昭和33年
年次経済報告
―景気循環の復活―
経済企画庁
各論
労働
実質賃金純化の背景と所得分配の長期構造的変動
実質賃金上昇の鈍化とその背景
32年(暦年)の実質賃金は前述したように、かなりの鈍化を示し、製造業労働者で前年に対し0.4%の上昇にとどまった。これは前回の不況の年である29年の0.9%の低下につぐ著しい鈍化であった。このような実質賃金の上昇鈍化は上半期におけるC・P・Iの上昇と年央以降におけるデフレによる生産の低下という短期循環的な要因と戦後における趨勢的な鈍化傾向が相乗された影響と考えられる。
戦後の回復期における実質賃金の向上は低い水準からの回復とはいえ、まことめざましいものがあった。すなわち23年から25年の3年間は年率42%という著しい向上が達成された。しかし、経済の回復が進むにつれてその速度も著しく鈍り、26年から28年の3年間は8%に、さらに29年から31年の期間には年率4.3%まで鈍化してきている。
実質賃金の趨勢的な鈍化に影響を与えている最も大きな要因は二つである。その一つは物的労働生産性の鈍化であり、他の一つは労働所得の分配率の低下である。まず物的労働生産性の戦後の推移をみよう。23年から25年にかけては年率34.3%という著しい上昇率にあったが、その後は趨勢的に鈍化を続け、29~31年には年率7.2%となり、さらに32年には5.5%にまで鈍っている。このような長期趨勢的な物的労働生産性の上昇鈍化は二つの要因に根ざしている。その第1は経済の回復段階の終了により経済の成長率それ自体が鈍ってきたことである。換言すると工業生産の上昇率が趨勢的に鈍ってきたからである。第2は生産の拡大に必要な雇用の割合が高くなってきたことである。
物的労働生産性上昇の鈍化傾向は工業内部の全ての産業に共通であるが、その速度は産業によってはかなりの相違がみられる。例えば技術革新の進行度が強い化学、機械などの重化学工業はそれほどの鈍化を示さないのに対し、製材木製品、食料品、窯業土石等の軽工業では著しい鈍化を示している。
雇用弾性値の変動
物的労働生産性上昇鈍化の反面、生産増加に必要な雇用増化の割合、すなわち雇用弾性値は好況期には低下し、不況期には上昇するという短期的な変動を経ながら、長期趨勢的には上昇傾向を続けている。すなわち24年のドッジ中間安定期までは工業生産は年率48%という著しい増加にもかかわらず工業雇用はかえって減少していた。しかし25年から27年の3ヵ年は生産の増加率は鈍化し、年平均29%となったのに対し雇用は年平均6.9%の増加に転じ雇用弾性値は23.8%を示した。この傾向は逐年強められ、30年から3ヵ年については生産の上昇率は年平均19%に鈍化したが、雇用の増加率は8.6%とかえって増勢を強め雇用弾性値は45.2%までに上昇してきた。すなわち、工業生産が10%増えれば工業雇用は4.5%増えるといった関係になってきたわけである。
この傾向は最近の鉱業においてもほぼ同様のことがいえる。鉱業生産の上昇鈍化は工業よりもさらに著しいが雇用は24年から30年までは減少の一路をたどってきたので、雇用弾性値はこの期間マイナスであった。しかし31年よりは上昇に転じ30~32年の平均でも30%まで上昇してきている。
製造業の中分類においては各産業とも趨勢的な上昇傾向にあることは変わりないが化学、窯業土石、紡織、製材木製品、食料品は30~32年の上昇率が大きいのに対し、金属、機械などは28年以降の上昇が目立っている。
さらに、非農林業の実質的国民所得の増加率と非農林業の雇用増加率との関係をみると、その傾向は製造業とほとんど同じであり、23~24年頃は雇用弾性値はマイナスであった。すなわち実質所得の上昇はほとんど生産性の上昇に吸収された。しかし、24~27年には実質所得の増加年率15.6%に対し、雇用は5.2%の増加を示し雇用弾性値は33%を示した。さらに、最近の29~32年では実質所得は13.5%増とやや鈍化を示したが、雇用は7.4%とかえって増加率を高め雇用弾性値は54.8%にまで上昇している。もっとも27~29年の方がやや高まりをみせているが、これは所得増加率が著しく低かったことの影響であって最近の雇用弾性値が弱まっていることを示すものではない。
