第3章 企業行動の変化と投資拡大に向けた課題(第2節)

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第2節 国際的にみた日本企業のマークアップ率の現状と課題

本節では、令和5年度年次経済財政報告(以下「内閣府(2023)」という。)で扱った企業のマークアップ率について、その長期的推移、企業ごとの分布、産業別の動向、無形固定資産との関係といった点で、より検討を深める観点から、日米の企業を中心に、国際的な比較分析を試みる。マークアップ率は、価格支配力を示す指標であるため、その値が高すぎると市場が独占的であるということであり、経済厚生上は必ずしも望ましいものではない。一方、逆に低すぎる場合は、企業が生み出す財・サービスについて、その価値に見合った価格付けができていない状況を示す。適切なマークアップを確保することは、企業の収益力を高め、賃金引上げや投資の原資が確保されることで、個人消費や設備投資の拡大につながり、これが企業の更なる売上増加に結び付く、という経済の好循環を生み出すための重要な鍵と考えられる。

1 日本企業と米欧企業におけるマークアップ率の比較

マークアップ率とは、企業の限界費用(財・サービスの生産量を追加的に一単位増加させるときに必要な費用)に対する販売価格(財・サービス一単位当たりの売上高)の比率を指す。完全競争の下で各企業に価格設定力がないとき、限界費用と販売価格は一致してマークアップ率は1となるが、例えば、製品の差別化や生産性の向上などを通じて、他の企業よりも限界費用対比で有利な価格設定が可能となる場合、マークアップ率は1を上回る。このように、マークアップ率には企業の生産性や製品市場における価格設定力が反映されている。

内閣府(2023)では、「経済産業省企業活動基本調査」の調査票情報を活用して、単体ベースでのマークアップ率を推計し、我が国企業のマークアップ率には過去20年間で大きな変化がみられないこと、研究開発等の無形資産への投資や海外展開はマークアップ率とプラスの関係があること、企業の前向きな設備投資の拡大には一定程度のマークアップ率の確保が重要であることなどを述べた。これに対し、ここでは、マークアップ率に係る分析を国際比較の観点から発展させるべく、日経NEEDSや前節でも使用したOsirisといった企業財務データベースを用い、内閣府(2023)と同様の考え方に基づき、日本、アメリカ、欧州(ドイツ、フランス、英国の合計)の上場企業のマークアップ率を推計した1 2。以下、その結果を基に考察をしていく。

(企業のマークアップ率は、米欧で近年上昇傾向である一方、日本は長期的に横ばい)

まず、日本企業のマークアップ率について、内閣府(2023)における分析結果との違いを確認する(第3-2-1図)。内閣府(2023)では、上述のとおり「経済産業省企業活動基本調査」を用いており、中小企業を含む単体企業ベースを対象としているのに対し、今回は、国際比較の観点から、上場企業を中心に連結企業ベースを対象としている。両者のマークアップ率を比較すると、今回推計の方が、上場企業を対象としていることから、期間を通じて内閣府(2023)よりも幾分高めの水準となっている。一方、長期的な推移としては、両者とも同様に、推計期間である過去20年程度を均してみればおおむね横ばいとなっており3、日本企業のマークアップ率には、期間を通じて大きな変動がないという点が再確認された。

第3-2-1図 日本企業のマークアップ率の推移
第3-2-1図 日本企業のマークアップ率の推移 のグラフ

その上で、日本企業のマークアップ率について、アメリカ、欧州企業との比較を行う(第3-2-2図)4。上述のとおり、製造業・非製造業を合わせた産業全体でみた日本企業の平均的なマークアップ率は、2002年度以降はおおむね1.3程度で安定している。これに対し、アメリカ企業のマークアップ率は、期間を通じて日本企業よりも高い水準で推移しており、かつ、2010年代以降については、短期的な振れはありながらも、傾向的には上昇している。また、欧州企業については、2010年代半ば以降急速に上昇し、アメリカ企業と同程度の水準まで高まっている。このように、近年、アメリカや欧州では企業の平均的なマークアップ率が上昇傾向であるのに対し、我が国では過去20年間で大きな変化がみられず、企業の価格設定力の動向に差異が生じるようになっている様子がうかがえる。

