二、經濟回復の現段階 (二)
(二)現下日本經濟の水準と構造
このような経済基準の変貌にもかかわらず、戰後の日本経済は年々かなり見るべき回復を遂げてきたのであるが、昭和二四年度における経済各部面の水準が戰前に比較してどの程度の高さにあるか、そしてその内部構造が如何なる変化を示しているかについては以下檢討を進めて見よう。
(1)国民所得水準と資本蓄積力
経済安定本部国民所得調査室の最近の推計によると、昭和二四年(歴年)の国民所得額は二兆七一五四億円に上り、物価騰貴の影響を調整した実質所得額では戰前(昭和九―一一年)の水準にかなり近づいているとみとめられる。然しながらその構成をみると、次表に示す如く勤労所得と個人業主所得のウエイトは逆転し、また両者の全所得に占める割合はともに增加している反面、その他所得(個人利子賃貸所得、法人所得等)の比率が六分の一に激減している。
実質国民所得が戰前水準に近づいたにせよ、その間に人口が約二割增加しているから、次項に述べる如く都市生活者および農民の生活水準は低下し、生計費の余裕は甚だしく減少した。まずこの面から貯蓄力の減退は明かである。それと共に戰災およびインフレによる個人的資産の喪失乃至減価と企業経営の不良化は、前述の如く、利子、地代その他財産所得の減少となり、これまた貯蓄力の低下をもたらしている。
このような貯蓄力の低下は、まづ第一に定期性預貯金の低位となつてあらわれている。例えば戰前(昭和九―一一年平均)において全国銀行預金残高中に占める定期性預金の比重は五六%であつたが、昭和二四年末では未だに二七%であり、年間預金增加高について同様な計算を行つても、戰前の六三%に対し、二四年は四四%にすぎない状態である。然も昭和二四年中の定期性預金增加高には「インフレーションの收束」の項で述べた如くその年間の所得の預金かとみられない部分がかなり含まれていることを考慮せねばならない。このような定期性預金部分の低位は、資金運用の面においても短期化の傾向となつてあらわれている。例えば全金融機関の二四年における賃出增加高のうち長期設備資金に向けられた部分は僅かに六%にすぎない。
第二に增資および社債拂込高が戰前に較べて著しく低位にあることが投資力の低さを表現している。戰後の最高を示した昭和二四年の增資および社債発行高も、戰前のそれに比べると、実質的には三分の一程度であり、また戰前の增資および社債拂込高は金融機関貸出增加高の五倍以上であつたが、二四年では四分の一程度にすぎない。しかも昭和二四年末以来の株価の低落、增資の減少に示されたように、この程度の有価証券投資でさえも現在のわずかな国民投資力に対しては過重であつたのである。
さらに戦後における資本蓄積力の低さは金利水準の甚だしい高位を結果している。次表に示す如く、現在の金利水準は、戰前に較べて二倍近く、アメリカに較べると三倍以上の高さにある。
金利水準のこのような高さは、基本的には貯蓄力の低さに基くのであるが、なおインフレによる通貨価値低落の危険プレミアムの残存、あるいは金融機関の経営不合理による資金コスト高によると云えよう。物価の安定、産業の合理化の進展と共に、企業はようやく金利負担を重荷に感じはじめ、特に国際競走激しい部門においては、わが国産業にとつて不利な要因として働くに至つている。例えば炭鉱業においては、二五年一月において総原価に占める金利支拂の比率は四・七%に逹し、また海運業において、英国における二・五%の金利に対し、第五次造船の平均金利が九・二五%に上ることは、新造船運航による国際競爭を不利にしている。
今後輸出增進を中軸として経済循環の拡大をはかるためには、戰爭と戰後インフレ期間中に損耗した老朽設備を更新し、生産の合理化と技術の近代化をはからねばならず、そのための資金需要は相当額に逹するであろうが、長期資金調逹において重要な役割を演じている見返資金勘定の資力は、近き將來における対日援助の打切りと共に急激に減少するものと予想され、かつその他国家による投資の途を縮小されようとしている現在、いかにしてかかる資金需要を賄うかは、重大な問題といわなければならない。
(2)国民の生活水準
戰前(昭和九―一一年)を基準として見た昭和二四年の消費水準は、次の如く都市において七〇―七四%、農村で八六%、両者を総合して七六―七八%程度となつている。
