昭和33年
年次経済報告
―景気循環の復活―
経済企画庁
各論
貿易
構造変動と日本の貿易
以上で日本の貿易の変動の様相をみたが、戦後の貿易には循環的波動とは異なった長期的な変動がある。この変動の性格はどのようなものであったか、次にその主要な点を抜き出して検討してみよう。
輸入依存度の趨勢と輸入構成の推移
戦後の輸入は変動を除いてやや長期的にみればかなり高率の増勢にある。輸入数量の増加率は昭和23年から27年迄の前半は年率37%、それ以降32年までの後半の5年間は年率19%の増加であった。
輸入増加率が高かったのは、一つは経済の成長率が大きかったためであり、他の一つは輸入依存率の上昇である。経済の成長につれて輸入依存度が高まるか否かは経済の性格によって異なる。日本でもこの両者の関係は、歴史的にいろいろな変遷を経てきた。大きくいえば、明治の初めから大正の末期までは、経済が国際分業型に発展し、輸入拡大率が経済成長率を上回り輸入依存度は上昇した。昭和に入ってからは経済構造は次第に自足型となり輸入依存度は低下に転じた。その後金本位制の離脱に伴う為替レートの低下等の影響を受けて攪乱されはしたが、実質的には、輸入依存率の低下傾向は一貫して続いたものとみられる。戦後の日本経済はこの低い輸入依存率から出発した。戦前に比べて戦後の依存率が低くなった最大の要因は、化学繊維工業の発達と、重化学工業の発展による綿花、硫安、銑鉄、機械等の輸入の低下であった。
しかし、戦後には再び依存度の上昇がはじまり昭和25年には10%であったのが31年には16%、32年には19%にまで上昇している。32年の上昇には景気変動に伴う一時的なものが含まれており、今後この趨勢で継続して上昇するというわけではない。しかし、現在の輸入の傾向をみると食料、綿花等は経済全体の拡大ほどには増えないが、逆に、石油、鉄鉱石、くず鉄等経済成長率以上のテンポで増加しているものも多い。
長期経済計画でも、将来、食料は消費率低下と増産で、また繊維原料は消費率の低下と合成繊維工業の発達で輸入増加率が低くなるが、他方経済の高度化につれて同一の国民所得生産のためにも、エネルギー、機械、鉄等の使用量が増えるので、この投入形態の変化に伴い機械、鋼材、石炭、石油、鉄鋼石等の輸入は国民所得の成長率以上に上昇するものとみている。輸入依存度には将来低下する要因と上昇する要因とがあり全体としての動向を予測することは困難であるが、経済の発展に伴い新しい輸入需要が生じてくることは注意すべき点であろう。
輸出の回復水準
輸出について特徴的なのは、その絶対量の小さいことだ。戦後の足取りだけをとってみれば、輸出回復テンポは早いが、それでも32年までに到達した輸出のレベルは非常に低い。それは次の二つの比較を行うとはっきりする。
第一に、他の経済指標と比べることである。 第47図 は実質国民所得、鉱工業生産、農業生産、消費水準、輸入水準、輸出水準の昭和9年~11年を基準とした現在水準を示すものであるが、他の指標が既に戦前レベルを越しているのに輸出だけはまだ戦前より低いことが特徴的である。
第二に世界全体の貿易の発展水準と比較することによって、日本の輸出回復の立ち遅れは一層はっきりする。世界の貿易量は戦後大体順調に伸び続け、現在では戦前(1938年)を100として187と2倍近くになっている。これに対して日本は戦後だけをとってみれば回復率は世界を上回って著しいが、戦後の出発点が低いため、32年に至っても戦前(9~11年)のレベルにまで到達していない。2倍に拡大した世界貿易の中にあって、戦前の規模を回復していないのであるから当然世界の輸出総額に占める比率も低下している。世界貿易中の日本の地位をみると 第11表 の通りで、輸入では総額の4%で戦前比率に近づいているが、輸出では2.8%で戦前の5.4%に比べ大幅に下落している。輸出額の大きい順に並べてみても、戦前は日本は米、英、独につぎ第4位であったのに現在は第8位である。32年の日本の輸出は28億5,000万ドルであったが、もし世界の全輸出額中日本が戦前と同じわけ前を取得したならば、54億ドルとなる。日本の長期経済計画の輸出目標は昭和37年度に47億ドルであるからこの計画目標は世界貿易における戦前の地位を回復するならば到達できるはずである。