第3-2-2図 マークアップ率の日米欧比較(全産業)
第3-2-2図 マークアップ率の日米欧比較(全産業) のグラフ

(日本企業のマークアップ率は、非製造業でアメリカ企業に大きく劣後)

次に、業種別にみると、日米欧いずれにおいても、製造業のマークアップ率が、非製造業のそれよりも高い水準にある点は共通している(第3-2-3図)。このうち、製造業については、日本企業のマークアップ率は、アメリカや欧州企業とさほど大きな差があるわけではない。ただし、日本では業種全体の姿と同様に、期間を通じた変動がほとんどみられないのに対し、米欧企業は2010年代後半以降にマークアップ率を高めており、価格設定力の向上という点で日本企業は出遅れている姿が浮かび上がる。また、非製造業については、米欧企業では近年マークアップ率が高まっているのに対し、日本企業のマークアップ率が長期間にわたっておおむね横ばいであるという点は製造業と同様であるが、推計期間を通じて、アメリカの非製造業のマークアップ率が日本や欧州企業と比べて、一貫して水準が高いという点に特徴がある。

第3-2-3図 業種別(製造業、非製造業)のマークアップ率の日米欧比較
第3-2-3図 業種別(製造業、非製造業)のマークアップ率の日米欧比較 のグラフ

(製造業では半導体関連や製薬関連で日本企業の価格設定力に遅れ)

このように、近年、アメリカや欧州では企業がマークアップ率を上昇させているのに対し、我が国では大きな変化がみられないことについて、どの分野で特に差が生じているのか、より詳細な業種別の動向を確認してみよう5

まず、製造業についてみると(第3-2-4図)、輸送用機械工業や一般機械工業といった、日本企業が世界的にも強みを持っている業種においては、アメリカや欧州企業に比べ、日本企業のマークアップ率は、遜色ない、もしくは高めの水準であることがわかる。このうち、輸送用機械工業については、日米欧ともにマークアップ率は長期にわたって比較的安定している。この背景には、世界の自動車メーカーが競合し、成熟した分野であることもあり、特定のメーカーが著しい価格設定力を持つといった状況となっていないこと等があると考えられる。また、一般機械工業については、日米欧企業ともに、年々の振れはありつつも、マークアップ率が緩やかな上昇傾向にある中で6、日本企業は相対的に高い水準にある。一般機械は、半導体製造装置や建設・鉱山機械をはじめとして、我が国企業の競争力が高い分野を多く含んでおり7、我が国企業が、製品の付加価値を高める中で、世界的な需要を取り込んできたことを示していると考えられる。

一方で、生成AI向けの半導体をはじめとして、今後も世界的に成長が見込まれる分野である電子部品・デバイス工業及び情報通信機械工業においては、半導体メーカーを中心にアメリカ企業のマークアップ率の高さが際立っており、また、期間を通じて上昇傾向で推移していることがわかる。日本企業については、他業種と比較して高いマークアップ率を確保しているものの、業界全体としてアメリカの水準には及んでいない。また、2000年代初頭と比べると、水準は高まっているものの、上昇幅としても、やはりアメリカ企業よりは小さいものとなっている。

化学工業については、日本企業のマークアップ率は低位で、期間を通じておおむね変化なく推移しているのに対し、アメリカや欧州企業のマークアップ率は著しく高く、米欧において、製薬会社の世界的企業が多く存在することが反映されている。新型コロナウイルス感染症のワクチンについて、アメリカや英国企業の寡占状態であったことは記憶に新しく、こうした新製品を開発・普及させる力が価格設定力となって表れている様子がうかがえる。また、繊維工業8については、やはり欧米企業のマークアップ率の水準が日本企業に比べて高いが、2010年代以降、欧州企業の伸びが著しい。これは、世界的に著名なファッションブランドを擁する企業が、そのブランド力をもとに世界の需要を取り込み、価格設定力を高めてきたことが背景にあると考えられる。