以上のように雇用弾性値が趨勢的に上昇してきたことには次のような要因が考えられる。その第一は企業内における生産増加に必要な雇用量の増加であり、他の一つは増加雇用の規模別構造の変化であろう。
まず企業内の要因をみよう。戦後の企業は低い操業度と過剰雇用を抱えての再出発であった。また、労働者の実質賃金も極端に低下していたので、生産の拡大は過剰雇用と労働時間の増加に吸収されて雇用増加の必要性は少なかった。しかし、生産拡大が進むにつれて過剰雇用は解消し、労働時間の延長も労働能率の面から漸次限界に近づいてきて生産増加に必要な雇用量の割合を高める要因が強まってきた。もっとも他方では雇用弾性値を低める要因も動乱ブーム以降特に強まっている。それは大企業を中心とした技術革新による設備の近代化である。労働省の鉄鋼、綿紡、硫安、紙パルプなどの巨大資本産業の生産性調査によると、生産性上昇の速度はそれほど鈍っていない。しかし、工業の中で大きな比重を占める中小企業などにおいては技術革新、設備近代化の速度ははるかに遅いので産業全体としてみると、企業内の雇用弾性値も上昇傾向にあるということができよう。
第二は構造的要因であるがその中心は生産性の低い労働集約的な中小企業雇用の拡大である。工業統計によると雇用弾性値がマイナスであった22~24年には1000人以上の大規模雇用のみが増加し1000人以下はいずれも減少していた。しかし、雇用弾性値が上昇に転じた24年以降については増加雇用の大部分は中小企業に吸収され大企業への吸収は縮小の一途をたどっている。
このように生産性の低い雇用労働者の比重が拡大していることは平均的な雇用弾性値を上昇せしめる要因として作用する。さらにもう一つの要因は前近代的な個人業主と家族従業者による家族経営が法人化し雇用労働者の割合が増加したことであるが、その影響度は低い。
雇用弾性値の上昇とともに注目を要することは不況期の生産低下に対する雇用の変動である。戦前の昭和初期の不況期には不況の深度も激しかったが、工業生産の減少率以上に工業雇用は減少した。また、24年のドッジ中間安定期にも工業生産は31%も増加したのに工業雇用は5%も減少した。これは戦前の場合が労働組合の組織がなく解雇に対する抵抗力が微弱であったのに対し、24年の場合はインフレ下に抱えていた過剰雇用の整理が行われたためである。しかし、29年と32年度デフレ期においては雇用弾性値の上昇にもかかわらず、生産の減少率に対する雇用の減少率がかえって鈍ってきている。まず29年をみると、生産を3月をピークにして8月まで約5%低下し、9月からは再上昇して5ヶ月後の翌年1月には最高時の水準を上回っている。これに対し雇用は4月をピークにして減少を続け10ヵ月後の翌年1月までに4.6%減少している。一方、32年は生産のピークは5月であるがその後一貫した減少を続け33年3月までに約11%低下している。これに対し雇用は29年の場合と同様に生産のピーク月の翌月を最高にして減少し始め、9カ月後の翌年2月には約4%の低下となり、3月には入職期に入ったので増加に転じピーク月に対し3.2%減の水準に戻っている。このように現在までのところ生産の減少に対する雇用減少の割合が近年になるほど鈍化がみられるのは、生産の変動に対する雇用変動のタイム・ラグもあるが、経営基盤の強化や企業内過剰雇用の解消、所定外労働時間の膨張によるクッションの増加によって生産調節に対応する雇用実人員の解雇を回避しうる余力が生じてきたからであろう。とくに32年においては2年続きの好況によって中小企業の経営基盤が強化されたことと、金融及び下請代金支払促進等の一連の中小企業保護政策の推進などによって中小企業の倒産が比較的少ないことや、生産縮減が主として生産性の高い化繊、鉄鋼、紙パルプ、綿紡等の大企業において行われ、生産性の低い中小機械工業等には影響が低かったこと等も影響していよう。
