各論 (一)物價、賃金、家計費


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一、物価水準とは

賃金のスライド制ということが最近よく言われる。

物價が上つたら、それに應じて賃金も上がるようにする仕組である。この制度の要点は、結局、はたらくものの関心は貨幣で表現された名目の賃金にあるのではなく、その賃金で買うことのできる生活物資のものの組合せにある、という点である。いくら賃金が五割あがり、あるいは二倍になつても、生活物資のねだんが同時に五割あがり、あるいは二倍になつたのでは、なんの足しにもならぬことは、國民の誰もが既に身をもつて経驗していることである。

そこで一体、物價の高さはどうしてきめるかということが問題にならざるを得ない。公定ねだんの平均的な高さがあり、ヤミねだんの平均的な高さがあつて、その各々が毎月どのように動いているかということはいろいろな調査があつて、新聞にも発表されるし、大抵誰でも見當をつけている。しかし、その何れをとつても本當の物價の高さを單一的に示してくれないことも亦明瞭である。殊に、マル公とヤミ値との間に非常なへだゝりのある現状においては、それが何れか一つだけをとつても、全体の平均的な動きを推しはかることはできないのである。

二、實效價格のこと

では、一つの数字であらわした本當の物價水準というのは、どうしてきめたらよいだろうか。これには次の四つの数字を知らねばならない。

(一)公定價格

(二)公定で買われた数量

(三)ヤミ価格

(四)ヤミで買われた数量

例を東京における主食(米換算)のねだんにひいて、考へてみよう。今年の一月二十七日から二月九日にいたる二週間と、同じく七日から二十日にいたる二週間とを比較してみると、(内閣統計局「消費者價格調査」による)

第8表

上の実例でもわかるように、ヤミのねだんは三割五分もあがつて、実際の平均價格は一割近くも下つている。これに似たことは、昨年の十一月、米の公定のねだんが九割方急あがつたときにもおこつている。

上と同じ統計調査によると東京で、十月中の二週間と、十一月になつてからの二週間との間では、マル公がほとんど二倍になつたにもかかわらず、実際の平均價格は一キロあたり八円二四銭に下つている。これは、ヤミ購入の割合が数量でいつて、全体の四分の一以上から五分の一に下つたことが大きく影響しているのである。この実際の平均價格を「実效價格」と呼ぼう。

三、実效價格のうごき

公定價格の指数も、ヤミ價格の指数も、それぞれ独自の意味をもつているが、われわれが賃金や家計とにらみあわせて考えねばならないのはこの実效價格である、そしてこの実效價格が上るか下るかは、勿論マル公やヤミ値の上下にも影響されるが、公定配給量の割合の增減は非常に大きな影響力をもつている。

さういう主旨で、消費者價格調査の資料を使つて東京の食糧品の実效價格を指数にしてみると次のように動いている。(下の数字は昨年七月一日―一四日の二週間を基準の一〇〇としたものである)

第9表

食糧に對する支出は家計の中でもほとんど七割をしめているから、食糧のねだんの指数は、生計費のうごきをほぼ正確に傅えるものということができよう。さて、この統計によつて明らかなことは、ごく最近の数字がないから五月初旬までについてしかいえないが、主食の実效價格は昨年以來だんだん下つて十一月の新米出廻り期には半分以下におち(米の公定價格はこの時ほぼ二倍になつたにも拘らず)その後再び上りはしたものの、未だ昨年の七月のところまで上りきつてはいない、食糧全体についても、昨年七月にくらべ本年四月は三割高という程度である。その後更にかなり急激な上昇をみせたことは十分に想像されるが、上の統計が何よりも雄弁にわれわれに教えてくれることは、新米の出廻りとか輸入食糧の大量放出とか、いかに正規ルートによる配給を楽にして、実效價格の引下げに役立つているかということである。

四、戰前物價との比較

これまでのところでは、最近の物價のうごきだけについて説明をしてきたが、一体近頃の物價水準は戰爭前にくらべれば何倍ぐらいになつているだろうか。ヤミのねだんがとびはなれて高くなつている現状では、戰前と比較して実效價格がどのくらい上つたかという推定は統計学的には非常にむづかしい、公定價格だけについて言えば、本来五月の卸賣物價は昭和十二年六月にくらべて二一・五倍であり、小賣物價は二七・九倍であつた。鉄道料金とか新聞の購読料のような料金の騰貴率はそれほど大きくなくて、昭和十四年九月に比べて八倍であつた。