第3-2-4図 製造業における日米欧企業のマークアップ率
第3-2-4図 製造業における日米欧企業のマークアップ率 のグラフ

(非製造業では、情報通信などITプラットフォーム分野にて日米間で対照的な動き)

次に、非製造業について特徴的な分野の動向を確認する(第3-2-5図)。まず、小売業では、いずれの国でもマークアップ率は相対的に低く、期間を通じた変化もあまりみられない。ただし、アメリカでは、小売業の中に、2010年代以降、サブスクリプションサービスを含め世界的に著しい成長を遂げたeコマース分野のリーディング企業が含まれることから、マークアップ率が期間を通じて上昇傾向にあり、日本や欧州企業よりも高水準にある。

また、情報通信業については、通信大手を含む日本では、非製造業の中ではマークアップ率が高い水準にある一方で、期間を通じてみると2002年度以降、総じて低下傾向で推移している9。これに対し、アメリカでは、ITサービス分野において、グローバルに事業を展開する大手プラットフォーム企業の成長を反映して、マークアップ率は期間を通じて上昇傾向で推移している。これは、一部プラットフォーム企業の独占的な市場支配力の高まりを表すものでもあり、その是非について議論があることは言うまでもないが、上述の小売業における一部企業を含め、これら巨大プラットフォーム企業がアメリカにおける非製造業部門のマークアップ率の引上げをけん引していることがわかる。

最後に、小売業、情報通信業以外のその他の非製造業(電力・ガス除く)のマークアップ率の推移をみると、日本は1.0近傍の低水準で長期的にみて横ばいとなっており、非製造業全体の動きとおおむね整合的である。一方、アメリカのその他の非製造業は、長期的にみて低下傾向にあり、近年上昇傾向にある小売業や情報通信業を含む非製造業全体とは異なる動きとなっている。このことからも、アメリカの非製造業部門におけるマークアップ率は、上述の小売業、情報通信業により引き上げられていることがわかる。

第3-2-5図 非製造業における日米欧企業のマークアップ率
第3-2-5図 非製造業における日米欧企業のマークアップ率 のグラフ

以上のように、詳細な業種別にみると、アメリカでは、製薬を中心とした化学工業において独自技術を生み出してきたことで高いマークアップ率を維持し、また、世界的にICT化やデジタル化が進む中で、半導体等の電子部品・デバイス工業や情報通信機械工業、プラットフォーム等の情報通信業など成長分野においてマークアップ率を高めてきた。また、欧州では、やはり製薬を中心とした化学工業において、ここ10年程度で価格設定力を高めてきたのとともに、ファッション関連の繊維工業において、そのブランド力を源泉に世界的な需要を取り込み、マークアップ率を引き上げてきた。一方で、日本企業においては、非製造業のマークアップ率は総じて低位で安定しており、製造業においても、半導体製造装置等の一般機械工業では緩やかなマークアップ率の上昇がみられるものの、かねてより比較優位を有してきた輸送用機械では他国の競合企業から抜け出して高い価格設定が可能となるまでは至らず、これらの業種も含めて、総じてマークアップ率の変動、とりわけ上昇という方向での変化が生じてこなかったといえる。

(日本企業に比べて、アメリカ企業のマークアップ率は分布に広がり)

次に、サンプルサイズが同程度確保できている日本とアメリカ企業のマークアップ率について、企業ごとの分布を確認する(第3-2-6図)。分布の変化をみる際、長期的な変動を確認する観点から、推計期間の初期の5年間である2002年度から2006年度と、最後の5年間である2018年度から2022年度の平均値を比較することとした10