しかし、生産性の低下に比し雇用の減少率が低いことは、今後の生産再上昇の場合の雇用増加率は短期的にはかなり低いであろうことを示唆するものであり、設備投資の減少が金属、機械等の中小工場の雇用に漸次影響を強めていく問題とともに注目を要する問題の一つであろう。
所得分配の長期構造的変動
我が国の所得構造は複雑であり、全就業者の54%、国民所得の約4割が資本所得と労働所得に分離されない農林業及び小売、サービス、小工業等の家族経営(個人業主と家族従業員)による前近代部門によってしめられているため、これらの前近代部門と近代部門の構成比の変動によっても国民所得の中の勤労所得や法人所得の割合を変動せしめる。従って、分配国民所得の中の勤労所得の割合の変動は真の労働所得の分配関係の変動を現すことはできない。
例えば、終戦直後の21~22年の分配国民所得の中の勤労所得の割合は31.7%と、戦前(9~11年)の38.9%よりも縮小し最近の31~32年においては49%と大きく拡大しているが、公務を除いた非農林産業の勤労所得と法人所得の構成比では終戦直後において勤労所得の割合が戦前よりも大きく拡大し、最近においてはかなり縮小してほぼ戦前(9~11年)の構成比に近くなってきている。
終戦直後における分配国民所得の中の勤労所得の構成比の縮小は近代部門の生産力が敗戦によって極端に低下したのに対し、農業や都市の個人業主は食糧や生活物資の絶対的不足によるヤミ価格の上昇によってその所得を著しく高めたことの影響である。すなわち、22年における前近代部門の農林業と非農林業の個人業主所得は戦前に対し120.4倍及び133.3倍に上昇しているのに対し、公務を除いた非農林業の勤労所得と法人所得の上昇率は54.8倍及び8倍の上昇にとどまっている。その結果個人業主所得は戦前の31.3%から65.7%に拡大した反面、勤労所得と法人所得の合算額は戦前の47.6%から32.8%に縮小をみたわけである。しかし、法人所得と勤労所得の構成比では勤労所得の上昇率が相対的に高かったので公務を除いた非農林産業の中でも勤労所得の割合が96.5%を占め、戦前の79.9%を大幅に上回っている。
22年から31年にかけての変化はこれとは全く逆の関係にあり、近代産業の発展は著しく、この期間に法人所得は87倍、勤労所得は12.4倍に上昇したのに対し、農林業と非農林業の個人業主所得は3.9倍及び4.5倍の上昇にとどまったので、個人業主所得は22年の65.7%から35.5%に大幅に縮小した反面、勤労所得は31.7%から49.3%へ、法人所得は1.1%から11.3%に拡大したわけである。しかし、公務を除いた非農林産業の法人所得と勤労所得の構成比では法人所得の増加率が相対的に高かったので、勤労所得が22年の96.5%から79.5%へと縮小をみている。
31年の非農林業の分配所得構造を戦前の状態と比較してみると、個人業主所得が1.5%縮小し官公営事業剰余が4.5%縮小しているのに対し、勤労所得と法人所得はそれぞれ4.5%と1.5%の拡大をみている。官公営事業剰余の縮小は国鉄等の公企業の事業剰余が戦前に比べ著しく縮小していることの反映であるが、個人業主所得の縮小は個人企業の法人化及び新設企業における法人企業の割合の増加による個人業主所得の法人所得と勤労所得への分解の影響である。すなわち、非農林業の雇用労働者は戦前よりも約4%ほど拡大しているので勤労所得の4.5%の拡大はほぼこれに見合う程度のものと考えられる。従って勤労所得と法人所得との構成比では戦前と31年とではほとんど変化を示していない。すなわち、戦前は勤労所得が79.9%であったものが31年には79.5%を示している。さらに、非農林業の一人当たり個人業主所得の上昇率を勤労者のそれと比較してみると、非農林業種は戦前に対し535倍上昇しているのに勤労者は371倍の上昇であるから、この点からみても労働所得の分配率が高まっているということは困難である。