もっとも、このように輸出回復水準は遅れているが、交易条件が安定しているので輸入品の購買力は輸出増大につれて増加している。戦前の昭和6年以降の動きと比較すると当時は為替レートの下落の影響で輸出価格に比し輸入価格は割高となり商品交易条件は不利となっていった。
しかし、戦後は世界の需要が工業品に強く第一次生産物に弱く働いたので、工業品の価格強調にひきかえ、石油、石炭等エネルギーを別とすると食糧、綿花、羊毛、生ゴム、錫等の第一次生産物の価格は低落傾向にあって、このことが加工貿易を主体とする我が国貿易にも幸せし、 第49図 にみるように交易条件は不利化することなく横ばいで推移したのである。
このため輸出の輸入購買力ともいうべき所得交易条件(商品交易条件×輸出数量)は好転している。 第50図 にみるように、戦前では商品交易条件の不利化のために、輸出数量増加が100%であっても30%の輸入購買力しか増加し得なかったが、戦後は100%の輸出数量増加は、ほぼ100%の輸入購買力増加を可能としているのである。
輸出商品構造の変化
輸出の構成にも趨勢的な変化がみられる。戦前の日本の輸出は、繊維品が全体の半ば以上を占め、ついで雑品、食料、飲料、金属、機械等の順であった。
このうち、金属、機械は、朝鮮、台湾、中国本土等日本の独占性の強かった市場に対する輸出が中心であって、その他の地域に対する輸出では著しく軽工業品にかたよっていた。
この輸出の構成は戦後次第に変化した。変化の方向は、繊維品の比重の低下、機械類の比重の上昇である。
その原因は、国外、国内の両面にある。
まず海外需要の変化は日本の輸出構成の重工業化を必要とした。世界の貿易商品のうちには需要拡大率の高いものと低いものとがあり、貿易商品構成は時とともに絶えず流動している。世界の主要工業国10カ国の輸出合計中の商品別のウェイトの変化をみると 第51図 の通りで、戦前と戦後を比較して総輸出額中で相対的なウェイトをますます高めてゆく機械、車輌、化学品のような商品と、逆に次第にウェイトを低下してゆく繊維製品、原料、食料との間にははっきりした対照がみられる。
これは20世紀の初めから一般的にみられる長期的傾向である。商品によって貿易額の伸び方が違う理由はいろいろ挙げられている。世界全体の所得が高まってゆくと、商品別の需要の形態が違ってくることはその一つの理由である。また資本の蓄積や技術の発展につれて、各国がそれぞれ専門を伸ばし国際分業化がますます進む商品と、反対に従来の輸入に代えて自給したり代替品ができたりする商品にわかれてくること、すなわち商品によって異質化と同質化との別が生じてくることは他の理由である。食料、原料、繊維品の貿易の比重の低下は、所得増加率に比べてこれらの物資の消費増加率が低いことと、自給化、代替品の発達等の両者が原因となっている。また、機械、車輌、化学品などは所得が増えるにつれてその需要割合もますます高まるとともに、工業国相互間でも分業化して貿易化量が増加している。世界貿易の構成のこの変化は日本の輸出構成を重化学工業へと移行することを必要とした第一の理由である。
しかし輸出構成の変化の理由は国内にもある。その基本的なものは国内における資本の蓄積と技術の発展である。一単位の生産物をつくるために必要な資本は、商品の種類によって著しく違う。商品一単位の生産に直接、間接に必要な固定資本の額を産業関連表によって産業別に比較すると、機械、化学、鉄鋼等は高く、繊維、雑品等では低い。従って、これら重化学工業品が輸出産業として有利となるためには、国内の資本の蓄積がすすまなくてはならない。日本の資本の蓄積額を歴史的に比較するには十分な統計が欠けている。しかし国富調査によって大体の傾向をみると、 第13表 のような推移を示しており戦争による被害にもかかわらず、人口一人当たりの機械器具の比率は戦前を上回っている。日本経済の重化学工業化は戦時中におし進められた政策の結果でもあるが、しかしその背後にはこのような国内資本蓄積が進んでおりこれが資本集約産業である重化学工業の輸出比率を上昇させた一因となったと思われる。