このように消費水準の低下は、生産及び貿易の縮小、所得の低下、財政支出の膨張とともに人口の增加に基いている。すなわち昭和二四年における生産物資供給量は生産及び輸入の縮小によつて戰前の八五%に減少しており、しかもその間人口が一九%增加しているため国民一人当の生活物資供給量としては戰前の七二%となつている、また国民所得の計算によつて見ても、昭和二四年の個人消費支出は戰前の九三%に縮小し、更に人口の增加によつて一人当消費支出は戰前の七八%に低下している。次に勤労者の家計についてその收支状況を戰前に対比すると下表の如くで、収入の水準が戰前の約七割に減少しており、しかも租税公課によつて収入の一四%が削減されるため、戦前に見られたような收入の九%を蓄積にまわすという余裕を犠牲にしても、実質家計費(消費水準)としては戰前の七割足らずに低下せざるを得なくなつている。
ここで都市生活につき、戰前の七割程度の消費水準とは如何なる内容を持つたものであるかをうかがつて見よう。まず家計調査に基いて項目別の消費水準を示すと次表の通りである。
これについてみれば項目によつてかなり著しい差異が見られる。飲食物のうち主食は最も必需性が強いため、物価水準が比較的高いにかかわらずそこに購買力を集中して戰前水準を回復しているが、非主食は戦前の七割になつている。それでも飲食費の物価が割高であることと、消費の削減に限度があることによつて、下表の如く家計費中に占める飲食費の割合は戰前の四二%から昭和二四年には六七%へ膨張し、ほかの費目に対する支出の一層の節約を余儀なくさせている。ただ一面幸せなことに、住居費、光熱費及び雑貨はその中に含まれている家賃電気料金及び運賃等の公益事業乃至サーヴィス関係料金が低位にあることに原因して、それらの物価水準が概して低いため、消費量をあまり切下げずに支出の節約を計ることが可能になつている。しかし被服品は物価水準が著しく高いため、購入をかなり切り詰めざるを得ず、また手持品の使用によつて当面の間に合はせも可能なので、その購入量は戰前の三割に落ち、繊維の国民一人当消費量は戰前の一〇封度から三封度へ低下している。
戰前に較べた国民生活水準の低下は、もとより経済活動水準全体の低位に基くものであるが、更に家計に対して直接の圧迫となつているものは、飲食費の膨張と租税公課の負担增加であると云いうるのであり、反面家賃並びにサーヴィス関係料金の低位、手持品使用による被服品購入の手控え、及び蓄積の犠牲乃至所謂タケノコは種々の意味において当面の家計を支える原因となつている。しかし家賃の低位は償却不足によつて住居の消耗をもたらす結果となつていること、被服手持品にも限度があることなどの点に問題を包藏している。また蓄積の余裕が少いことは家計を不安定なものにしている。ただ一面において、「シヤウプ税制勸告」に基き昭和二五年から租税の軽減が実施されたことは、飲食物及び繊維品を中心とした消費財物価の低落傾向とも相俟つて家計の負担をかなり緩和させ、差し当り購買量の增加をもたらしている。
(3)貿易の規模と構成
戰後わが国の貿易は漸次回復傾向を辿つて来たが、昭和二四年の水準を戦前(昭和九―一一年)にくらべると次表の如くで、輸出は一六%に過ぎず、一方援助輸入によつて総額の六割近くをカバーされている輸入の水準でも二九%の低規模となつている。
もとよりかかる貿易の低水準は戰後日本の経済活動が全般的に低位にあることの原因ともなり結果ともなつているのであるが、国民総支出に対する輸出額の比率としても昭和九―一一年における一九%から昭和二四年度では六%に縮小している。また世界総貿易額に占める日本の貿易の割合も、戰前における四%(輸出入とも)から昭和二四年では輸出〇・九%、輸入一・四%低下している。なお次の戰前を基準とした昭和二四年における主要各国の貿易量水準と対照しても、わが國貿易規模の縮小がうかがわれる。
次に戦前と比較した貿易商品構成の変化を示すと次表の通りである。