以上のように最近の非農林産業の中の勤労所得と法人所得の割合はほぼ戦前の状態に近くなっているが、産業によってはかなりの相違がみられるので、勤労所得と法人所得の構成比から産業別の変動をみることにしよう。産業別の変動は大きく分けて三つの型がみられる。その第一は製造業、建設業、卸小売業等である。これ等の産業の勤労所得の割合は景気循環的な変動を別とすれば戦後一時拡大の後、ドッジ中間安定期前後からは一貫して低下傾向を続け、最近では戦前(9~11年)の構成比よりも縮小あるいは同水準となっている。第二の型は運輸通信その他の公益事業であり、戦後の推移においても景気循環的な変動率も少なく、戦前に比べると大幅に拡大している産業である。第三の型は鉱業と金融保険業であり、戦後一時拡大の後28年頃までは勤労所得の割合が低下を続けてきたが最近再び上昇し、なお戦前の構成比よりも高い産業である。
以上の関係を最も比重の大きい製造業についてさらに詳しくみることにしよう。工業統計によると附加価値の中の賃金所得の割合である労働所得の分配率は、終戦直後の22年には49%にまで拡大をみたが、その後は好況期に縮小し、不況期には拡大するという短期循環的な変動を経ながら趨勢的に縮小傾向をたどっている。これを最近数ヵ年の推移でみると、25年には46.7%であったものが、30年には37.8%、31年に00は35.5%に著しい縮小を見ている。産業別には紡織業と衣服身回品があまり大きな低下を示さないのを除くと、食料品、木材木製品、家具装備品などの軽工業においても、化学、石油・石炭製品、第一次金属、機械工業の重化学工業においても著しい分配率の低下がみられる。特に石油・石炭製品と金属、機械関係の低下率が著しい。31年の分配率を戦前(昭和10年)と比較してみると工業平均でほぼ戦前水準にまで低下してきている。
しかし、産業別には大きな開きがあり、戦後の推移において著しい低下傾向にある金属、機械、化学等、重工業はいずれもなお戦前の分配率を上回っている。これに反し、戦後の推移においては分配率の低下速度が鈍い紡織、食料品、印刷、製材木製品等の軽工業は戦前の分配率よりもはるかに低下している。
以上のように、戦後の分配率の変動は産業によってかなりの相違がみられるが各産業に共通的なことは終戦直後一時拡大し、23~4年頃を境にして趨勢的に低下傾向にあることである。終戦直後の一時的な上昇は実質賃金の極端の低下と戦後の民主化による労働組合の再組織等が影響を与えているものと思われる。その後の分配率の低下傾向は経済の拡大発展により実質賃金が向上するに伴い資本への配分を相対的に強めてきた回復過程とみることができよう。しかし、産業間には特殊な要因がある。例えば運輸通信その他の公益事業の勤労所得の構成比が戦前よりも著しく拡大しているのは、一つはこの産業の実質所得の上昇率は他産業に比べて著しく高く、労働組合の組織も強固であり賃金上昇率も鉱業と並んで最も高いことである。他の一つは料金価格が一般物価に比し低位に抑えられていることである。そのため附加価値生産性の上昇率が低く分配率を高めているものと思われる。これに対し、鉱業の勤労所得の構成比の上昇は物的労働生産性の上昇率が工業に比べるとかなり低位にあるのに対し、戦前の低賃金の基盤をなした農村の低生活水準が農地改革によって改善され、戦後の労働組合の強固な組織と相まって賃金上昇を高めたことと、産業自体の需要の伸び悩みのために附加価値生産性の上昇が相対的に低いことの影響と考えられよう。
建設業の勤労所得の割合が戦前に比し低位にあるのは、賃金上昇は他産業に比べると低位にあるのに対し、物価は製造業を2割も上回る上昇をしているため附加価値生産性の上昇が相対的に高くなっていることが影響を与えていよう。製造業についてはさらに詳しい観察が必要である。まず25年から31年までの分配率の低下要因をみると、工業全体では物的労働生産性の上昇率よりも賃金上昇率は常に低位にあるので、単位生産物当たりの労賃コストは若干づつ低下している。
すなわちドッジ中間安定期以後の製造業の賃金上昇は労働組合の年次にわたる賃上げ攻勢にもかかわらず、工業全体でみる限り労賃コストを上昇せしめるまでには至っていない。これは最近における西欧諸国とはやや事情を異にしている。一方物価は25年から26年にかけて約4割上昇し、その後もほぼその水準を上下しているので、物価上昇による附加価値の拡大が分配率の低下の大きな要因といえる。28年以降においては不況期にも分配率の低下がみられるが、これは石炭その他の原料価格の低落が製品価格よりも大きいため附加価値率が拡大しているからである。さらに31年以降については物価の再上昇と労賃コストの低落が影響を与えていよう。
