四、新たに釀成されつつある諸問題(ニ)
(ニ)安定化の進行に伴う新局面
インフレーシヨンの進行が緩漫となり經濟が次第に安定化の途をたどるにつれて、從來インフレによつてかくされていた日本經濟の本質に根ざす諸問題が次第に表面に浮び上つて來る。その最も特徴的なものとして、國内購買力の不足・農村及び中小企業問題の再登場・失業問題の表面化等があげられる。
(1)購買力の不足
インフレによる浮動購買力が次第に壓縮されるに伴い、元來の國内市場の狹さと戰後における國民所得の低下によつて、かなりに低い生産水準で早くも購買力の行きどまりが見え始めている。昨年いらいインフレ抑壓のために徴税の強化、財政の緊縮、産業融資の規制と一連のデフレ政策が實行に移され、さらに一昨年及び昨年の二回にわたる大幅な公定價格の引上は、購買力の切捨てに近い效果を伴うことによつて國内購買力はいよいよ壓縮された。かつ一面において農業及び工業生産の回復、外國援助の增大に基づく物資の供給增加があり、ここに見かけ上の過剩生産が成立するに至つている。
購買力の低下の一つの指標としては製品在庫高の上昇がある。八大都市營業倉庫月末在庫高指數をみれば、次表の通り最近かなり顕著な在庫の增加がみられる。
購買力低下の他の指標として全國百貨店賣上高をみれば次表の如くであり、物價騰貴を考慮すれば賣上高の減退傾向がみられる。
しかも百貨店賣上は中小商業に比し相對的には有利となりつつあるから、中小商業をも含む賣上高は更に減退の傾向が著しいものとみねばならない。
なお又商品別に見ればラヂオ・電球・醫藥品・書籍等において賣行き不振が顕著であり、低品位炭・セメント・硫安・電線等の基礎物資についても既に購買力不足の現象があらわれている。
このような購買力の低下を如何に解釋すべきであろうか。消費財については大衆の實質所得が低位に止まつているところに生産が比較的急速に增加したこと、戰爭中おさえられていた消費財に對する需要が一巡したこと、インフレの緩漫化によりインフレ所得に伴う過剩な購買力が壓縮されてきたこと等が原因と考えられる。しかし終戰いらいインフレの過程において資本に喰い込む消費が行われていた點からみて消費が生産力に見合う限度に壓縮されていることは、むしろ經濟の健全化の一指標としてみるべきであり、國内消費の節約分をあげて外國への輸出にふりむけることが經濟安定九原則からも要請されるところである。生産財に對する購買力の不足の原因は、一面における財政支出・産業投資の引きしめと他面における物資供給力の增大にあるが、更に基本的には戰後經濟における資本蓄積の低下が、インフレの緩漫化によつて表面にあらわれてきたことにある。老朽設備の更新・荒廢せる國土の修復等莫大な潛在的需要があり、またありあまる勞働力が存在しながら有効需要となりえない原因もここにある。今後は資本蓄積力の增強と資金の流れの適正化に努めることによつて、經濟の回復のために眞に必要とされる部面においては常に適當な購買力を持ち得るようにすることが經濟政策の重要な課題となるであろう。
(2)農村及び中小企業問題
農村及び中小商工業は過去においても日本經濟の諸矛盾が集中的に表現される舞臺であつた。戰後におけるインフレーシヨンの進行と食糧の絶對的不足は農村及び中小企業に相對的に有利な地位と與えたが、インフレが緩漫化するにつれて農村及び中小企業の問題が戰前以上に深刻な課題をふくんで再登場する可能性をみせている。企業の合理化、財政收支の均衡、輸出の增強を中心とする經濟安定施策の強化は、それに伴う各種の矛盾を農村及び中小企業へ持込む危險性がある。
まず農業についてみてみよう。昭和二三年の農業生産は良好な氣象條件と肥料その他生産資材の增強にめぐまれ、前年に對して一割以上の增産を逹成した。しかしながらこのような增産にもかかわらず農村經濟における戰後の好況は次第に減退の傾向をみせている。それは農産物價格の停滯と農村必需物資の相對的騰貴、徴税の強化等に原因する。終戰後のヤミ物價の推移を見れば次の如く主食品の價格は次第に不利な立場に置かれるに至つている。
上の物價指數は消費地(東京)におけるものを示すから、農家の庭先價格について見れば前記の傾向は更に顕著になつていると思われる。
農村の租税負擔について、農家一戸當りの平均所得に對する租税公課の負擔をみれば次表の通りで、次第に加重されつつある實態が明かになる。
國民經濟的に見ても租税負擔の國民所得に對する比率は戰後急上昇しているのであるから必ずしも農家に對してのみ加重とはいえないが、二三年に入つてからは農業所得の相對的減少のために農家の租税公課はかなり大きな負擔となりつつある。かかる事情のもとにおいて農家の好況も次第に減退し、たとえば通貨滯留状況調査によつてみても農漁村は二二年末に二九・四%を占めたのに對し、二三年末には二二・三%に減少している。また全國市町村農業會の貯金も物價の變動を考慮すれば減少傾向が顕著である。
更に農家金詰りに對應するため昨年いらい開始された農業手形の割引状況を見るに、二三年九月末で總額二四億圓に逹し、その地域別配分は北海道五四%、東北二五・五%、北陸一六・五%、以上合計で九六%を占め單作地帶農村經濟の惡化を端的に表現している。
以上のような最近における農家經濟事情に加えて戰後における農家人口の急增と經營の零細化という本質的問題がある。昭和二二年八月一日現在の農家人口は三千六百五十餘萬人で總人口の四六%を占め、昭和二一年四月現在數と比較すれば二三七萬人、六・七%の增加となつている。又農業有業者數を昭和一五年に比較すれば昭和二二年八月は二三%增に當る。このため農家一戸當りの耕地面積は次のように零細化が甚だしくなつている。
一方新たな耕地擴張、すなわち開拓事業の進捗は必ずしも良好でなく、終戰いらい二三年一一月までの開拓面積は三三萬三千町歩、計畫に對し七〇・三%が遂行率にとどまつている。
次に中小企業について見れば最近におけるインフレ安定化の傾向・丸公とヤミ値のさやよせは、ヤミ經濟圈に多くを依存していた中小企業に對する新たな壓力を加えている。また大規模企業の操業度上昇に採算好轉に伴い、中小企業製品に對する大企業の製品の競爭力が強化されてきたことや、大企業の生産上昇に伴う丸公流通量の增加も更にこの壓力に拍車をかけており、これらの事情ともからんで金詰りも顕著な現象となつている。
かかる窮迫の實状は、最近における勞働爭議が相對的に中小規模の企業に多くなつているという點にもあらわれているが、また中小企業と大企業とにおける賃金水準の推移もその一指標であるといへる。即ち大阪商工會議所の大阪市における調査によれば中小企業の男子勞務者平均賃金は二二年一―六月にあつては大企業に對し一〇二%とむしろ上廻つていたのが、七―一二月には九九%、二三年一―六月九一%、七―九月八八%、一〇―一二月八四%と次第にこれを下廻るに至つているのである。
かくして農村及び中小企業における困難の增加と失業者の顕在化とは今後の經濟安定化に伴う新たな課題として登場を豫想されるのである。