資本の蓄積と深く関係しているが、戦時、戦後を通じて日本の重化学工業の技術が発達し、生産性の上昇率も化学や機械は繊維や雑品等に比べて、急テンポであったことも輸出構成の変化の他の一因である。日本の機械工業、金属工業、化学工業等の発達は繊維工業等に比べ著しく遅れ、綿布は明治40年代に既に輸入をこえる輸出産業になっていたのに対し、他の産業では、輸出額が輸入額を上回ったのは、機械、鉄鋼は昭和10年頃また硫安は昭和26年以降であった。しかし現在では、国内の重化学工業が発達し昔の輸入品は輸出商品へと転化することとなった。
輸出の重化学工業化をすすめた別の原因としては国内の賃金格差が狭まった、という点も挙げられる。日本経済は現在でも近代部門と前近代部門との二つの異質的な経済部門が併存するということによって特色づけられているが、これを戦前と比較すればかなり改善されている。戦前の日本の繊維、雑品工業の輸出はこの国内経済の特殊な構造から生み出された低賃金労働を利用したために国際競争上特に優位に立っていたのであるが、戦後にはこのような特殊条件に基づく繊維、雑品輸出の有利性は次第に少なくなり重化学工業品の輸出が相対的に有利となってきたのである。
輸出地域構造の変化
輸出地域構造にも注目すべき変化が現れている。まず戦前との比較では、朝鮮、台湾、中国本土等近隣諸国への輸出比率の低下と、北米、東南アジア、ヨーロッパへの輸出増加が顕著である。輸出数量がまだ戦前まで回復していないのも、近隣諸国への輸出不振が原因であって、これ以外の地域に対する輸出は、戦前をほぼ5割上回っている。近隣諸国との貿易の低下は、政治的な関係の変化によるところが多い。しかし市場構成の変化には相手国市場の経済発展率の相違や需要構造の変化が反映されているという面も見落とせない。北米は、輸入増大率が特に高い地域であってそれが日本のこの地域に対する輸出比率の上昇をたすけている。戦後の趨勢だけをとってみればこの点はさらにはっきりしており、北米、アフリカに対する上昇傾向と東南アジアや近隣諸国に対する低落傾向との対立は顕著である。需要構成の変化としては、アメリカの生糸需要の縮小、インドの綿布輸入の消滅が最も重要である。
経済構造の変動に対する貿易の適応
戦争によって世界経済から約10年間切り離された後に日本が国際市場へ復帰しようとした際、そこに現れた内外の諸条件は大きく変わっていた。上述の商品構成や地域構成の変化はこの内外経済構造の変動に対する日本経済の適応の姿を示すものである。しかし前述の変化にもかかわらず、現在の日本の貿易構成はまだ十分に新しい経済環境にとけこみ適当な国際分業形態をつくりだすには至っていない。世界経済全体の中に占める日本の地位は現在どのようなものとなっているか。まず商品別にみて戦前の日本の輸出で国際的に大きな比重を占めていたのは 第18表 にみるように、繊維品、雑品、食料、原料(生糸を含む)の順であり、金属、化学品、機械等はわずかな部分しか輸出していなかった。ところが戦後においても世界の総輸出に占める日本の輸出比率はやはり繊維品が大きく機械や化学品ではかえって下落している。 第19表 は戦前、戦後の工業国の輸出合計中に占める日、独、英、米の比率の変化を、世界の需要構成の変化による部分と、植民地の喪失や競争力の変化から生じた商品別の分前の変動による部分とに分解して示したものであるが、この表から世界の輸出における日本の地位の下落が、そもそも輸出構成が世界の需要趨勢にマッチしていなかったうえに、機械や化学で世界の輸出に占める比率が低下していることにもよっていることが知られよう。輸出構成の重化学工業化は日本だけをみればすすんでいるが世界全体の動きと比較してみれば、日本は戦前より後退しているのである。日本の貿易は消費財の輸出では優れているが、経済発展に伴い需要が増加する重化学工業品の輸出では劣っており、このような輸出構成では発展する世界経済の中にあって輸出国としての地位を高めてゆくことは難しい。