しかし、このような傾向も産業によってはかなりの相違がある。例えば、紡織、石油・石炭製品、化学などは賃金の上昇率も高いが、物的労働生産性の上昇率は賃金上昇率をはるかに上回っているので労賃コストは大幅に低下している。しかも、化学と石油・石炭製品の物価は30年においても25年よりも約2割高い水準を維持しているので、労賃コストの低下と物価の上昇が分配率の低下要因となっている。これに対し、紡織業の物価は26年に約4割上昇したがその後は漸落し30年においては25年の水準よりも低下しているので、労賃コストの低下は物価の低落に吸収され、分配率は26年以降ほとんど横ばいに推移している。
一方、物的生産性の上昇が低く賃金の上昇がこれを上回って労賃コストが上昇している産業に、木材木製品、ガラス土石などの産業がある。これ等の産業では労賃コストの上昇以上に物価の上昇率が大きいため、分配率はかえって低下をみている。しかも労賃コストの上昇が物価上昇の要因をなしているのではなく、需要の増大と原料価格の上昇に支えられた製品価格の上昇がほぼ一般産業並みの賃金上昇を可能にし、かつ分配率の低下をもたらしているものである。
さらに、戦前との比較における産業別の相違をみよう。戦前に比べ金属、機械、化学等の重化学工業の分配率が上昇し、反対に紡織、食料品、製材木製品等の軽工業の分配率が低下しているのは重化学工業の賃金上昇が特に高いからではない。戦前に比べ賃金上昇率が最も高いのは紡織と化学で、最も低いのは製材木製品、食料品と金属、機械である。窯業土石と印刷等はその中間にある。紡織業の賃金上昇率が高いのは、戦前における低賃金の基盤をなした農村生活水準が向上したことと、物的、価値的生産性の上昇率の高いこと等の影響であろう。しかし附加価値生産性の上昇率は賃金の上昇率をかなり上回っているので相対的に分配率を低めている。これに対し、化学産業は物的生産性の上昇率は最も高いが、他産業に比べると物価の上昇率が低く、賃金上昇率が附加価値生産性の上昇を上回っているのでかえって分配率は拡大している。一方、機械、金属等の重工業は物的生産性の上昇率は紡織を除いた軽工業よりもはるかに高いにもかかわらず、賃金の上昇率は低く、しかも分配率が上昇しているのは主として製品価格の上昇率が低く、かつ原料価格の上昇率も大きいため附加価値率が低下し、附加価値生産性の上昇率が賃金上昇率よりも低いからである。従って、重工業における労働組合の組織の強化が特に分配率を高めた要因とみることはできない。このことは巨大企業が大部分を占める鉄鋼、鋼船、自動車等の賃金上昇率が工業平均よりも著しく低いことによってもうかがえるであろう。これに対し、紡織を除いた軽工業は一般的に物的生産性の上昇率も低く賃金の上昇率もやや低目であるが、製品価格の上昇率が高く、附加価値生産性の上昇率が賃金上昇率を上回っているので分配率の低下をもたらしている。
以上のように産業別の分配率の変動は賃金の上昇率の高低よりも製品価格及び原料価格の変動、すなわち、市場の変動によって大きな影響を受けているといえる。さらに我が国工業の分配率をアメリカと比較してみると、我が国の分配率の低さと変動の激しさが特徴的である。アメリカの工業配分率は20世紀の初頭からほぼ50%前後で景気変動においても比較的変動の幅が少なくて趨勢的には微増傾向にある。また、我が国の分配率は産業間の開きが大きく、特に規模別の開きが大きいことも特徴的である。
以上のように戦後の労働所得の分配率は終戦直後の一時的な高まりの後、一部の産業を除いて趨勢的な低下傾向にあり、最近ではほぼ戦前の状態にまで低下してきている。分配率の低下、資本所得の拡大は投資の増大を招きある限度までは雇用の近代化を促進する。しかしながらそれにも国内消費需要の基盤を培うための限界があるのであろう。