むすび

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今回の「日本経済レポート(2024年度版)」では、我が国経済が緩やかな回復を続ける中にあって、2024年の経済・物価・賃金動向を詳細に分析するとともに、今後の景気のリスク要因やデフレ脱却に向けた現状と課題を点検した。加えて、家計部門の課題として、個人消費の伸びが所得・賃金の伸びに比べて抑制的である背景を分析するとともに、消費の力強い回復を支える鍵となる賃金上昇の持続性に係る評価を行った。さらに、企業部門について、コロナ禍前後の倒産企業の特徴や、新たなデータに基づく起業動向の分析など企業の退出と参入に係る現状と課題を分析した。

(2024年の日本経済)

第1章では、2024年の日本経済の動向と先行きのリスク要因を確認するとともに、デフレからの脱却に向けた展望を行った。我が国経済は、企業部門の堅調さが続き、家計部門も実質所得が増加に転じる中で、個人消費の持ち直しの動きが続くなど、緩やかな回復を続けている。2020年5月を谷とする今回の景気回復局面は4年半を超え、2000年代や2010年代の長期の回復局面に次ぐ長さとなっているが、今回回復は、過去2回の長期回復局面と異なり、輸出や製造業の生産に牽引されたものではなく、非製造業の回復を主因とするものである。その意味で、外需面でのショックに対する脆弱性は過去とは異なった性質を有していると考えられる。ただし、不動産市場の停滞により景気の足踏みが続く中国経済など海外景気の下振れの影響に加え、米国の政策動向、とりわけ関税率引上げなど通商政策の動向によっては、2018年の米中貿易摩擦時の経験に鑑みると、間接的な影響を通じて景気を下押しする可能性には留意が必要である。

デフレに後戻りする見込みがないかどうかを判断していくに当たっては、引き続き、物価の基調と背景について、マクロ的な指標のみならず、企業の賃金設定や価格転嫁行動の変化、経済主体の将来の物価上昇に係る認識などミクロ的な観点を含め、様々な指標の動向を丁寧に確認し、総合的かつ慎重に判断する必要がある。総じてみれば、過去四半世紀にわたり物価・賃金ともに据え置きで動かない状況から変化し、賃金と物価の好循環が回り始め、デフレ脱却に向けた歩みは着実に進んでいる。その背景には、2022年春からの輸入価格上昇を契機として、政府が物価を上回る賃上げと価格転嫁に強力に取り組んできたことがある。賃金については、2024年の春季労使交渉では33年ぶりの高い賃上げが実現し、年齢別にも賃金上昇の広がりが確認できる一方で、中小企業の賃上げは遅れがみられる。価格転嫁については、原材料価格等の販売価格への転嫁はデフレに陥る前の1980年代や90年代前半の姿に回帰しつつあり、賃金から販売価格への転嫁も、人件費比率が高いサービス分野を中心に、着実に進みつつある。ただし、BtoC価格においては、物価上昇の広がりを含めて、デフレに陥る前の状況に回帰する途上にあると言える。予想物価上昇率については、企業部門は2%程度に安定化し、市場参加者の予想物価上昇率も着実に2%程度に向けて安定化しつつある。一方、家計部門については、食料品価格など身近な品目の価格上昇の影響から予想物価上昇率が上振れしており、消費者マインドの下押しを通じて、GDPの過半を占める個人消費が力強い回復に至らない一因ともなっている。

(個人消費の持続的な回復に向けた課題)

第2章では家計部門の課題を取り上げた。個人消費は持ち直しの動きがみられる一方で、賃金・所得に比べ伸びは緩やかなものにとどまり、結果として、平均消費性向は低下傾向にある。世帯統計からみた平均消費性向の低下傾向は、現役層である二人以上勤労世帯を中心に、2010年代前半から続いており、低下のうち半分弱は、消費性向が低い共働き世帯の増加という世帯構成変化や、持ち家比率の上昇という統計的な要因によるものである。他方、これらで説明できない消費性向の低下には様々な背景が複合的に影響していると言える。第一に、これまでの賃金や所得の増加の多くが、一部の家計では、恒常所得の増加ではなく、一時的な所得の増加と捉えられ、消費性向の低下につながった可能性がある。第二に、家計の予想物価上昇率の高まりは、食料品など身近な品目の価格上昇に影響され、これが耐久財消費の前倒しなど異時点間の代替効果よりも、消費者マインドの下押しを通じて、消費性向を抑制した可能性もある。第三は、長生きリスク等の将来不安の影響である。詳細な分析の結果、老後の生活資金の不安の高まり等が消費性向を下押しする度合が近年高まっており、これが消費性向の下押しに寄与していることが確認された。 

