昭和30年
年次経済報告
経済企画庁
鉱工業生産・企業
企業経営の現状と課題
緊縮政策下の企業経営
緊縮経済の基調と企業経営態度
昭和29年度経済のデフレ過程のなかで企業経営にも諸種の変化が現れた。まず緊縮政策の波及に対処して、企業経営が一般的にどのように即応しようとする動きをみせたかについて大まかに瞥見すれば次のごとくである。
少なくとも従来の膨張経済のなかでは企業の自主自立的な経営意慾は見失われ、資金の使途等についてもとかく放漫な傾向が生じていた。しかし金融、財政面からの緊縮政策が推進されるにつれて各企業ともこれに対処しうる経営管理体制をとらざるを得なくなり、それが前述のごとき企業における設備投資計画の変更や在庫調整策、あるいは諸経費の切詰めなどの動きとなって現れたのである。
さらに企業がいわば経営の地固めのために自己資本の充実につとめたことも緊縮政策下の一特徴として見逃すわけにはいかない。このことは緊縮政策に呼応した「企業資本充実のための資産再評価の特別措置法」(昭和29年6月施行)によって、第三次再評価がおし進められたことと密接な関連をもつものであった。 第37表 にもみられるように第三次再評価実積はこれまでの第一、二次再評価実施額に比べてもかなり著しい進捗を示した。また緊縮経済下における企業のバランス・シートがどのように変化したかをみると 第38図 に明らかなように、29年度における自己資本の増加が目立つが、そのかなりの部分は再評価実施に伴うものである。そのほか減価償却費のように実質的には内部蓄積に近いものが増加していることも注目されよう。しかもその反面において長、短期借入金の増加テンポが鈍り、相対的には企業の借入金依存度が漸減することとなった。
またこれまでのインフレ環境のなかでは、安易な価格差利潤を求めようとする企業の投機的な動きも多かったが、経済環境が次第に正常に復するにつれて、企業は現存設備をできるだけ集約的に活用し、あるいは生産諸要素をできるだけ有機的に結合させながら、生産性の向上に努めようという傾向が芽生えてきた。
かくて29年度からの企業の動きのなかには経営の安定化と経理面の健全化を目指した方向がみられ、また生産性向上の趣旨に立脚した経営における計画性と科学的管理組織の樹立に対する意慾がようやく高まりつつある。その意味では緊縮政策のもつ経営正常化への効果が徐々に現れ始めているものといえよう。
デフレ経済環境が企業に経営正常化への端緒をもたらしたことは、以上にふれたごとくであるが、次に、より短期的な景気変動の過程として企業の財務面に緊縮政策の影響がどのようにあらわれたかについて検討してみよう。
企業財務面における緊縮経済の諸影響
企業利益及び売上高の減退
まず景気後退が企業財務面に及ぼした影響を利益率についてみよう。 第38表 に示すように売上高利益率も、使用総資本利益率も29年度に入ってかなりの低下をみせ、朝鮮動乱ブーム以降の最低値を記録している。ただし使用総資本利益率は再評価による影響も含まれており、景気と企業の関係を的確に示す指標とはいえないので、次に売上高利益率を中心に考察していこう。
製造工業の利益率の低下傾向に比べ全産業平均の低下の幅が少ないのは、製造工業以外の部門、すなわち電力、石炭鉱業、海運業の経営業積が従来よりは若干の改善に向い、またサービス業(娯楽、興行等)が好況を維持したからである。しかしながらサービス業の好調を別とすれば電力業の収益向上は多分に豊水に恵まれたものであり、石炭、海運業の持直しもこれまでの業積があまりにも不振であったというに過ぎず、これら基礎産業部門の経営状態は、デフレ過程で本質的な改善を示したものとはいえない。
次に製造工業のうちでも29年度中に特に利益率の低下が大幅であったものをみれば、消費財関係では毛紡、綿紡、紙パルプ、投資財関係では一般産業機械、船舶、基礎財関係では鉄鋼等の業種が目立っている。これに対してなお好調を持続し得たものは、消費財関係では食料品(飲料、製粉、精糖、製菓等)、投資財関係ではセメント、基礎財関係では石油等の数業種を数えるに過ぎなかった。このように緊縮政策の下でも業種間には若干の明暗の差がみられ、また経営規模別にも企業利益の格差を生じているが、全般的にいえば企業の利益率低下傾向にはかなり顕著なものがあった。
次に29年上期における製造工業の売上高と企業利益額との関係についてみれば、売上高が前期に比べて3%の減少を示したのに対して、利益絶対額は25%の大幅な縮小を示した。反面においてこの期間中の物価指数は約5%下落しているのであるから、売上高の減少は主として製品価格の低落によって招かれたものとみられる。下期に至って売上高はかなり減退することになったが、一方利益額は一層低下の度を加えている。従って29年度下期における企業の売上高利益率は上期の水準をさらに下回る結果となった。
資本回転率の低下と資金繰りの悪化