まず輸出について見ると、繊維が以前全体の過半を占めているなど余り著しい変化はないが、それでも繊維の内訳において生糸の対米国輸出減少を主因として糸類の割合が縮小しており、また国内の重工業化及び東南アジアの工業化傾向を反映して機械、金属及び窯業関係の割合が增加している反面、化学品、食糧及び雑品類の比重が低下している。一方輸入品目の構成は戰前に較べてかなり目立つた変化を見せ、人口の增加を反映して食糧の割合が顕著に膨張している反面、その影響を受けて他の商品の比率が減少している。
また昭和二四年における輸出入地域構成を戰前に対照すると次表の通りである。
戰前わが国にとつて最大の市場であつた中国(東北を含む)及び旧植民地(朝鮮、台湾及び樺太)など近隣諸国の地位が著しく縮小していること、その一部を輸出においては東南アジア向比率の增加によつてカバーしていること及び輸入においては対米依存度が顕著に增大していることなどに戰後貿易の地域構成における特徴が見られる。近隣諸国の地位の低下は、輸入の対米依存度を增大せしめるとともに、また鉄鉱石、粘結炭、塩などの重要工業原料、及び食糧の輸入條件を惡化させることになつている。他方輸出においては、現在のところ回復の見透し困難な対中共貿易の縮小をある程度カバーする役割を果たして来た東南アジア地域も、政情不安による経済回復の遅延や代用品の出現その他による特産物の地位低下などによつて輸入余力にも限度があり、しかも生糸輸出の減少により対米輸出を膨張させる力が弱まつているため、輸出入のバランスは前述の如く著しく惡化する結果となり、殊にドル勘定はスターリング勘定その他が多少プラスを残すに反して次表の如く著しい逆調を示している。なお、わが国輸出に大きな比重をもつ綿製品の仕向先が主としてスターリング地域であるにかかわらず、その原料の大半を米綿に依存していることなども、ドル勘定を不均衡にさせている一因である。
かかるドル勘定の不足は米国の対日援助等によつて賄われ、その終戰以来一九五〇米国会計年度までの予算総額は一、七五二百万ドルに逹しているが、援助を必要としない自立経済を逹成するには、通貨の非転換性の現状もからんで容易ならぬ努力を必要とするであろう。
(4)生産および企業面にあらわれた諸問題
戰前(昭和七―一一年)に対して八割の水準にまで回復した鉱工業生産も、その内容を個別的に檢討すると、業種によつてはその回復の度合いにかなりの凹凸をひそめている。まづ第一に挙げなければならないのは、繊維工業が未だ戰前の三割の水準に低迷していることであつて、これは輸出市場の喪失と国民生活水準の低位による衣料購買力の減退を反映している。これに基いて、消費財の生産水準としても戰前の四―五割に止り、生産財の回復率と比べて著しい停滯を示している。
また電力が戰前水準を八割近く超過していることも著しい特徴として指摘できるであろう。発電量と生産指数との間の乖離は、電気料金が低位にあるため工場における電爐、電解法、家庭における電熱等熱源として使用する電力消費が著しく增加している事、一般に生産構造が重化学工業化して電力の消費率が增大している等の原因に基くものであろう。これに対して石炭の生産は戰前水準を僅かに超える程度であり、戰前八百万トン程度に逹した輸入炭の激減と考え合せると、わが国の総合エネルギー基盤における電力のウエイトは著しく大きくなつている。
次に機械工業は戰前に比すれば先にも述べたごとく、既に昭和七―一一年平均の一一二%に逹しているが、過去の最高年たる昭和一九年(暦年)に比べればまだ一六%にすぎない。これによつてみれば、戰爭被害による喪失を考慮に入れても軍需增産のために急激に拡張した機械工業に過剩設備の多いことは明かであろう。
これに対して戰時中その設備の八割近くまでスクラツプ化された綿紡の如きは、生産は低水準に止まるにもかかわらず操業度は最高で、昨年末における操業率は八九%に逹し、最低の操業率を示す鉄道車輛の八・一%と好箇の対照をなしている。過剩設備の存在、操業度の低下はコスト高をもたらし、ために生産集中の要を叫ばれること屡々であるが、おなじく操業度といつても、存在する設備の幾割を使用するかということ(保有設備の稼働率)と、使用する設備の生産力をどの程度フルに利用するかということ(使用設備の利用率)とは区別して考えなければならないのであつて、コストの切下げのためには後者の率が高いことが有利なのである。例えば鉄鋼業において、次表にみる如く保有設備の稼働率は未だ低いけれども、使用設備の利用率は戰前水準に回復し、あるいはこれを上廻る勢を示しているのであつて、鉄鋼のコスト節約に貢献するところ大であつた。ただし、過剩設備の切りすてや生産の集中には労働力の相対的過剩より社会的制約があり、経済的合理性を十分に貫徹することはなかなかに困難である。