まず、日本企業のマークアップ率について、2002年度から2006年度までと、2018年度から2022年度までの平均値を比べると、分布の頂点より左側に位置する相対的に低いマークアップ率の企業割合が若干低下し、頂点より右側に位置する相対的に高いマークアップ率の企業割合が若干上昇しているが、頂点とその周辺の企業割合にはほぼ変化がみられない。より具体的に、マークアップ率を0.8未満、0.8以上1.0未満、1.0以上1.2未満、1.2以上1.4未満、1.4以上1.6未満、1.6以上の6区分に分けて企業割合の変化をみると、マークアップ率が0.8未満及び0.8以上1.0未満という相対的にマークアップ率が低い企業の割合は、2002年度から2006年度まではそれぞれ12%、19%であるのに対し、2018年度から2022年度はそれぞれ10%、18%と、ともに小幅に低下した。逆に、1.6以上と相対的に高いマークアップ率の企業の割合が12%から14%へと2%ポイント程度上昇している。一方で、分布の山を形成する1.0以上1.2未満の企業割合は27%から28%へと1%ポイント程度上昇したほか、1.2以上1.4未満は21%から20%へと1%ポイント程度低下しており、これら分布の中位に位置する二つの区分の合計でみれば企業割合に変化がみられない。また、1.4以上1.6未満は10%程度でほとんど変化がみられない。このように、日本企業では、マークアップ率の相対的に低い企業の割合がやや低下して、マークアップ率が高い企業の割合が上昇しているものの、多くの企業が分布する中位の区分の企業割合には変化がなかったことで、全体的な分布構造にもほとんど変化がみられない。こうした日本企業のマークアップ率の分布の特徴は、内閣府(2023)で分析した結果とも整合的である。

一方、アメリカ企業のマークアップ率の分布をみると、2002年度から2006年度までの平均値でみても日本企業と比べて分布に広がりがみられているが、2018年度から2022年度までの平均値では、分布の山が切り下がり、より高いマークアップ率の方向に広がりが出ていることがわかる。各区分別にみると、マークアップ率が0.8未満、0.8以上1.0未満、1.0以上1.2未満、1.2以上1.4未満の割合がいずれも2%ポイント程度低下し、一方で、1.4以上1.6未満の割合が1%ポイント程度、1.6以上の割合が6%ポイント程度上昇している。また、1.6以上の企業割合は、2018年度から2022年度までの平均で29%と、日本の約2倍となっている。

以上のように、日本企業とアメリカ企業のマークアップ率の分布を比較すると、以下の二点がみてとれる。第一に、2002年度からの5年間と2018年度からの5年間のいずれにおいても、日本では分布の山周辺に多くの企業が集中している一方、アメリカでは日本に比べ分布に幅広さがみられる。第二に、推計期間を通じた変化をみると、相対的に低いマークアップ率の企業の割合が低下し、相対的に高いマークアップ率の企業の割合が上昇している点は日米で共通しているものの、アメリカでは分布の山の高さが切り下がり、より高いマークアップ率の企業の割合が上昇することで分布の広がりが増している一方、日本では分布の山付近に位置する企業割合がほとんど変化しておらず、全体的にみれば分布構造にほとんど変化がみられない。

第3-2-6図 日米企業のマークアップ率分布
第3-2-6図 日米企業のマークアップ率分布 のグラフ

(アメリカ企業のマークアップ率は、上位企業のみならず、中央値でも上昇傾向)

こうした結果を別の角度から確認するため、日本とアメリカのマークアップ率について中央値と上位10%の動向をみてみよう(第3-2-7図)。まず、マークアップ率の上位10%の企業については、マークアップ率の変動幅はアメリカ企業の方が大きい一方で、この20年程度の間一貫して日本よりも水準が高く、また、両者の差は2010年代半ば以降拡大傾向にあることがわかる。こうした結果は、De Loecker et al. (2020)など先行研究において、アメリカ企業のマークアップ率上昇の背景として、価格支配力の強い一部の企業のマークアップ率が著しく上昇してきたことがあると指摘されていることとも整合的といえる。

次に、中央値については、2000年度以降2018年度までは日本企業の方がアメリカ企業よりも幾分高い状態にあったが、アメリカでは2010年代以降徐々にマークアップ率の中央値が上昇してきたことで両者の差は縮小し、近年では大きな差がみられない。日本では、マークアップ率の中央値と平均値がともにおおむね横ばいである一方、アメリカでは、2010年代以降、平均値の上昇幅の方が大きいものの、中央値でも相応に上昇している。