また緊縮政策の波及に伴って、企業の資金繰り操作が漸次苦しくなった点も指摘される。29年度当初における資金繰りの窮屈化は主として輸入金融引締めの直接の影響によるものであり、綿紡積、毛紡積、鉄鋼等の輸入原料依存度の大きな業種において、ある程度の市中銀行借入への肩代わりがみられた。しかし景気後退が一般化するにつれて売上代金回収の不円滑、製品在庫の増加等の減少が目立ち、この面から企業の資金繰りの悪化ないしは資本回転率の鈍化の傾向を生ずることとなった。このような傾向は特に29年度上期決済の財務諸表にかなり明らかにうかがわれる。
すなわち製造工業の売上代金回収条件の悪化についてみれば、受取手形、売掛金総額はこの期中に4%の増加となり、売上高(年額換算)を受取手形と売掛金の合計額で除したいわゆる売上債権回転率は29年度上期において7.0と前期の7.6に比べ目立った低下を示した。一方資金繰り悪化の要因としての在庫圧力は、製品在庫の増大となって現れ、製品回転率は前期の13.3から9.4へと大幅な低下ぶりを示している。かかる製品滞貨の累増による資金繰りの窮屈化は一部は銀行借入金への依存によって切抜けられたが、また一部は企業の原材料仕入の抑制という企業内での運転資金操作によって緩和された面も少なくなかったようである。同じ期中に原材料回転率は、製品回転率と相反的にかなりの上昇を示したこともこの間の事情を裏書するものといえよう。企業内部の資金繰り操作のために、いわゆる在庫調整は製品在庫の増加に対して、原材料在庫の減少という形態で行われたわけである。
その後、輸出の増大、原材料価格ないし仕入価格の低落等の要因もあって企業の資金繰りは幾分緩和され、29年度下期における製品回転率、売上債権回転率もやや改善されている。しかしながらかかる資金繰り緩和傾向は必ずしも企業採算の改善と直接結び付いたものではなく、29年度下期の企業利益がさらに低下していることはさきにもふれた通りである。そして繊維、鉄鋼等の業種にもみられるように、輸出の増加は当面の現金決済条件の緩和には役立ちえても、反面では安値輸出の傾向もあって企業採算はかえって悪くなるなどの結果さえ生んでいる。
緊縮経済下における企業のコスト要因
それではデフレ過程で企業のコストはどのように変動したか。この点について厳密な原価分析を行うことは難しいが、次に日銀資料に基づきながら企業のコストを構成する主要因が28年度下期から29年度上期にかけてどのような増減を示したかをみれば、 第40表 のごとくである。
すなわち製品価格の低下を主因として主要業種の売上高はほとんど減少している反面、企業のコストも少なからず低下した。そしてコスト要因のうちでも最大のウエイトを占める原材料費の低下が目立っている。このような原材料費の低下をもたらした要因として一応原単位改善、生産性向上等によって生ずるものと原材料価格の低落によるものとに分けられるが、この1ヵ年の過程では前者よりも後者の企業外的条件による面が強く、特にデフレ圧力のもつ国内材料費引下げの効果は大であったといえよう。けれでも鉄鉱石、くず鉄、塩、原皮、木材等については、輸入価格の値下がりが原材料費の節約を助長する方向に働いたことも無視できない。原材料費に比べて人件費の変化は少なかったが、それでも製造工業全体としてみれば若干の減少を示した。これは残業規制や臨時工整理等の事情によるものであろう。一方金利負担はデフレ過程でさらに増加し、従来の投資拡大の結果資本費用がかなり嵩んできたことを物語っている。この傾向は従来投資の旺盛であった重化学工業、基礎産業部門においてとりわけ顕著である。企業のコスト諸要因のうちもっとも大幅な切詰めを示したものは一般経費であって、交際費、物品費、旅費、販売諸掛等の面における冗費節約は、企業のデフレ気構えをもっとも直接的に反映したものといえよう。
次に主要業種別にみた場合に、コスト切下げの幅は区々であるが、デフレの影響の大きかった石炭等におけるコスト切下げの努力が目立つ反面、比較的好況に恵まれた産業におけるコスト要因がさほど低下の方向を示していないのも対蹠的である。ただ石炭等にみられるかなりの材料費、修繕費、償却費の圧縮もそのまま原単位の改善や合理化の推進を意味するものではなく、一面では不況に対処するための無理な諸経費切詰めもあったとみられよう。これに比べて鉄鋼は、国内輸入原材料価格の低落ばかりでなく原単位改善によるコスト低下の目立った業種であり、銑鉄トン当たりコークス使用量は28年度下期から29年度上期にかけて約1割の低下を示している。
