昭和33年
年次経済報告
―景気循環の復活―
経済企画庁
総説
景気後退のメカニズム
昭和32年度経済のバランスシート
昭和32年度経済は後半に入って縮小したが、年度全体としては引き続き高い成長をとげ、30年、31年、32年と国民所得の実質成長率は8%、10%、9%と推移している。
これを主要諸国と比べてみても、 第19図 のように経済の拡大率は相変わらず高い。しかも各国と比較して目立った特色は、輸出の伸びに対して鉱工業生産や国民所得、あるいは輸入の増大率が大きいという点にある。これは我が国において投資の増勢が特に強く、それを原動力として経済が拡大したことの現れにほかならない。
30年には投資が比較的落ち着いていたにかかわらず、31年、32年の投資比率の増大は猛烈だ。財政投資を含めれば両年とも国民総生産の30%以上を投資しているのであって、まさに驚くべき投資比率である。おそらく31、2年の投資の実額は我が国が太平洋戦争に入る前に生産力拡充をやった15年の一時期にも比較すべきものと思われる。四半期別比較によってその状況をうかがえば、前にも述べた通り、31年暮以来、在庫投資の増加とその減少による変動が著しい。
現時点を1年前に比べて「年率」として需要側の増加と減少の要因を調べると、次のようになる。31年の10~12月から32年の4~6月までに総需要は14%、1兆5,000億円増加し、その増加の4割以上が在庫投資であった。続いて32年の10~12月期までに総需要は9%、1兆1,000億円減少し、その減少のほとんど全ては、これまた在庫投資であった。1兆1,000億円の総需要の減少が、総供給の側においていかにして見合っているかを検討すると、国民総生産において約6,500億円、輸入において4,500億円(12億ドル以上)の減少が在庫投資の減少に見合っているのである。
需要の変動は、在庫投資の一人相撲により、国際収支の変動は輸入の一人相撲によって生じた。現状においては需要水準よりも生産水準が低く、輸入水準は現在の生産活動に見合う水準よりもさらに若干低いと思われる。生産の方が需要を下回っていることは、3、4月以降の製品在庫の減少によってうかがわれ、輸入水準が現在の経済活動に見合うよりも、やや低目であることは、輸入原材料在庫が緩やかではあるが、減少傾向をたどっていることによって推測できよう。そこで生産をこれ以上大幅に引き下げなくとも、いわゆるナベ底型の低位横ばいに推移させれば滞貨は処分されてゆく。滞貨が解消すれば生産水準を少なくとも需要に見合う水準まで引き上げることができよう。しかしそのことをもって景気が沈滞局面を切抜けたと称し得るであろうか。
ここでもう一度現在日本経済が直面している生産過剰の性格を考察してみよう。それはいうまでもなく外貨危機と同じく過去の投資の行き過ぎの反動である。アメリカのように国際収支の心配のない国では、いくら投資をやり過ぎても外貨危機は起こらず、その反動はまず生産過剰となって現れる。しかし、我が国の場合は投資の行き過ぎはまず輸入の増大を惹起して外貨危機を招き、それを引締政策によって鎮静した後に生産過剰が顕現する。日本経済の現状は外貨危機の花道を通って生産過剰の舞台に到達したところだ。生産過剰には二種類ある。その二種類とは、民間投資に設備投資と在庫投資の二種類があることに対応している。日本経済は既に1年余り、在庫調整の影響を被ってきた。しかし、まだ設備投資の行き過ぎによる反動、生産力過剰の影響はそれほど受けていない。換言すれば、生産過剰は在庫調整劇と設備過剰劇の二幕に分れているのである。もちろん前に述べたように設備過剰は一部産業に著しいのであって全般的に過剰であるとはいえない。老朽設備も残存している。だが、新鋭設備が完成するに従って、償却等固定費は増加するから操業水準を上げなければ、企業の経営採算は悪化する。また老朽設備の操業を停止し新鋭設備に生産を集中しても、それによって浮いてくる人員を整理して労務費を節約できない限り、企業の採算は必ずしも良くならない。償却ずみでタダになった設備を低賃金で動かす企業は、償却費の嵩む新鋭設備を擁する企業と採算的に優に太刀討できるのである。従って新設備ができるに伴って老朽設備が円滑に舞台から退くということはなかなか期待できない。老兵と同様に「老朽設備は死なず」だ。かくて設備過剰は生産過剰に転化しがちであり、その過剰を通じて企業間の優勝劣敗、合併吸収の行われた後でなければ老朽設備が廃棄されないのが今までの経済史の示すところだ。それ故現状の底入れは在庫調整がその緒につき、景気の下降局面が沈滞局面に移ったことを示すものに過ぎない。これからの有効需要の水準についてみると、財政規模の増大の影響が次第にあらわになることや在庫減らしが終了に近づくことはプラスの影響をもつであろう。しかし輸出の前途には前述の通り多くの不確定な要因がある。また設備投資の動向については、基礎部門以外の新規投資が減退の方向にあることは間違いない。従って、これらの要因を差引して需要の総体としては多少増加し、生産水準は上昇するにしても能力過剰の重圧はしばらく日本経済のうえにのしかかるのではあるまいか。
日本経済は第一次大戦後しばらく設備過剰に悩み、慢性的な操業短縮を実施した。すなわち、第一次大戦中未曾有の好景気によって、企業の設備拡張意欲は盛んであったが、当時設備の拡張は機械の輸入によらざるを得ず、このため投資意欲は戦後に持ち越された。そして大正8~9年以後需要が一服したにもかかわらず、蓄積外貨を利用して機械を輸入し、設備拡張が強行された。この増強設備が完成した頃には内外の需要が衰え、大正末年から昭和初年にかけては、能力増大の圧力によって年々6~7%の生産の上昇をみながら、市況と企業採算の悪化は継続し慢性操短は満州事変に突入した後まで解消されなかった。当時の投資は近代化よりも、旧式設備の拡張が多かったから、今日の基礎産業中心、近代化中心の投資と比較することは必ずしも適当でないが、過剰投資がもたらした一つの歴史的経験として想起する必要があろう。
以上のように、日本経済の現状は投資ブームの反動という短期循環における景気の沈滞局面を迎えているが、今後の動向を判断するためには、さらに進んで戦後経済の成長と循環のあとを振り返り、現在がどういう段階にあるかを明らかにしておかなければならない。