すなわち、アメリカ企業のマークアップ率の上昇は、一部企業の著しいマークアップ率の上昇にけん引されているという点もさることながら、中央値の上昇という意味で、より広範な企業における価格設定力の向上という側面によっても支えられてきたといえる。

第3-2-7図 日米企業のマークアップ率上位10%と中央値
第3-2-7図 日米企業のマークアップ率上位10%と中央値 のグラフ

2 研究開発投資をはじめとする無形固定資産とマークアップ率の関係

これまでみてきたとおり、我が国の企業においては、上場企業等の連結ベースでみた場合でも、アメリカ企業等とは対照的に、過去20年間程度においてマークアップ率は大きく変化してこなかった。では、なぜこのような状況が生まれたのか、また、マークアップ率はどのような要因によって高めることが可能であるのか。内閣府(2023)では、その手がかりを得るべく、研究開発投資をはじめとする無形資産投資がマークアップ率と正の相関関係にあることを示し、無形資産への投資が価格設定力を確保するうえでも重要である点を述べた。以下では、今回使用した企業財務データベースから得られる範囲において、無形資産投資とマークアップ率との関係についてみていこう。

(日本企業の研究開発費の増加は、アメリカに比して限定的)

まず、研究開発費11のフローの動向を日米で比較していこう。2000年度を100とし、物価変動を割り引いた実質ベースの指数12でみると、研究開発費は日米企業ともに過去20年程度で増加しているが、アメリカ企業の増加が著しく、2022年度の水準は2000年度比で5.2倍となっている一方、日本企業においては2.0倍にとどまっている(第3-2-8図(1))。

次に、業種別に研究開発費の実質値を日米でみると、製造業では日米ともに増加がみられるが、産業計と同様、アメリカの伸びの方が顕著となっている。また、非製造業の研究開発費については、日本では、この20年間で3倍程度に拡大しているものの、その水準は製造業に比べても極めて小さい。これに対し、アメリカでは、非製造業の研究開発費がこの20年程度で10倍以上と極めて大きく増加し、製造業の水準とも遜色ない状況に達していることがわかる(第3-2-8図(2))。ここで、アメリカの非製造業の研究開発について内訳をみると、2022年度時点で、情報通信業が非製造業全体の7割弱、小売業が3割弱と大宗を占めており、同国における研究開発費の急拡大の主因となっている。情報通信業については、グローバルに展開するプラットフォーム企業を中心に、新たなオンラインサービスを生み出すための研究開発が積極的に行われ、結果として、アメリカ経済のデジタル化の進展をけん引してきた様子がうかがえる。また、小売業については、2010年代以降大きく増加しているが、上述したようにeコマースのリーディング企業がここに含まれており、同業種における研究開発費の拡大は当該個社要因となっている(第3-2-8図(3))。

このように、アメリカでは、企業が製品差別化や生産効率化、付加価値の向上のために製造業、非製造業ともに研究開発に積極的に取り組んできた一方、我が国においては、非製造業を中心として研究開発費が米国に比べて低く抑えられてきた。こうした企業の取組の違いが、マークアップ率の動向にも影響してきた可能性がある。

第3-2-8図 企業財務データからみた研究開発費の日米比較
第3-2-8図 企業財務データからみた研究開発費の日米比較 のグラフ

(研究開発費以外の無形固定資産の規模・成長も、日本企業はアメリカ企業に劣後)

次に、日米企業について、研究開発費以外の企業会計上の無形固定資産の動向を簡単に確認する。ここでは、日米の企業財務データを基に、無形固定資産ストックの有形固定資産ストックに対する比率(以下「無形固定資産比率」という。)を製造業、非製造業別に確認する(第3-2-9図)。ここでの無形固定資産は、主にコンピュータ・ソフトウェア、特許権、著作権、商標権等であり、のれん(営業権)については日米間の企業会計上の取扱いの違い13を踏まえ、日米ともに控除している。

