともいえる。また,既存の事業所も過密の弊害に悩まされて都市外周に出ていく傾向にある。工場分散の理由として開銀調査によれば既存工場が手ぜまになつても用地が容易に取得できないことをあげるものが32%で最も多いことは注目に価しよう( 第69表 )。一方,分散できない理由としてあげられているのは,いわゆる集積の利益にあたるものを損ないたくないとする事由や,現従業員の移転困難という今日の住宅難事情を反映したものも目立つている。
このように,地価上昇は企業の自由な移動をさまたげているうえに,地価上昇に企業が適応すると,都市住民の生活に次のような影響がおこる。単位面積あたりの付加価値額の高い産業(衣服その他繊維製品,娯楽用品,玩具製造業など)は,集積の利益に固執し,逆に単位面積あたりの付加価値額の低い産業(石油製品,化学など)は分散の傾向をもつとみられる。このような高土地生産性産業の集積の結果は,①それらが単位面積あたりの従業者数が多くそのための住宅を通勤可能圏内に求めなければならないので,ますます住宅用地需要を高め,地価を高め,②事務所,作業所などの密集高層化をまねき,交通難を強め,③高土地生産性産業の賃金は概して相対的に低いために,都市中心部の住民の生活上の問題を激化させるおそれもある。
地価の急上昇は,農業に対しても複雑な問題を投げかけている。土地の所有者ないし供給者としては高い地価が享受でき,それにつれて土地資産の評価益や担保価値も増加する。しかし,農業生産全体の見地からすれば,地価の暴騰や無秩序な土地利用形態の進行は決して有利な影響をもたらすわけではない。まず,農業の近代化,大規模経営の形成を阻害し,荒し作り等を温存する。生産性の向上や農産物価格の上昇を上回るほどの地代部分の上昇はかえつて経営の発展を阻害する条件になるからである。また,こうしたスプロール(都市の無秩序な発展)現象の結果として病虫害の発生,ゴミの未処理をはじめ各種の公害が農業自体にも及んできている。
また,地価上昇は土地の売買価格の上昇を意味するばかりでなく,土地の担保能力を高める。土地それ自体は生産活動の成果ではないから,その値上がり益は国民総生産に実質的に寄与するものでなく,主として金融面に影響する。金融機関による土地建物担保貸付額の増加(土地担保が主)をみると(昭和32年10月~41年9月),全国銀行勘定では約1兆6,000億円で,その貸付総額増加中の14%を占め,地域社会に密着している度合の大きい相互銀行では約8,400億円と,その貸付総額増加の3分の1にあたつている。金融機関はこれまで総じて企業の収益力や成長性などを基準に信用供与を行つてきたとみられるが,30年代はじめにくらべると,不動産担保貸付額の割合が徐々に高まつてきていることが注目される。このような現象は,信用供与が地価上昇とあるていど関連があつたことを推察させる。
以上のように,各方面で地価上昇の影響があらわれているが,その被害をもつとも大きく受けているのは,数からいつても深刻さからいつても都市の一般の住民である。
それは,まず,既成都市地域内部に過密狭小住宅の増大を促した。労働者生活環境調査(労働省調べ,昭和40年)によれば,東京区部の借家では1人2.2畳という高密度であつた。これは全国平均4.9畳の実に半分のせまさであり,戦前水準(3.8畳)にくらべてさえも劣つている。住宅に関しては戦後はまだおわつていない。第2に地価上昇だけが原因ではないが,公園,緑地,道路,上・下水道など生活環境施設の整備が立ち遅れ,1人あたりサービス水準の低下をまねいている。第3に,こうした過密居住は災害や事故や社会的悪を助長する温床となつている。第4には,通勤通学難である。都市に流入する人口が地価の安い所を求めて郊外へ移動する結果,通勤距離が次第に長くなつている。たとえば,東京を例にとると 第64図 にみるように,ますます,都心からはなれた地域で世帯数の増加がはげしく40km以遠のところから通勤するものが40年で10.8%もある。交通機関の混雑度も激化の一途をたどつており,最混雑時には,輸送力がふえているにもかかわらず,なお定員の2.5~3倍の混雑ぶりを呈する有様である。
社会資本の充実が地価上昇によつて遅れていることについてはしばしば指摘されるとおりである。社会資本の立ち遅れについては後にのべるが,地価の上昇によつて公共用地の取得がいちじるしく困難化していることがその大きな原因である。事業完成が急がれるため,土地提供者のいわゆるゴネ得を許したり,事業実施を見越した投機的売買が先行して公共用地の地価がいちじるしく釣り上げられる事例が多い。地価上昇で公共事業費の中に占める用地費の割合は年々高まり,最近では全国平均で21%をこえている。とりわけ,都市整備の必要性がもつとも大きい人口の大集中地域では都市計画事業費の半分近くが用地費にくわれてしまつている( 第71表 )。
以上のように,地価の高騰は一面では土地利用をゆがめ,経済の能率化を妨げている。他面,開発利益等のかたちで外部経済をさきどりし,さらに住宅難を激化するとか通勤難に輪をかけるなどの外部不経済が最近強くあらわれてきた。しかし,土地は本来公的な性格のつよい財産であり,しかも経済活動のために欠くことのできないものである。
したがつて,土地利用の高度化をはかり,合理的な地価形成を促進する必要がある。この場合,地価におよぼす影響について十分考慮を払いながら公共投資を適切に実施すれば,そのための有力な手段となるであろう。