第19表 主要工業国の総輸出中に占める各国の輸出比率変化とその原因
しかし次に地理的な市場構成の特質をみると日本の貿易は単に重化学工業化しさえすれば伸びるというわけにはゆかないことがわかる。 第16表 は戦前と戦後の世界貿易の方向を示すものであるが、日本の輸出は戦前から工業国と非工業国との両地域に対して大体均等の比重をかけた。1928年には日本の地域別輸出構成は工業国が2分の1、非工業国と中国本土がそれぞれ4分の1という割合であった。この比重は戦後変化したが貿易の二面的形態はかわらない。( 第16表 のうえでは非工業国向けが多いが、これには実際の需要先が工業国であるアフリカ向け船舶が2億ドル以上含まれている。)他の工業国や非工業国では工業国向け輸出の方がはるかに多いのに対し、日本の輸出は二つの異なった性格の地域にほぼ等しいウェイトをおいている。この貿易市場の二面性は日本経済が、高度工業国と後進国との中間的な発展段階にあり、先進国に対しては労働集約商品で、後進国に対しては資本集約商品で比較生産費上有利な地位にあることから生ずる特徴といえよう。
日本は現在では先進工業国に対しては、 第17表 に示すように資本蓄積でも劣り、また 第20表 に示すように産業間賃金格差も重化学工業に不利となっている。従って先進国との間に重化学工業品を中心とする高度の分業関係が成立するためには、今後の経済の高度化にまたなくてはならない。当面の貿易発展の途は、この二つの異質的な市場との間でそれぞれの性格に即した分業関係を発展してゆくことであろう。
第20表 日米両国主要製造工業における1時間当たり稼得の比較順位
しかしこの分業関係の発展には多くの困難がある。戦前の貿易の形態を地域別にみると、対米貿易では生糸輸出、綿花、原油輸入、また東南アジア貿易では綿織物、人絹織物、綿糸、雑品の輸出、綿花、生ゴム、麻、鉄鋼石、錫等の輸入、また近隣諸国との貿易では綿織物、鉄鋼、小麦粉、機械、雑品の輸出、米、砂糖、大豆、粘結炭、鉄鋼石の輸入を行っており、このような国際分業構造の存在が国内の生糸、綿紡、雑貨、鉄鋼、機械等の各産業の発展と密接に結びついていた。しかし戦後には国内経済構造と海外市場との調和は破壊された。まず近隣市場との貿易の縮小が全体の輸出回復水準を低めていることは前述したが、特に日本の戦前の輸出入中に占める共産圏貿易の比重は他の工業国に比べて大きかったから、東西貿易縮小の影響は強かった( 第21表 )。この変化に対応して日本は 第22表 に示すように輸入は北米へ、輸出は東南アジアと北米へと比重を転換したのであるがこれによって新しい分業構造が再建されたとは言い難い。アメリカには、輸入では綿花のほかに、くず鉄、粘結炭、鉄鋼石等の鉄鋼原料、小麦、大豆等の食料まで依存することになったのに対し、輸出では生糸が昔日の重要性を失い、これに代わりカメラ、衣類、雑品等の輸出が増加した。しかし、軽工業品は前述のようにアメリカの国内産業と競合し十分な輸出ができず、対米貿易は膨大な入超となっている。東南アジアに対しては綿布輸出がこの地域の自給率の向上によって減少しているのに対し、これに代わる鉄鋼、機械、化学品等はまだ十分な国際競争力を獲得していない。また米の輸入必要量が減少したために東南アジアの米産国に対しては輸出入のアンバランスの傾向が生じこれが輸出を妨げている。 第16表 の下欄は戦後の世界貿易網における日本の地位を示しているが、共産国貿易の縮小と、アメリカを中心とする工業国、東南アジアを中心とする非工業国との分業関係の成立の不十分なことが日本の貿易の発展を妨げているのを知ることができよう。
以上のように後進地域に対する重化学工業品では競争力が弱く、また、先進国に対する軽工業品の輸出では相手国の国内産業と競合して輸入制限のうごきがある。さらに輸出市場と輸入市場とが分裂して貿易の拡大を妨げている。これらのことはいずれも相互補完的な国際分業構造がまだ十分再建されていないことを示すものにほかならない。