製造業、非製造業に共通していえる点として、日米企業ともに、この20年程度の間、年を追って無形固定資産比率は高まっているが、アメリカ企業の方が日本に比べて上昇が顕著であり、かつ無形固定資産比率の水準が高いことがわかる。特許権が含まれており、上述した研究開発費を投下した成果としての側面もあるが、ソフトウェア投資がより旺盛に行われていることを反映しているといえる。このように、研究開発費を除く無形固定資産への投資もアメリカ企業の方がこの20年程度の間で積極的に実施しており、これが同国企業のマークアップ率の引上げにつながってきた可能性がみてとれる。例えば、Crouzet and Eberly (2019)は、アメリカの上場企業を対象に、企業会計上の無形固定資産ストックとマークアップ率の関係を推計し、IT関連を含むハイテク産業や医薬を含むヘルスケア産業等を中心に有意に正の関係があることを示している14。その背景として、大手企業による巨額の無形資産投資を通じた市場シェアの更なる向上、特許権取得やブランド化に伴う製品・サービスの差別化等により、企業の価格設定力が強まっている可能性が指摘されている。

第3-2-9図 企業財務データからみた無形固定資産比率の日米比較
第3-2-9図 企業財務データからみた無形固定資産比率の日米比較 のグラフ

(研究開発を含む無形固定資産投資は、マークアップ率とプラスの関係性)

以上の日米間の違いを踏まえ、さらに、研究開発を含めた無形固定資産(以下「広義の無形固定資産」という。)への投資が、マークアップ率とどのように関係しているのかをより正確に捉えるため、企業財務データ等から、De Loecker and Warzynski (2012)での推計方法を参考に、広義の無形資産投資がマークアップ率に与える影響を分析した。具体的には、労働や中間投入などの要素投入量、有形固定資産等をコントロールしたうえで、広義の無形固定資産ストックが1%変化した場合のマークアップ率の変化を推計した15

推計結果をみると、日米企業のいずれにおいても、広義の無形固定資産への投資(ストックの増加)は、統計的に有意にマークアップ率に対してプラスの関係を有していることが確認できる(第3-2-10図)。これは内閣府(2023)における日本の単体企業ベースの分析とも整合的な結果であり、研究開発をはじめとした無形固定資産への投資は、製品差別化や生産効率化、付加価値の向上を通じて、マークアップ率の向上につながるものと考えらえる。

一方で、マークアップ率に対する広義の無形固定資産投資の係数を比較すると、日米間で大きく異なっており、全産業でみると、アメリカの係数は日本の18倍程度大きい。このことは、アメリカでは日本に比べて、広義の無形固定資産への投資がマークアップ率の向上につながりやすいという可能性を示している。また、業種を分けてみると、製造業、非製造業いずれにおいても、アメリカ企業の方が、広義の無形固定資産の係数が大きいが、製造業では係数の日米差が6倍程度であるのに対し、非製造業においては、日米差が20倍以上となっている。非製造業を中心に、日米企業間の広義の無形固定資産投資によるマークアップ率引上げ効果の違いが説明されることがわかる。このように、日本企業はアメリカ企業に比べ、インプットとして同じだけ研究開発等の無形固定投資を増やしたとしても、過去20年程度の経験則としては、こうした投資がマークアップ率というアウトカムにつながる程度が低いという意味において、投資の効率性が低くなっていることが示唆される。

こうした違いの背景については、様々な要因が考えられる。いわゆる研究開発効率が日本では低いという点については、例えば、内閣府(2022)では、日本の研究開発効率の低さの背景として、日本では研究者間の国際交流を含めてオープンイノベーションが不足していることや、産学連携の取組が遅れていること、特許出願数に比べて商標出願数が限定的で、研究開発の成果を事業化する取組が弱いこと等を指摘した。また、無形固定資産投資の生産性への影響という観点ではあるが、内閣府(2022)は、日本企業内においても、ソフトウェア投資の労働生産性引上げの効果は、教育訓練投資により積極的な企業では統計的に有意にプラスである一方、積極的でない企業ではソフトウェア投資の生産性引上げ効果が有意にみられないと指摘している。今回の企業財務データを用いた分析では、日米間の企業の人的資本投資の違いや、業務プロセス改革を含む組織資本の違いをみることはできなかったが16、八木・古川・中島(2022)等が仮説として示唆するように、日本は、アメリカに比べて人的資本や組織改革への投資の水準が低い中で17、ソフトウェアや研究開発投資の成果を収益に結び付ける力が不足している可能性がある。