以上に述べたところからもわかるように、デフレの企業に対する製品価格ないし売上高低下の影響も、コスト切下げによって償われる点が少なくなかった。しかしその場合にもコスト切下げに役立った大きな要因は原材料費、一般経費等の節減であり、反面において金利、減価償却費等の資本費負担は逆に増加傾向を示して、結局企業の利益はかなり大幅な縮減を余儀なくされたわけである。しかも企業における製品価格の切下げが直接的な原料価格の値下がりや利益の食いつめによって導かれる面が多かったことや、これまでに行われた合理化の成果も前項に指摘したように徐々にあがっているとはみられるにしても、景気後退下の市場の侠隘性からくる操業度の制約から、合理化設備が十分にコスト切下げへの実をあげ得ていないことなどは、緊縮政策途上におけるコスト切下げの一応の限界を示すものであって、今後真に持続的、安定的なコスト低下を可能にさせるためには、生産性向上に対する企業努力がさらにおし進められることが必要であろう。
企業における資本蓄積の問題点
戦後における企業収益性の低下
緊縮政策の波及過程で企業利益が大幅な減退を示したことは前述の通りであり、企業が今後の合理化投資を考える場合に一つの問題を残しているが、より長期的にみた場合にも戦後の企業収益性は戦前に比較してかなり低下している。いま日銀及び三菱経済研究所資料に基づき、戦前、戦後の原価及び利潤の構成について一応の推計を試みれば 第41表 のごとくである。なおここでいう総原価とは原材料費、労務費及び一般諸経費の合計であり、総利潤とは売上高から前記総原価を差引いた分配以前の総利益を指している。ここにみられるおおよその傾向は、戦後において最終的に企業に帰属する利益が低下し、企業の自己蓄積力がかなり減退していることであって、売上高に対する社内留保の割合を29年度上期についてみると戦前の3分の1程度に縮小している。
かかる企業の内部蓄積率の低下をもたらした戦後の諸要因は、これを二つの面から検討することができよう。第一には、売上高に対する総利潤率が低下したこと、すなわち戦後における総原価の割合が原材料条件の悪化、労働条件の改善、さらには企業の一般経費の増加等を原因として増大し、しかも反面においてこれら費用負担増をカバーするに足るだけの生産性の向上がおし進められなかったことである。第二には総利潤の分配関係において金利や税金に支払われる割合が増えていることである。このような企業の金利負担増加は、我が国の利子率が海外諸国に比べて高いという事情もあるけれども、同時に企業の借入金依存度が著しく高まったことによる面も多い。業種別にみても、海運、電力、石炭、鉄鋼等の借入金依存度の大きい部門ほど、金利負担額が多くなるという結果を示している。また法人税、事業税等の企業の租税負担割合が戦前に比べれば増加しているが、これは一方において従来の産業復興ないし合理化政策が財政投融資を主軸として進められてきたこととも関連しているものといえよう。
しかしいずれにせよ、戦後我が国企業の収益性や自己蓄積力が弱まっており、企業の資金源泉のうち内部資金の占める割合は英米両国に比べてもかなり低く、また株式、社債等の自己の信用に基づく資金調達の割合も小さいために、銀行借入金依存度は著しい高率を示している。今後我が国における資本蓄積方式との関連においても、現在の企業は従来のごとき過度の借入金依存傾向を脱却し、改めて自主自立的な経営の方向を見定めなければならない時期に当面しているものといえよう。
企業の自己蓄積力と投資の規模
戦後の企業における自己蓄積力が少なからず低下していることは前項の通りであるが、反面これまでの経済膨張過程における企業の投資意慾には極めて旺盛なものがあった。次に経営分析資料に基づき、最近5期間における企業の社内留保に対する投資の倍率をみると 第44表 のように設備投資と在庫投資とを合わせて自己蓄積力の4-5倍にものぼる投資を行ってきたことがわかる。しかも戦前の場合には自己蓄積を上回る投資のかなりの部分は株式増資と社債によって賄われたのに対して、戦後は証券市場の未回復のためもあって結局、長、短期借入金依存傾向を強め、オーバー・ボロウイングや金利負担の増加傾向を促進することとなった。主要業種別にみても、かかる投資と自己蓄積力の格差は電力、鉄鋼、機械の重工業ないし基礎産業部門におけるほど強く現れている。
以上のごとき自己蓄積力をかなり超えた投資の推進は、戦後の経済復興や設備近代化等のさし迫った要請に基づいて行われた面も少なくないが、他方設備の増設、拡充が企業相互の過剰競争に拍車をかけて資本の無駄を生じたり、あるいはその投資が合理化効果を現すよりも前に金利負担等の資本費の増大によってかえって経営を不安定ならしめる方向に働く面があったことも否定できない。
今後の課題として一般的な経営の合理性の立場からすれば自己蓄積力と株式増資、社債による自己調達力に見合った範囲内で投資が行われることが一応望ましいであろうが、緊急の投資を必要としながら自己の収益力ないし調達力の範囲内ではどうしても所要資金を賄えない基礎産業、新産業部門についてはやはりある程度の財政、金融面の補完投資を必要とするであろう。しかしいずれにせよおのおのの企業経営体が従来の投資の無駄を排除しながらできるだけ経済採算にかなう合理的な投資計画をもち、それを可能ならしめる経営管理体制の樹立について改めて検討しなければならない時期にさしかかっているとみられよう。