昭和33年
年次経済報告
―景気循環の復活―
経済企画庁
総説
景気後退のメカニズム
生産、雇用、国民生活
以上、景気循環の原動力である民間投資のモーターはどのように動き、それに財政金融政策の操縦桿がどのような力を加えたかを述べてきた。以下に、それによって経済の実体面がどのような影響を受けて回転したかを、まず生産動向から述べてみよう。
生産
前述のような在庫投資の大幅な減少に基づく国民総需要の減退は、生産に下降圧力を加えた。しかるに製造業者のこれに対処する動きは、卸売業者に比べればはなはだ鈍いものがあったといわなければならない。なぜならばメーカーは商社に比べて多数の雇用を抱えており、操業度の低下に伴ってこれらの人員を整理することはそう簡単ではない。また化学その他の装置産業においては、固定費が大きいため生産を落すことはコスト上昇を結果する。これらの事情がまず生産調整を躊躇させたようである。
第二にメーカーは32年夏以来の需要の低下の度合をやや甘くみていた傾向があるようだ。前述したように29年に比べると景気上昇期の蓄積が急激であったため、その反動として在庫投資の減少も大幅かつ持続的であったが、メーカーはこの在庫調整の幅とテンポを見誤った。例えば鉄鋼がその好例である。機械工業その他鉄鋼を消費する産業でもっている鋼材は3~4カ月もすると使いつくされてしまうから10月頃になれば再び在庫補充がおこり需要が増えるに違いない。鉄鋼業者はこのような見込みで生産低下の幅を加減していた。ところが輸入鋼材を含めて在庫蓄積の量は、業者の考えていたよりもはるかに大きく業者の期待は手痛く裏切られた。
第三に操業短縮によって生産を下げるとそれに関連して需要が連鎖反応的に減るという関係がある。例えば人絹の生産を落せば、レーヨンパルプ、苛性ソーダの需要が減り、それが塩や石炭の生産を減らすというような関係である。このように一つの産業で生産を低下させると、それに基づいて全体の需要が減ってくるという関係を、産業連関表にちなんで、「連関需要の減退」と名づけることにしよう。連関需要の減退は、産業の迂回度が高いほど大きくなることはいうまでもない。従って鉄鋼や機械で生産を減らすと、それが石炭の需要を減らし、回り回って鉄鋼や機械にはね返ってくる。産業連関表を用いて試算すると、在庫投資を1億円減らすと、工業全体の生産額は2億7,000万円減らねばならないという関係があるようだ。こうして操業の短縮がさらに需要を減退させるので生産の低下は縮小する需要になかなか追いつけなかった。
このような種々な理由で生産の調節は遅れた。需要が減り出荷が低下するのに生産の低下がこれに伴わなかったために二つの影響が現れた。一つは滞貨の累積であり、二つは市況の悪化、すなわち卸売物価の低落である。滞貨の増加については既に述べた。卸売物価の低落を主導したのは繊維と鉄鋼である。繊維の価格は既に引締以前から駆込み増設による設備の過剰と、それに伴う生産過剰によって低下傾向にあり、金融引締めはそれに追打ちをかけた形になっていた。鉄鋼の過剰は輸入鋼材の過剰によって激化した。我が国の場合、生産や物価の動向において鉄鋼、繊維両産業の占める比率はいつも大きいが、在庫中に占める鉄鋼と繊維の比重は特に大きく、その変動も著しいために在庫調整を主体とする景気後退の際には特に大きな影響を及ぼすという特色がうかがわれる。 第15図 にピーク時からの各業種別の物価及び生産の低下率を示したが、鉄鋼と繊維が生産及び物価において大きな比重をもっていることがうかがわれるであろう。このような市況の低落と滞貨増大の圧力によって、多くの産業において操短を次第に強化せざるを得なくなった。
この結果32年度の鉱工業生産指数は144(通産省調30年=100)と年度間比較では12%の上昇であるが、上期の対前年同期比21%が、下期には4%とその幅を縮めており、3月の水準はピーク時より10%も低い線にある。このため通産省調べの設備の操業率は、工業全体として32年3月の79%が9月には75%に落ち、33年3月のそれは70%程度まで落ちこんだと推定される。
しかし、33年度に入ってからは在庫減らしのスピードも落ちた模様で、生産調節の奏効と相まって生産水準は需要水準を下回ったとおぼしく製品在庫は増加から転じて減少の傾向に向った。しかし製品在庫は前年同月に対してなお3割高の水準にあり、これと出荷との関係が30年頃の水準に戻るまでにはなおしばらく操短の継続を必要としよう。物価もほぼ3月を境に低落のスピードを緩めたが、なお世界景気の動向、累積した滞貨の圧力等々の悪要因によって弱含みの域を脱していない。
生産の低下に加えて物価の下落が重なり、企業経営は著しく悪化した。大蔵省調べ法人企業統計によれば、全産業の総資本利益率は32年上期の6・1%から、下期には4・2%へと急落している。中小企業については前述のごとく29年当時のようなはなはだしい痛手は受けないでいるものの、景気沈滞の長期化とともに、企業整備件数などにみられるごとく次第に悪化の度を深めている。