第3-2-10図 無形固定資産ストックが1%変化した場合のマークアップ率の変化率
第3-2-10図 無形固定資産ストックが1%変化した場合のマークアップ率の変化率 のグラフ

(マークアップ率を高めるには、無形資産の投資拡大と効率性向上の取組が重要)

以上の分析や先行研究からの考察を踏まえると、我が国企業のマークアップ率が総じてみて低位で安定しているという現状に関し、広義の無形固定資産投資の規模、効率性の二つの側面から以下の点が指摘できる。

第一に、この20年程度において、日本企業は、研究開発やその他の無形固定資産を拡大させてきたものの、その程度はアメリカ企業に比べると限定的であった。このことは、SNAベースの民間企業部門におけるコンピュータ・ソフトウェアや研究開発等の「知的財産生産物」への投資額が、過去20年程度で、アメリカでは3.4倍に増加しているのに対し日本は1.3倍にとどまっていること、また、民間企業設備全体に占める知的財産生産物のシェアが、2000年代半ばに日米で3割弱と同程度だったが、その後アメリカでは特に2010年代後半に上昇し2022年には4割を超えるまで高まる一方、日本では依然として3割程度にとどまっていることからも確認できる(第3-2-11図)。

第二に、研究開発を含む無形固定資産投資によるマークアップ率向上の効果が、日本企業ではアメリカ企業に比べて著しく低いことが確認された。今回の分析だけでは確定的な結論は導けないが、先行研究の考察と合わせて考えると、研究開発やソフトウェア等の無形固定資産投資を拡大させるだけでなく、教育訓練等の人的資本投資の強化や業務プロセス改革を伴う形で、投資の成果を企業の価格設定力、ひいては利益の向上に結び付けることが重要である。

