各論 (七)貿易


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一、戰後の貿易概況

  終戰以降我國の貿易は連合軍司令部管理のもとに貿易應の國営貿易方式で多くの制約の下に運営されてきたので現在迄の実績は、その総額においても、またその品目内容、相手國の関係等についても戰前の正常な貿易状態に比べて著しく相異している。

  我國戰後の正常な貿易は、さきに司令部から発表された本年八月十五日以降開始される外國貿易代表團との個人取引を緒として、逐次再開発展してゆくことと思うが、以下戰後これまでの貿易内容を概觀してみよう。

  終戰以來昨年末迄の輸入については食糧八六万四千瓲が最大で、総輸入額の六一%を占めるこれに肥料及び主として漁船用に使用されている重油を加えるときは、全体の七〇%以上となり食生活関係の物資が輸入の大部分を占めている。残余の大部分は綿花であり、これは加工製品化した上、大部分が再輸出されるものである同じく昨年十二月迄の輸出貿易の内容をみれば輸出品目の太宗は生糸であり、総輸出額の四七%を占めたが、総輸出額が小さいから生糸輸出の絶對量は僅かである。そのほか石炭、枕木、機械等、及び昨年は特に戰時中から日本がストツクとして持つていた鉛、錫、アンチモニー、生ゴム等が一時的に相當量輸出されたのであるなお綿糸綿織物の輸出は昨年中はまだ本格化せず僅かに一・三%を占めるに過ぎない。

  昨年末における輸出入のバランスは、貿易の大部分を占める米國及び米國商事會社扱いの物資のみの集計によつていれば、輸入約三億ドル輸出約一億二千万ドルであり差引一億八千万ドルの入超を示している。戰前昭和十一年當時の外地をふくむ貿易額は輸出入それぞれ當時の價格で三六億円であり、これを當時の米ドル換算率と、その後のドル物價指数の変化によつて現在の米ドル價格になおせば約一八億ドルとなるから、貿易額は昭和十一年にくらべて昨年の輸出は約六%、輸入は約一七%にすぎない。

  本年に入つてから五月迄の輸出入物資の品目をみれば輸入については前年同様食生活関係物資が約八〇%を占め、再加工原材料として綿花、ゴム等は八%内外にとどまる。

  なお五月になつてから生産用資材として米國から製鋼用重油一万三千竏、朝鮮から銑鉄約四千七百瓲の輸入が実現し、また加工用原材料として從來の綿花(昨年中約七四万俵、本年五月迄約十八万七千俵)の他に、生ゴムが本年一月以降五月迄マレーより約四千百トン、三月以降五月まで約千トン蘭印より輸入されたほか、六月になつてからはじめて豪州から羊毛約七千四百俵、比律賓よりマニラ麻二百瓲が輸入された

  次に本年に入つてからの輸出品目については生糸及び絹織物が九%、綿糸及び綿織物が三四%を占め、その他は金属及機械類、化学薬品、農水産物、石炭、枕木等となつている。

  昨年の輸出に比較してみると米綿による製品の輸出が愈々本格化して來たほか、雜貨、農水産物等の輸出も逐次始まつている。

  今年に入つてからの米弗建バランスはまだ正確な数字は利用できないが、やはり相當の入超を示していることは確実である。

  次にわが國の貿易を相手國別に見ると、昨年は對米貿易が輸入において九六%、輸出において六九%を占めて壓倒的である。輸出額の大きい相手國は米國についで朝鮮一九%、中國七%等である。

  本年に入つてからは、輸入は相変らず米國が九五%前後を占めているが、輸出については、米國における生糸賣行の不振等によつて、米國向けは総額二割程度に減少した反面、綿製品人絹製品等の輸出增額によつて蘭印、英國、香港、馬來向けは夫々総額の一八・四%、一二%一一・二%、三%に增加し、朝鮮、中國向は昨年と大差なく総額の一六・四%、一一・五%となつている。

二、戰後貿易の特色

  以上のべたことから、戰後貿易の特色とみられる重要な点をあげてみれば次のとうりである

(イ)輸入品目が著しく食糧中心であること

  前述のように食糧が輸入総額の六割を占め肥料、漁業用重油を加えれば七・八割に逹する。戰前昭和十一年の実績によれば、食糧は輸入貿易の二五%を占めるにすぎない。このことは現在日本人の家計で飲食費が支出の六七割を占めている事実とともに、國全体としての生活水準の著しい低下を示すものであるわが國の経済を正常な状態に戻すためには、多量の工業原料を輸入せねばならないから、輸入の大部分が食糧によつて占められていては、経済のたてなおしがむずかしくなる。

  戰後二年間の輸入貿易の足どりをみると、まず食糧関係物資の輸入から開始され、次で棉花、羊毛、生ゴム等の加工輸出原材料、及び重油銑鉄等の生産資材が輸入されはじめたのであつて、輸入品の内容が單なる飢餓の救済から、逐次経済再建の方向に向いつつあることは事実であるが、輸出の不振にもとずく支拂能力の不足は、このような歩みをおそいものにしている。

(ロ)貿易額が小さくしかも入超が著しいこと

  前述のように戰後の貿易額は戰前の一割前後に過ぎない。しかも輸入超過がはなはだしく昨年だけで二億ドルに近い借金を負うことになつている。現在のような片貿易では、外國から原料はおろか、最低限必要な食糧すら満足に輸入出來ない。

  しかも昨年輸出には錫、生ゴム等のストツク品が重要な割合を占めていたのであつて今後國内生産物による輸出の增加には余程の努力が必要である。

(ハ)貿易相手國のうちで米國の比重がきわめて大きいこと。

  戰後貿易の相手國としては米國の比重が壓倒的に大きく、特に輸入は九割五分まで米國に依存している。一方輸出は米國向が昨年七割、今年に入つてからは二割に過ぎないから對米貿易の輸入超過が特に甚しい。戰前の統計によつてみても、日本は米國に對して常に入超であり、これをアジア諸國に對する出超で補つていた関係にある。

  戰後は從來對輸出の半ば以上を占めていた生糸の輸出がふるわず、しかもこれまでにアジア諸國から輸入していた食糧や原料を米國に依存しているのであるから、はなはだしい片貿易になるのも當然である。戰前の統計によれば日本の貿易額の約二割が米國、約六割がアジア諸國によつて占められていた。從つて米國向けの輸出品を少しでもふやすことに努めると同時に、アジア諸國との間の貿易を盛んにし食糧や原料をアジア諸國から輸入することが日本の貿易尻を改善し、又貿易額を大きくするために是非とも必要となる。

(ニ)加工輸出貿易が始まつたこと。

  戰後のわが國は國内資源の不足に加えて、外國に對する支拂能力がきわめて不足するから外國から原料を輸入し、これに加工して製品として輸出するいわゆる加工貿易がもつとも重要である。このような形の貿易は行きつまつたわが國経済を打開するために大きな力となるものと予想される。

  すでに連合国の好意により昨年以來綿花の輸入を認められ、今年になつてから世界各地に綿製品の輸出を開始している。このほか生ゴム、マニラ麻等の輸入が始まり、これらはいずれも加工のうえ製品として輸出され、わが國の輸入力を漸次增大させてゆくこととなろう。

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