過剩設備の存在する反面において、戰災疎開その他に基く隘路設備も存在しており、さらにこれに加えて設備の酷使、手入の不足のため設備の実質的生産力はかなり低下している。なお、戰後は減価償却がインフレで減価した固定資産の帳簿額に基いて行われていたために、償却率は著しく低く、石炭において生産原価に占める償却率は戰前の一三―四%に対し現在僅か五%、電力は戰前の一五%に対して現在二・九%となつており、資本の喰つぶしが行われてきたことを物語つている。なお工作機械を例にとれば使用年数十年以上の機械は米国では約四〇%程度であるのに比し、わが国では全台数の九〇%を占めており、化学工業においても多くの設備が耐用年数を超過しているという様に、設備の陳腐化がかなり一般的であり、技術推進も技術白書に述べる如く欧米先進国に比し、かなりおくれている。設備技術の立おくれは労働生産性の低さをもたらし、結局生活水準の低位を結果するであろう。
次に企業経理の面について資本構成及び資産構成を戰前と比較すると次の表にみる如く、外部資本比率の增大はインフレによる減価の影響とともに企業の自己蓄積力の低下を物語り、資産の流動比率の增加はインフレによる固定資産帳簿額の減価によつて説明される。
次に資源に乏しいわが国の原材料取得條件についてみると一般に紡績業の如き輕工業におけるよりも鉄鋼業、ソーダ工業等の重化学工業において一そう不利な傾向がうかがわれる。重工業資源の供給地たる東亞地域からの隔離によつて、鉄鉱石、粘結炭、塩等を高い海運賃をはらつて大洋を越えて輸入しなければならない重化学工業は、諸外国に比して著しく不利な原料取得条件にあるのに対し、紡績においては米綿を米綿綿業者の取得価格により約一割增の値段で入手出來るのである。
石炭は輸入価格が上に示したように割高であるばかりでなく、国内炭の価格も国際的ならびに戰前比較において極めて割高である。すなわち一般物価水準が戰前(昭和九―一一年)の二二〇倍であるのに対して一般炭の価格は三〇〇倍に逹し特殊銘柄炭は約五〇〇倍を超えており、それが工業にとつて食料に等しい重要原料であるだけに工業製品コスト高の重要な一因となつている。
(5)価格構造の分析
戰後日本の物価体系は、戰前に較べ、また国際価格と対比して著しい変動をきたした。その基本的原因が、労働生産性乃至操業度の低下ならびにその回復の不均衡及び貿易條件の変化などにあることはいうまでもないが、また適正な單一為替レートをもたなかつたこと、減価償却を繰延べたこと、ならびに戰時中いらい補給金の支給と広範な価格統制が継続されたことなどによつて、その変動が支えられていた事実は否定できない。もとより、これらの要因は戰後経済の実状に照して已むを得ざる事情に基くものであり、或はまた速かな経済の回復をはかるために余儀なくされた結果であるとはいながら、それは結局価格機能本来の調節作用に基く正常な経済の循環阻けることとなつてきた。
然るに、さきに述べた如きインフレの收束と自由経済への移行は一方において価格機能を漸次回復せしめるとともに、他方において従来インフレの進行と国家助成策の中に蔽い隱されていた価格構成及び原価構成の基本的諸問題を顕在化せしめるに至つている。
まず生産原価の觀点から物価と賃金の関係を戰前と対照してみると第五八表の如くである。昭和二四年における工業の賃金支拂総額は戰前(昭和九―一一年)の二〇九倍となつている。一方工業生産量は戰前の六七%(労働生産性としては五〇%)に低下しているので、生産物一單位当りに対して支拂われる賃金としては戰前の三一三倍に当り、これに対して物価は二二三倍の水準を示している。但しこの物価は補給金の支給された安い価格によつているため、直ちにこの両者を対照することは不適当であるが、補給金をはずした物価二六三倍と上の賃金倍率を比較してみても、生産原価中に占める労務費の割合は戰前より膨張していることになる。これは現在の賃金水準が高すぎることによるというよりも(実質賃金としては戰前の六五%に過ぎない。第二三表参照)むしろ労働生産性が相対的に低すぎることに基くものと見るべきであろう。なお、昭和二四年中の動きとしては、労働生産性の向上によつて賃金と物価との格差は次第に縮小傾向をたどりそれだけ労働費の割合は減少している。