戰前にくらべて生計費のはね上りは、このような公定物價のうごきだけで推しはかれないことは自明である。そこで今度は方法を変えて、現在の制約のもとで日本國民が消費しうるところの平均的な家計用品の組合せを考える。それはほぼ現在の実際上の家計内容に近いものであつて、これを正規に配給されている量についてはマル公をかけ、それではみでる分はヤミで買うものとしてヤミ價格をかけて、この家計用品の組合せが現在いくらかかるかを推定する。 それから今度は、同じ物量的な組み合わせが昭和十二年のねだんでいえばいくらになるかを計算するそして二つの額の比をとつてみると、この十年間に生計費は略何倍になつたかが推定できる。この推計は平均的な家計用品の組合せをどの程度きめるかによつて、ヤミ購入の部分の大きさが伸縮するため、一義的に正確な数字を出すということは非常に困難であるが、六月現在でもつてほぼ六十倍ないし、七十倍程度と推定される

五、賃金のうごき

上のような物價や生計費のうごきに對して賃金はどのくらい上つてきたか、というと代表的な数字は下表のとうりであつて

第10表

一ばん倍率のいい坑内夫の場合でも、実際上の生計費の上昇率にはかなわない。もつとも最近の賃金の形態や内容は、以前とは非常にちがつていて、労務者に對してはその重労の程度に應じて特別の配給があつたり、あるいはまた、昔であれば賃金の一部として支拂われるべきものが現在は賃金の一部として支拂われたり、消費組合に對する補助の形で支拂われたりしているため單純に賃金水準の比較を云々することはむつかしい、それにしても、賃金のあがり方が実效價格のあがり方にたちおくれていることだけは確かである。

六、物價、賃金、家計の關係

物價や賃金に對する関心は、主として都市にすむ勤労階級にとつては、家計の問題につながるものとして異常に深いものである。家計のことは政府が統計でもつて國民につたえるまでもなく、國民の一人一人が身をもつて経驗していることではある。殆どあらゆる統計がそうであるように、この場合もまた、数字の組合せだけで到底おしはかりえないような家計の苦心や特殊的な個人事情はおもてにあらわすことはできない。しかし、國民各位は、ここにかかげる平均的な数字を一つのものさしとして、自分自身の家計と比較してみることができるだろう

七、家計收入の分析

家計の赤字については、要約して総説の中でのべたから、ここでは繰りかえさない。先ず第一にここでは、家計收入の平均的な内訳をしらべてみよう。東京勤労生活者を對象として物價廰が行つている家計調査の二月の分をとつてみると全体の平均(世帶人員平均四・四六人)は次のごとくである。

第11表

すなわち家庭菜園の收穫をも入れた廣い意味の勤労所得は收入全体のほぼ七割見當であつて貯金引出しとか、財産賣却とか、借金のような所謂「たけのこ」的要素は一割七分に及んでいる。この比率は昨年十月について同じ計算をすると一割二分にしかなつていないから、その間家計のくるしさは一層加重されたものといわねばならない。

八、家計支出の分析

次に家計の支出の面を考えてみよう。この問題についてはいろいろな調査があるが、ここでも統計学的には一ばん科学的な方法をもつておこなわれた内閣統計局の消費者價格調査をつかうことにする。今年になつてから四カ月間の東京における家計のうごきを昨年七月とくらべて表にすると、次のとうりである。(單位円)

第12表

この統計は、東京における家計の状態を、特定の階級に偏しないで、もっとも代表的にあらわしたものであつて、概して勤労者の家計よりは高くなつている。それでも、家計支出全体の中で食糧の占める割合は六六%ないし七三%の間にあつて、いかに家計に余裕がないかということをはつきりと示しているのである。

九、主食購入の分析

いま少しく家計の内容に深入りして、中でも一番主要な主食に對する支出をマル公によるものとヤミによるものとわけてみると

第13表

つまり、数量では購入量の二割から四割をヤミで買い金額では全体の七割から八割五分をヤミにつぎ込んでいることを示している。数量の合計は同じとして、そのうちの一割をヤミからマル公にうつすことによつて、金額の合計は四月の例で言えば、二三・二%を減することができるのである。正規配給量の確保ということが、國民の家計にいかに大きな意味をもつているかは、これによつても明瞭であろう。

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