第3-2-11図 知的財産生産物への投資の日米比較(民間企業部門)
第3-2-11図 知的財産生産物への投資の日米比較(民間企業部門) のグラフ

1 推計方法の詳細は、付注3-2を参照。推計期間は、日本とアメリカが2000年度から2022年度、ドイツ、フランス、英国は2000年度から2021年度までと、各国で約20年間とした。対象企業数は年ごとに異なるが、全期間を平均すると、日本が3,021社、アメリカが2,690社、欧州が1,308社(うちドイツが366社、フランスが387社、英国が555社)である。なお、ここでは、内閣府(2023)での分析と整合的に、Nakamura and Ohashi(2019)で採用されているトランスログ型の生産関数を用いて、国・地域別、産業別に推計を行った。生産関数の定式化やサンプルの特性により、国・地域別、産業間の中間投入の売上高に対する弾力性の水準には相応の差異が生じる場合があるため、マークアップ率の水準を比較する際には留意が必要となる。
2 限界費用について、内閣府(2023)では、原材料等の中間投入として、売上原価及び販売費及び一般管理費の和から減価償却費、給与総額、動産・不動産賃借料、租税公課を除いた数値を用いた。一方で、今回の分析では、中間投入として、各国・地域とも企業財務データベースから共通して得られる売上原価を使用した。このため、今回の分析の限界費用には、売上原価に計上される、商品の製造やサービス提供等に直接関わっている従業員の給与等が含まれているという点で前回と違いがある(営業部門や経理部門、経営管理部門の従業員の給与等は、販売費及び一般管理費として計上されるため、今回と前回の扱いは同様である)。なお、Diez et al. (2018)De Loecker et al. (2020)等の欧米企業を対象とした先行研究でも、売上原価を中間投入として扱っている。
3 なお、今回推計結果においては、2002年度にマークアップ率に大きな上昇がみられるが、後に業種別の分析において確認するように、情報通信業における一部企業の特殊要因が影響している点に留意する必要がある。
4 本節冒頭の脚注で述べたとおり、マークアップ率の推計に当たっては、生産関数の定式化やサンプルの特性により、国・地域別、産業間の中間投入の売上高に対する弾力性の水準には相応の差異が生じる場合があるため、マークアップ率の水準を比較する際には留意が必要となる。
5 企業ごとに付されている業種コード(東京証券取引所やMSCIGlobal Industry Classification Standardによる業種コード)に基づき、SNAにおける産業分類(製造業は中分類、非製造業は大分類)に合わせて分類した。
6 欧州企業において2010年代前半にマークアップ率が一時的に不連続に高まっているのは、個社における会計表示の変更の影響であり、一時的な特殊要因である。
7 内閣府(2023)では、顕示比較優位指数(RCA)により、我が国の一般機械製造業、とりわけ半導体製造装置やブルドーザー・掘削機等の競争力が高いという分析結果を示している。
8 化学繊維製造業、炭素繊維製造業、紡績業など相対的にマークアップ率が低い素材系の業種のほか、相対的にマークアップ率が高いアパレル等の衣服・身の回り品製造業も含まれる。
9 なお、2002年度に日本の情報通信業のマークアップ率が大きく上昇しているのは、大手通信会社の会計基準が変更されたことに伴う断層である。この要因が、非製造業全体のマークアップ率の動きにも影響を与えている点には留意が必要である。
10 比較する推計期間の初期を2002年度からとしたのは、先述のとおり、2001年度から2002年度にかけて、日本の大手通信会社の会計基準が変更されたことに伴い、非製造業である情報通信業のマークアップ率が大きく上昇して断層が生じているためである。
11 企業会計上、研究開発費とは、新しい知識や新しい製品・サービス・生産方法の発見、あるいは既存の製品等を著しく改良するために要した費用であり、国民経済計算(SNA)の国際基準(2008SNA)とは異なり、費用計上される。
12 実質化に当たっては、SNAベースの研究開発投資のデフレーターを日米でそれぞれ使用している(日本は、内閣府「国民経済計算」、アメリカはOECD. Stat、アメリカ商務省のデータを使用。)。
13 日本の会計基準では、のれんは償却資産(減価償却が認められる)であるのに対し、アメリカの会計基準では非償却資産(減価償却が認められない)となっているため、その資産額について直接の比較が困難である。
14 同文献では、企業会計上の無形固定資産として、研究開発費は含まれない一方、のれんが含まれている(アメリカ企業のみを分析対象としているため、のれんについて会計基準上の扱いの違いを考慮する必要がない)。
15 推計方法の詳細は、付注3-3を参照。ここで広義の無形固定資産ストックは、コンピュータ・ソフトウェア、特許権・著作権などの会計基準上の無形固定資産(のれんを除く)に、各年の研究開発費を恒久棚卸法により積み上げてストック化したものとの合計としてみている(実質ベース。実質化に当たってのデフレーターは無形固定資産については知的財産生産物ストック全体のデフレーター、研究開発費については知的財産生産物の中の研究・開発投資デフレーターを用いた)。本論でも述べたように、特許権は研究開発の成果でもあるため重複している面もあるが、企業会計上で資産計上されているもの(無形固定資産)と、費用処理されているもの(研究開発費)という違いがあることや、研究開発は特許とは関係なく知識資本の蓄積につながるという面があることから、ここでは単純に両者を合計したものを用いた。
16 内閣府(2023)では、日本企業のマークアップ率分析の基礎データである「経済産業省企業活動基本調査」において能力開発費が利用できたことから、日本について、人的資本投資とマークアップ率とのプラスの関係を検証できたが、企業財務データベースではこうした教育訓練支出データを得ることができない。
17 内閣府(2023)等では、国際的な産業別の生産性データベースであるEU-KLEMS等を基に、日本は、コンピュータ・ソフトウェアや研究開発資産のGDP比はアメリカと比べて遜色ない一方、人的資本や組織改編等の経済的競争能力に係る資産の規模が小さいとの分析結果を示した。
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