現役世代の平均消費性向が安定化し、個人消費のより力強い回復が実現するための鍵は、恒常所得という意味での賃金上昇の持続性である。近年は、企業の人手不足感が歴史的な水準に高まる中にあって、物価上昇への対応も相まって、企業の賃金設定行動は変容している。一方、人手不足感が同じ程度の高い水準にあったコロナ禍前の2010年代後半においては、賃金上昇は限定的であったことから、同時期に賃金上昇を抑制してきた要因が、近年において変化しているのかどうかを確認することは極めて重要である。今回レポートでは、検証可能な要素として、潜在的な労働供給の余地、労働者の構成変化、転職等の外部労働市場という観点から分析を行った。まず、人数ベースでの潜在的な労働供給の余地を就業希望者数からみると、女性の労働参加が大きく進んだことから、2010年代後半に比べると縮小している。こうした中で、労働供給の賃金に対する弾力性は、近年、コロナ禍前より低下しており、潜在的な労働供給余地が縮小する中で、企業はより賃金を引き上げなければ、労働力の確保が難しくなっている。労働者の構成変化については、パートタイム労働者の比率の上昇が、2010年代末にかけては平均賃金の伸びを抑制してきたが、近年はその抑制効果が縮小している。労働者の産業構成、年齢構成等は総じて賃金に対しては中立的に推移してきた。今後は、生産性の低い部門から高い部門への労働移動が円滑に進んでいくかが重要となる。労働移動に関しては、転職者数はコロナ禍に落ち込んだ後、回復基調にあり、賃金上昇を伴う転職者の割合も着実に上昇している。こうした中、より高い賃金を求めて行われた転職による賃金上昇効果は、コロナ禍後に着実に高まっており、賃金をシグナルとして労働移動が起きるというという外部労働市場の発展が賃金上昇を後押しする環境が整ってきていると言える。

(企業部門の退出と参入に関する現状と課題)

第3章では、企業の退出と参入に係る現状と課題に着目した。まず、近年の倒産については、販売不振を原因とするものが7割超を占め、資金繰りの悪化によるものではなく、経済悪化時に象徴的な大型倒産は限定的である。倒産企業の詳細を分析すると、10年近くにわたる業績不振を経て倒産に至る傾向があり、業績不振から倒産までかなりの期間があるのは、これまで長期に続いてきた緩和的な金融環境が背景にある。コロナ禍前後で倒産企業の変化について比較すると、売上の減少は同様のペースである一方で、コロナ禍後は利益率がより早く低下する傾向が確認され、昨今の輸入物価を中心とする原材料価格上昇の影響等により、倒産までの業績悪化が進みやすい状況になっている可能性がある。また、倒産後に何らかの形で再編した企業の動向を確認すると、過剰債務が整理されたことにより安定的な利益計上ができるようになっている。以上を踏まえると、賃金や物価が共に上昇する経済に移行していく中で、中小企業等の稼ぐ力を高め、より大きな価値を生み出せる構造に転換するため、価格転嫁の更なる円滑化、省力化・デジタル化投資の促進による生産性の向上、事業承継やM&A等を通じた経営基盤強化等に取り組むことが重要と言える。

参入側として起業についてみると、我が国はリスク回避志向もあって、諸外国に比べ起業活動が活発でないが、新たなビッグデータである法人番号から起業動向を確認すると、政策による後押しや良好なマクロ経済環境等もあって、近年の起業数・起業率は改善傾向にあることが分かる。また、スタートアップ企業のパネル調査によると、起業には慎重である反面として、日本のスタートアップ企業は起業後の事業継続割合が相対的に高いことも確認される。収支や売上高の成長といった面で、起業後の経営状況が比較的良好な企業については、開業時にデジタル関連を含む投資に注力しており、開業後の支出としては、人への投資を重視し、各種設備投資を積極的に行っているという特徴がみられる。引き続き、資金調達面での支援を含め、スタートアップを後押しする社会的気運の醸成が重要である。

我が国の賃金と物価は、凍りついた四半世紀を経て、ついに動き始めた。賃金や価格をシグナルとして、労働の円滑な移動や企業の新陳代謝など、市場において人材や資本が効率的に配分される環境、すなわち、市場経済のダイナミズムの復活が、今後の我が国の潜在成長率を高めていく上でも重要となろう。

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