これに対して農業経済は、全体として景気後退の圏外に立っていたということができるであろう。32年度の農業生産は25~27年基準で123と、空前の大豊作といわれた30年に迫り、史上第2位の豊作であった。この生産の増大は基本的には農業技術の発達、農業資材の増投、生産基盤の整備等による農業生産力の上昇によってもたらされたものである。戦前においては農産物の豊作が必ずしも農業経済の繁栄を意味するものではなく、豊作貧乏という言葉があった。すなわち豊作によって農産物価格が激落し、所得が低下したことを指すものである。しかるに、今日の農村においては、何故に豊作がそのまま農業所得の増大を意味するか、そして、何故に32年の農業経済がデフレの影響を被ることが比較的軽微であったかなどについては各論「農業」の項に詳しいが総説においても後に言及するであろう。
雇用
工業生産の低下に伴って雇用面における景気後退の影響も7月を転機として次第に明らかになり始めた。人員整理を行った企業の数や、それによって整理された人員の数も漸次増加の傾向をみせた。このような動きを反映して、常用雇用も7月をピークに8月からはわずかながら減少傾向に移っている。しかしそれも当初においては綿紡、化繊を中心とする繊維関係にほぼ限られていた。もちろん他の産業にも減少は次第に波及していったが、従来雇用変動期において常に大きな影響を受ける機械、金属等は今回は比較的景気後退の影響を受けることが軽微であり、石炭や運輸通信等は年末までは増加を続けていた。その結果産業総数の常用雇用はピークから2月までに2・0%の減少であったが、29年の同期が3・3%であったのに比べるとかなり少ない。このように景気動向に比較して、今までのところは雇用面の影響が軽かった理由としては次のような原因が考えられるであろう。すなわち、30年以来の好況持続によって企業内の過剰雇用は解消し、また経営基盤が強化されたこと、解雇に対し労働組合は強い抵抗を示すことなどを背景に生産減少にもかかわらず、労働時間の短縮等によってこれに対処し、企業は余剰人員をある程度抱えているもののごとくである。
他方賃金は労働時間短縮を反映した超過勤務給の大幅減額や、ベース・アップの幅が小さくなったことなどを主因にして上昇傾向が次第に鈍化してきた。もっとも、消費者物価は引締以降もしばらく漸騰を続けたために、実質賃金は次第に停滞し、32年秋には一時前年水準をも下回った。この結果、年度平均では全産業平均賃金は名目で4・6%上昇したが、実質的には約2%の上昇にとどまった。
国民生活
景気後退の浸透の差によって32年度上期と下期では国民生活に大きな差違がみられる。上半期は神武景気の余恵として春季闘争による賃上げ、4月からの減税による税引所得の増加によって、都市の消費購買力は前年を上回る増加趨勢を続けた。しかし下半期になると、前述のような雇用の減少や賃金の停滞に伴って都市消費は年末ボーナス期を除いてあまり増えないようになった。
なお都市の消費を年度平均でみると名目では7・4%とかなりな伸びを示したにもかかわらず、消費者物価の2・4%の上昇を差引くと消費水準は4・7%の増加にとどまっている。
一方農村の消費は豊作の継続によって年初から漸増傾向を続け、前年の伸びを若干上回って、実質2・3%の上昇となった。都市、農村を平均した消費水準としては3・7%の伸びで、ほぼ前年なみの上昇であった。32年の消費が、景気の下降に転じてからもなお漸増傾向を続けているのは、消費の基礎となる個人所得の大きな部分を占める賃金と、農業所得が景気変動に対して非弾力的な性格をもっているからである。しかし、年度平均でみると、前半の好況が影響して消費の伸びは経済の成長率よりも低く、貯蓄性向は前年よりさらに上昇している。貯蓄性向は景気変動によっても循環的に上下するが、最近の上昇傾向にはそれ以上の趨勢的なものがうかがわれる。それはまず国民消費水準の回復である。農村の消費水準は26年に戦前水準を回復し、都市のそれは30年に戦前水準に戻ってそれ以後は伸びの鈍化がうかがわれる。言葉をかえればわずかの支出で買える品目は買ってしまったが、住宅その他の大物の購入に備えて貯蓄している姿でもある。
第二に戦前に比べれば、各家庭の貯蓄保有額が少なく、不時の出費に備えて貯蓄を増大しておこうという気持が増加しているようだ。第三に25~6年以降所得の格差が次第に拡大している傾向がうかがわれることである。勤労者世帯の所得階層で比べてみると、景気のよいときには格差が狭まり、景気が悪くなるとそれがひろがる傾向があるが、勤労者世帯とそれ以外の世帯と比べてみると、各年その格差が拡大していることがうかがわれる。高額所得者の所得が増え、低額所得者の所得がそれほど増えなければ、高額所得者の貯蓄性向は高いから国全体としてみれば貯蓄性向が高まるわけだ。