各論 (四)輸送


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一、生産と輸道

  生産と輸送は車の車輪のようなもので、両者相伴なわねば経済の運航を正常に保つことが出來ない。特に経済の計画的運営に當つては、物資の需給計画とならんで輸送計画がたてられねばならない。海上及び陸上輸送能力を総合的に檢討するならば、生産活動を現状以上にあげることは、直ちに輸送面の障害にうちあたることが予想される。たとえば石炭生産が年間三千万瓲以上の水準に逹する場合には、石炭事態の輸送量の增加と同時に、これによつて生産水準の上昇する各種産業の運轉のために、石炭以外の原料、材料、製品の荷動きが著しく增大せねばならない。その場合現状では、外國船の借入れその他によつて輸送力を大巾に增強しない限りこのような輸送の要請には應じ得ないとみられるのである。以下終戰後における鉄道輸送及び海上輸送の概況を述べる。

二.鐵道輸送

陸上輸送の概況を國有鉄道によつて代表させよう。

(一)施設及び車輛の現状

國鉄の軌道延長は全國で約三万二千粁に逹しその材料の総量は鋼材約二三〇万瓲、枕木四五〇〇万丁である。レールは約三〇年間、枕木は約七年間使用に耐えるから年々約七、八万瓲のレールと六、七百万丁の枕木を必要とする。過去における補修用鋼材の消費量は昭和十四年度から激減の一途を辿り、昭和十九年、二十年度にはついに一万瓲を割るに到つた。昭和五年から昭和十三年度にいたる間における線路一粁當りの消費鋼材量年間平均二・一四瓲を標準的な補修用鋼材とみなせば、この間における補修用鋼材の不足量は約二五万瓲と算定される。言いかえれば、二五万瓲に相當する分だけ補修度が低下しているのである。

  鉄道車輛についても同じような事情で、耐用年齢をこえた老朽車が增大し、これが総保有車両に對する割合は機関車三割、客車二割電車二割五分、貨車二割五分に逹している。こうした結果休車率は戰前の機関車八分、客車七分、電車八分、貨車一分が最近は機関車二割五分、客車一割七分、電車二割五分、貨車九分にあがつている。

  昭和二十二年度の國鉄に對する鋼材の配當は一四万五千瓲で、最低需要量二五万瓲に對して、五八%に過ぎない。鉄道を戰前程度の正常な状態に保持するためには、維持補修用として年一五万瓲を必要とし、そのほかに戰災及戦時中の老朽劣化を恢復するためには最低限度線路施設に二五万瓲、車輛に五〇万瓲その他を併せ約百万瓲の鋼材が必要である。

  國鉄の眞の恢復のためにも鋼材及その他資材の全般的生産恢復が先決である。

  以上、國鉄によつて陸運関係を代表させた訳であるが、地方鉄道軌道(私鉄)の状態は更に惡く、又小運送事業はガソリンとタイヤに制肘されて輸送力の維持さえ困難な事業にある。

(二)鉄道輸送量

鉄道輸送量は戰時中海上輸送力の減少と、軍需生産の增大によつて大巾に上昇し、昭和十八、九年當時は、戰前の昭和十一年にくらべて、貨物の輸送瓲数で二倍、輸送距離を考慮に入れた輸送瓲料では二・六倍に逹し、旅客の輸送人員は同じく三倍に上つた。

  終戰によつて貨物輸送量は激減し、昭和二十年度下半期各月の輸送瓲数は夫々六、七百万瓲前後となり、昭和十八年度の月平均一、四八八万瓲の四割、昭和十一年度の月平均八一五万瓲に對しては八割程度に低下した。その後生産の囘復にともない貨物輸送量も增大し、昭和二十一年度の実績は年間一億瓲、月平均八三万瓲で、昭和十一年の水準にはほぼ一致している。

  旅客輸送は貨物輸送くらべて、終戰後の減少割合が少なく、昭和二十一年度の総輸送人員は昭和十一年度の約三倍に當る三十億人に逹している。しかし旅客列車の運轉状況は昭和十一年度の列車粁の八割程度であるから列車の混雜は當時の四倍見當になる訳である

三、海運

(一)船腹の現状

太平洋戰爭開始前六三三万噸の船腹を持ち英米に次いで世界第三位を占めた我國海運業も戰爭中に七百八十余万総噸を失い、終戰の頃残つたものは百四十万総噸に過ぎなかつた。このうち外國に抑留されたものがあるので、現在わが國の所有する船舶は百総噸以上の鋼造商船で七六三隻一三三万総噸である。

  貨物船のうち事故船その他を除いて現実に稼働し得る船腹は約四六〇隻九〇万総噸である。この船舶が物資輸送の外帰還輸送、特殊用にも使用されているので三八一隻六三万三万瓲でもつて貨物輸送を実施している。

  また貨物船の総約七〇%は戰時中の急造船で性能は頗る惡く、故障続出し、すでに耐久命数に近いものとみられている。在來船も平均船齢四十年に近く、戰標船にくらべればまだましであるが、いずれも非能率老朽のものである。

  次に遠洋就航可能の船舶は帰還輸送に從事中のものを含めても約九隻に過ぎず又近海就航に適する(三千総噸以上)が現在最も不足している。

(二)輸送の実績

さて以上のような船舶をもつてする輸送の実績はどうであろうか。

  終戰後数ヵ月間は全産業の虚脱状態を反映して、出荷は極めて不振で、海上輸送量は、せいぜい月二〇万ないし四〇万瓲程度であつた。

  二十一年度に入つてだんだん生産も復活し下半期においては外國航路(中國に對する枕木輸出、塩の輸入等)の外、特殊資材の輸送要求が出て、ようやく船腹の不足を告げるに至つた、昭和二十一年度における年間輸送実績は六六八万瓲であり、昭和一〇―一二年當時の海上輸送量に比較すれば約二割に相當する

  四月以降本年度に入つてから季節的條件もよいため月間八十万瓲台の輸送を行つているが、船賃、船型、港湾能力、出荷條件等からみて、現在の船腹をもつてこれ以上輸送実績を大巾に引上げることは困難と認められる從つて今後の增加する海上輸送の要請に對しては、修理船及び戰時中から建造中の船舶の完成を促進するとともに、相當量の外國船傭入を懇請することによつて船腹の絶對量の增加と、船賃の改善を早急に実現させねばならない。

  なお終戰後帰還輸送用としてリバテイ型一〇〇隻、LST型一〇〇隻が米軍から貸與され、海外邦人引揚げが大いに促進された。又C1型八隻も賃與も受け、現在南洋の燐鑛石績出に從事している。

(三)造船事情

最後に造船状況についてみれば、昭和二十一年度の鋼造船竣工実績は漁船を含めて、三九一隻一二九千総噸があり本年度も鋼材、銑鉄等資材不足のため十分な建造修理ができ難いと思われる

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