戰前を基準としてみたこのような労務費の增大と操業度の低位は、一方において製品の物価に比し原料の物価が安いこと及び資産の減価償却を繰延べていることなどによつて、ある程度補われて來た。戰前に較べた原料と製品の物価倍率の関係をみると次表の通りである。
すなわち昭和二四年においては、戰前に較べて二次製品より一次製品が一七%安く、それよりも更に基礎原料が九%低いというように、製品の物価より原料の物価の方が低い水準を示している。しかしここ一年あまりの動きとしては、補給金の減廃などの影響を受けて基礎原料及び一次製品の物価が昂騰を示している反面、二次製品の物価が頭打ちから下降へ転じているので、上の如き原料と製品の間における格差は次第に縮まつている。さらに昭和二五年度中に予算上実施を予定されている補給金の減廃を見込むと、原価計算上からは銑鉄、鋼材、ソーダなどの価格が上がるため、一次製品物価は二五年一―四月の水準より一一%騰貴し、その影響を受けて二次製品も約六%程昂騰すべき要因をもつている。しかし購買力の現状に鑑みて、かかる二次製品の騰貴を市場が簡単に受入れるとも考えられず、その場合戰前を基準とした水準からみても、二次製品より一次製品の物価の方が逆に一割程度高めとなるので、一次製品の上の如き昂騰自体も抑制されざるを得ないであろう。これらのことは企業の採算を窮屈にすることを意味している。補給金の全廃された場合を考慮すると、輸入原料の値上りなども加わつて一次製品の物価は二五年一―四月水準より二四%(原料輸入條件の改善を見込めば二〇%)高くなるので、一層上のような問題が強くあらわれて來る。
なお基礎原料の物価についても、償却費の切詰めなどにより電気料金が低位に抑えられていること、また上表に含まれていない輸入鉄鉱石及び輸入粘結炭の価格が現在補給金の支給によつてカバーされていることなどの点で、不安定な要因をもつている。
次に戰前を基準とした輕工業品と重工業品の物価水準を比較してみると次表の如くである。重工業品には補給品が支給されているため、昭和二四年では戰前に較べ輕工業品より四六%安くなつているが、補給品の削減に伴つてこの格差は次第に縮小し、二五年一―四月では三四%の開きとなつている。更に補給金を全廃した場合を考えると、重工業品の物価は二五年一―四月より二割強騰貴することになり、戰前を基準とした輕工業品との格差は五%に縮まることになる。しかも固定資産の大きい重工業はその再評価によつて一層相対的原価高を招來しよう。しかし、原価上からみればこのように種々の要因をはらんでいる重工業品の物価の高騰が、購買力の停滯ぎみの市場において果して実現しうるか否かは疑問であろう。
また昭和二五年一月現在の日米両国の国内物価を対比してみると次表の通りであつて、軽工業品より重工業品の方が一層米国物価に対して割安となつている。しかし補給金の削減に伴つてこの関係は逆になり、殊に補給金を全廃した場合には重工業品の国内物価は米国物価より却つて割高となるべき要因をもつていて、この点でもわが国重工業製品の今後における問題を示唆している。しかも米国の物価は世界的にも多少高い水準にある点を考慮すると、国際比較における日本品の物価は一層割高なものとなろう。
第六一表 日米物価の比較 (米国物価を一〇〇とした日本物価の指数)
以上の如く、原料安製品高という戦後の物価体系は、労務費の膨張などによる生産原価への圧迫をある程度緩和する役割を果たして來たが、昭和二四年における経過としては、一方において原料の昂騰と製品の低落という傾向をたどり、他方において労働生産性の向上により労務費が次第に縮小している。ここに物価体系の正常化の足取りを看取し得るのであるが、ただ補給金の減廃、資産再評価による減価償却費の增加、電力及び運賃などの値上り傾向もこの影響は、自立経済達成の上に急務となつている輸出增進の担い手として大きな役割をもつ重化学工業において強くあらわれるところに輕視し得ないものがある。